Re プロポーズ
クリスマス直前の町を急ぎ足で駅に向かう。
ターミナル駅の周辺はいつも混雑していて、車のテールランプの洪水だって、立派なイルミネーションと化してしまう。
私は上司に言われた通り、一階コンコースを目指した。
通勤通学、観光客でごった返す駅だったが、もう何年も利用しているとその混み具合にも慣れたものだ。
人や荷物を避けつつ、辿り着いた大きなクリスマスツリーの前、
そこにいたのは、やはり、彼だった。
「・・・・・よ。お疲れ」
私の姿を見つけた彼が、まるですべてのことがなかったかのように、普段通りに声をかけてきた。
「お疲れって・・・・・あんたねえ・・・」
文句のひとつでもぶつけてやらないと気が済まない。
そう思っていたはずなのに、彼の前に立った途端、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。
出会って以来ずっと仲の良い同期で、友人で、時には愚痴の延長で口論になったり、互いの仕事のミスを慰め合ったり、仲間で、同志で、男女の枠なんか通り越した関係だと思っていた。
入社前研修の初日、一目で彼に好意を持ってしまったけれど、一緒に仕事をしていくうちに、そんな気持ちは蓋をして閉じ込めた方がいいと思うようになった。
そうすれば、彼とずっと仲間でいられるから。
彼は私のことなんかただの同僚としか思ってないのだろうから、それなら、その関係をわざわざ壊す必要はないと思っていた。
だから、彼への想いは閉じ込めることにしたのだ。
けれど一度は閉じたはずの重たい蓋も、彼のプロポーズもどきのせいで、いとも簡単に開いてしまったらしい。
私はただの同期だったはずの男を前に、尋常じゃない鼓動の激しさを感じていた。
彼がふわりと微笑みかけると、それだけでカッと頬に熱が走る。
―――――――――私、どうかしてる・・・・・・
もう何年も見慣れているはずの彼が、信じられないくらいにかっこよく見えた。
「おい、大丈夫か?」
思わず見惚れていた私に、彼が心配そうな顔をした。
「大丈夫よ・・・」
意図せずか細い声になってしまい、それにまた動揺してしまう。
自分が自分でないような、そんな感覚だ。
すると突然、彼が私の頬をつねってきた。
「ちょっ、なにすんのよ!」
つねられたままクレームを言ったが、彼はフフン、とちょっと意地悪そうな笑みを見せるだけだ。
その後すぐに手を離したが、頬を撫でる私を無視して、まったく別の話をしだした。
「今週ずっと忙しくしていたオレに、労いの言葉はないのかよ?」
「あ、助っ人はもう終わったの?」
「ああ、さっき空港まで見送ってきたとこだよ。オレはイレギュラーの仕事だったから今日はもう直帰で構わないって言われたんだ」
「そうなんだ。それはお疲れさまでした。仕事はうまくいったの?」
脈が早打ちをしているのは変わらないのに、私はいつもと同じように彼と会話ができていた。
きっと、彼につねられたことで、おかしなぎこちなさは大きくなる前に飛んで行ってしまったのだろう。
「ま、もともとはオレの担当じゃないけどな。でも機嫌よく帰国していただけたから、スムーズにいくんじゃないか?オレが向こうに行ったときは面倒見てやる、みたいなこと言われたしな」
「え・・・・、それって・・」
彼の返事の一部に引っかかった私は、言葉にしないで尋ねた。
すると彼は穏やかな表情で頷いたのだった。
「うん。来年春にはヨーロッパだって。年明けにも正式に出るんじゃないか」
私は、足先指先からひんやりとしたものが這い上がってくるのを感じた。
商社勤めなのだから海外赴任など当たり前と言えば当たり前だ。
特に彼は語学力があって、どこに行っても問題ないだろう。
だけど・・・・・
「あ、そうそう、オレが向こうに行ったら、一度お前を紹介しろってさ」
沈みかけた気配を察したのか、彼が明るく口を開いた。
「紹介って・・・誰に?」
「今回の仕事相手。三人いたんだけど、その中にオレ達と同じ歳の女の人がいて、その人がお前に会ってみたいって言ってたんだよ」
同じ歳の女の人・・・・・おそらく、私と友人が見かけた人物だろう。
でも、なぜその人が私に会いたがるのだろうか。
「どうして?私、その人と面識ないわよね?」
「もちろん。でもオレが近いうちに結婚するって話したら盛り上がってさ」
「結婚って・・・・」
・・・・・信じられない。
あんなプロポーズもどきのまま放置しておきながら、自分はもう結婚する気でいるなんて。
私はここはきつめに文句言ってやらなくてはと、一呼吸置いた。
けれど彼は会話の主導権を離さなかったのだ。
