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桜魔ヶ刻  作者: きちょう
第3章 桜の花が散り逝く刻
9/12

9.悪い夢が燃え盛る刻

..049


 王都の廃墟に剣戟が響く。桜魔の襲撃を受けて一度放棄された地帯の一部は、退魔師たちの訓練場として活用されていた。

 鵠、神刃、桃浪、蚕の四人は王都から遠い瓦礫の山の一つで戦闘訓練を重ねていた。

 退魔師協会の一般的な退魔師たちに混じるには、桃浪や蚕の存在が厄介だ。葦切に桃浪と神刃の鍛錬を見られて面倒が起きたことを考えれば、訓練には他の人間を近づけない方がいい。

 四人は乱戦の訓練のため、二対二から三対一、たまに朱莉を交えて三対二など、組み合わせを変えて組手を行っていた。

 今は鵠と神刃、桃浪と蚕という最も基本的な組み合わせで戦っている。

「どうした坊や、もっと全力でかかって来いよ! ほら!」

 桃浪は得意の剣を振るって、神刃に斬りかかってくる。彼の身体能力を思えば神刃が弓の間合いを取るのは難しい。小太刀で応戦しているが、どうしても桃浪の剣技の隙を見つけられない。

「神刃も大分成長したな。なぁ鵠」

「そうだな」

 一方、鵠は蚕と戦っている。お互いに全力で戦っているはずなのだが、会話はいつも通りの世間話がほとんどだということが、まだ目の前の戦闘にいっぱいいっぱいの神刃からしてみれば恐ろしい。

 鵠と蚕は体格が大きく違う。上背のある鵠と十にも満たぬ子どもの蚕ではまるで鵠が蚕を苛めているかのようだが、実際には二人の実力は拮抗している。

「しかし、こうした組手もよりけりだな。桜魔王の体格は、お前自身と近いだろう?」

「そうだな。その辺りは桃浪の方が近いが、あいつは戦闘の型が俺たちとは違うからな」

 剣を使う桃浪と違い、鵠と蚕は基本的に素手で戦う。蚕はその気になれば桜魔の特殊能力でいくらでも中距離で戦えるが、普段は殴りかかる方が早いと言う。

 桜魔王の名に、鵠は束の間、先日の葦切との話を思い返した。彼に預けられた母の手記を、ここ数日寝る前に何度も何度も読み返しては夢の中で彼女の真意を探る日々が続いている。

「おっと!」

 考えに没頭していたせいで、蚕の一撃を避け損ねた。頬を掠めた拳の感触に、気合を入れ直す。

「油断大敵。どうした鵠、集中できていないようだが」

「悪い」

 こちらを気遣ってくる蚕になんでもないと首を振って、鵠は戦いを続ける。

 鵠と蚕の力は拮抗している。

 ならばその膠着状態が崩れるのは、彼らではなくもう一方。

 神刃と桃浪の戦いが大詰めだ。

 桃浪の罠に乗って、神刃が体勢を崩す。

 均衡が崩れた、その一瞬。

「神刃!」

 追撃をかけようと踏み込んだ桃浪に、神刃があらかじめ仕掛けておいた罠――朱莉から借りた霊符を発動する!

 そして桃浪が動きを止めている間に、鵠と二人がかりで攻撃を叩きこんだ。

「でぇえ!」

「よし、撃破だ! 行くぞ!」

「はい!」

 鵠と神刃は合流し、今度は二対一で蚕に向かう。

「む。さすがにきついな」

 鵠だけで拮抗していたところに神刃の加勢もあって、蚕もそれから程なくして「倒される」ことになった。

 敗北した桜魔二人は、軽やかに笑って話しかけてくる。

「やー、負けた負けた」

「試合前にお前たちがこそこそ打ち合わせしていた作戦はそれか」

「そういうことだ」

 戦闘前に鵠が授けた心がけを、神刃は復唱する。

「“戦いは均衡が崩れた一瞬が勝負。不利になっても焦らず、仕掛けてくる相手の隙を見極めて反撃に転ずる”」

「攻撃を仕掛ける瞬間が最も隙だらけだ。大技であればあるほどそうなる。二対一でその隙を突けば、一対一で相手を崩すよりも確実だ。そして一人撃破したならば、すぐに他の仲間の加勢に行く」

「うむ、見事だ」

 蚕が教え子の成長を見守るかのように、笑顔で頷く。

「いやー、坊やもここ最近で随分成長したねぇ。遂にいろいろ吹っ切れたのかい。ま、俺に比べたらまだまだだけど」

「余計なお世話だ」

 撫でるように頭に手を置いてくる桃浪を、神刃は嫌そうな顔で押し遣る。

「でも本当に強くなりましたわよ、神刃様」

「朱莉様まで」

「まぁまぁ。はい、皆さん」

 組手に混ざらず少し離れた場所で一息つくための飲み物を用意していた朱莉が、ころころと笑って声をかけてくる。反論は軽く封じられ、神刃の手にも冷たい飲み物が入った木製の椀が押し付けられた。

 ここに流れる時間は穏やかだが、いくらのびやかに過ごしているように見えても今も刻一刻と大陸は滅びに近づいている。

「最終決戦についても、そろそろ考え出す頃だな」

 鵠は桜魔たちの本拠地がある方角を遠く見上げた。


 ◆◆◆◆◆


 鍛錬場と定めた廃墟から王都へ戻る帰り道。

「しかし、戦い方は本当に良くなったぞ、神刃」

「……本当?」

 蚕が神刃に声をかける。見た目にそぐわぬ実力者である蚕の目から見てもそう思うならば、神刃の気のせいでもなく実力は上がっているのだろう。

「ああ。随分強くなった。これなら連携にも組み込めるし安定した戦力として見込めるだろう」

「うん……前回みたいなことにはならないように、努力する」

 神刃を庇って怪我をした鵠を思い、表情を引き締める。

 桜魔側の戦力、王に継ぐ力の持ち主である載陽を蚕が撃破したことで、退魔師側は大分楽になった。だが桜魔王が自らの側近をあれ以上増やさぬとも限らぬし、決して油断はできない。

