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落ちこぼれのチンピラが、後漢王朝最後の皇帝「劉協」に転生してしまう物語。
これからどうぞよろしくお願いします!
「ねぇ、『キョー』ちゃん。キョーちゃんはさぁ、生まれ変わったら何になりたいとかあるぅ?」
歯が欠け、薬で視点が虚ろなメンヘラ女が、俺の腕にしなだれる。
俺はホストじゃなくて、ボーイだってんのに、まるで聞きやしない。
「あぁ、そうだなぁ、俺は──」
☆
調子乗って飲み過ぎたテキーラが、滝のように口から出ていく。
一人、風俗街でその日暮らしの金を稼いでは、酒とパチンコに費やす毎日。
吐瀉物と、タバコが落ちたアスファルトの上で、よく喧嘩もした。
「なぁ、にーちゃん。お金ちょーだいよ」
今日もまた、喧嘩を売られる。この町ではよくあることだ。
路上で吐いていたからだろうか、若いガキどもに囲まれた。
最近は、若いもんが年上に金を払うってのがこの国の流儀だろ。
それでも、売られた喧嘩は買う。
男は舐められたら終わりだ。
うん。
ボコボコにされた。
多勢に無勢、俺は泥酔状態。卑怯だよなぁ。
アスファルトで伸びる俺から財布を抜くガキども。
このままやられっぱなしは性に合わない。一円たりとも渡すもんか。
不意を打つように財布を取り返し、橋の上から、咄嗟に川へ飛び込んだ。
「バーカ! どうだざまぁみろ! お前らは俺を殴った時間ぶん、人生を無駄にしたんだよぉ!」
そう言ってから、あぁ、俺は馬鹿なことをしたと、何となく気付いた。
数日前の大雨で水かさが増した川は流れが速く、俺みたいなクズを容易く飲み込んだのだ。
酔いや痛みで体も動かない。
あー、死ぬのか。
たかが五千円くらい、くれてやればよかった。
いつも、この変なプライドが、俺の人生を狂わせる。
まぁ、それでもいっか、とも思えた。
生きたいように生きたのだ。好き勝手、迷惑をかけてきた。
いくら体を張っても、命を売っても、馬鹿が損をするのがこの時代。
誰よりも強く、偉くなりたいと言いながら、言うことだけしか出来なかった。
社長になりたい。でも、何の社長とかは、そんなん分からんもん。
そんな感じ。
あー、生まれ変われるなら「皇帝」なんかになってみたいなぁ。
思い切り贅沢をして、女をはべらせて、気に食わないヤツを処刑するんだ。
わくわくするだろ?
☆
酔いが、まだ続いていた。
脳がガンガンと打ち付けられ、何より吐き気がひどい。
周囲が騒がしすぎる。
人の声で、頭が割れそうだ。
「殿下が! 陳留王様がご意識を取り戻されましたぞ!!」
良かった良かった、めでたいめでたい。
どんちゃかぽこぽこわーわーわー。
ほんとヤめて? 頭痛いからぁ。
さて、目を覚ます前後の事が、全く思い出せない。
自分が誰なのか、ここはどこなのか。
ただ、名前だけがしっかりと、記憶にしがみついている。
「狂う」と書いて、読みは「キョウ」。
まさにキラキラネーム。
パチンカスを親にするとろくなことねぇな。
頭空っぽかよ。
「殿下、ご意識ははっきりしておられますか? ここがどこか、お分かりですかな?」
眉も髭もない、笑顔の気持ち悪いジジイだ。
吐き出す息は酒臭く、思わず嘔吐してしまう。
「……ここ、どこ」
ひとしきり吐いた後に、何とか声を絞り出す。
やけに大きな体のジジイだと思ったら、俺の体が縮んでいる事に気づいた。
目の前に広がる光景は、荘厳で煌びやかな装飾が施された、広すぎるほどの宴会場である。
その宴会場に、ジジイと同じような顔をした奴らが、所狭しとひれ伏している。
気持ちの良い空間では無かった。
どこか、怪しい宗教施設に似た、あの気持ち悪さを感じる。
夢だと思いたかったが、実感があまりにリアルで、何が何だか分からない。
そんなときだった。
まだ二十歳に達して無いであろう青年が、奥から現れ、こちらに小走りで駆け寄ってきた。
じゃらじゃらと、すだれのようなものをぶら下げた、趣味の悪い立派な冠をのせている。
「キョウよ、無事であったか!」
「お前……何で、俺の名前を」
「どうしたのだ? 張譲! これはどういうことだ!」
青年が声を荒げると、息の臭いジジイが土下座の格好で、床に額をこすり付けた。
まるで床を舐めて掃除するとでも言わんばかりだ。
そしたらここら一帯が臭くなるな。
うっ……気持ち悪ぅ。
「殿下は意識を取り戻されたばかりで、記憶が混雑しておいでです。陛下、今しばらく安静に」
「そもそもはお前らが……もう良い。キョウよ、朕が誰か分からぬか? そなたの兄の『劉弁』であるぞ?」
「リュウ、ベン」
リュウベン。
チンリュウオウ。
そして、キョウ。
段々と、点が繋がり、線になっていく。
俺は知っているのかもしれない。
この世界を、そして俺自身の事を。
図書館で何度も、目を通した『時代』の名前を。
暇潰しがてらに読み込んで、ガチハマりした「シリーズ」を。
「お、思い出しました。ご心配をおかけしました」
「おぉ! それは良かった! 父帝が崩御され、さらにそなたまで失えば、朕はどうして良いか分からなくなるところであった!」
劉弁と名乗った青年は、目に涙を浮かべて俺の小さな体を抱きしめた。
真っ直ぐな、優しさである。久しく感じていなかった、温かさだった。
俺は、劉協になっていた。
いや、献帝、と呼んだ方が分かりやすいか。
暇潰しに通ってた図書館で、嫌という程読み込んだんだ。
間違えるはずもない。
三国志と呼ばれる時代で、四百年続いた漢王朝を滅ぼす、最後の皇帝の名。
それが今の、俺の名前らしい。
・劉協
およそ四百年続いた漢王朝最後の皇帝。諡は「献帝」。
董卓の擁立で皇位につき、やがて曹操に保護される。
その後は曹操の跡を継いだ曹丕に皇位を譲り、漢王朝は終わりを迎えた。
・劉弁
劉協の異母兄。諡は「少帝」。
母の何皇后と、叔父の何進大将軍の後ろ盾により、「霊帝」の跡を継いだ。
在位期間は半年に満たず、反董卓連合の旗印になることを恐れた董卓に毒殺される。
・張譲
朝廷を牛耳る宦官勢力「十常侍」のリーダー的存在。
霊帝に「我が父」と呼ばれるほど寵愛され、大きな権勢を誇った。
汚職の限りを尽くして漢王朝を疲弊させたが、十常侍の乱にて死亡した。
・漢王朝
劉邦によって築かれた「前漢」、劉秀によって築かれた「後漢」を合わせて呼ばれる王朝。
およそ四百年に渡って中国を統治した長期政権。
初代皇帝の劉邦が「漢中郡」に拠って「漢王」に封じられた為に、この名で呼ばれた。