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筆記帳

 ハンスとイルゼは、銭湯に入った後すぐに宿へ帰ってきた。ハンスが簡単に夕食の準備をし、イルゼは自主的に部屋の掃除をする。

 食事を終えると、ハンスはイルゼに本を差し出しながら話しかけた。

 

「ほい、それじゃあ仕事をしようか」

「仕事? 何この本?」

「本じゃなくて、白紙の紙を綴じてある筆記帳っていうものだよ」

 イルゼは筆記帳を手に取り、パラパラとめくった。どこのページにも何も書かれていない。見た目からの印象からも、買ったばかりのものだろう。

 

「これに今日探していた薬草のページを書き写してもらいたい」

「……え。あれを全部?」

 イルゼは思わず聞き返す。一つの薬草につき、丸々一ページ。細かい字でびっしりと書かれていた。見つけられたのは一種類だけだが、探していた薬草ということなら六種類ある。それを全部書き写すのか?

 

「もちろん一晩で全部やれとは言わない。ただし、本の貸出期間は一週間だ。その間に全部書き写すこと。一つの項目を書き移すごとに、百ミスト給料を支払おう」

 給料が出るというなら、確かに仕事といえる。しかし、そんなことをするくらいなら……。

「それなら本を買っちゃったほうが早いと思うけど……」

「その本買うとなると、十万ミストは必要だよ」

 その値段を聞いてイルゼは驚愕する。そんなに高価なものを使っていたのか。

「それなら一ページ書き映すごとに百ミストくらいの価値はあるのか」

「その通り。あ、一つの項目を書き映し終わったら、二ページくらいあけて次の項目を書き始めてね」

「え、なんで?」

 せっかく書く部分があるのに、そこに何も書かないなんてもったいない。イルゼはそう思った。

 

「メモ帳代わりにするんだよ。辞書には、万人が必要とする情報が書かれている。でもそれ以外にも、冒険者として必要な情報はある。それを書くためのスペースだね」

 ハンスは筆記帳の罫線を指でなぞりながら説明する。

「例えばどこに生えていたか? たくさん生えていたのか一本しかなかったのか? 周りに生えていた植物は? 一本当たりの報酬額は? 報酬額は時期によって変わってくるから日付も書いておいた方がいい。その他にも気づいたことがあれば書いていくべきだね」

 ハンスはイルゼに目線を合わせる。

「君が真摯にこの仕事に取り組んでくれれば、これはチームの財産になる」

「財産……」

 ハンスはイルゼに微笑んだ。

「そう、財産だ。やっぱり読むだけより書いた方が覚えるんだよ。完全に記憶はできなくても、断片的には頭に残る。イルゼが筆記帳を読み返すことでそれを思い起こすことができたなら、それはすごいことだ。だから、ただ単に本を買うより、このノートの方が遥かに有益な財産になるんだよ。書き写すのに加えて、イルゼの書き込んでいく情報に価値があると思えば、追加で報酬を出すよ」

「そんなことをしたら、元の本より高くなっちゃうんじゃ」

「その通り。俺は君にこの辞書よりも高い価値が出るような本を作ってもらいたいと言っているんだ。イルゼが真剣に取り組んでくれれば、その筆記帳は元の本よりもはるかに価値があるものになる。俺も魔物に対して同じようなものを作っている」

 そういってハンスはイルゼに年季の入った筆記帳を見せてくれた。そこには魔物に関する説明と、ハンス自身による情報が書き込まれていた。

 

「……ハンスって今までこんなに魔物を倒しているの?」

「倒したことのある魔物もいれば、今後戦う時のために研究している魔物もいるよ」

 ハンスの筆記帳には、数十を超える魔物の名前が書かれていた。イルゼはペラペラめくりながら、どんなことが書いてあるかざっと目を通していく。

「なんとなくわかったと思う。でも、なんでゴブリンのページの情報がこんなに多いの? 一番弱い魔物なんだし、そんなに調べる必要ないと思うけど?」

「遭遇率が高い魔物でもあるからね。遭遇するたびにいろいろ気づかされるから、そのたびメモが増えていくんだ」

 弱い魔物でも油断せずに研究した方がいいということか。イルゼはそう納得して辞書を取った。

 

「六種類……とりあえず全部書き写してみる。この本を全部制覇するなら、それくらいのペースでやらないとね」

「張り切ってるね。ああそうだ、契約書も作ったから読んでおいて」

 ハンスが今度は紙を取り出してイルゼに渡してくる。

「契約書?」

「そう。一応俺がリーダーってことになるから、チームの規則を簡単に作ってみたんだ。まあ正式に仲間になるための契約書ってことだね。全体を読んで、問題なかったらサインしておいて。俺は寝るから」

 イルゼは受け取った紙に目を落とした。結構書かれている分量は多い。どうせ大したことは書いていないだろうから、サインだけしておくことにした。

 

「さてと、書き映しちゃおうかな」

 契約書のことなどすぐに忘れて、イルゼは筆記帳に集中した。

 

 *    *    *

 

 翌日。ハンスとイルゼは昨日と同じ場所に来ていた。今日もハンスは森の中へ入り、イルゼはこの周辺で薬草を探すことにしている。

「うぅ……腕が痛い」

「無理しないようにって言っただろう? 一週間あったんだから一日一項目でも余裕だったのに」

 ハンスはイルゼが本を書き映し始めると、今日の準備をしてすぐに寝てしまった。無理をしないようにと言い聞かせたが、結局イルゼは夜遅くまでずっと書いていたようだった。

「今後集めるのは六種類じゃ効かないんでしょう? だったら書けるときに書いておかないと。本の貸出料もあるんだし」

「借りる分にはそんなに高くはないんだけどなー。図書館でそのまま読む分には無料だしね。でも頑張ったね。お疲れ様」

「別に仕事だし……」

 褒められたイルゼは、そっぽを向きながら照れ隠しをする。そんな様子を見て、ハンスは気付かれないようにクスクスと笑った。

 

