受け取れない報酬
「う……ん?」
イルゼは窓から差し込む朝日で目を覚ました。周りを見渡して、一瞬自分がどこにいるのか混乱してしまった。
そうだ、自分は昨日ハンスのチームに入ることを了承して、ハンスの部屋で眠ったんだった。
「おはよう、よく眠れたかな?」
起き上がると、ハンスが声をかけてきた。イルゼが寝たのは床。ハンスはベッドだった。
床に眠ったとはいっても、毛布にくるまって眠ることができたから、いつもよりはだいぶマシだ。でも、素直にそれを伝えるのはしゃくだったので、イルゼはそっぽを向いて嫌味を言う。
「埃っぽい毛布だった」
「ははは、長いこと使ってなかったって証拠だよ。他人の匂いがしないから新品みたいなものだろう? 朝食にしよう。井戸まで行って顔を洗ってくるといい」
ハンスはイルゼの嫌味を気にした様子はなかった。イルゼもそれ以上は嫌味を言う気にはならず、素直に顔を洗いに行く。
部屋に帰ってくると、テーブルの上に朝食が用意されていた。
「昨日よりたくさんあるように見える」
「たくさんあるからね。昨日へそくりを見つけたんで、朝買い物に行っていたんだ。食料のほかに今日の仕事で使うものも買いに行かなきゃならなかったしね」
「朝から随分と忙しいんだね。朝からお店なんて開いているの?」
「太陽をよく見てみな。もうそんなに早い時間じゃないよ」
言われてイルゼは窓の外を見た。確かに太陽の位置がだいぶ高い。貧民街は人通りが少ないから閑散としているが、ここが町の中心なら、だいぶ外も賑やかになってる時間だろう。
「私、そんなに長いこと眠っていた?」
「埃っぽい布団がだいぶ気に入ったみたいだね」
ハンスがそう言って笑い、イルゼは少し顔を赤くする。熟睡していたと思われたら、さっきの嫌味なんて馬鹿なことを言ってる風にしか聞こえない。イルゼは話題をそらそうと話を振る。
「ふ、ふん、不用心だね。そんなに長いこと留守にしていたら、私が何か盗んで逃げちゃうと思わなかったの?」
「盗んで価値があるものなんて置いてあった?」
それを言われると、この部屋には何にもなかった。家具はボロボロだし、本棚には高そうな本はない。金になりそうなものなんて言ったら……。
「剣……ハンスが持ってる剣なら価値があるんじゃない?」
「こんな使い古された傷だらけの剣なんて値段つかないよ。まとまったお金が入ったら買い換えようと思ってるくらいだから」
この話題もダメだ。なんだかすっごい貧乏な人に拾われた猫みたいな気分になる。
「そういえば、他にメンバーはいないんでしょう?」
「ああ、君が我がチームの二人目のメンバーだ。俺は前の町ではソロでハンターやってたからね。仲間はまだいないよ」
「ふーん、そうなんだ」
イルゼは食事を一口食べながらつぶやく。
「ちょうどよかったよ。人が多くてワイワイするのは好きじゃないから」
* * *
「んー、今日もいい天気だな」
ハンスとイルゼは街の外へ出てきていた。ハンスは街の外に出ると、大きく深呼吸をして体を伸ばす。イルゼは太陽がまぶしいらしく、目を細めてハンスの後ろをついてきていた。
「さてイルゼ、さっそく仕事を始めたいんだけど」
「分かってる。餌になればいいんでしょ?」
「……は? いきなり何言いだすの?」
イルゼは薄く笑いながらハンスを見る。
「私みたいな小娘が、ハンターの仕事なんてできるはずない。魔物を呼び寄せる囮になれって言われるくらいわかってるよ」
「いやいやイルゼさん。もしかして冒険者は、魔物を倒すことしか仕事をしていない野蛮人だと思ってません? 魔物を倒すためならどんなことでもする残忍な人達だとでも?」
「……」
イルゼは真剣な顔をしている。唇を軽く噛んで、覚悟を決めた顔をしている。
