表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

足拭きの客

「待ちなさい! ついに見つけた」

「君は……」

 ハンスが振り返ると、財布を取ろうとしてきた女の子がいた。近くで改めてよく見ると、髪がぼさぼさなことに加えて、服もボロボロだった。靴にいたっては片足しか履いていない。靴下は両方履いているが、靴を履いていない方の足はひどく汚れている。

 見た目からの印象から言って、貧民街の住人であるのがすぐわかった。それに加えて、おそらく親もいないなとも思った。何かの事情で親を失って、貧民街に流れ着いた……そんなところだろうか。

 

「この間の女の子か。もしかして、前回は失敗したから今度こそ財布を盗みに来た? それなら一足遅かったね。今まさに全財産を盗られたところ……」

「違うよッ!」

「ひぃ」

 女の子が突然怒鳴り声をあげたので、ハンスはびくりとして半歩下がる。

「お、怒ってるのかな? そりゃそうだよね、目の前で財布を取り逃したんだもんね。せっかくリスクを背負ったのに、目的のものが手に入らなかったんなら怒っても当然……」

「そうじゃないッ!」

「あぅ」

 女の子はまた叫んだ。それと同時に、手に持っていた紙をハンスに投げつけてくる。その紙は、ハンスが財布の代わりに女の子につかませた代物だった。

 

 紙には複雑な模様が描かれており、10000という数字が書かれている。ハンスが女の子につかませた紙はただの紙ではない。その紙はこの国の唯一の紙幣であり、もっとも価値のある一万ミスト札だった。

「私は憐みなんていらない! 施しなんて寄越すな!」

 女の子は再び叫ぶ。全力で叫んだのだろう。息を切らしてハンスのことをにらみつけてきた。

 ハンスは女の子とミスト札を見比べた後、ミスト札を拾い上げて口を開く。きっとこの女の子は救世主の生まれ変わりだ。

 

「ありがとう」

「……はぁ?」

 ハンスはお金を拾い上げて女の子にお礼を言う。その表情は屈託のない笑顔で、嫌味ったらしい感情は全くない。

「なんでお礼なんて言うんだよ。意味が分からないんだけど?」

「だってお金を返しに来てくれたんだろう? 助かったよ。何しろ今全部盗まれたところだったからね。あ、もしかして、俺が金を盗まれることを見越して預かっていてくれたのかい? それなら君は恩人だ。一割……いや二割くらいお礼に……」

「ふざけるな!」

「わぉ……」

 女の子が再び叫んだので、ハンスは両手を上げて動かなくなる。ハンスには女の子がなんでそんなに怒るのかが理解できなかった。

 

「君はなんでそんなに怒ってるんだ?」

「言っただろ? 私は、同情や憐れみをかけられることが何より嫌いなんだ。どうせお前、私がみすぼらしい恰好をしているから、金を恵んでやろうとしたんだろう? 金持ちどものその傲慢な態度が私は死ぬほど嫌いなんだよ!」

 何言ってるんだろうこの子……。ティアナと言いこの子と言い、女の人の考え方はよくわからない。

「……全然違うけど?」

 ハンスは女の子の言葉を否定する。

 

「俺はずっと前を見ていたから、君がみすぼらしい恰好をしてるかどうかなんて見えなかったよ? 君が立ち止った時にようやく君のことを見たんだから。それに俺が金持ちだなんてとんでもないよ」

 何しろ今金が全くない。今から路上でする大道芸の内容を考えなきゃいけないくらいヤバイ状態なのだ。

「だったらなんでお金を掴ませたんだよ。それこそただの紙でよかったじゃない。金を恵んでやろうっていう見下す感情があったからそうしたんでしょ?」

 女の子はまだ怒りに燃えた瞳でハンスを睨んできている。

「お金を渡したのは自分の身を守るため。財布を狙ったのに実際掴んだのはただの紙だったじゃ、逆上されてもう一度狙われるかもしれない。でも掴んだのがお金だったなら、全額ではなかったが、一定の成果はあったと立ち去ってもらえる。実際君はそう思ったからいなくなってくれたんだと思ったけど?」

 

