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11話


 まだ、劉弁りゅうべんの年齢は十六と、成人していない。

 その場合、後見役となる皇太后が政治の実権を握るようになっている。


 しかし今、後ろ盾となっていた大将軍の何進かしんを失い、「十常侍の乱」以降心身を崩していた皇太后では、聴政をまともに行う事は出来なくなっていた。


 そこで台頭したのが、霊帝れいていの実母であり、劉協りゅうきょうの育ての親でもある、とう太皇太后だ。

 そんな彼女の後ろ盾として強力に実権を握る者こそが、董卓とうたくであった。


 地位も身分も低いが、太皇太后の寵愛を受け、更には何進かしんの指揮していた近衛軍をも自軍に組み込んだ董卓とうたくの権勢は強大。

 更には劉弁りゅうべん劉協りゅうきょうを救った功績により、最高官位である「三公」よりも上位の「丞相じょうしょう」となった。


 くそ、史実よりも厄介なことになったな。

 婆さんという大義名分を握っている以上、董卓とうたくの権力の掌握は極めてスムーズだ。


 早めに手を打たないと、もしかすると本当に董卓とうたくの王朝が爆誕するやもしれん。

 歴史知ってる俺が居るのに、未来が不味い方向へ転んでるのは、流石に草なんだけど。


 大言壮語した以上、後には退けないな。

 とりあえず、董卓とうたくに権力が集中するこの状況を、誰かがぐちゃぐちゃに掻き回してくれないだろうか。


 俺は、一人の男の顔を浮かべながら、ようやく眠りについた。





 はらわたが煮えくり返る思いだった。

 本来であれば、董卓とうたくではなく、自分が丞相の座に就くべきはずであった。


 董卓とうたくはただ、転がり込んできた子供を偶然にも二人拾っただけだ、という思いがあった。


 朝廷の大敵であった宦官を皆殺しにした自分こそが、今回の乱において、最も多くの功績を挙げた人間なのだ。


 手柄を横取りされた。それも、田舎武将如きに、だ。

 袁紹えんしょうはその笑顔の裏で、激しい怒りの業火を燃やしていた。


「兄上、董卓とうたくから昇進の話が来てるというのに、何故、断ったのだ」


「聞いてないのか、じゅつよ。今は洛陽らくようが荒れていて、軍の掌握が急務だ。西園軍せいえんぐんの代表格である私は多忙であり、現状の変化を望むべき時ではあるまい」


「西園軍はもともと兄上の指揮下だ、軍律も行き届いているし、洛陽らくようで反乱等の不穏な兆しも無い」


 弟の袁術えんじゅつは、宦官を殺せてそれで満足なのか、あまり董卓とうたくに対しての敵愾心てきがいしんは抱いていないようであった。


 勿論、家柄の格差がある。袁術えんじゅつ董卓とうたくを下には見ていた。

 だからといって、現在の状況に対する妬みや嫉妬は無いないらしい。


 これが本当の血の差か、と袁紹えんしょうは一層腹が立った。


 袁紹えんしょうは袁家の長男といえど、母の身分は低く、妾の子であった。

 対して袁術えんじゅつは正室の子であり、順当に行けば、袁家の跡取りは袁術えんじゅつになるはずである。


 そういった余裕みたいなものが、この弟には生まれつき備わっている。

 自分こそが正当な袁家の人間である、という絶対の自信。


 対して袁紹えんしょうは、その逆境をどうにかして好転させるべく、今までじっと牙を研ぎ続け、力を蓄えた。


 今は乱世だ。力が全てだ。

 そこに袁家の血筋が備われば、誰も文句は言えなくなる。


 この大きな野心こそが、最大の原動力でもあった。


しょうじゅつ、揃っておったか」


「叔父上」


 書室の戸を開け、髪の白くなった初老の男が二人の前に現れる。

 名を「袁隗えんかい」。

 朝廷の最高官位である三公の内の一つ「司空しくう」に二度も就任し、現在は皇帝の指南役である「太傅たいふ」に就く大人物である。


 神経質な面持ちをしており、目の輝きは極めて鋭い。

 危険な事をよく策謀する袁紹えんしょうに、面と向かって叱りつけられるのは、この袁隗えんかいのみである。

 その為、袁紹えんしょうもこの叔父にだけは、頭を上げることが出来なかった。


「まぁ、座れ。言いたい事はたくさんある」


「……叔父上、宦官は殺さなければならない存在でした。私は、間違ったことはしておりません」


「私もそう思います。事実、多くの将兵が兄上に従い、この結果を称賛しております」


「結果論だ」


 兄弟の申し出を、袁隗えんかいはぴしゃりと遮った。

 目には怒りの色が滲んでいる。


「陛下も、陳留王ちんりゅうおう殿下も、無事であったから良かった。しかし、後宮は灰となり、董卓とうたくの専横を許す結果となった。一家臣が独断で行動して良い範疇を大きく超えている」