 鵠としても神刃としても他に戦力となりそうな人間を簡単に見つけられない以上、退魔師側がいざ桜魔王討伐に向かう時はこの面子で何とかしなくてはならない。

 それには、他の四人に比べてまだ未熟な面のある神刃が実力をつけるのが一番の近道だった。安定した実力の成人男性である鵠や桜人として変質した朱莉、二人の桜魔に比べ、人間の少年である神刃が一番伸び代があるのだから。

 蚕はそれからも幾つか言葉をかけて、神刃を安心させるようだった。

 鵠、朱莉、桃浪の三人は、彼らの後方を歩きながらその会話を聞くともなしに耳に入れていた。

「やれやれ。蚕の奴は本当に坊やに甘いな」

「そうだな」

 神刃の実力が上がったことは確かだが、鍛える余地もまだまだ残っている。鵠と桃浪の見解はそう一致している。

「お前が一々余計なことを言って怒らせるから、蚕の奴がとりなしているんだろう」

「おや、人のせいにする気かい? 鬼教師」

「私から見ればどっちもどっちです」

 鵠と桃浪のくだらないやりとりは、更に辛辣な朱莉の言葉に一刀両断された。

「でも、前回の蚕の活躍と神刃様の成長により、こちらが大分有利になったのは事実です。……次に当たる時は誰がどの桜魔を相手するか、決めておくべきでしょうか?」

「向こうの戦力的にはあの祓って子どもが一番弱そうなんだが」

 年齢的にも性格的にも神刃に近い、生真面目な少年桜魔の姿を脳裏に思い浮かべる。

「ですが戦闘の相性としては、彼は私が担当した方が良いでしょう」

「……頼む」

 単純な実力だけではなく、戦い方の相性も考慮した方がいいだろう。

「鵠は桜魔王だろ、夢見の奴は俺が抑えるよ」

「大丈夫か? あの女、ふざけた言動に見えてかなり強いぞ」

「それでも桜魔王陛下程じゃない。それに、この俺様をわざわざ弱い相手にぶつけて無駄遣いするなんて言わせねーぜ」

 桃浪が獰猛な獣の本性を見せて笑う。

「と言いますか、ほぼ全員強いので誰かは多少無理をしてでも当たる必要があるでしょう。ならば残る二人は……」

「神刃が早花とかいうあの女、蚕が夬とかいうもう一人の側近だな」

 いつの間にか名前まで憶えてしまった桜魔王の側近二人の名を口にしながら、鵠は険しい表情を浮かべる。

 今の神刃の実力からすると、早花の相手は厳しいだろう。けれど戦闘の相性的には、それらしい組み合わせが限られる。

「夬の奴はなんだかんだでいつも最後まで残されるよなー。ないとは思うが、あいつが変な奥の手持ってたらどうするんだ?」

「蚕ならそれにもそつなく対抗できるだろう」

 剣士であることがはっきりしている早花に神刃を当てる理由はそれだ。夬の手札が読めないので、いざ不測の事態が起きた場合、神刃だと対抗手段が限られる。

「それにさ、鵠。お前、一つ重要なことを忘れてないか?」

「重要なこと?」

 桃浪がにぃと笑う。

「俺も蚕も桜魔なんだぜ? いつお前らを裏切るとも限らないのに、本当に信用していいのかよ?」

 感情を読ませない笑みで、彼はいつだって笑い続けていた。

..050


「俺も蚕も桜魔なんだぜ? いつお前らを裏切るとも限らないのに、本当に信用していいのかよ?」

「確かにそういう危惧はあるな」

 打倒桜魔王を掲げていながら、よりによって桜魔を仲間にしている。鵠はこの集団が、傍目から見れば非常に危うい状態であることを知っていた。

 けれど嵐の暴力的な風も雨も、目の中に入ってしまえば穏やかなもの。

 今まであえて相対してこなかった問題に関し、鵠は現在の自分の正直な見解を告げる。

「俺の推測の一つだが、お前と蚕が桜魔だとしても、二人が手を組んで一気に敵に回ることはない」

「お? 俺と蚕が共謀してお前らを裏切ることはないって?」

「お前も蚕も目的のために仲良く手を組んで仲良しごっこをしましょうなんてタマじゃないだろう。お前たちが真摯なのは、その目的が本当に重要なものである時だけだ。俺たちを殺したいなら、お前たちは真正面から一人で来るだろう」

 最初の辻斬りの時もそうだった。ある意味気は合っていたのかもしれないが、桃浪たちの作戦と蚕の行動がたまたま一致してしまったために鵠たちは翻弄されてややこしいことになった。

 だがあの一件があったからこそ、鵠は蚕をある程度信用している。

 桃浪と蚕が共謀して鵠たち退魔師一行に近づくとしても、あんなやり方は不自然だろう。それに何より。

「桃浪。お前は、慕ってもいない相手を殺された復讐のためだと、将来的に敵対する相手と親しげな日常生活を送れる奴じゃないだろう」

 華節を殺した桜魔王に復讐を。桃浪のその感情は本物だと、鵠は感じ取っている。神刃も。

「……ほぉ。俺の見事な対話力を買ってくれるのは光栄だが、その見立てが正しいって保証はあるのかい?」

「当然。俺を誰だと思っている」

「つまりお前の推測だけじゃねーか」

 鵠にとって、根拠など自分が信じるかどうかのただ一点で十分だ。

 否、鵠だけではない。結局世の中、みんなそうなのだろう。

 大事なのは自分が何を信じているのかだ。

「桜魔であり、人間を何人も殺したお前が俺たちを裏切る可能性がゼロじゃないことは俺たちもわかっている」

「だからいざ裏切られたとしても落ち着いて行動できる、俺のことなんか問題にもしていないと?」

「いや、逆だ。お前が本当に裏切ったりなんかしたら、神刃は顔を真っ赤にして怒り狂い、お嬢は問答無用で殺しにかかり、俺はとりあえず殴る。俺たちを裏切るなんてと、全力で詰り、非難する。――それが、仲間ってもんだろう?」