「さて、今日イルゼがする仕事は昨日と同じだ。まだ一種類しか見つけられてないからね。残り五種類の薬草を探す。すでに見つけた種類でも、他の場所にあるならそれを報告すること」

「分かった」

 イルゼがそう返事をすると、ハンスが頷いて歩き出そうとする。しかしすぐに立ち止まって声を上げた。

 

「あ、しまった。剣を買い替えようと思っていたんだった」

「剣を?」

 ハンスがくるりと振り返り、謝ってくる。

「ごめんイルゼ。せっかく来たけど、一緒に街に戻って買いに行ってもいいかな? バジリスクの牙のお金が入ったから新調するつもりだったんだよ」

「いいよ。私は一人で仕事をしてるからハンスだけで行ってくるといい」

「え……でもねー」

 ハンスが迷った風な顔をしたが、イルゼはハンスにもらった癇癪玉を取り出して見せた。

 

「どうせ私は一人で薬草を探すんだし、変わらないよ。ハンスにもらった道具もあるし、見晴らしもいいから魔物が来ればすぐわかる。大丈夫、遠くには行かないから」

「そう? じゃあとりあえず買いに行ってくるから無理はしないようにね。なんならその本を読んで勉強しててもいいよ」

 そういってハンスは街へ戻っていった。

 この周辺なら、実際危なくなどない。ましてや昼間なのだし、森の中に入りでもしない限り、魔物に遭遇する方が難しい。

 

「森か……」

 イルゼは、遠くに見える森に目を向けた。

 魔物の住み着いている危険な森。戦う力を持たなければ、あっという間に魔物たちの餌食となってしまう場所だ。

「でもきっと、この本に載っているような植物の大半は、あそこにあるんだろうな」

 ハンスが探せと言っている植物たちは、まだこの辺でも見つかる種類なのだろう。しかし、もっと役に立ち、もっと高値で売れるような植物はきっとああいうところに生えているのだと思う。

 

「どんな植物があるのかな?」

 イルゼはとりあえず薬草探しをせず、本のページをめくって、森にどんな植物が生えているのか調べ始めた。

 

 *    *    *

 

 森の中は魔物たちの天下だ。人々は森を避けて道を作り、森から魔物が人里に近づいてこないように警備の人間を配置している。

 それでも冒険者たちは森の中の探索をやめようとはしない。森の中には高価な薬草や木の実が生えているし、魔物達を倒せば素材が手に入る。

 それは人々の生活に欠かせないものだし、武器を作るのに必要だ。だから冒険者たちは、危険を承知で魔物がいるような場所にでも足を踏み入れる。

 

 魔女のティアナは、今日一人で森の中に入っていた。魔物の討伐や素材集めに来たのではない。今日の目的は確認だ。

「これは……首が落とされてる……」

 今日は消滅する前にバジリスクの死骸の確認に来たのだ。魔物が内包している魔力にもよるが、魔物は殺されてからしばらくすると跡形もなく消滅してしまう。その前に自分を襲ったバジリスクの市街を確認しておきたかったのだ。

 仲間の冒険者の二人も誘ったのだが、首を横に振られてしまった。面倒くさがりたちめ。

 

 死体を見るだけなら空を飛んでいけばいい。一日開いてしまったが、ティアナは思い切ってやってきた。そこで待っていたのは、想像を超える状態の死体だった。

 

「一太刀……ですよねこれ」

 首を切り落としている切り口には余計な傷がついていない。一太刀で切り落とさなければ、こんなに綺麗な切り口にはならないはずだ。

 ハンスの口ぶりから、バジリスクは弱り果てていて、そこをハンスが止めを刺したのだと思っていた。しかし、これを見ると首を落とした一撃が致命傷になったのは明白だった。

 他に目立った外傷といえば、頭についている傷が大きい。しかし、バジリスクはこの傷がついた後も勢いよく追いかけてきていた。そんなにこの傷のせいで弱ったとは考えられない。

 

「すぅ……」

 ティアナは呼吸を整えて杖をかざす。そして魔力を先端に込めた。

「ウインドカッター!」

 詠唱とともにティアナの杖から魔法が放たれる。鋭く素早い魔法の刃を飛ばす魔法だ。

 魔法はバジリスクの体に命中して傷をつけた。しかし、体を切り離すまではいかない。

 

「相当強い魔力を込めたのに」

 じっくり集中してはなった一撃だったが、ハンスがつけた傷には遠く及ばない。どれだけの技術でもって剣を振るったら、あんな結果になるというのだろう?

 その時、バジリスクの体が解けて崩れ始めた。消滅だ。

 バジリスクの体がぼろぼろと崩れて、光となって空中に消えていく。強大な魔物ほど、その光景は美しい。

 

「ハンスさん……か」

 ティアナは消滅するバジリスクの光を見ながら、ハンスの姿を思い出していた。

「これだけの魔物を倒せるハンター……さぞかし強くて凛々しくいらっしゃるのでしょうね」

 ティアナは胸に、今まで感じたことのない感情が浮かぶのを覚えた。

 挿絵(By みてみん) 

 *    *    *

 

「よう兄ちゃん。金貸してくれよ」

「僕たちお小遣い少なくて困ってるんだよね」

 ハンスは街に戻ると、チンピラに絡まれた。

 肩を組まれ、ふざけるような笑みと一緒に金銭を要求される。ハンスはそんなチンピラの手を取った。

 

「お金がないと困りますよね。喜んでお貸ししますよ」

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