「大将軍が暗殺されたのです。危急の事態でありました」


しょう、いつもお前は自分の意見ばかりだな。陛下の事を考えたのか? お前は『正しい』事を『正しい』と思い過ぎるのだ」


「人は正しくあるべきです」


「正しさばかりに目を向けると、今回の様に、大事なものを見失う。慎め、しょう。人間は誤まる生き物だ」


「……肝に銘じます」


 不服な声であった。

 袁隗えんかいは眉をひそめ、大きく息を吐く。


「それと、しょうじゅつもだ。とう丞相から昇進の話が来ている、それを受けよ」


「私は受けるつもりですが、兄上は断りました」


「受けよ」


「何故でしょうか。袁家が、董卓の風下に立てと?」


「そうだ。これより我ら袁家は、とう丞相を支持することにした」


「なっ」


 今まで必死に押し殺して来た怒りが、ついに袁紹えんしょうの心を突き破る。

 はち切れんばかりに、額には血管が浮かんでいた。


「どうしてあのような田舎者を、我々が支持せねばならぬのです!? むしろ、声を上げて弾劾すべきです。今でさえ、その横暴は目に余ります!!」


「田舎者故にだ。丞相には軍略の才はあれど、政治に関しては素人。ただ、それを自身が理解しておられる。話の分からぬ相手ではない。だからこそ袁家が補佐して、朝廷を立て直すのだ」


「私は、納得いたしかねまする」


「お前は袁家を滅ぼすつもりか! しょう!!」


 椅子に腰を据えたまま、袁隗えんかいは怒鳴り声を上げた。


 刺すような袁隗えんかいの視線と、殺気溢れる袁紹えんしょうの視線が交わる。

 袁紹えんしょうはその興奮を抑える様に、荒く息を繰り返していた。


「お前達二人には、王朝を補佐し得る才がある。しかし、惜しいかな、それを何故この国の為に使おうとしない。董卓とうたく憎しで目を曇らせるな、大局を見よ。宦官かんがんの居ない今ならば、国政を立て直す事が可能だ。私は太傅たいふであり、国政に参画が出来ない。だからこそ、お前達が袁家を引っ張らなくてはいけないのだ」


「この力は、私の力です。どう使うかは私が決めます。そして、董卓とうたく如きには使いたくありません」


しょう!!」


「いくら大恩ある叔父上の話でも、こればかりは聞けません。御免」


 袁紹えんしょうは涙を堪え、書室を出て行った。

 それに続く様に立ち上がった袁術えんじゅつもまた、涼やかな態度で袁隗えんかいに頭を下げる。


「お前も聞けぬか、じゅつ


「私は、どちらでも。ただ、私は兄上ほど賢くはありません。なので、兄上が嫌だというものに、手を出そうとは思えないのです」


「そうか、もう好きにせよ」


「感謝します」


 一人になった書斎で、袁隗えんかいは鈍く痛む頭を揉んだ。

 先に亡くなった、優しき兄の姿が浮かぶ。


 兄から託された、大事な二人の甥であった。

 才能は恐らく自分の数倍はあるだろう。


 だからこそ、惜しかった。


 どうして敢えて、乱世を望むのだろうか、と。





 この数日後、袁紹えんしょう袁術えんじゅつ、そして曹操そうそうなど、西園八校尉せいえんはちこういの面々が洛陽らくようから出奔した。

 袁家に十分な誠意を表して、へりくだった態度で接していただけに、裏切られた董卓とうたくの怒りは大きなものであった。


 しかし、袁隗えんかいを始めとした複数人の群臣の嘆願と進言により、董卓とうたく袁紹えんしょうの手配を取り止め、逆に爵位と領土を与えた。


 それほどまでに袁家の力が大きかった、という事もある。

 例え董卓とうたくであろうと、袁家はどうしても懐柔しておきたい勢力だった。



 しかしこの采配が後に、袁隗えんかいの運命を大きく狂わせることとなるのである。



袁術えんじゅつ


 袁紹の異母弟。血統で言えば、袁紹よりも正当な袁家の後継者であった。

 南方に一大勢力を築き、公孫瓚や陶謙、呂布と手を組んで、袁紹と対立した。

 ただ、勝手に自ら皇位を僭称したことで諸侯の反感を買い、自身の滅亡を招いた。



袁隗えんかい


 袁紹、袁術の叔父。

 三公や太傅など高位を歴任して、朝廷の運営を担った俊才。

 袁紹が反董卓連合を結成したことで董卓の反感を買い、後に処刑された。



太傅たいふ


 皇帝の養育係である官職で、最高の位にある。

 しかし政治に関わる実権は一切なく、名誉職の様なものであったとされる。


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