いつもと変わらない月曜日
『お前と結婚したいから――――――――――――』
ただの同僚だと思っていた同期の男からそう告げられたのは、一昨日のことだ。
仕事が休みの土曜日の朝、私が月一の贅沢として通っているホテルの朝食ビュッフェに突然現れて、裸の指輪と、その言葉を置いていった。
その日彼は休日出勤だったので、私は仕事の邪魔をしてはいけないと、こちらから連絡することは控えた。
仕事が終われば彼の方から何らかのアクションがくるだろう、そう思ったからだ。
なのに。
なのになのになのに、土曜の深夜になっても、日付を超えて日曜になっても、日曜の朝が来て午後になって夜になってまた日付が変わっても、彼からメールの一通さえ届かなかったのだ。
私は彼から連絡があるかもしれないと、日曜に予定していた買い物を取りやめ、終日自宅で過ごしていたというのに。
一人暮らしの小さなリビングテーブルの上、ぽつんと置かれたダイヤの指輪が寂しそうで、私は土曜日の朝の高揚感が徐々にしぼんでいく気がしていた。
そしてとうとう、今日、月曜の朝を迎えてしまったのだ。
私は睡眠不足の頭でなんとか顔を洗い、出勤支度をした。
眠っても、すぐに目を覚ましては彼から連絡が来ていないかスマホを確認し、音沙汰なしを知って、なんだかモヤモヤする・・・その繰り返しだったのだ。
やがてそのモヤモヤは、自宅の玄関を出て鍵を閉める頃には苛立ちに形を変えようとしていたのだった。
「・・・・ったく!なんで私があいつに振り回されなきゃならないのよ!」
マンションのエントランスを出る時には、苛立ちはもう確固たる ”ムカつき” になっていた。
プロポーズもどきをしてきたのはそっちなのに!
プロポーズしたなら最後まで責任取りなさいよね!
内心では愚痴が目白押し状態だ。
けれどそのおかげか、十二月の冷たい風に吹かれても、怒りで熱くなっていた私には寒くもなんともなかった。
そうだ、この腹立たしさを同僚の友人に訴えて・・・
そう意気込んだものの、この友人も同期なので、プロポーズの言い逃げをしたあの男とも親しい間柄だ。
下手に話を広げてしまう恐れもあると判断した私は、スマホを握ったまま、ぐっと堪えた。
とそのとき、私の手の中のスマホが震え出した。
たった今、私がメールしようとしていたその友人からの着信だった。
私はタイミングのよさにちょっとだけ驚きつつ、電話に出た。
「もしもし?おはよう。どうしたのこんな朝から」
《おはよー。今大丈夫?まだ電車じゃないよね?》
「うん、駅に歩いてるところだよ。何かあった?」
平日の朝に電話してくるなんて、急用に違いない。
あと数十分もすれば会社で顔を合わすのにわざわざ連絡してきたのだから。
それとも、会社では話しにくい内容なのだろうか。
私は友人のイレギュラーな電話に、僅かに緊張を走らせた。
《仕事のことじゃないんだけどね、私、今年の忘年会任されてるでしょ?それでみんなのスケジュールを調整してたんだけど、どうしてもクリスマス後じゃないと人数集まらなさそうなのよ。でもそうなると年末早めに有給取ってる人もいるから、少人数になってもクリスマス前にしちゃった方がいいのかなと思って、緊急でアンケートしてるの》
「・・・・・こんな朝から?」
しかも、もうクリスマスは来週だ。
私が若干呆れ口調になってしまっても仕方あるまい。
友人の方もその自覚はあるようで、笑って誤魔化した。
《だって、今年はみんな忙しかったからね・・・》
そこには自分も含んでいるのだろう。
同期の女性社員の中でも、彼女の仕事振りは群を抜いている。
そのくせ、お祭りごとが好きで飲み会の幹事もすすんで立候補するのだから、自分で自分の首を絞めている感は否めないが・・・・
「私は仕事納めまでならいつでもいいよ。あ、ごめん、もう駅着いちゃった。一旦切るね」
私は早口に言って通話を切ろうとしたのだが、《あ、待って待って!》と慌てた声に指を止めた。
「なに?どうしたの?」
《悪いんだけどさ、生駒くんにも訊いておいてくれない?》
「生駒くん・・・・・?」
あの、プロポーズ言い逃げ犯人である。
《あんた達仲良しじゃん。メールでもLINEでもいいからぱぱっと訊いてみてよ》
「メールかLINEでいいなら、そっちがしてくれても・・・」
今彼に連絡するのは、ちょっと避けたい。
けれどこちらの事情など知らない友人は引く気配もなかった。
《あんた忘れたの?生駒くんはメールもLINEも仕事関係じゃなかったらスルーするじゃん。同期会の出欠メールなんか一度も返信してきたことないのよ?結局私がいつも直接訊くはめになるんだから》
友人の思いっきり面倒くさそうな言い方に、そう言われてみればそうだったと思い出した。
彼は私のメールには割と時間をあけずに返信してくれていたので、友人が言うように感じることはなかったのだが。
「・・・・分かった。連絡しておくよ」
私がそう返事すると、《ありがとー。助かった。じゃ、お願いね》と、友人はさっさと通話を切ったのだった。
そして私は駅の改札を過ぎ、次の電車を待つ列に並びながら、彼にメールを送った。
一瞬迷ったが、内容は友人からの伝言という形にした。
もちろん、一昨日のプロポーズもどきの件には一切触れなかった。
するとすぐに返信があった。
Re:が付いたタイトルで、忘年会の日程は任せると、短く書かれていた。
こうやって、私のメールにはすぐ返事をよこすところを考えると、やはり、彼は私のことをずっと好きでいたのかもしれない。
そんな思いが湧いてくる一方、その返信に一昨日のことが一文字も書かれていないことに、眩暈がするほどのムカムカが沸いてきた。
―――――――――――決めた。この指輪は、返してやる。
私はブラウスの下に潜ませたネックレスがある辺りを、コートの上から撫でた。
裸のまま渡された・・・と言うより置き去りにされた指輪をそのまま自宅に残しておくのは心配で、手持ちのネックレスに通して身につけてきたのだ。
けれどこれ以上向こうからアクションがないのであれば、これは返却してやる。
そしてプロポーズのやり直しを要求してやる。
沸騰間近の私がそう決意したとき、ちょうど電車がホームに流れ込んできたのだった。