「なにか問題あったか?言っておくけど、お前のことは会社側にも伝えてあるからな」
「は?なに勝手なことしてるのよ!」
「だってヨーロッパ行きを打診されたときに結婚の予定を訊かれたんだよ。で、お前の名前を出して、ああ、もちろんまだ未定だとは伝えたけどな。でも結婚するならオレの赴任前に手続きをとった方がいいとかで、結構親身になって考えてくれたんだよ」
「親身って?」
「いくつかパターンがあってさ。結婚してしばらくオレが単身赴任して、仕事の調整をしながらお前もヨーロッパに行かせるとか・・・。もともとお前も海外行きを検討されてたんだよ。ま、その場合は北米だったらしいけどな。他は、結婚後お前をしばらく休職扱いにしてもらって、オレの赴任先で新婚生活を送るとか・・・・まあ、結婚そのものを遅らせて遠距離で頑張るっていうのも一つの手段ではあるけどな」
すらすらと出てくるプランに、私は思考が追い付かなかった。
「ちょっと待ってよ、そんなとこまで話が進んでるの?」
「当たり前だろ?オレの気持ちはとっくに決まってるし、もう時間もないことだし・・・」
「ねえ待ってよ。ということは、社内に私達のことを知ってる人がいるっていうことよね?」
先に先に進もうとする彼を引き止めるように確認すると、彼は「今さら?」と呆れ顔を見せた。
「オレがお前のこと好きだなんて、周りの人間はみんな気付いてたんじゃないか?肝心のお前の気持ちは誰も知らなかったみたいだから、余計なお節介とかしてくるやつもいなかったけどな。でも飲み会のときとか、さりげなーくオレ達を隣に座らせたりしてただろ?」
彼の打ち明け話に、心底驚いた。
・・・・確かに、なにかあると勝手にペアにさせられたり、友人のからかいに乗じてくる人もいたけれど。
信じられない・・・・。
自分がこんなにも鈍感だったなんて。
自分の知らないところでそんな展開になっていたなんて。
「じゃあ・・・・じゃあ、もしかして今日ここに呼び出したのも?」
「課長に電話で頼んだんだよ。今日はお前を定時であがらせてくれって。なんか電話の向こうでみんな盛り上がってたみたいだけどな」
それで同僚達の視線が妙だったわけか・・・・。
それには納得したが、まだ腑に落ちないこともある。
「なんで呼び出したの?課長を巻き込んだくらいなんだから、ただ会うためじゃないんでしょう?」
すると彼は少し真剣な顔つきになり、私の手を取った。
「当初のオレの予定では、お前に気持ちを伝えて、それから海外赴任になるまでの間に返事を聞かせてもらうつもりでいたんだ」
彼はそう言いながら、私の手袋をゆっくり脱がせた。
「でも、あのときの反応を見て、もしかしたらお前もオレと同じ気持ちかもしれないと思った」
右手を脱がせた後、左も同じように。
「そうしたら、めちゃくちゃ嬉しかったけど、ひょっとしたらオレが勝手に都合よく解釈しただけかもしれないって、どこか信じられない気持ちもあった。だから、助っ人で忙しいのをいいことに、お前に連絡しなかった。確かめるのが怖かったんだ」
そして左手の薬指を、彼が優しく撫でた。
その手の動きから愛おしさを感じたのは、自惚れなんかじゃないと思う。
「でも週明けにヨーロッパ行きを打診されて、真っ先にお前のことを考えた。会社側としても手続きがあるからなるべく早めに結論を教えてほしいと言われて、だからオレは、今の助っ人の仕事が片付いたらお前と話し合う時間をくださいと頼んでいたんだ。そして今日、無事に仕事が終わったから、課長に電話してお前をここに呼んだ」
彼の手のひらが私の手を包み込み、そこから体温が伝わってくる。
「ちょうどタイミングよくお前からメールもらってさ、ああ、これはこの一週間、きっとモヤモヤさせてたんだろうなって思った。違うか?」
指先を見つめていた私の顔を覗き込むようにして、彼が尋ねた。
「・・・・・・・・違わない」
私は彼と目が合うと、ぼそっと、まるで拗ねたような口調になってしまった。
なのに彼は、にっこりと、幸せそうに笑ってみせた。
「でも、オレ嬉しかったんだ。あのメール、お前もプロポーズについて真剣に考えてくれてたって意味だろう?」
「え・・・?」
「だってオレ前にお前に教えたことあったよな? ”Re” の意味・・・・」
「違う!そこは違うわよ!あれは!・・・・・あれは・・・」
言いかけて、急速に恥ずかしくなってしまった。
だってあれは、プロポーズのやり直しを要求したつもりだったのだ。
けれど今それを彼に教えるのが、無性に照れ臭く思えた。
するとピンときたのだろう、彼が「そっちの意味か」と呟いて、私の手を離した。
