投げられた報酬袋
「こんな遅い時間までゴブリンを探していたのか?」
辺りがすっかり真っ暗になった頃。ハンスは協会に姿を見せていた。
協会の中では、仕事を追えて酒を飲み始めているチームがいたり、翌日の仕事の打ち合わせをしているチームがいたり、落ち込んでいるチームがいたりと様々だった。
「いやー、本当は日が落ちる前に森を出るつもりだったんですけどね。門が閉まる時間ぎりぎりでしたよ。門が閉まる直前に町に飛び込んだら、門番の人に叱られてしまって……」
本当にギリギリだった。せっかく屋根とベッド付き部屋を手に入れたのに、また野宿をするというのは悲しい。閉まり始める門に飛び込んで、ずいぶん長い時間叱られてしまった。
「討伐数を確認する。記録の球を見せてくれ」
「はいよー」
ハンスは軽いノリで提出する。受付の男は手慣れた様子で記録を確認してくれた。
「ゴブリンの本日の討伐数……十五か。ずいぶん倒したな。まあ、まだ相当な数が残ってるだろうが。ん、まだほかにも倒した記録があるな……バジリスク」
受付の周りで飲んでいた何人かが沈黙した。と思ったら、すぐに騒ぎ始めた。
「バジリスクだと! お前、一人でバジリスクを仕留めたのか!?」
「えー、嘘でしょ? 偽装じゃないの?」
「偽装なんてできるわけないだろ」
バジリスク討伐の話で騒ぎ始めると、たちまち建物内全員にその声が広がる。これはちょっとまずい。
「え……あ、いや。このバジリスクは……」
ハンスは誤解されたくなくて口を開いた。しかしその声は怒声にかき消される。
「てめぇ! 横取りしやがったな!」
声を上げたのは三人でテーブルに座っていたチームの一人だった。突然叫んだ仲間を、魔法使い風の女性が止めようとする。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
「うるせえ! 黙ってろ!」
魔法使い風の格好をした女の制止を振り切り、男はハンスの近くまで詰め寄ってきた。
「ハイエナ野郎! 俺たちが弱らせたバジリスクを横からかっさらっていったんだろう。バジリスクの討伐報酬は俺たちのものだ」
「はい、あなた達のものですよ」
ハンスは落ち着いて声を返した。これで誤解を解くことができる。
「そうだよ! ……あ?」
激高して近づいてきた男に対し、ハンスは涼しげに返した。予想していなかったのか、詰め寄ってきた方の男はあっけにとられて沈黙した。
「いやー、探してたんですよ。ダメじゃないですか、止めも刺さずに凱旋しちゃ。バジリスクがかわいすぎて止めがさせなかったんですか? 野放しにもできないんで、俺が止めを刺してしまいましたよ」
「は? いや、何言って……」
「あー違うんです? じゃあケアレスミスだったのかー。あるあるですよね、ピクリとも動かなくなったもんだから、死んだものと思って凱旋。記録の球を確認したら討伐数ゼロ。死んでなかったんかーい! みたいな」
ハンスの砕けた口調に、男はあっけにとられて声が出せなくなってしまう。
まあだいぶ嘘も混ざってるけど、こっちの方がわかりやすいだろう。あの討伐は自分の仕事ではない。ハンスは構わずにつづけた。
「しかしお見事な手腕でした。まずバジリスクの目を潰してから、森中を引きずり回して弱らせる。そして疲れ果てたところをズドン! いやー手堅い。手堅いですね。お手本にしたい作戦です。やっぱり目が弱点だということを知っていて狙ったんですよね?」
嘘は言ってないよな? ズドンは俺がやったけど。引きずり回す方がよっぽど大変だっただろうしね。
「え……あ、まあ、目を潰せばどうにでもなるからな」
のってきた。後は適当に流すだけ……。
「やはり! お見事でした。まあ、止めを刺し忘れたのはご愛嬌ですね。しかし、苦労して弱らせたのに、止めだけを忘れるなんて、可愛いところがありますね」
建物の中に笑いが広がる。ハンスの口調に、協会の中は随分和やかな雰囲気になってしまった。突っかかってきたはずの冒険者も、雰囲気に呑まれてすっかり勢いをそがれてしまった。
「というわけで、討伐報酬はこの人たちのものです。俺じゃあ依頼報酬の方は出ませんからね。もったいないですし」
魔物退治の仕事には、討伐報酬の他に依頼報酬が出ることがある。
討伐報酬は、純粋に魔物を討伐したことに対する報酬。その報酬額は魔物によって異なる。
そして依頼報酬は、協会から実績のあるチームに特別に依頼をだし、そのチームが依頼を達成したら与えられる報酬だ。この報酬は、魔物自体の討伐報酬とは別に出るもので、ボーナスみたいなものだ。