「……」

 鵠はふっと口元に不敵な笑みを浮かべ、真っ直ぐに桃浪を見据えた。

「お前こそ俺たちを見くびるなよ、桃浪」

「……あーあーあー、これだから、勇者様って奴は」

 桃浪は如何にも伊達男らしい仕草で髪をかきあげる。

「わーったよ。そこまで言われちゃ、いくら俺だって戦いの最中にお前らを後ろから撃つなんてできやしねぇ」

「やれるもんならやってみろ。百倍にして返してやる」

「しかもわんわん泣きながらだろう? 最強の退魔師にそこまで頼りにされちゃ、いくら俺でも半端な真似はできねーぜ」

「オイ待て。誰が泣くと言った」

「まったくもう、お前ら俺を愛しまくってるなぁ」

「意図的に人の言葉を変えてるんじゃない!」

 桃浪が鵠の言葉を茶化しにかかったことで、一瞬の真剣な駆け引きはあっという間に崩れて日常が戻ってくる。

「鵠たち、何か騒がしくないか」

「本当だ。何話しているんだろう?」

 わーわーと喚き合う大の男二人を、少年二人が不思議そうに振り返っている。

「気にしないでください。じゃれ合っているだけですから」

「こんな奴と誰がじゃれ合うか!」

 自分たちの未来に待ち受けるものをまだ知らぬ一行は、騒がしさを抱えたまま無事に王都へと戻った。


 ◆◆◆◆◆


 そして数日後、鵠たち一行は朱櫻国王・蒼司に呼び出された。

「皆さん、連日の訓練お疲れ様です。あなた方のおかげで、退魔師協会の者たちもこれまで以上に鍛錬に身が入るようになったとのことです」

「そこまでは俺たちも知らんぞ。あいつらが真面目だったってだけの話だろ?」

「ふふ。そうですね。みんな、この国を……いいえ、この大陸を守りたい気持ちは一緒なのでしょう」

 蒼司は深く頭を下げる。

 国王たる者はそう簡単に頭を下げてはならないと他者は言う。だが今、大陸は滅亡の危機に瀕していて、王の権力もどこまで通用するか定かではないご時世だ。

 これは自分の気持ちの問題なのだと蒼司は言う。

 けれど今日彼らが呼びだされた理由に関しては、もはや気持ちの問題では済まないことだった。

「あなた方の存在を、大陸を救う勇者として発表したいと思うのです」

「!」

 鵠は目を瞠る。一方、こうした話題に動揺しそうな神刃の方は今日は落ち着いている。朱莉はいつもの訳知り顔だ。この二人には先に話を通してあったに違いない。

「蒼司王。俺は――」

「鵠さんの事情を、根掘り葉掘り聞き出してそれをさらけ出すつもりはありません。ただ、この大陸を救う勇者という存在がいること、それがかつて花栄国で最強と謳われた退魔師であることだけでも、皆に伝えたいと思うのです」

「個人名を出すのではなく、『勇者がついに動き出した』という噂だけ公的に流布したいのだそうですわ」

 朱莉が口を添える。

「……なるほどな。世論を操作する策の一環て訳か」

「はい。ここ最近、桜魔たちの首都への襲撃も激しくなって、人々の不安が高まってきています。怯える民の心を安心させるためにも、『勇者』の存在を印象付けたいのです」

 鵠は目を細める。

「……で、その後見に朱櫻国王がいることも民に喧伝するのか。桜魔王を倒す人間は、朱櫻国王のお抱え戦士だと。今、瞬郷に襲撃が増えているのはそのためだと。民衆の不満逸らしと手櫻国の存在感誇示を同時にやりたい訳だ」

「く、鵠さん……」

 基本的には鵠の指示に従う意志を示しながらも、神刃は弟であり国王という難しい立場に置かれている蒼司のことも心配している。

 鵠と蒼司の間で板挟みになっておろおろしている神刃の顔を眺めながら、鵠は長い溜息を吐いた。

「ま、いいぜ。それでも」

「え?」

「本当ですか?!」

「ああ。別に名指しで『天望鵠が桜魔王を倒す!』なんて宣伝してるわけじゃないんだろう?」

「ええ。名を出すつもりはないんです。それに鵠殿には申し訳ありませんが、万が一天望という苗字を聞かれても現在この国で天望と言えば葦切殿もおりますし」

「あえて特定させないまま、ただ『勇者』は確実にいると訴えたいわけだな。わかった。好きにしろ。これも朱櫻国の御大尽方が、俺が桜魔王を倒せそうだとある程度の勝算を見込んだからの決定だろうしな」

「……はい。申し訳ありません」

「何度も謝るな。別に俺は気分を害した訳じゃないぞ? ただ、こっちにも複雑な事情の奴がいるからな。あまり突っ込まれるとまずいだろう」

「はい。そのことについては、僕や彩軌も理解しております」

「頼んだぞ。それさえ気を付けてもらえるなら、俺は別に構わん」

「ありがとうございます。……僕は、あなた方が必ず桜魔王を倒せると信じておりますので」

「ああ。その日まで精々援助を頼むぜ、国王様」

 鵠の皮肉な言葉にもしょげる様子はまるでなく、蒼司はむしろその意図を理解すると、国王としてその年頃の少年として無邪気に笑った。

「その日までと言わず、無事桜魔王を倒した暁には国王として最大限の褒章……願いを叶えると約束いたしますよ。だから、無事に行って帰ってきてください」

「……そんなの、当たり前だ」

 五人は蒼司の前を辞した。

 宮殿内を歩きながら、なんとはなしに口を開く。

「何というか、負けられない戦いになったな」

「俺はちょっとわくわくしてきたぜ。何せ桜魔が桜魔王を倒してご褒美をもらうなんて考えたこともなかったからな」

「気を抜くなよ、お前たちも」

「「もちろん」」

 朱莉と神刃が頷き、蚕と桃浪が言葉を合わせる。


「――やるぞ、神刃」

「はい!」


..051


 『勇者』の存在は、速やかに朱櫻国中を噂として駆け回った。公式の発表を手に入れる機会のある王都以外では半信半疑と言った調子だったが、桜魔王を倒す希望の星がついに現れたという朗報は人々の心を絶望の淵から救い上げる。

