10話
騎馬かぁ、カッコいいな。
単車と同じカッコよさがある。
乗れるようになってみたいなぁ。
警察と鬼ごっこをしていたあの頃が懐かしい。
地元じゃちょっと名の知れた走り屋で、「本マグロ」なんて通り名もあったな。へへっ。
いや、速いんだろうけど、なんかちょっとダサいとか言うのはヤメて?
気にしてるから。
董卓の庇護下で、俺と劉弁、そして婆さんは無事に洛陽へ帰還できた。
後宮は燃えて炭となった為、俺らは張譲の屋敷へ居を移された。
あ、ちゃんと曹操は解放されてたよ。兵士に笑われながら、ちょっと可哀想だったけど。
命があるぶん儲けもん。
ちなみに史実で言えば、劉弁は普通に殺される危険があるから、そっちのがヤバい。
しっかし、豪勢すぎる屋敷だな。
どんだけ悪い事したら、こんだけ贅沢できたんだろう。
「協か、待ち侘びた。すまないな、戻って時間も経たぬうちに、急に呼び出して」
「退屈していたところだ、気にしないでくれ」
「頼もしい限りだよ」
笑ってはいるが、この一晩で劉弁の顔は酷くやつれていた。
というのも、何皇太后の精神状態が極めて不安定だった。
メンヘラとはよく付き合っていたが、こっちまで精神がボロボロになる。ましてやそれが母親とか勘弁。
兄が暗殺され、溺愛していた息子の安否もしれないままに後宮が焼き払われ、そしてその息子は誘拐されたと聞いた。
無事に帰って来たと思ったら、物凄い圧力を放つ騎馬軍団に囲まれており、更には宿敵である婆さんの登場。
心中穏やかじゃないのは頷ける。
今は、常に劉弁が近くに居ないと、不安に駆られて狂ってしまうらしい。
あんなに美人だったのに、今やその美貌は見る影も無い程に老いていた。
流石にあそこまでやつれてると、俺の好みから外れる。
つい先ほど、そんな皇太后もようやく眠りについたらしい。
「陛下も、休んだ方が良い。疲れてるだろう」
「お前はどうなんだ?」
「俺はさっき少し寝た。ただ、すぐに起きた。駄目だね、寝床が変わるとあんまり眠れない」
「そうか……ただ、少し会話の相手をしてほしいんだ。気分がまだ、落ち着かぬ」
「分かった」
冠も被らず、動きやすい軽装のままの子供が二人。
これがこの国の皇帝と、王だった。
何の実権も持たない、お飾りの二人。
まぁ、楽に暮らせると思えば文句は無いが、それは時代が許してくれないらしい。
「時々分からなくなるんだ。僕は、どうして皇帝になったんだろうって。母上は、庶民の出だ。いくら長子だからとて、僕では血統が低すぎる。協の母を殺し、宦官と手を組み、伯父上を大将軍とし、そうやって用意された、血塗られた玉座だった」
「別に恨んでないよ。というか俺は、親が殺されようが、何されようが、何とも思ってない。だから、俺が皇帝にならなくてよかったんだ。神様はちゃんと見てるね」
「慰めてくれてるのか、ありがとう」
別に慰めてるつもりは無いんだがなぁ。
母親とか父親とか言われても、正直ピンとこない。
劉協の父と母には会ったことは無いし、前の両親には見捨てられてるからな。
俺を愛してくれない人間がどうなろうと、関係なくね?
「ただ、僕が皇帝となった途端、この様に国家は大難に遭い、地方の豪族に過ぎぬ者に、実権を全て奪われた。天はこの血塗られた玉座を、認めなかったのだ」
「いやいやいや! なるべくしてなったの、これは。前の世代の皇帝達が馬鹿ばっかやって、そんで取り巻きが、馬鹿を好き放題操ったツケが今来てるだけ。勘弁してくれよ」
ゆとりは駄目だな、とかいうおっさん理論ね。
そのゆとりを作ったのは貴方達ですが?