ちなみに、ハンスのゴブリン討伐には依頼報酬は出ない。あれは、協会からただ単に紹介されただけで、他の冒険者にも公開されているからだ。
「依頼報酬は出なくても、討伐報酬は出るだろ? せめて討伐報酬を山分けにすればいいんじゃないか?」
横から別の冒険者がそう提案してきた。しかし、ハンスは横を首に振る。そんな半端ことをして、後でとやかく言われる方が面倒くさい。
「いえいえ、お金に関しては後腐れがない方がいいですよ。仲のいい親族同士ですら、遺産相続で骨肉の争いをするんです。赤の他人同士は山分けなんてしない方がいいでしょ。あ、そういえば、牙をもっていかなかったんですね?」
ハンスは再び冒険者に向き直って話しかけた。
結構落ち着いてくれたし、ちょっとくらい漁夫の利を狙おう。
「牙……? 何のことだ?」
「バジリスクの牙のことですよ。結構高値で売れるのに、持っていかなかったんだなーと思いまして。まあ、ちゃんと対策して触らないと、触れた先から腐って死んじゃうんですけどね。あはは」
ハンスは軽く笑ったが、笑いかけられた方にはそんな余裕はないようだ。これは権利を放棄してくれるかな。
「と、討伐報酬さえ出ればそんなはした金いらねーよ。他の冒険者が欲しけりゃくれてやる」
「太っ腹ですねー。じゃあ俺が明日もぎに行こうかな?」
果物を取ってこようかなくらいに言うハンスに、周りの冒険者が笑う。もう、険悪な雰囲気など微塵もなかった。
「……話はまとまったか? 討伐報酬と依頼報酬は、そちらさんでいいんだな?」
ずっと沈黙して待っていた受付の男がそう言って、その場はお開きになる。
ハンスはゴブリン討伐の報酬だけを受け取り、建物を出て行く。頭の中は、この報酬で何を買うかでいっぱいだ。
「待ってください!」
すると、建物の外で呼び止められる。後ろを振り返ると、建物の中から魔法使い風の女が追いかけてきていた。ハンスは魔法使いがなぜ追いかけてきたかを一瞬で察する。
ああもう、自分で後腐れが無いようになんて言っておいてスケベ心を出すからこうなるんだ。ここは丁寧に謝って許してもらうか。
「え、あ、まだ何か? やっぱり牙のお金もよこせってこと? そ、そうですよね。あんなに苦労して弱らせたんですし、そっちも渡せというのは当然……」
「いえ、そうではなくて……」
魔法使いは、受け取ったのであろう討伐報酬を、ハンスに突き出してきた。
「これは受け取れません」
ハンスはその行動の意味が分からなくて首をひねった。
何言ってるんだこの人……。お金が要らないくらいお金持ちなんだろうか?
「……何でですか?」
「あたりまえじゃないですか!」
魔法使いが怒鳴ったので、ハンスはびくりとして半歩下がる。
「あ、ごめんなさい怒鳴ったりして……。これは受け取れませんよ、倒したのはあなたじゃないですか。私達は何もしてませんもん。」
魔法使いは、申し訳なさそうな顔をして下を向いた。
「私たちはバジリスクを怒らせて逃げ回っただけ……。それなのに討伐報酬を受け取るなんてできません。私の分しかなくてすみません。本当なら全額あなたのものだというのに……」
「? いや、それはあなた方が受け取るべきでしょう?」
ハンスは心底不思議そうに魔法使いを見返す。魔法使いはまだ納得できなかった。
「ですが!」
「バジリスクの弱点は目だよん」
ハンスが遮って話しはじめる。さっきまでは緊張した風だったが、今度は砕けた口調になっていた。
「だから、バジリスクは目への攻撃は敏感に察知して守るんだ。たとえ眠っていたとしても、そう簡単に両目への攻撃をもらったりはしない。相当入念に準備して攻撃したんでしょう?」
「それは……」
確かに魔法使いたちは事前に準備はしっかりとした。何しろ、バジリスクと目を合わせると石になってしまう。それだけは避けるために、攻撃を仕掛けるのには細心の注意を払った。気取られることがない距離を保ち、住処を調べ、完全に寝入る瞬間を狙って数日森の中で見張り続けた。
「目を潰せば安全に倒せる。リーダーがそう言ったので、目を潰した瞬間に三人で飛びかかったんです。そしたら思った以上の反撃を食らったので逃げ出しました。あとは森の中を必死に逃げ回るばかりで……」
「それが効いたんだよねー」
ハンスはそういって魔法使いに微笑んだ。
「慌ててたから知らないだろうけど、あの蛇全身傷だらけだったよ。あれだけでかい体で森の中を這いずり回って無傷なわけがない。終盤にでかい木に頭をぶつけてたけど、普通ならあれで止まってしまうと思う。実際最後はフラフラだったしね。それでも追いかけ続けたってことは、目を潰されたのがよっぽど頭に来たんだろうなー。ほっとけば数日で再生するのにさ」