「はぁー、今のは『そんなわけないでしょ』って突っ込んでもらいたかったんだけどな。確かに魔物を倒すのは冒険者の仕事の一つではある。でもそれだけじゃない。未開の地に調査に行ったり、素材を集めたり、新しいアイテムを作ったりと、冒険者の仕事は幅広い。俺も今日森の中に入るのは、素材を手に入れてくるのが目的だしね」
「じゃあ、私はそれを手伝えばいいの?」
「いや、君はこの辺でこれを探してもらいたい」
ハンスはそういって一冊の本を取り出した。それは植物図鑑だった。図鑑には何枚か付箋をつけてある。
「その付箋がつけられているページの植物を探してもらいたい」
ハンスはそういって、イルゼに本を開かせる。そこには植物の絵が描かれており、説明文が乗っている。
「薬草を集めろってこと?」
「そういうこと。今日図書館で本を借りてきたんだ。文字は読めるか? 絵が描かれているから大丈夫だろうけど、必要なところは一度読んであげるよ」
「必要ないよ」
そういってイルゼは文字を追うように目を動かした。
「文字は読めるから」
ハンスはそういったイルゼを見つめた。話をした印象から、字が読めないとは思っていなかった。
文字が読めるということは、最低限の教育は受けたということだ。元から貧民街で暮らしていたというわけではなく、事情があって貧民街で暮らすようになったのだろう。
「それで、この付箋がついている植物を全部集めればいいんだね?」
「ん? いやそういうわけじゃない」
イルゼは自分のことは話したくないといった。それなら詮索されるのも嫌だろう。今はイルゼの身の上のことは考えないことにする。
「半日かけて、付箋がついた植物を全部でなくていいから探してほしい。これだと思うものを見つけたら、一本だけ摘む。そして、それが生えていた場所を覚えてまた別のものを探す。これを繰り返してほしい」
「分かった」
イルゼは頷きながら了承してくれる。
「必ずこの近辺で探すこと。ここなら城壁の上で見張っている兵達が、魔物が近寄ってくれば助けてくれる。一応魔法で作られた癇癪玉も渡しておく。この辺に現れる魔物程度なら、これで逃げだすから」
「ハンスは森の中に行くんだよね?」
「っそ。心細い?」
「馬鹿言わないで」
イルゼは怒ってハンスに殴り掛かる。ハンスは笑いながら避ける。
「ああ、そうそう。賃金の話をしていなかった。報酬は山分けにする? それとも出来高制にしようか? おすすめは山分けだけど」
雇うからには給料の話をしないわけにはいかない。しかしイルゼはいまいち分からなかったようで、説明を要求するように疑問の表情を浮かべる。
「どういう違いがあるの?」
「山分けは文字通り山分け。俺たち二人分の報酬を半分で割って、渡す。これならどちらかが成果ゼロでも、どっちかが頑張ればくいっぱぐれはない。出来高制は、個人の報酬をそのまま渡すというものだ。報酬は独り占めにできるけど、成果ゼロなら給料はもらえない。どっちの方式にしても、チームの貯金として少し差っ引かせてもらうけどね」
イルゼは少し考えるしぐさをしてからハンスに言った。
「出来高制がいい」
「いいのか? 薬草を見つけられなければ報酬ゼロだぞ?」
「成果ゼロでお金をもらうのは、施しを受けるみたいで気分が悪いからいい」
どこまで行ってもそういう発想になってしまうのか。ハンスは半分呆れながら了承した。
「分かったよ。イルゼがその方がいいというならそうしておこう。俺の方は、今日探す物の場所ははっきりしているんだ。半日で帰ってこれるから、無理はしないようにね」
去り際にそう言いながら、ハンスは手を振った。
* * *
イルゼが本に書かれた薬草を探し始めてから一時間がたった。しかしいまだに一種類も見つかっていない。
「見つからない。……植物なんてどれも同じに見える」
もしかしたら、今まで確認した植物の中に、探している物があったのかもしれない。しかし、それに気付かずに通り過ぎてしまっているのかも?