 瞬郷は再び活気を取戻し、桜魔たちはそれを怪訝に思った。そして彼らも朱櫻国の動向に調査を入れ、その噂を知ったのだった。

「勇者様だってぇ~」

 夢見と祓の二人が、王都に潜入して手に入れてきた噂を聞いて桜魔王の側近たちは目を丸くする。

「陛下、これは一体――」

「どうもこうも、鵠というあの男だろう? 王国側が本腰を入れてあの男を大陸の救世主に仕立て上げることにしたんだ」

 元より自分に立ち向かってくる人間の退魔師を「勇者」と呼んでいた桜魔王・朔にとっては、今更のその報せに何の感慨も湧き起こらなかった。

「朔様、これからどうなさいます?」

 夬が尋ねて来る。

「そうだな……」

 桜魔王は――朔は、考える。

 ここ数日彼を悩ませるあらゆる問題のことを。顔の見えない母の夢、鵠の存在、葦切の言葉、死んだ載陽。

 祓は、殺された載陽の仇を取りたいと言った。自分はそれに、人間を滅ぼせばいいと答えた。

 そう、滅ぼしてしまえばもうあんな連中に煩わされることもない。

 鵠が勇者であるならば、こちらが何もせずともここまで赴いて「桜魔王」との戦いを求めるだろう。

 だがそれまで何もせず待ち構えるより、こちらが打って出るという案もある。

 それを望む者もいる。

 早花が祓に問いかけているのを聞く。

「祓、その勇者たちの戦力について詳細な情報は調べられなかったのか?」

「いいえ。そこまでは政府も発表していないようです。一応王都の中心部では公式に勇者の存在が認められましたが、鵠の名前自体民衆には明かされていません。王都から離れた地域になると、そもそも公式発表自体まことしやかな噂扱いで」

「それもそうか。手札を一々明かしてくれる程、人間たちも愚かではないか……」

 載陽の戦力が減ったことで、今、彼らの力は衰えている。

 自分の意志ではただ揺蕩うことしかできない配下の下位桜魔たちはともかく、人間の退魔師に対抗できるような、人型の高位桜魔が不足している。

 それでも朔は桜魔王だ。桜魔を導き、人間を滅ぼすのが役目だと載陽は言った。

 それが桜魔という妖の本懐だと――。

 きゃらきゃらと甲高い声が、朔の物思いに急に割り込んでくる。

「ねーぇ、桜魔王様ぁ」

「なんだ、夢見」

 載陽を失って意気消沈していた祓とは違い、以前とまったく変わらぬ様子の夢見だ。夬でさえもう一人立ちして随分経つとはいえ師が殺されたことに僅かに動揺していたというのに、彼女には祓や夬のような載陽への思い入れは絶無らしい。

「いつ、人間を滅ぼしますぅ?」

「……」

「夢見、貴様……」

 早花と夬が呆れた目を向ける。

「今、朱櫻国で人間たちが勇者擁立の報に沸き立っていると聞いたばかりなんですけどね……」

 これまでも退魔師たちに阻まれていると言うのに、人間側の士気が上がっている今突っ込んでも上手く行くまい。

 否。

「それも一理あるか……」

「陛下?」

 夢見の提案を斟酌し直して、朔は自らの考えを配下たちに告げる。

「人間共は勇者の存在に沸き立ち士気を上げている……その希望に、水を差してやったらどうだ?」

 一度高揚した分、希望が打ち砕かれた時は落胆も大きいに違いない。

「失礼ながら陛下、申し上げます。それは、我らの襲撃が成功すればという話です」

「そうだな」

 側近としては載陽を失い戦力低下が著しいこの面子で、そんなことができるのかと。

 慎重派の夬の言葉に朔も頷くが、意志を変えるわけではない。

 そしてあえて、この場では確実に頷くであろう人物に話を振る。

「祓」

「……」

「お前はどうだ?」

 載陽の仇をとりたい祓は、人間に対し強い恨みを抱いている。

「……私はできるのであれば、一人でも多くの人間を殺したい。襲撃作戦への参加を希望します」

「祓!」

 後先を考えない祓の自暴自棄な発言に、早花や夬が心配と非難の籠った目を向ける。

「まぁ、そうだろうな。早花、夬。俺の意見にもう一つ付け加えるのであれば、今ここで襲撃を仕掛けておかなければ、いざ勇者とされる鵠たちが万全の力を蓄えてやって来た時に勝てるかどうかという問題がある」

 後がないのは人間側か、それとも桜魔側か。

「それは……」

「人間たちが勇者の存在に希望を見出せば国王に協力したいと申し出る勢力は増えるだろう。一方の俺たちはどうだ? 今更桜魔王の存在に付くような高位桜魔がどれだけいる? 載陽が死んだ今、これ以上戦力を増やすのは難しい」

 珍しく饒舌な桜魔王の言葉に、彼を諌めるべき側近二人も心を動かされていた。彼の言うことにも確かに一理ある。

「桜魔なんてみんな身勝手だよぉ。自分のやりたいことしかやらないのぉ。載陽様、私たち以外にもいーっぱい、声かけたのにぃ」

「我ら以外の高位桜魔は、桜魔王の下に団結するべきという載陽様の言葉に、聞く耳を持ちませんでした」

「まぁ、そうだろうな」

 あっさりと頷く朔とは対照的に、早花と夬が複雑な表情になる。

 それも朔自身の身から出た錆と言えばそれまでだ。これまで桜魔王らしいことをまったくしてこなかった朔に対し、いきなり自分が桜魔王だから従えと言われてすぐに頭を垂れる実力者などいない。

 勝って勢力を増やし、人類を滅ぼすか?

 負けてこのまま勇者に殺され、配下の桜魔ごと滅びるか?