所詮は動物のおつむだよね。そういってハンスはカラカラ笑う。
「止めを刺したのは確かに俺だ。しかし、苦労したのは君たちだろう? 漁夫の利って言われても仕方ないでしょ」
ハンスは記録の球を見せた。
「バジリスクの討伐数一。ゴブリンばっかりだった記録の球に、上位の魔物が記録されたんだ。箔がついたと思えば、報酬をもらったと言えなくもない」
ハンスの言葉に、魔法使いは少し微笑んでくれる。どうやら納得してくれたのかな。
「それじゃ」
「あ、待ってください」
魔法使いは、報酬の入った袋を投げ、ハンスがそれを受け取る
「あの時助けてくれてありがとうございます。私の名前はティアナです。またお会いしましょう!」
結局報酬はいらないのか。お金持ちなんだろうな。ならありがたくもらっておこう。
「……ありがとうティアナ。俺の名前はハンスだ」
* * *
ハンスは協会を出てから少し買い物をしてから帰路についた。
「ま、お金がたくさんあるのはいいことだよね」
予定外のお金も手に入ったし、懐は潤った。明日はバジリスクの牙も回収できるし、今のところ順風満帆だ。
そう思っていたが、前の方から嫌な感じの影が近づいてくるのが見えた。
その影は人影だったが、見たところ全員ガラが悪い。目をつけられないように端っこを歩こう。
そう思って端によったのだが、その三人は素通りしてくれなかった。一人がハンスの前に立ちふさがり、残り二人でわきを固められる。
「よう兄ちゃん金くれや」
「俺たちさ、お小遣い少なくて困ってるんだよね。可哀想でしょ?」
「恵んでくれないかな?」
男たちは手に小型のナイフを持っている。
「僕たち手荒なことはしたくないんだよねー。おとなしく財布を……ん? おい、腰に下げてんのは剣か?」
一人が剣を見つけて勝手に警戒し始めた。柄に手をかけてもないのにそんなに警戒しなくても……。
「お前……もしかしてハンターか?」
「なんだよハンターって」
「魔物狩りを専門にしてる冒険者ってことだよ。鞘を見るに使い込んである……ペーペーじゃねえぞ」
「めっちゃ強いってことかよ? こんな優男が……?」
ハンスはは何もしゃべっていないのに、チンピラたちは勝手に警戒を強め始める。まずい流れだ。敵意がないことを率直に伝えないと……。
ハンスはカバンの中をガサゴソとあさり始めた。
「お、おい動くな! 余計なことをすると……」
「はい、これが財布です」
「「「……は?」」」
ハンスのまさかの行動に、たかってきたはずのチンピラたちの声がそろう。この人たちは何がそんなに不思議なんだろう?
「だから財布ですよ。出せって言いませんでした?」
「い、いや、確かに言ったが、お前冒険者だろ? 抵抗とかしないのか?」
ハンスはきょとんとして三人を見返す。
「だって、手荒なことをしたくないと言っていたじゃないですか。したくないと言っていることをさせるほど、俺は悪人じゃないですよ?」
ハンスは財布を差し出したまま首を振る。
「しかし俺ってツイてないですよね。このあたりに住んでいれば、強盗にあう可能性は常にある。それをまさか初仕事の帰り……初給料の帰りに遭遇してしまうんですから生粋といっていい」
本当に自分はついてない。そのくらいのリスクは分かっていた。しかしそれがこのタイミングで起こるだろうなんて思っていなかった。
ハンスはチンピラたちに近づいていき、そのまま相手の手の上に財布を乗せた。
「さあもってけ泥棒! おっと、本当に泥棒だった。これ俺の全財産なんで、大切に使ってくださいね? じゃあ」
ハンスはそのままチンピラ達のわきを通って家に向かう。チンピラ達は追いかけてはこないらしい。
しばらく歩き、チンピラの姿が完全になくなったのを確認して息を吐いた。
「はぁー! 助かった。いや、お金は本当になくなっちゃったから助かってはないんだけど……。命あっての物種だからなー」
相手を逆上させたくなかったから、努めて冷静を装っていたが、実際はかなりの痛手だった。さっき買ったのは今日と明日の朝の食料だけだ。その他色々買おうと思っていたものが何も買えない。
「明日はいよいよ大道芸で小銭を稼がなきゃならないかなー。いや、靴磨きという選択肢も……」
「待ちなさい! ついに見つけた」
ハンスが頭に手をついてあれこれ思案していると、後ろから女の子の声で呼び止められた。
後ろを振り返ると、昨日財布を盗もうとしてきた女の子がいた。