報酬の使い道
「来たな新人。今日もゴブリンを狩っていたのか?」
ハンスは冒険者協会の受付にやってきていた。イルゼは建物の中に入らず、窓から盗み見ながら様子を観察している。
見ていればわかる。ハンスはそういっていたが、イルゼにはどうしてもあの薬草がそんなに高いものだとは思えない。ハンスが嘘をついていないか確認するため、注意深くやり取りを観察する。今日は協会の中も人が少なくて静かだから、窓を開けて聞き耳を立てれば、なんとか会話が聞き取れると思う。
「いや、今日はゴブリンじゃないんです。そこにいくつか、薬草を集めてくれって仕事が出ていたでしょう? 今日はそれを集めてきました」
ハンスはそういってイルゼの集めた薬草を提出する。受付の男は張り出された依頼書と薬草を交互に確認した。
「何だ、魔物狩り専門というわけではなかったのか。手広いな」
「多趣味ですからね」
「いや、趣味じゃないだろう」
その二人のやり取りに、協会の中に軽く笑いが広がる。
そちらの方に顔を向けると、何人かは真剣な顔をして二人のやり取りを聞いているように見えた。
何だろうと思いながらハンスに視線を戻すと、ハンスは口元に人差し指を当てて目配せをしてきた。それでイルゼはハッとする。
ハンスが情報を漏らさないか狙っている人間がいたのだ。見つけた場所などを言ってしまえば、他の冒険者にも奪われてしまう。さっきのハンスの軽口は、それを誤魔化すためでもあったのか……。
「趣味はいいですよ。どんなことでも極めればお金を稼ぐことだってできます。トランプがうまくなれば、それで食べていくことだって……」
「それはギャンブルだ」
再び協会の中に笑いが起こる。……軽口は単にハンスの趣味なのかもしれない。
「コホン! さて、報酬金額だが」
受付の男はそういって、植物を秤に乗せてハンスに報酬額を渡した。
「一万ミストだな」
「い、一万ミスト!」
別にそんなにたくさん摘んだわけではない。その辺の草と正直違いが判らなかった。それが一万ミストの報酬額だと聞いて、イルゼは飛び上るほど驚いてしまった。
あんぐり口を開けたイルゼの元に、ハンスが帰ってきた。そして改めて報酬金額を渡してくる。
「八千ミスト。これが今日の報酬額。残りのお金はチームの活動資金にする」
「八千ミスト……」
イルゼはそう呟いてお金を見つめる。ハンスはそれを見て首をひねった。
「足りないか? 仕事の紹介料、指導料、本の貸出料を差し引けば妥当だと思ったけど?」
「違う。多すぎる。今ハンスが言った内容を加味すれば、八割私がもらうのは多すぎる。ハンスの利益が出ない……」
「だからさっき出来高制にするって言っただろう? これはイルゼが稼いだ金だ。雇用主がこの割合でいいって言ってるんだから、もらっておきなよ」
イルゼはそれでも納得できずにお金をもらうのをためらう。ハンスはあきれたように笑ってイルゼに無理やり報酬を渡した。
「雇われてから一年は貰い過ぎてると思いながら働きな。経験者を雇ったわけじゃない。ましてや君はまだ子供だ。だが、だから伸びしろがある。この報酬金額の設定は未来への投資だよ。そのうち指導なしで仕事をこなしてくれるようになってほしい。それなら俺の方が成果ゼロでも、イルゼの仕事でチームの報酬は確約される」
「……うん」
申し訳ないと思うくらいなら成長しろ。ハンスはそういったのだろう。イルゼはその言葉をかみしめ、この八千エリスを大切に……。
「さあ、ここで給料の天引きタイム~」
「へ?」
ハンスが明るい声とともに、コインをひょいひょい取り上げ始めた。
「まずは宿泊料金。毎日徴収は面倒だから一週間ぶんな? まず千ミスト。それと食事代。どうせ、自分で飯を用意することなんてできないだろ? 食費も一週間単位で徴収な? 千ミスト。これで天引き分は終了」
イルゼの手元には六千ミストが残った。そこからハンスはさらに五千抜く。
「それから、これはリーダー命令で使い道は決まっている」
「な、何?」
「ふっふっふ……」
ハンスは勿体つけるように笑ってから言った。
「身だしなみ」
* * *
「安物だけど、一式そろってよかったな」
ハンスが服屋を出ながらそういった。店の中を振り返ってイルゼに声をかけてくる。
「早く出てこいよ。もう地面も痛くないだろう?」
店の外でハンスがイルゼのことを呼ぶ。
しかし、どうにも恥ずかしくて店の外に出るのがためらわれる。こんなちゃんとした格好をするのはずいぶん久しぶりだ。