 人に危害を加えぬ雑魚桜魔と違い、桜魔王はその立場故に人々の憎悪と怨嗟を一身に集める存在だ。

 朔が王であった期間は短く、実質的に彼の父王がほとんどの支配を行っていたとしても。

 息子は、父親と同じ立場に下される評価からは逃れられない。その辺りは人間側の事情も同じだ。緋閃王の息子である現在の朱櫻国王が苦労するように、桜魔間でも親子問題は存在するらしい。

 だから、もしもこのまま桜魔王が人類に負けた時彼ばかりはその死から免れることはない。

 先日神刃と葦切に助けられどこか遠い山奥に隠れ暮らすことを選んだ力ない一桜魔たちとは違い、桜魔王は人間たちの憎悪の矛先から逃れることは叶わないのだ。

 ならば徹底的に抗い、戦うのも一興。

「夢見はぁ、桜魔王様の作戦に賛成ぃ」

 戦うことだけを快楽とする狂気の淵にいる女は、きゃらきゃらと楽しそうに賛意を告げる。

「私もです」

 祓も先程意志を示した。早花と夬はまだ渋い顔をしているが、朔が本気で実行するのであれば刃向かうことはない。

「どうせ遅かれ早かれ奴らとはぶつかるんだ。今のうちに派手にやろう」

 朔は桜魔王として、朱櫻国王都瞬郷への、大規模襲撃作戦を指示した。



..052


「襲撃です! 桜魔の大群が向かってきます!」

 退魔師協会の一報を受けて、鵠たちはすぐさま動き出した。

「噂の広がる速度というものは早いですからね」

 この状況はある程度予想していたと、魅了者の能力を活かして王都中に配下による警戒網を広げていた朱莉が言う。

「早すぎて桜魔王陛下にまで届いちまったってわけか」

 戦闘狂の桃浪は早くも強敵との戦いに待ち焦がれた顔をしていた。

「向こうは載陽が死んで戦力が低下しているからな。人間たちが盛り上がって戦力増強を声高に叫ぶ前に高揚した士気に水を差しておきたいのだろう」

 その載陽を殺した当人である蚕が冷静に述べた。

「鵠さん」

「大丈夫だ。今はこちらの戦力も十分厚い。雑魚散らしは退魔師協会の連中に任せて、俺たちはいつも通り桜魔王とその側近連中を落とすぞ」

「……了解です!」

 彼らにとっても今しかない。大分年季の入っていた載陽がいなくなり、桜魔王側の戦力が一時的に低下した今しか。討伐まで何年も時間をかけて長期戦になれば、桜魔側も戦力を増強するかもしれない。だから彼らの準備が整わぬうちに、できるだけ高位桜魔の戦力を削りたい。

「見えましたわよ!」

 雲霞のように迫りくる、桜魔の黒い群れが彼らにも目視できるようになってきた。

「うわ! 大群様じゃねぇか!」

「これは……」

「向こうも本気ってことか」

 空を埋めつくす大群に、鵠たちは顔を顰める。

「鵠さん、あれ!」

「ああ、やっぱりいたな」

 もはや姿を隠すことなく堂々と、桜魔王朔の姿が群れの中心に在る。

「でも、この雑魚の群れはどうします。私のしもべたちを――」

「その必要はありません」

 涼やかな声と共に、葦切が退魔師協会の退魔師たちを引きつれてやってきた。

「蝶々! 兵破さん!」

「来たわよ! 朱莉!」

「お嬢たち足速過ぎだぜ! 戦う前から疲れちまうだろーが!」

 軽口を叩いた兵破が、次には胸を叩いて、周囲の露払いを引き受ける。

「あの雑魚共は俺らに任せな。高位桜魔に対抗できるのなんて、お前さんたちだけだろ?」

「兵破」

「頼んだぜ、鵠」

 兵破たち退魔師協会の人間には、桃浪や蚕の存在などまだ黙っていることが幾つもある。

 けれど幾度かの共闘で、彼らも鵠たちの実力を信用してくれている。

「ああ、そっちも頼んだぜ! あんたたちがいてくれるなら、街に被害を出さずに済む!」

「当然だ!」

 後方の心配は必要ない。

 鵠たちはただ、桜魔王やその側近たちとの戦いに集中すればいい。

 桜魔たちの方も迎え撃つ退魔師たちの姿に気づき、俄かに散開して陣形を築く。

「ならば行くか」

「おうよ!」

 蚕と桃浪がまずは飛び出して、桜魔王の側近である高位桜魔たちを足止めする。

 雑魚は退魔師協会に任せるが、一撃で周囲に広範な影響を及ぼす技を持っているようなこの高位桜魔たちを王都に入れる訳にはいかない。

「桃浪ぉー、ひっさしぶりぃ」

「よぉ、夢見!」

 戦闘狂の女と戦闘狂の男は、まるで引き裂かれた恋人同士の再会かと言うように、一目散に相手へと向かって行く。

 二人が交わすのは熱い抱擁などではない。桃浪は刀を振るい、夢見はそれを受け止めて即座に反撃に転じる。

「今日こそ決着をつけてやるぜ!」

「こっちの台詞だよぉ」

 爛々と輝く獣の目をした桃浪と、名の通り夢見るような口調の夢見が交戦を開始した。

「私はお前に手合わせ願おう」

 蚕は夬へと向かって行った。

「やはりこうなりますか。師を殺すほどの凄腕の相手をしたくはないんですが……」

 いかにも文官風の雰囲気をした夬は、幼げな見た目に似合わぬ実力を持つ蚕のことをここ最近の戦いで嫌と言う程知っている。元々本人の資質とは裏腹に戦うのが好きではなかった夬は、桜魔王の側近としても早花と違いそれ程戦闘において前に出る性格ではなかった。