 女の子は沈黙した。

 複雑な表情を浮かべてこちらをにらんできている。

 怖いな……。今すぐ逃げ出したいのだが、何しろ宿の目の前だ。女の子との話が終わらないとベッドの上で金がなくなったことを嘆くこともできない。こっちから話を振るか。

「俺の方から一つ聞いていいかな? 俺からしてみれば、君がなんでお金を返しにきたかの方がよくわからない。お金を預かってくれたわけじゃないんだろう?」

「……だから言っただろ? 私は同情や憐れみを向けられることが死ぬほど嫌いなんだ」

「なんで?」

「だって! どいつもこいつも私を見下しているってことだもん!」

 女の子は両手で握りこぶしを作って下を見た。

 

「『かわいそう』『頑張ってね』『辛かったわね』……何様なんだよあいつら。自分が幸せだから、不幸な人間に自分の幸せをひけらかして悦に浸ってるんだ。気持ちの悪い同情で、私みたいな人間を憐れみを与えるおもちゃにして遊んでるんだよ! そんな奴らからの金なんて受け取れない!」

「ああ、だから奪い取るんだ」

 ハンスは率直な感想を口にする。女の子はその言葉に眉を動かして睨み返した。ハンスはそれに意を返さない。

 

「施しは恥だから受け取れない。だからこっそりと奪い取る。それは同情や憐れみの感情をすっ飛ばして手に入れるものだから私のものだ。そういうことかな?」

 女の子の言葉をまとめるとそうなると思う。可哀想な境遇を同情されて助けられるのが嫌なら、奪い取るのが手っ取り早い。そう思って窃盗をしたのだろう。

 しかし女の子は、ハンスの指摘に動揺し始めたように見えた。

 

「何が……何がだ!」

「君はそう言っていたんだと思ったけど? 誰かに恵んでもらうような恥ずかしいことはできないから、悪人になって奪い取る。相手がそのせいで困ったとしても、私に同情したからいけないんだ。何か違う?」

 女の子の顔はいまだにハンスをにらみつけていたが、冷や汗をかいて呼吸も乱れている。なんだか言葉でいじめをしているみたいで気分が悪いが、そうとしか思えないからその通りに言ってしまった。

「私は悪人じゃない! 私を見下す奴らが悪人なんだ! 私を下に見て金を渡そうとするから」

 悪人じゃない。そこだけは納得できなかったので、ハンスは強く言い返す。

 

「いや、悪人は君だろう? 君をかわいそうに思って助けてあげようとする人を善人と呼ばずになんていうの?」

「だから!」

「『同情はするな。だけど金は寄越せ』。君が言っているのはこういうことだろう? それはつまり『私の方が偉いから、へりくだって金を献上しなさい』と傲慢に言っているのと同じことだよ」

 その一言で女の子は完全に沈黙した。と思ったら、今度は大粒の涙をこぼし始めた。

 

「私だって……私だってまっとうな方法でお金が稼げるならそうするよ。でもどこの世界に、こんな小娘を雇ってくれる仕事場なんてあるの? こんな汚らしくて何もできない女の子なんて、働く場所なんてどこにも無いよ」

 ……なんだ、やっぱり俺が大人げなかったらしい。金を失って少し気が立っていたのかもしれない。この子は悪人になりたくてなっているわけじゃない。

 

「そうかなぁ? これだけでかい街なら、頭を下げて回れば、条件次第でなら雇ってくれる場所もあると思うけど」

 女の子は薄く笑って首を横に振る。

「つまり同情を誘って雇ってもらえってことでしょ? ごめんだね」

 金をもらうだけじゃなくて、仕事も同情では受け取れないってことか。

「誰かに雇ってもらうのが嫌なら、自分で仕事を始めればいい。広場に行って靴を磨かせてくださいとでも言えば……」

 女の子は声を出して笑った。その声にはあざけりの色が浮かんでいる。

「そんな屈辱的なことできるわけない。そんなことさせる連中も、きっと優越感に浸りたいだけの変態ばっかりでしょ」

 やっぱり性格悪いんじゃないかなこの子……。

「研究すればやりがいも出てくる仕事だと思うけどなぁ。磨き方とか、使う布の種類とか、磨いてる間のトーク力とか……」

「そんなこと言って、自分はカケラもやりたいと思ってないんでしょ? 腹の中で笑ってるのが見えるよ」

 ハンターの仕事が失敗したら本気でその仕事をしようと思っていたハンスは苦笑いを浮かべた。そして女の子に一つ提案をする。

 

