3話
ゴブリンからとにかくひたすら真っ直ぐ逃げていると、一際大きな金切り声が聞こえて来た。
湧いて来た恐怖心からチラリと振り返ると、ゴブリンの仲間なのか何なのか
俺のすぐ後ろに大きな犬歯を剥き出し鼻筋にしわを寄せた狼がいた。
走り過ぎて痛む脇腹に意識を向けつつも、叫ぶ少女を抱えている手前脇腹を押さえる訳にも、ましてや止まる訳にもいかず只々走る。
足元に出て来た木の根を無理な歩幅で避けたその瞬間、耳元で荒々しい熱量を持った鼻息を感じ、背中に熱を感じた俺は呻き声を歯を食い縛り飲み込んだ。
見る余裕などとうに無く触って確認する術もないが、多分背中に何か起きたのだけは理解できた。
まだ死にたくもないし死なせたくもない。
無理な体勢で抱きかかえている少女は青い顔をして必死に俺の腕にしがみついているし、俺にだってやり残した事は山の様にある。
コンビニの新作シュークリームだって食べてないし、読みかけの小説だってある。
やりかけのゲームに来週には先輩も帰って来るのに……こんな所で……
こんな訳の分からない場所で……
もっと早く走らないと、もっと早くもっともっと早くもっともっともっと早く足よ動いてくれ。
酸素が足りない。
頭が働かない。足が重い。けど…けど…
もっと、もっともっともっともっともっと……
このぬかるみ木の根だらけの荒れた地面を走り続けて揺さぶり続けられた少女もぐったりしてきている。
「まずい、もっと早くもっともっともっとぉぉぉ!」
焦りパニック気味に叫ぶ俺の身体が光った気がした…いや、光った。
「え」
何だ、足は重いし背中も脇腹も痛い息も切れ切れなのに、明らかに走る速さが上がってる。
…上がってるなんてものじゃ無い、確実に速い。
とんでもなく速い。
今の今まで真後ろから聞こえてた鼻息も金切り声もどんどん遠ざかっている。
何だか分からないけど逃げ切れるなら何でもいい、もっと早くもっともっと。
金切り声を振り切った時、鬱蒼とした視界が急に開けた。
森の薄暗さに慣れきった目に突然の太陽は厳しく、真っ白になった視界に目を瞑ったまま走っていると焦りが篭った可愛らしい叫びが胸元から聞こえる。
「前ぇぇぇ!前見てぇぇ!!」
踏み出した一歩がバシャリと音を立て膝まで水に浸かり、足を取られる。
が、制御できる速度を超えた俺の足は次の一歩も踏み出し、そのまま腰まで水に浸かり水の抵抗に押され盛大に少女を投げ飛ばしながら錐揉み前転しながら茶色く濁った水に吸い込まれた。
完全に顔が水面に着く前に見えた景色は、放物線を描きながら飛んでいく白い少女と河に浮かぶ小舟と網を投げている男。
そして耳元で聴こえた甘い声
「代償は頂いたよ」