「相手をしたくない? それは興味深いな」

 本人が望む性質と才能が時には噛み合わないこともある。

「お前は載陽より強い。私を前にして不利という訳でもないだろう? なぁ、載陽の一番弟子・夬よ」

「……!」

 蚕は彼の師の名を持ちだして、まずはと揺さぶりからかけはじめる。

 そして載陽のことで蚕に恨みを抱いていると言えば、この少年である。

「載陽様の仇……!」

 だが、祓の攻撃は全て無数の霊符に防がれた。

「やらせませんわ」

「邪魔立てを……!」

 蚕の相手は夬、祓の相手は朱莉。これはあらかじめ決めていた組み合わせだ。

 蚕は打ち合わせの通りまっすぐ夬へと向かって行った。だから朱莉も自分の役目を果たさねばならない。この少年姿の桜魔をなんとか抑え込む。

「貴様もあの子どもの仲間、生かしてはおかない!」

「できるものなら、やってみなさい!」

 桜魔が仲間を殺されて人間を恨む、その姿を滑稽だと笑えないまま、朱莉は祓との戦闘に入った。

「またお前か……まぁ、そんな気はしていたが」

「……」

 神刃は小太刀を手にして、うんざりとした口調の早花の前に飛び出す。他の面々もそれぞれ一対一の相手の前に配置についた。朱莉は蚕を狙う祓を的確に押さえてくれている。

 だから神刃も役割を果たす。

 桜魔王の側近として、辻斬り事件の頃から存在感を示す女桜魔、早花。彼女は桃浪にも負けない剣の腕の持ち主である。

 正面からまともにやり合うのは確かにきつい。だが戦いの相性を考えれば、神刃が彼女を足止めするのが一番いい。

「鵠さんの戦いの邪魔はさせません」

「奇遇だな。私も陛下の邪魔をさせたくはない」

 激することも取り乱すこともなく、早花はただ静かに言って剣を抜く。

 早花が桜魔王の一の側近であるならば、人間側で鵠の最も傍にいるべき人間は神刃だ。

 だからこうなることは、必然だったのかもしれない。

「どちらの想いが強いものか、この剣にかけて試してみるか?」

 桜魔王の右腕と呼ばれる桜魔は不敵な笑みを浮かべた。

 そして、場は整えられる。

「お膳立ては充分だな」

「ああ。……どいつもよくやってくれている」

 雑魚桜魔は王都に入る前に倒し尽くそうと退魔師協会が抑え、鵠の仲間たちはそれぞれ高位桜魔たちを一人で抑えている。

 それもこれも全ては、この戦いを成立させるためだ。

「お前との付き合いもいい加減もう長くなっちまったな」

「まったくだぜ。別に好きでそうしたわけでもないってのに」

 朔が顔を顰める。打てば響くように返る答は妙に気の合うものだが、それで心を許すわけにもいかない。

 彼にどんな事情があろうと、人を苦しめ大陸を滅ぼそうとしている桜魔王に変わりはないのだから。

「そろそろ終わらせようぜ。全てを」

「望むところだ」

 戦いが始まる。


..053


 鵠は桜魔王と向き合う。これで二度目の対戦だ。

 相変わらず桜魔王と鵠の実力は拮抗している。

 しかし今回は退魔師協会に後背を任せていられる分、人質の奪還が最優先だった前回よりも戦いに専念できた。

 神刃も腕を上げて、早花相手に優勢とは行かないが互角に近い勝負をしているようだ。

 だから鵠も、目の前の敵に集中する。

 鵠が“桜魔王”を倒さねば、桜魔ヶ刻は終わらないのだ。

「お前に恨みはないんだが」

 目まぐるしい攻防の間、両者が一度仕切り直しと言わんばかりに距離を取った瞬間、思わず言葉が零れる。

「この大陸に平和を取り戻すため、死んでもらう」

「そうは行かない」

 飛び込んできた鵠の拳を避けて桜魔王は蹴りを繰り出す。だがそれも避けられる。今までも大体、実力が拮抗して演武のようなこの繰り返しだった。

 だが二人に宿る殺意だけは本物。

「俺たち桜魔だって、お前らに殺されることに何も感じないと思うのか? 人間は勝手だな。自分の都合で生み出して、自分の都合で捨てていく」

 大陸に死と滅びをもたらしたのは緋閃王。

 戦火に包まれた大陸、その大地に満ちた嘆きが瘴気と結びついて、桜魔の数を爆発的に増やした。

 その桜魔とて、死者の怨念を取り込んで妖としての生を得て、また再び退魔師に殺される存在。

「……!」

 桜魔王の言葉に思わず反応してできた鵠の隙を、相手は性格に狙いつける。

 だが一撃はもらわない。鵠はぎりぎりで、桜魔王の拳を躱した。奥の手の妖力波をも躱しきる。

 むしろ仕掛けてきた桜魔王の懐に飛び込んでその胸元に一打を入れようとしたが、踏み込みが浅かったか、あっさりと躱されてしまう。

「油断も隙もないな」

「こっちの台詞だ」

 両者は再び睨み合う。

 どちらが動くかと睨み合うその合間に、鵠は口を開く。

「俺は、正義の味方なんかじゃない」

 ぴくりと朔が反応する。

「最近になってこそ勇者と呼ばれてはいるが、それも国王の政治的な思惑上のことだ。俺自身はいつだって無様でちっぽけな、ただの人間だよ」

「何が言いたい」

「――だから、お前を殺すのに、大層な正義も使命も掲げないってことだ」

 生き物の命を奪うのは酷いことだ。

 そんなの子どもだって知っている。知っていると思っていた。それを、この時代多くの人類が見失っている。

 その最たる人間が自分なのだろうと鵠は思う。

 世界のためと理由をつけて、自分は自分のために彼を殺すのだ。

 どちらが悪役かわからない台詞を吐き、鵠は本気で桜魔王に仕掛ける。

 もう余計な口は叩かない。ただ全力を叩きこむだけだ。


 ◆◆◆◆◆


 神刃はこれまでの鍛錬における自身の成長を感じていた。

 早花と剣を交えるのはこれが初めてではないが、以前より格段に剣の技能が上がっている。

 これならいける。そう思う気持ちを一方で押し殺す。まだだ。慢心してはならない。前回は自分の力が足りないせいで、鵠に大怪我をさせてしまった。

 生真面目な早花だからこそ顔には出さないが、神刃の上達は感じ取っているはずだ。以前より更に剣先は鋭く、それでも神刃は彼女の攻撃をしっかりと見切っている。彼女の焦燥を神刃は感じ取る。

 あとは誰かが均衡を崩せば。

 状況は一気に動くはず――!