むしろ貴方達が問題を先送りにして、固い頭でいらんことばっかしてるから、今大変なんでしょうが。
だから別に気負う必要ないんだよなぁ。
老害がますます調子乗るから。
怒られるような事を堂々とやって良いんだよ。若者は。
「協よ……お前は天が怖くないのか? 歴代の先帝を、かように侮蔑して。普通なら反逆罪であるのだが」
「考えたこと無い。目に見えないものに敬意とか、ねぇ」
まぁ、この転生を幸福に捉えるかどうかで神様とやらに対する考えも変わるんだけど。
なんでもっと裕福で堕落した皇帝にしてくれなかったの? ねぇ?
楊貴妃とか抱きたかった。
そしたら俺も、手放しで「天」とやらに感謝してたのにね。くそぅ。
「やはり、皇帝の器だよお前は。その首の紋様が、何よりの証拠だ。天を恐れぬ者こそが、天を戴けるのだと思う」
「へ?」
「協よ、いや、弟よ。僕の皇位を受けてくれ。お前が、この王朝を復興させてくれ。あの董卓に、絶対に『漢』を潰させてはならないのだっ」
劉弁は涙を流しながら、額を地面につけた。
初対面の瞬間にきっと感じ取ったのだろう。
董卓とは決して、人間として考えが交わることは無いと。
ただ、その董卓に対抗するには、自分の力はあまりにも非力だった。
だからこうやって、何かに希望を見出したいのだろう。
俺は劉弁の髪を掴んで、無理やり引き上げる。
「男が泣くな! 董卓の前ではあれだけ意地を張れたくせに、なんだその面は」
「き、協?」
「あのなぁ、簡単に手に入っちまうもんは、簡単に手元から逃げてくんだよ。そんなんで皇帝になっても、ちっとも嬉しくないね。第一に、カッコ良くない」
「だ、だが、私にはこの四百年の血統が、あまりに重い……」
「馬鹿か、血統なんて誰も分からん。血の色が違うわけでもなかろうもん。今の皇帝はお前で、他の誰でもない。兄さんだけ、劉弁ただ一人だけだ」
下手に意地を張って、反感買って、ボコボコにされて、色んなもんを奪われた。
俺の人生はそんなんばっかだった。
でも、この意地だけがどうしても折れなかった。
高い景色を見てみたい、それだけの意地。
強くなりたい。偉くなりたい。
具体的な事は何も言えず、ガキの頃からそればっか。
だからこうやって、簡単に全部を投げだしてしまうような奴が嫌いだ。
そんな捨てられた「皇位」を貰ったところで、何の価値もありはしない。
だったらまだ、董卓にくれてやった方がマシだ。
「本気で復興させたいって思うなら、その玉座に何としてでもしがみ付け。絶対に手放すな。その間は、俺が戦場で戦ってやる。譲りたいなら、全てが終わってからだ。そしたら喜んで貰ってやるさ」
「どうして、お前は、そんなに強く居られるのだ」
「捨てるものが無いから」
一度人生を終わらせてる。
自分の命なんて、五千円の価値もない。
やるべきことも決まっていて、守りたい人間も居て、成り上がれるチャンスもある。
違法風俗店のボーイで、その日暮らしの金を稼ぐだけの人生より、何億倍もマシだ。
「泣くな! 返事は!!」
「は、はいぃっ」
「それでいい」
髪を離すと、劉弁は放心したように俺を見つめていた。
やりすぎた気がするけど、まぁ、良いや。
泣いているガキを見るのは、どうも無性に腹が立って仕方ない。
「陛下、これからはそう呼びます。もう兄とは呼びません」
「そ、そうか」
「まずは陛下の為にひとつ、俺からの宣言をしておきます」
劉弁は涙を拭き、首を傾げる。
俺は手に汗が滲むのを感じながら、あえて不敵に笑って見せた。
「──必ず、この手で天下を掴む。誰の物でもない、俺らの天下だ。誰にも文句を言わせない、完膚なきまでの天下を」
・楊貴妃
中国「唐」代の皇妃。世界三大美女の一人。
玄宗皇帝が彼女を寵愛し過ぎて国政を疎かにした為、安史の乱が起こった。