4話
……少し頭が重たい。
目を開けると脂の匂いと、オレンジ色に揺らめく小さな炎が部屋を照らしていた。
……記憶に無い部屋、見た事の無い布団、裸の上半身……
剥き出しになった左胸にある絡まった二匹の蛇の模様……
「えぇぇぇ!!」
意味も無く飛び上がりパンツを履いていることを確認しつつ上下左右を見回していると、部屋の仕切りの布だろうと思われる物がめくれ、赤銅色した肌のとても筋肉質なツノの生えた随分と大きな中年の男が入って来た。
「随分元気そうだな、その調子なら動けるだろ来い」
男は顎で仕切りの向こう側を指し、椅子に掛けてあったボロ布を二枚投げて寄越した。
元は白かったであろう破れ赤茶に染まった上着と、紺色のあちこち切れている泥だらけのズボン。
何とか着てみたものの最先端な格好すぎて正しく着られているのか全く分からない。
「おっさん……もうちょっといい服くれよ……」
小声で愚痴り、服……いやボロ布を何とか着て仕切りから覗いて見る。
ツノのおっさんとさっきの少女が丸太そのもののテーブルを挟み何やら談笑していた。
何かよく分からないゴワゴワしていそうな縞模様の毛皮の上に、樹齢数百年はあろう丸太を置いただけのワイルド過ぎる部屋の中にあっても可憐さは色褪せる事なく輝いている。
その綺麗な微笑みに見惚れていると、少女と目が合った。
ドキドキしながら覗く俺を見た途端、少し垂れた青い目はグググとつり上り俺を指差しながら立ち上がった。
「あんた、命の恩人を河に放り込むって何考えてんの!亜人から逃げるにしても酷過ぎるし吐きそうになったじゃない、私が話し掛けても返事もしない名乗りもしない、その口は飾りなの!」
真っ赤な顔した少女は言い切りさらに目を細めた。
……あまりにも俺の中のイメージとかけ離れた少女の姿に、口を半開きのまま固まってしまった。
「大体、あんた剣士のくせに剣を持って無いってボケ過ぎじゃない?魔物の出る森の奥で武器も防具も無いって何なのよ!!!」
俺が何も言わないからか少女の怒りは収まる気配も見せず、振り返る様に俺を見てるツノのおっさんも呆れた様子で肩を竦めた。
まだまだ言い足り無さそうな少女を手で制したツノのおっさんは、小さく息を吐き
「坊主、武器も無く逃げるのに必死で、躓いて嬢ちゃんをぶん投げた事を取り敢えず謝っとけ。お互い言いたい事も有るとは思うが取り敢えずはそれからだ。」
「あの……何かゴメン態とじゃなかったんだ……それに助けてくれてありがとう。あれ多分魔法だったんだよね……本当にゴメンそれとありがとう。」
ツノのおっさんのお陰で戻って来た俺は、何とか絞り出す様に言葉を紡ぐ事が出来た。
少女は目をパチパチさせると
「……何よ、喋れるなら最初から……」
もごもごと口を動かし、目を逸らすとそのまま座った。
俺と少女の顔を見比べニヤニヤしながらツノのおっさんは立ち上がり
「まあまあ喧嘩は程々に。でだ、嬢ちゃんには言ったがオレはゴードン。さっき見たとは思うが、あの河で生計を立ててる漁師だな。まあツノが有るから分かるとは思うが鬼族だな。まあよろしくな。」
赤銅色のよく日に焼けたおっさん……いやゴードンさんはニヤッと笑うと腰を下ろした。
ゴードンさんの向かいに座っていた少女は、俺を見て小さく息を吐くと
「さっきはあんた死に掛けてたから聞こえてなかったかもだけど、私はディアナよ。訳あって一人で旅してたけどこれからよろしく頼むわ。」
何だかさっきの剣幕を見た後だからか、普通に挨拶されてホッとしている俺がいる。
空気を読んで立ち上がり、自己紹介しようとして今のディアナの言葉に違和感を感じたが、
「ん?……取り敢えず聞きたい事も色々出て来たけど、俺は……」
それ以上言葉を紡ぐ事が出来ない。
意味が分からない、自分の名前が記憶の中から消えている事に気付いてしまった。
年齢も出身地も趣味や、そもそも森の中で死に掛けていた理由さえも……