「でも、私変じゃ……」
「今の今まで全力で変な格好してたんだから、今が正常なんだよ。これから同じチームでやるんだから、多少は身だしなみも気にしてもらわなきゃ困る」
そういわれてしまえばその通りだ。ボロ着て歩くことに羞恥を感じなかったのに、新品の服を着て歩くのが恥ずかしいというのは逆だと思う。だいぶ貧民生活が体にしみこんでしまっているな。
ハンスに言われて、イルゼは渋々店から出てくる。
ハンスは数か所店を回り、処分品を一式買う代わりに、格安でイルゼの服を揃えさせてくれる店を見つけてくれた。少し季節を外れた服だが、素足で歩くより全然マシだ。
「なんか……布がこそばゆい」
「ははは、処分品にしてはいい布だからな。そのうち慣れるさ」
笑われた。でも悪い気分ではない。処分品になっている理由は季節を外れているからだ。そのことを考えなければ、結構きれいな服だ。
これを無条件に渡されたなら、受け取ることはできなかっただろう。しかしこれは一応労働の末に手に入れたものだ。そう考えれば、誇らしくすらある。
「ちょっと道の真ん中に出てステップでも踏んでご覧」
「うん分かった……って、そんなことしないよ!」
頭の中がほんわりしていて、うっかりハンスの言葉に乗せられそうになってしまった。言葉のままに行動していたら、恥ずかしすぎて地面に突っ伏しているところだ。
「さて、その服の代金は四千五百ミストだったから、手元には五百ミスト残ってるんだが……」
「ああ、返してくれるの?」
てっきりそのまま返してもらえるのだと思ったイルゼは、ハンスに向かって手を伸ばした。しかし、ハンスはお金を返さず歩き始める。
イルゼは慌ててその後ろをついていく。どこへ行くというのだろうか?
「残ったお金の使い道も決まってるよ。まだ身だしなみを整え終っていない」
ハンスは怪しい笑みを浮かべながらそう言った。
「え? 服なら全部……髪飾りなんていらないよ?」
「装飾品じゃないよ。君が次に行くべきなのは……」
「行くべきなのは?」
そこでハンスは少しためてから口を開いた。
「ここだよ」
「ここって……」
大きな建物だった。建物の屋根には煙突がついている。建物の入り口を見ると、暖簾がゆらゆらと揺れている。この場所は……。
「風呂?」
「正解。できれば服を買う前に来たかったんだけど、金がたりるか少し心配だったから――」
「帰る」
イルゼは短くそう言って踵を返す。どこに連れてくるのかと思えば、こんなところだったなんて。
「まてまてまて。何で帰るんだよ?」
「帰りたいからだよ。私みたいなのが来たら店が困るでしょ?」
「……」
ハンスが呆れたような表情を浮かべて一瞬固まる。一つため息をついたと思ったら、イルゼのことをぐいぐい銭湯に向かって引っ張り始めた。
「ハンス……ねえハンス! 嫌だってば!」
イルゼはハンスに引きずられるように風呂屋までやってきた。さんざん入らなくていいと言っているのにハンスは言うことを聞いてはくれない。
「だから、汚いままでいるのは良くないって言ってるだろう?」
「汚いから入りたくないって言ってるの」
ハンスは呆れ顔で笑う。
「風呂は汚いから入るんだよ」
「汚すぎるから入りたくないんだよ。きっと叩き出されちゃう」
「なんで君はそんなに頑固なんだ? ああほら、いい例が来たから見てみな」
イルゼに対し、ハンスは後ろを見てみろと言って指をさした。
「いやー、今日も大戦果だったな」
「ゴブリンのボスが倒されたって噂は本当だったらしい。奴ら総崩れで狩りがはかどるはかどる」
「おかげで返り血がべっとりついたけどね。臭すぎてこの服はもう着れないわよ」
などと会話をしながら、血まみれの冒険者たちが風呂屋に入っていった。
「な? 普通なんだよ。ここは、冒険者をターゲットにした風呂屋だから、どんなお客でもいらっしゃいという場所なんだよ。だから、風呂屋はしっかり体を洗ってから入ってくれとしか言ってこないよ。俺だって実際汚れてるぞ?」
昨日今日と森の中に潜ったハンスは、確かにあまりきれいとは言えない状態だった。さっきの血まみれの人間や、イルゼに比べればだいぶマシではあるが。
「……店に入るなって言われたら入らない」
「それで結構。ほら行こう」
ハンスはイルゼの背中を押して風呂屋へ入った。
イルゼは恐る恐る暖簾をくぐった。ハンスは軽い声で受け付けに声をかける。