「なら、俺に雇われてみる?」

「は? どういう意味?」

「真剣に働く気があるなら、俺が仕事をあげるよ」

 ハンスはにやりとして腕を広げた。

「俺はハンス。ハンターの仕事をしている。ただいま、チームメンバーを募集中なんだ」

 

 *    *    *

 

「きったない部屋……」

 ハンスは女の子を連れて自分の部屋に入った。あの後さんざん説き伏せて、『私に同情しないなら』の条件を付けて女の子に雇われることを了承させた。

 しかし、雇い主の部屋に入って開口一番汚いはないだろう。

 

「名誉のために言わせてもらうと、部屋が汚いんじゃなくて建物全体が汚いんだからね」

「まさか仕事って、掃除とかの家事をしろっていうんじゃないでしょうね?」

「そんなつまらないことさせないよ。下手そうだし……ぐはぁ」

 女の子がハンスの横腹にパンチを食らわせてくる。これはコミュニケーションの一環ということで解雇にするのは勘弁しておこう。

「ふん」

 女の子は脇腹を抑えるハンスを横目で見ながら、すたすたと部屋の中に入っていった。

「ま、野ざらしよりはずいぶんましか。雨風はしのげるし」

 部屋の中に入ると、女の子は椅子に腰を落とす。

 

「それで、私に何をさせようっていうの?」

「仕事のことは明日になってから話すよ。それよりこれを使いな」

 ハンスはそういって、女の子にきれいな布を渡す。

「何、その布は?」

「その布で体を拭きなよ。ほれ、バケツに水も入れてきた」

 そういってハンスは女の子の目の前にバケツを置く。

 

「別に必要ないでしょ?」

「君さっきは部屋が汚いとなじったけど、君の体の方がよっぽど汚いよ。あちこち土がついてるじゃないか。部屋がもっと汚れるだろう?」

 女の子は少し苦い顔をしたが、すぐに言い返す。

 

「そのまま汚しておけばいいじゃない」

 汚いのが嫌なのか好きなのかどっちなんだろうかこの女の子は。

「ダメだね。メンバーが汚れっぱなしじゃ、チームの品位にかかわる。雇われたからには、ルールに従ってもらうよ」

「……わかったよ」

 そういって女の子は片方靴下を脱いでから、布を持ってバケツの中に沈める。そして布を取り出して水を切った。しかしそこで止まってしまい、体をふき始めようとはしなかった。

 

「どうした?」

「だって、この布すっごい綺麗なんだもん。もっと汚い布はないの?」

 馬鹿なのかなこの子。

「雑巾でふいたってきれいにならないだろう? 雑巾は床とかを拭くのに使うんだよ」

「その布でいいよ。この布はもっと別のものに……」

 ハンスは一つため息をついて、女の子から布を受け取った。そしてそのまま女の子の足を拭き始める。

 

「つめた! ちょ、ちょっと!」

「変な遠慮はしないことだね。同情されたくないというのは結構。ただし、何でもかんでも憐れまれたといっていたら何にもできない。この布で体を拭けというのは、君にとっては最初の仕事だ。素直に従ってもらえないかな?」

「分かった。分かったからやめてよ。私の足なんて拭きたくないでしょ」

 女の子は顔を赤くして足を動かした。嫌がっているというよりは、恥ずかしがっているという様子だった。

 【みてみんメンテナンス中のため画像は表示されません】

 

「そういやお金を返してもらったお礼がまだだったと思ってね。足だけ拭いてあげるからおとなしくしな。この布もそうしてもらうのが本望だろう」

 足ではなく靴を拭くはずだった布だ。同じ場所なのだから布も文句はないだろう。

「……何? 本望って?」

「こっちの話だよ。気にしないでいい。ほら、こっちの足を拭いてる間に靴と靴下を脱いでおきな」

 女の子は反対の足に靴を履いたままだった。さっき部屋に土足で上がっていったのは見えたが、ハンスは特に何も言わなかった。

 

 しばらく沈黙がこの場を支配した。せっかくだし、トークの練習をしておこうか?