 その機会は、ついにやってきた。

「祓!」

 やはりどこも一番の若者……と言うには、退魔師側は蚕の存在が異質なのだが、鵠たちにとって神刃が一番の弱味であるように、桜魔王側にとっても祓の存在が弱点となるようだった。

 朱莉の霊符、そして彼女の配下たる桜魔たちの特殊能力に押されて、祓がかなりの傷を受けている。ぼたぼたと地面に落ちる血が片っ端から桜の花となって消え、見た目は人間の少年に見える彼もやはり桜魔なのだと感じさせた。

 祓の援護に入るために、早花が動き出そうとする。それを、神刃は小太刀から弓に得物を持ちかえて邪魔をした。

「貴様……!」

 ここで祓を落とせれば、一気に形勢が楽になる。しかし。

「桃浪?!」

 爆発音が響く。音の発信源は、夢見と桃浪が戦っていた場所だ。

「そんな奥の手を隠し持っていたとはね」

 桃浪がかなりの手傷を負っているのを、神刃は初めて見た。

 戦いの均衡は崩れたが、どちらが有利になったとも言い難い。その判断をするのは、神刃等よりも余程桜魔側の方が早かったらしい。

「やれやれ。今回はこんなところだな」

 桜魔王が鵠を振り切り、傷ついた祓に手を貸していた。

 一方こちらは蚕が夢見の追撃から庇うように、桃浪と彼女の間に飛び込む。

 退魔師側は鵠と朱莉、桜魔側は夬がそれぞれ別の陣営に加勢して乱戦となる前に、桜魔王は撤退を決めたようだった。

「なんだ、逃げるのか?」

「ああ、そうするよ。やはり準備もなしに仕掛けるのは無謀だったか」

 とはいえ今回の成果に対しまったく気にも留めていない様子で、桜魔王は祓を抱き上げたまま宙を駆けてこの場を去ろうとする。

「待て!」

 鵠の制止を聞くはずもない。

「朱の森で待っている。決着をつける覚悟ができたらやって来い」

 魔王らしくそう言い置いて、桜魔王は去っていった。


 ◆◆◆◆◆


「勇者の名に相応しいご活躍でしたね」

 王宮で蒼司から一頻り労いの言葉をかけられ、街の被害状況を聞く。

「住民の被害が少なくて良かった。退魔師協会の皆さんのおかげですね」

「なに、あんたたちが桜魔王を抑えてくれたおかげさ」

 今回はこれまでにない大規模の襲撃だったにも関わらず、朱櫻国側の被害は最低限に抑えられたという。

 もちろん誰もが無傷とは行かなかったらしいが、今までの死者の数に比べたら今回は桜魔の被害とも思えぬ状況らしい。

「重軽傷者は出ましたが、今のところ死者が出たという報告はありません。あなた方のおかげです。国王として、深く感謝いたします」

 鵠たち五人と、退魔師協会から派遣された面々はその言葉を聞いてようやく緊張を解く。

「特に住民の救援に関しては、葦切殿の御活躍が大きいと伺っていますが」

「雑用に回った結果、人々の救援に私の力が役立っただけです。真に桜魔王を倒す花形の役割は他に譲りますよ」

 どこまでも素直に褒め言葉を受け取る気がないのか、葦切はそんな言い方をする。

 戦闘に特化している鵠と違い、様々な術を修めている葦切の力は戦闘以外の局面でも十分に役に立つ。桜魔王の側近が減り、鵠たち五人で完全に高位桜魔と応戦していたためか、今回は襲撃に送り込まれた雑魚の数に比べて被害を少なく抑えることができたのだった。

「市民にも活気が戻っています。これだけの襲撃を受けてこの高揚はここ数年なかったことです」

 蒼司は喜ぶが、鵠には一つ、危惧があった。

「だが、そうなると近いうちに俺たちの方も行動に出ないといけなくなるな」

 士気が高まった分、桜魔王の根拠地に攻め込むまで間が空けば勇者が臆しているととられて民衆の感情が悪化する恐れもある。

「もしかしてあいつらは今回、それを狙ったのでしょうか」

「かもしれないな。桜魔側で追加戦力が確保できるのかはわからないが、本格的な戦闘までの時間を早めたい意図があったのは間違いないだろう」

「ってことは、このまま突っ込んだら桜魔王の意図に乗っちまうことになるのかい?」

 桃浪の疑問に、葦切が淡々と答えた。

「――それも、状況次第でしょう」

「葦切殿」

「鵠殿が勝てそうならさっさと行けばいいし、駄目ならば他に民衆の感情を好転させる情報をまた与えてやればいいのです。桜魔王が倒される日は、遠からず必ずやってくるのですから。――そうでしょう? 鵠殿」

「ああ、その通りだ」

 天望家の再従兄弟同士のやりとりを、周囲は興味深そうに見守っていた。

 隣で不安気にしている神刃の頭をぽんと軽く叩きながら、鵠は頷く。

「俺たちはもう、桜魔王を倒すために戦うだけだ」


..054


 桜魔王を倒すまでと言うことで、ここ最近鵠たちは蒼司の厚意に甘えて王宮に泊まりこんでいる。

 各自が与えられた客室に帰って今後の相談をというところで、神刃が桃浪に尋ねた。

「桃浪、お前……傷は大丈夫なのか?」

「なんだい、坊や心配してくれたのか?」

 今日の戦闘で、桃浪は夢見に負傷させられている。そのことを神刃は酷く気にしていた。

「べ、別にそんなんじゃ」

「その様子で心配していないと言い張るのも苦しいぞ、神刃。仲間なのだから普通に傷の調子ぐらい聞いてもよかろう。で、どうなのだ桃浪」

「はいはい、わかったよ蚕ちゃん。答えればいいんだろう? 傷はあの天望の兄ちゃんに応急処置してもらったおかげで頗る良いよ。最初の処置さえ早ければ俺たちの傷はすぐ治るからな」

 どこで誰が聞いているものかわからないので「桜魔」と言う単語は避けた桃浪だが、その意味は他の面々にも伝わった。

「そうか。ならいい」

「安心したかい? 坊や」

「うるさい」

 なおもからかおうとしてくる桃浪に、神刃は肩を怒らせて先に歩き出す。

「……だが、本当に珍しいな。お前がそう簡単に手傷を負うなんて」

「まったくだぜ。夢見の奴はまるで奇術師だ。次々にどこから何が出て来るかわからなくて面白い」

「おい……大丈夫なのか、お前」

「平気平気。今回は油断したが、次は負けねーよ。奥の手があるのは向こうだけじゃないんだ」

「それならいいが……」

 鵠も与えられた自室に向かうためにそこで別れた。朱莉も。

 そうして廊下には、桃浪と蚕の桜魔二人だけが残される。

「――本当のところはどうなのだ、桃浪」

「まずいな。俺の力じゃ夢見を倒しきれるかどうかわからない」

 桃浪は強い。だが上には上がいることもわかっている。鵠は桃浪を自分と同格に扱うが、桃浪自身は素の実力なら鵠が上だとわかっている。桜魔王と互角に戦えるのがいい証拠だ。華節を瞬殺した桜魔王に、桃浪がまともにやりあって敵うはずはない。