そう思うと不安になってしまって、何度も同じ場所をうろうろしてしまう。
「ああもうバカバカしい」
イルゼはその場に寝転がって本を閉じる。こんな広い平原から、たった数種類の植物なんて見つけられる気がしない。
「あいつだって、どうせ私が見つけられるなんて思っちゃいないでしょ。私が苦労してる姿を想像して笑って……」
『俺に雇われてみる?』
イルゼには、ハンスが嘲笑っている姿を想像することはできなかった。
どこかふざけた雰囲気はあるが、他人を見下したり、嘲笑ったりするような性格ではない気がする。
『真剣に働く気があるなら、俺が仕事をあげるよ』
あの時だって、馬鹿にしたような雰囲気はまったくなかった。
「ああ、もうわかったよ!」
イルゼは地面を叩いて起き上がり、本を拾い、作業を再開する。
「やみくもに絵だけで探してちゃだめだ。説明文……どんなところに生えてるか調べる。あと大きさとか匂いとか……とにかく情報を集めて見つけてやる」
それから数時間歩いて、イルゼはとりあえず数種類それっぽいものを探し出した。
「ただいまー」
ハンスは本当に半日で森の中から帰ってきた。背中には、難しい文字の書かれた布でまかれた細長いものを背負っている。
「何それ?」
「これはバジリスクの牙。死体から引っこ抜いて、毒抜きしてから持ってきたんだ」
ハンスはそういって二本の牙を見せてくれる。間近で見せられると、その大きさに驚愕する。これを口の中にしまっているという魔物は、どれだけ巨大なのか。
イルゼは何となく牙に手を伸ばした。しかし、その手はハンスに止められてしまう。
「ああ、触らない方がいいよ。毒抜きもしてあるし、魔法をかけられている布で縛ってはあるけど、危険なものには変わらないから。ただし、腕のいい薬師なら、万能薬の材料として使ってくれるんだ。一本で一月分くらいのお金にはなるだろう」
朝色々と買い物をしてきたと言っていたのは、その布を買いに行っていたのだろう。そのお金を差し引いても、十分な報酬になる素材ということか。
「それで、そっちの方の収穫はどうだったかな?」
「あ、うん。一応何種類かは……」
そういってイルゼは集めた植物をハンスに差し出す。
「ああ、結構集めたね。それじゃあ確認してみよう。辞書を貸して」
そういってハンスは本を開いて一本一本検証を始めた。
「ああ、これは違うね。辞書の絵とは葉っぱの形が違うだろう? それと、説明文に描かれている特徴的な匂いがない」
「……そう。違うんだ」
一本目がいきなり違うもので、イルゼは少しへこむ。適当に探したんじゃないかといわれるかと思ったが、ハンスは次の植物を手に取った。
「あとこれも違うなー。でも、こいつはすごい間違えやすい種類なんだ。偽薬草なんて名前がついてるくらいだからね。それから……」
イルゼの集めた植物は、ハンスによって次々違うものであると断じされてしまう。違うなら違うと一言言って捨ててくれればいいのに、解説を交えるものだから、随分と時間がかかってしまう。
そして、最後の一本というところで、ハンスの声色が変わった。
「お? おお、これは薬草だね。結構珍しい種類なのによく見つけたね」
「ああそう……。でも、たった一つしか見つけられないんじゃ役立たずでしょう?」
一種類は見つけることができていたことに安堵したが。外れの束の方が目について喜べない。しかし、ハンスは笑顔だった。
「ボウズで終わるより上等でしょ? この植物はどこに生えていたのかな?」
「こっち」
場所を覚えておくようにと言われたから、見つけた場所の特徴を確認してある。その植物なら、大きな岩の陰に生えていたものだ。
「わーお、こいつはすごい。これだけ群生してるのは初めて見たな」
「私にはその辺の草と違いが判らないけどね」
「よし、もう少し摘んで行こう。根っこを残せば、また増えるから必要分だけでいい」
ハンスはそういって、イルゼに薬草の摘み方を教える。
イルゼは少しその方法に手間取り、作業がはかどらない。途中手を止めてハンスを見た。
「私に教えるより、自分で摘んだ方がはやんじゃないの?」
「これからはイルゼにこういう仕事を頼むことが多くなるだろうからね。俺が何もかもやっていたら、君の成長にならない。仕事だからね、頑張ろう」
ハンスはそういってイルゼの指導を続ける。イルゼのミスをしっかりと指摘したうえで、改善方法も提示しながらゆっくりと薬草を採取していく。
「よしよしこんなものだろう」
「草なんて適当に引っこ抜けばいいのに……ふう」
慣れないことをしたことによる汗が流れ落ちる。ハンスはそんなイルゼに近づいて声をかけた。
「頑張ったな。よしよし」
「ちょ、やめて」
ハンスはイルゼの頭をなでたのだが、イルゼはすぐに払いのけてしまった。
「おっとっと、いやだったか?」
「そうじゃなくて、私なんて汚いんだから触らない方がいいでしょ?」
「は? ……ぷ、ははは」
ハンスはその返答を聞いて笑った。イルゼの方は、もう知らないと言いながら顔をそむけて顔を赤くする。
ハンスはひとしきり笑うと、改めてイルゼに声をかけた。
「出来高制にしたからね。その分の報酬を渡すよ。今は手持ちがないけど、報酬と変えたら八千ミスト渡すから」
ハンスはそういって笑顔を作った。イルゼは怪訝な顔をしてそれを見返す。
「八千ミスト? たった一種類の薬草を見つけただけで? もらえないよそんなに」
「薬草を見つけたうえで、それを汗だくになりながら必死に採取した。それが今日の正確な内容。これはそれに対する正当な報酬金額だ」
「もらえないってば! 同情しないでって何度言えば分かるの?」
ハンスは、一瞬呆れた顔をしてイルゼを見た。昨日いちいち同情がどうのと言って疲れさせるなと言ったのを忘れてしまったのだろうか?
ハンスはため息を一つついてからイルゼに言う。
「ついてきな。納得するはずだから」