「すいません大人一人と、子供一人です」
「あいよ」
受付は女だった。受付の女はお金を受け取ると、イルゼを見て不思議そうな声をあげた。
「おや、お嬢ちゃん」
「え……あ」
汚いから入るな。そういわれるのではないかと俯いたが、そうではなかった。
「服を先に買ってきたのかい? 体を綺麗にしてから買いに行けばよかったんじゃない?」
声は軽蔑したものではなかった。ただ単に、体が汚れているのに、先に服を買いに行ったことが不思議に思っただけらしい。
「いやー、本当はそうしたかったんですけどね。お金が足りるか不安だったもので……」
ハンスがそういって説明すると、相手も納得した様子だった。
「はー、駆け出し冒険者は辛いね。ゆっくり入ってきな」
「は……はい」
笑顔でそう言われて、イルゼは少し困惑気味に返事をした。
「じゃ、ゆっくりつかってこいよ。先に上がったら風呂屋の前で待っててくれ」
ハンスはそういって男湯へ入っていく。イルゼは少しためらってから女湯へ入った。
「あーあ、なんだか臭いわね」
入った途端そんな言葉が聞こえてびくりとしたが、それはイルゼに向けられたものではなかった。
「冒険者にとっては魔物の血なんて香水と一緒よ。むしろ誇らしいくらいだわ」
「だったらそのまま風呂に入らず帰ったら?」
「ごめんなさい。たわしで洗うので勘弁してください」
さっきの血まみれの冒険者だった。更衣室の人間は、その冒険者には冗談交じりで嫌味を言っているが、イルゼに対しては特に反応してこない。
イルゼはそそくさと服を脱いで準備をし、風呂への扉をくぐった。
「わぁ……」
大きな風呂だった。いくつか数があるのは、温度が違うのだろうか?
「まずは体を洗って……」
目のつくところに鏡と桶といすが置いてある場所を見つけた。イルゼはそこに座って体を洗い出す。
「お湯が熱い」
実際はちょうどよい温度だ。しかし、体をお湯で洗った記憶などずいぶんない。だから最初は少し慣れなくて熱く感じた。しかしすぐに慣れて熱さは心地よさに代わる。
「……こんなものかな」
鏡を見る。貧弱な体ではあるが、汚れは十分に落とした。
「落ちないわー。この魔物の匂いがする香水全く落ちないわー」
少なくとも、数個隣の椅子でいまだにごしごし体を洗っている冒険者よりはましだ。
体を洗い終えるとイルゼはいよいよ湯船に向かう。風呂の中に手を入れて、ちょうどいい温度か確認してから入った。
「ふー……」
声が出た。ジジ臭いとかババ臭いとか言われそうな声だったが気にしない。本当にあったまっていい気持だった。動きたくないし、動けない。天井を見上げてその心地よさに全身で浸る。
疲れとともに体ごと湯の中に溶けていくような感覚だった。さっきまでは周りの声に聞き耳を立てたりもしていたが、イルゼが思っている以上にこちらには関心がないらしい。耳が拾うのは、やがて周りの人間の話声から、お湯の音に代わる。
流れ続けるお湯の音は、川のせせらぎとは違う趣がある。その音は綺麗なお湯が供給され続けている証拠だ。体の汚れは湯船に入る前に十分に落としたが、それとは違う汚れを洗い流しているようで心地いい。
途端に視界がぼやける。それは湯気のせいではない。
イルゼはとっさに顔にお湯をかけて、周りの人間に涙を見せなかった。
* * *
「よう、長風呂だったね」
ハンスは先に風呂から上がって何か飲み物を飲んでいた。イルゼの姿を見つけると、イルゼにもその飲み物を渡してくる。
「……お金は?」
そういってイルゼは残っていた千ミストを取り出そうとする。
「君奢るって言葉知ってる? こんなことにいちいち金を受け取っていたら、周りの人間に笑われるよ」
そういってハンスはぐいっと手に持っていた飲み物を飲み干す。イルゼは少しだけためらった後、渡されたものを飲んだ。
「おいしい……」
「それは良かった。俺はあんまり好きじゃないんだ。でも、様式美だからね。牛乳を飲むのは」
イルゼはハンスの声を聴きながらこくこくと飲み続けた。
「続けられそう?」
ハンスはイルゼにそう聞いてきた。何を? などとはイルゼは聞き返さなかった。ハンスの方を見ると、優しく微笑んでイルゼの方を見ている。
イルゼは視線を外して牛乳の中に視線を落とす。
「……うん。頑張ってみる」
ハンスはイルゼの頭に手を乗せた。イルゼは一瞬ピクリと反応したが、特に何も言わずに撫でられるままになっていた。