そして後ろのツリーの元に置いてあった大きめのマットシルバーのペーパーバッグを両手で持つと、私に差し出した。
持ち手のところにはゴールドとホワイトのシフォンリボンが掛けられている。
「これは・・・・?」
「アドベントカレンダーだよ」
「アドベントカレンダーって、あの、クリスマスの?」
私はペーパーバッグを受け取りながら尋ねた。
「そう。クリスマスまでの一カ月を数えるカレンダー。でもこれはアドベントはアドベントでも、クリスマスのものじゃないけど」
「・・・・・どういう意味?」
すると彼はペーパーバッグの中が見えるように開いた。
中には、綺麗にラッピングされた小ぶりの包みがいくつも入っていた。
彼はその中のひとつを取り上げ、私に見せた。
オーガンジーの巾着袋だ。
中身は見えないように工夫されていて、絞り口にはタグが付いている。
そのタグには ”12” と書かれていた。
「これはウエディング・アドベントカレンダー。さっき話した仕事相手の人が教えてくれたんだよ。結婚準備って特に女性は大変だろう?だから毎日ひとつ、些細なものでもご褒美的なものがあると面倒な結婚準備も楽しめるって・・・・。海外では結構メジャーらしい。新婦の好きそうなものを小分けにラッピングして渡すんだってさ。それで、さすがに何十個もアイデアが浮かばなかったから、同じ歳の女の人に選ぶのを手伝ってもらったんだ。睫毛の美容液なんて女の人じゃないと思いつかないよな」
彼は、僅かに照れた様子で教えてくれた。
そして持っていたものをペーパーバッグの中に丁寧にしまうと、
「どう?気に入ってくれた?」
サプライズの結果を催促するように、そう訊いてきた。
まあまあね。
私は一週間も放置された仕返しに
そう言ってやろうと思ったのだが―――――――――――――
「とっても!すごく嬉しい!ありがとう!」
頭の思惑とは別の気持ちが、意図に反して転がり出てしまった。
だって、この中の小さな包みのひとつひとつに、彼からの気持ちが込められているのだと思うと、こんなに素敵なプレゼントはない。
「本当にありがとう!」
そう告げて彼を見上げたのだが、彼はびっくりしたような顔で、少し固まっていた。
「・・・・・驚いた・・・・・。いや、まさかお前がそんな顔でありがとうなんて・・・・」
「・・・そんな顔って、どんな顔よ」
「今のオレみたいな顔。・・・・・幸せ過ぎてどうしようもないって顔だよ」
そう言う彼こそとんでもなく嬉しそうな顔で笑うから、私は照れくささが急増してしまう。
けれど、
「本当にいいんだな?それを受け取るってことは、意味分かってるよな?」
笑顔の中にも少しばかり緊張を混ぜて、彼が確認してきた。
「分かってるわよ。でもここに入ってるのは一カ月分くらい?だったらいつから開封したらいいの?」
「・・・・お前が結婚準備を始めるなら、今日からでも。そこにあるのがなくなったら、またいくらでも作ってやるよ」
そんな男前発言をしたというのに、彼はもう一度尋ねてくる。
「オレは片想い歴が長いから交際日数なんて必要ないけど、お前は本当にそれでいいんだな?交際日数ゼロで結婚しても・・・」
どこか自信なさげに問うてくる彼。
確かに交際日数ゼロなんて普通じゃないかもしれない。
けれど、出会ってからずっと、彼をそばで見てきた。
私のそばには彼がいて、
彼のそばには私がいて、
同期の誰よりも親しくて、
いいところも、
ちょっと直した方がいいんじゃない?なんてところも知っていて、
それになにより、諦めて蓋して閉じ込めたはずの想いは、一度蓋を外したら、もう、手に負えないほど彼に向かって溢れていたのだ。
「どれだけ長い付き合いだと思ってるの?あんたのことなんて、大抵は知ってるわよ。自信家なのにたまに臆病になったりするのも、大事な仕事の日に履く下着の柄も知ってるわよ?あと、思い込みが激しいとこがあったり、意外と風邪をひきやすかったり、それから・・・」
「でも、オレがどんな風に恋人に触れるのかは知らないんじゃないか?」
彼はいきなり私の肩を抱き寄せると、顔を寄せてそう囁いた。
「例えばどんな風にキスするのとかさ・・・」
彼の言葉が吐息になって近付いてくる。
「それは・・・・追々教えて?」
唇が重なる直前、彼はフッと笑った。
どこかから、女性の歓声が上がった。
そして目を閉じていても、自分達が注目を集めている気配は感じた。
ごめんなさい。こんな公共の場でキスなんかして。
でも、今日は許してほしいです。
だって、
Re プロポーズだから・・・・・・・・・
(完)