寝床
ハンスの鞘に剣が収まると、協会の中でまばらな拍手が起きた。受付の男は軽く息を吐く。
「別にハンターでなくとも、大道芸をした方が稼げるんじゃないか?」
その生活も悪くないかもしれない。だが、ハンスはそれが目的でやってきたわけじゃない。
「お金が全くないようならとりあえずそれで稼ぐでしょうね。でも、今日明日分生きていける金はあるので。でも、明日にでも仕事をしないと飢え死にしてしまうんですよ」
「だったら、記録の球を持ってきていれば」
「裸一貫!」
ハンスはそういって胸を張る。せっかく新生活を求めてやってきたのだ。そこだけは譲れない。
「分かった分かった。とりあえず登録を済ませてしまおう」
受付の男はそういってハンター登録の手続きを進めてくれる。書類の手続きがすべて終わると、記録の球がハンスに渡された。
「説明は不要だと思うが、それはハンターの大事な商売道具だ。そこに今まで倒した魔物の数が記録され、他にも色々な実績が記録されていく。それによって報酬は変わり、ハンターとしての格も変わってくる。誰かさんは前の町においてきたという話だがな」
「テーマ裸一貫!」
なおも嫌味を言ってくる男に対して、ハンスは鼻を鳴らしながらそう言った。
「もうわかったと言っただろう。ランクは初級者だ。でかい仕事がしたければ、さっさとランクを上げるか、どこかのチームに入れてもらえ。明日までに適当な仕事を見繕っておく。今日泊まる場所は決めたのか?」
受付の男の問いに、ハンスはまだ決まっていないという風なジェスチャーをする。何しろモーリスのことは、あまり調べていない。移り住もうと思って大きな街を選んだだけだからだ。
「どこか紹介してもらえませんかね。場所にはこだわらないので、安さ優先でお願いしたいなぁ」
「貧民街のそばでも構わないなら格安の宿がある。治安も悪いが、ハンターをしていたというなら問題ないだろう? 道案内はいるか?」
「ここに裸一貫から手に入れた街の地図があるので問題ありません」
得意げに地図を取り出したハンスに、受付の男は宿の場所を教えてくれる。
地図を読むのは苦手ではない。そんなに複雑な道のりでもないし、大丈夫だろう。
「ありがとうございました。明日さっそく仕事に来るのでよろしく」
ハンスはドアを開けて協会を出て行った。
* * *
ハンスが出ていくと、受付の男に後輩が話しかけてきた。
「変な奴でしたね。あれでハンターですか?」
ハンターは気の荒い人間が多い。後輩はまだ新人だから、ハンスのような男を見るのは初めてだった。
「確かに変わった男だった。しかし、肝は座っているように見えたな」
「肝が据わってる? 大衆の前で恥をさらす度胸があるってことですか?」
そういって新人は軽く笑った。さっきの剣舞のことを言っているのだろう。
「君にはそう見えただろうな。だが、ここにいた冒険者たちには違って見えた様だ」
新人は言われて周りを見渡した。冒険者たちは互いにハンスのことを話し合っていた。
さっきも見慣れない顔ということで、ハンスのことを見ていた者もいた。しかし、多くの冒険者は特別興味を持っている感じでもなかった。それが今は、ほとんどのテーブルでハンスの話題が上がっているようだった。
「これだけの人間の前で堂々と剣舞を披露し、剣を振り投げて鞘で受け止める。並みの度胸でなら手元が狂ってできない」
「いや、大道芸人なら普通でしょう? 一発芸がうまいからって強いってことにはなりませんよ」
「だから言っただろう? 肝は座っているようだと。腕っぷしはこれからの仕事ぶりによるだろう」
受付の男はハンスの登録の書類を手に取った。
「腕っぷしのほどはまだわからん。だが、あの男はこの場所でこういったのさ。『俺はハンスだ。名前を覚えておけ』とな」
* * *
「どさくさに紛れて小金を稼げないかと思ったんだけどなー。チップは飛んでこなかった」
ハンスは宿に向かいながらそう呟いていた。
一世一代の恥をかき捨てての剣舞。受付の男は引いているように見えたから、滑ってしまったんだろうな。