 そしてここにいる蚕も、実力は鵠と似たようなものだ。あるいは、この謎の子ども桜魔こそが、彼らの中で最強なのかもしれない。

「だが、変則的な戦い方をする夢見を止められるのも俺だけだろう」

 桃浪はそれもまた自覚していた。神刃が祓に苦戦し、祓より強いはずの早花相手にならなるように、戦いには型による相性と言うものがある。

 夢見の癖のある戦闘に対抗できるものは、一行の中では桃浪だけだ。

「……そうだな。鵠は桜魔王、神刃は早花、私と朱莉が載陽の弟子である夬と祓の二人を分担するのが一番だ。だが夢見は載陽の弟子と言う言葉には収まりきらない」

「一緒に行動してただけで弟子とも限らないしな」

「それもそうだな。だが桃浪……」

「大丈夫だって」

 桃浪の脳裏を、先日の鵠との会話が過ぎる。

「夢見の奴は、俺が確実に止めてやるからよ」

「……」

 笑う桃浪を、翳りを帯びた表情の蚕が見守る。


 ◆◆◆◆◆


 退魔師たちが桜魔王の襲撃を防ぎきり王都を守ったという朗報に沸く一方、桜魔側には失望の空気が漂っていた。

 根拠地である朱の森の屋敷に戻ってきて開口一番、祓は朔たちに頭を下げて詫びを入れた。

「ま、仕方ないな。負けたのは事実だ」

「すみません、桜魔王陛下……僕が、弱くて……力が足りなかったばっかりに……」

「別に祓は問題ない。あの女が強かっただけだろう」

 やはり載陽と言う戦力を失った痛手は大きいと、桜魔王とその配下たちは改めて実感する。

「こちらは人間の退魔師を相手にするつもりで行ってますけど、よく考えたらあの連中五人中二人しかまともな人間がいませんね」

「二人が桜魔、一人が桜人。手こずる訳だ」

 早花と夬も、これに関しては祓を慰める。彼女たちだって、祓が相手をした朱莉に快勝できるわけではない。

「でもぉ、このままじゃ、次はヤバくなぁい?」

 一方、一番祓と付き合いが長いにも関わらず、ぐさりと太い釘を刺すのが夢見だった。

「祓もぉ、強くなんなきゃ、次はぁ――殺されちゃうよ?」

「!」

 いつにも増して憎たらしい言い方の夢見に、祓本人よりも早花たちの方がうんざりとした顔を向ける。

「夢見、そういう言い方は……」

「いえ。夢見の言っていることは正しいです。僕も、もっと強くならないと」

 祓は涙を拭い、立ち上がる。そして夢見の方へ歩み寄ると言った。

「組手の相手をしてくれ。次に奴らと戦うまでに、もっと強くなっておきたい」

「いいよぉん」

 そうして祓は朔たちに頭を下げると、部屋を出ていく。

 後に残った桜魔王とその側近二人は、何とも言えない顔でそれを見送った。

「祓は大丈夫でしょうか。載陽殿が亡くなってから、動揺しやすく感情の揺れ幅が激しい気がします」

「彼はまだ若いですし、身内も同然の方を喪ったのですから当然でしょう」

「とはいえ、あいつの戦力を外すわけにはいかない。確かにお前たち程の実力はないが、他の配下であれだけの力の持ち主がいるか?」

 祓を気遣う早花や夬とは裏腹に、朔はいっそ冷たい程に、祓という桜魔自身の戦闘能力の価値について言及する。

「それは……」

 早花たちもそれきり何も言えなくなった。確かにまだ未熟さを残すとは言え、今の桜魔王の配下の中で、彼らを除いて祓に次ぐ力の持ち主はいない。

「祓には俺たちと一緒に退魔師共と戦ってもらわねばならない」

「……そうですね」

 今回の敗北で、桜魔王の求心力は更に下がった。

 もはや朔に王としての価値を見出す桜魔自体数が減り、高位桜魔たちは自分の実力があれば王になど謙らなくとも生きていけると言わんばかりに、朱の森に姿を見せる気配すらない。

 最初からわかっていたことだ。

 朔は桜魔王としての行動を自らはほとんど起こさなかった。それでどうして部下の心がついてくると言うのだろう。

 それでいいと思っていた。

 忠誠も崇拝も必要ない。

 戦って勝つことだけが、王としての朔に与えられた役目。

 人類を滅ぼすための桜魔王ならば、誰かに負けたその時点で王としての価値を失う。

 朔が次に鵠に会う時。それは恐らく最後の戦いになる。その時鵠に負けるのであれば、それは朔の死を意味する。

 それでいいと思っている。

「陛下」

 だが、そうは思わない者もいる。

「私は最後まで貴方についていきます」

「私もです」

 二人の側近が手を組み膝を折る。

「……何のつもりだ、お前たち」

 跪いて忠誠を捧げる体勢の早花と夬を見下ろし、朔は静かに問いかけた。

「力ない幼子であった頃の私を、拾って頂いた恩は何にも代えがたい。貴方が行く道を私も共に進みます」

「早花」

「私はお師様の堅苦しいやり方にうんざりしていましたからね……来たいなら来いと言ってくれた朔様に、感謝しておりますよ」

「夬」

「最後までお傍におります」

 それが、『最期』だとわかっていても。

「馬鹿だな、お前たち」

 二人の側近は、これだけは朔の命令だとしても意志を曲げるつもりはまるでないと言い放った。

「桜魔なんて、みんな未練たらしい馬鹿者ですよ。どうせ我々は人間の怨念と呪詛から生まれた存在でしかないのに、生にしがみつき死を厭うなんて」

 滑稽だと朔も思う。でもそれならば、ここに在る感情は一体何なのか。自分が死ぬことはどうでもいい。でも彼らを、この二人を巻き込みたかったわけじゃない。

「馬鹿だな、俺は」

 それでも後戻りは、もうできない。


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