「お客さんの足傷だらけですね。いつから片方靴無しなんですか?」

「な、何だよ急に」

 女の子はハンスが急に声色を変えたので動揺する。

「いや、だから足を拭いている間のトーク。沈黙したまま足拭かれてもつまんないでしょ?」

「なにが……はあ、もういいよ」

 女の子はそっぽを向いて話しはじめた。

 

「一週間くらいかな? ゴミ捨て場で拾った靴に穴が開いたから、片方だけ捨てた。それからずっと靴を探して回ったんだけど、私の足に合う靴が見つかんなくてね」

「てことは服も拾ったやつですか?」

「そう。ちょっとぶかぶかだけど、素っ裸で歩くよりはましだから」

 女の子は恥じらいもなく笑いながらそう言った。そういった感情を覚える余裕もないのだろう。

 女の子が着ているのは、服というよりぼろぼろの布のように見えた。あまりに痛々しい恰好だし、何とかしてやりたい。だが、ただ単に渡しても受け取らないだろう。

 

「お客さんはどんな暮らしをしてきたんですか?」

 ハンスは続けて質問をしたが、女の子は答えてはくれなかった。

「あのさ、トークっていうんだったら楽しい話をしてもらえない? 私の身の上話なんて面白くないでしょ?」

「おっと、ダメだしもらっちゃったか」

 ハンスはそう呟いてクスクス笑った。

「せっかくこれからチームを組むんだし、仲間のことを知っておこうかと思ってさ。だって俺、まだ君の名前すら知らないんだよ?」

「ああ、そういうこと」

 それならそうと早く言えばいいのよ。女の子はそういってハンスの顔を見た。

 

「私の名前はイルゼ。それ以上はあんまりしゃべりたくない」

 貧民街で親もなく生きてきたなら、楽しい身の上話ではないだろうな。聞かれるのが嫌だというなら詮索する理由はない。

「イルゼか。分かった。それならイルゼが話してくれる気になるまで、俺からはあえて聞かないよ。さて、足は拭き終った。その部屋の隅が影になるから、そこで体を拭いてきな」

 イルゼはこくりと頷き、ハンスから少しくすんだ色になった布を受け取った。

 

 イルゼが体を拭き終ってハンスの元に戻ると、質素な夕食が広がっていた。

「おー、拭き終ったか。さ、飯にしようぜ」

「だから、私は施し……」

「じゃ、ない」

 イルゼの反応を見越していたのか、ハンスはすぐに否定する。


「これはタダじゃないぞ。給料の前払いだ。君が働いて給料が発生したらきっちりと宿代と一緒に天引きする。腹ペコの状態で仕事なんてできるわけないだろう? 今は素直に食べておきな」

「……」

 イルゼは少し考え込んだようだが、何を言っても言い負かされると思ったらしく、口をつぐむ。人間は空腹には勝てない。

「明日も朝食を準備するけど、素直に食べてくれよ。毎度毎度説明するのも面倒だからな」

「分かった……」

 イルゼは渋々という感じで了承してくれる。そのままパンを口に運び、遠慮がちにかじりつく。

「……!」

 少しかじったと思ったらあとは止まらなかった。すごい勢いで夕飯を食べ始め、目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。

 

 イルゼは見るからに栄養が足りてない。偶然だが、消化にやさしい物ばかり買ってきておいてよかった。

「さて、当面の金はどうするか……」

 ハンスは小声でぼやいた。明日の朝食までは買ってある。本来は一人分で買ってあったものだから、二人で食べるとすれば半人前くらいしかない。イルゼから返してもらったお金はあるが、仕事のために道具を買ったり借りたりするには心もとない金額だ。

 

「せめて財布のほかに、どこか別の場所にお金を入れていればな……あ」

 そこでハンスは思い出して内ポケットの中をあさった。すると、そこにはしっかりとお金の入った袋が入っていた。あの場でチンピラ達にジャンプを要求されなかったのは幸運だった。

「ティアナに感謝だな」

 それはティアナにもらったバジリスク討伐のお金だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