数日暮らすくらいの金はある。逆に言えば、数日暮らす分の金しかない。明日すぐに仕事がもらえるとも限らないから、同業者から金をせびれないかと思ったのだが失敗だった。
「みんなケチンボだったな。恥を晒して損した」
次は富裕層のいる場所でやろうか? いや、それだったら靴磨きののぼりを持って歩いたほうがいいかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、宿に到着した。外から見ても寂れた宿だとわかる。というより、この周辺のすべての建物が寂れて見えた。貧民街のすぐそばというのも納得だった。
宿に入り、手続きを済ませると部屋の鍵を渡された。鍵の番号の部屋を自分で探し、鍵を開けて中に入る。
「わー……ゴホン」
一歩足を踏み入れるとほこりが舞いあがったので呼吸を止めた。右腕で鼻と口元をガードしながら部屋の中に入って窓を開ける。
「っぱあ! やっと呼吸できたー。しばらく開けておくか」
窓を開けると太陽の光が差し込んできて部屋の中を照らす。部屋の中なのに自分の足跡がくっきりついているのは埃がたまっているからだ。床をキャンパスにして絵が描けそうなくらい埃がたまっている。もう何年も開かれたことがなかったのだろう。
そう思うと掃除するのが惜しく感じられるな……落書きしてから片付けようか?
そんな馬鹿な考えはすぐにかき消して、部屋の様子を眺める。部屋の中には棚とテーブル。それと備え付けのベッドが置いてあるだけだ。必要なものがあれば買いそろえたいが、まとまった金ができれば引っ越すだろうからあわてて買い集める必要性は感じない。
「今日はとりあえず掃除かな」
きれい好きなわけじゃないが、埃まみれの部屋で病気にならないほど頑丈でもない。最低限部屋の中で普通に呼吸ができる状況にはしなければならないだろう。
掃くよりは拭いた方が埃は舞わないように思えた。宿からバケツと布を借り、外の井戸から水を汲んできて掃除を始める。
家具は少ないが部屋の広さは結構あるので骨が折れる。何度か水をくみなおす時間も含めて、まともに生活できるようにするまで一日かかってしまった。
この調子で他の部屋も掃除したらお金が出たりして……。いやいやダメだ。それにやりがいを感じるようになったらハンターに戻れなくなりそうだ。とりあえずハンターで食べていく。それに失敗してから別の仕事を探すんだ。
「はー、これで終わりかー」
そう呟いて、ハンスはベッドに倒れこむ。窓からは月明かりが差し込んできている。今日はもうこのまま寝てしまおう。食事は明日の朝に取ればいい。そう考えて、ハンスは旅の疲れと掃除の疲れを感じながら月を見上げた。
「綺麗だなー」
月には雲は全くかかっておらず、完全な姿で地上を照らしていた。ハンスはその光を感じながらまぶたを閉じようとする。しかし……。
「おっと」
ハンスは突然驚いて自分の顔の前に手を突き出した。窓の外から石が投げ込まれたような気がしたのだ。
しかし、実際には手に石がぶつかることはなかった。ハンスは、何もつかむことができなかった腕で、自分の両目を塞いだ。
『恥知らず! どうしてお前は普通にしていられるんだ!』
目を閉じると、前の町でさんざん言われた言葉がいくつも浮かんでくる。最後の方は、暮らしている部屋の中に石が投げ込まれるなんて日常茶飯事だった。
「大丈夫だ。この町には俺のことを知っている人間はいない。今度は……きっと今度はうまくやっていける」
ハンスは自分に言い聞かせるようにつぶやいて、そのまま寝息を立て始めた。部屋の外で、怒りに燃えた瞳がハンスの方を見ていることに気づきもせずに。
「ここがあいつの部屋……」
怒りの視線を送っているのは少女だった。右腕には、ハンスにつかまされた紙が握られている。これを窓から投げ入れてやりたかったが、部屋は二階だ。それに、直接投げつけて怒りをぶつけたかった。
「私を……私を馬鹿に……許せない」
少女は部屋に一瞥をくれると、夜の街へ消えて行った。