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桜魔ヶ刻  作者: きちょう
第2章 神の刃は黄昏に砥がれる
8/12

8.花は根に鳥は故巣に

..043


 結局桜魔王の屋敷に足を踏み入れることなく、その庭先とも言える森の中で戦闘は始まる。

 鵠は桜魔王へと飛び掛かった。顔を合わせたことは何度かあるが、こうして実際に戦闘を行うのは初めてだ。

 鵠が徒手での格闘を得意とするように、桜魔王も得物を使わない型のようだった。

 しかし技が肉弾戦に限られるわけではなく、隙あらば妖力で作り出した矢や刃、目晦ましの光弾などを仕掛けてくる。

 蚕は載陽と、これで三度目の戦いだ。これだけ剣を交えてもまったく正体の掴めない蚕に、載陽はかなり焦れているようだった。

 桃浪は再び変則的同士で夢見と、他の者たちのことを一切気にせず戦い出していた。

 朱莉は祓の相手をしながら、夬を紅雅に抑えさせている。その周囲は朱莉の配下の桜魔に溢れて、一見どちらが敵か味方かも迷う様子だ。

 神刃は早花に向かって行った。剣を使う早花には、同じく剣を使う神刃の方があるいは霊符使いの朱莉よりも向いているかもしれない。

 鵠は周囲の状況も頭に入れながら、まずは自分の戦いに集中する。

 今自分が戦っているのはこの場で一番強い相手で、この男を倒せば大陸を桜魔の脅威から解放することができる、桜魔にとって無二の王だ。余計なことを考える余裕はない。ここで桜魔王を倒す。

 大陸に戦火をもたらしたのは緋閃王だが、全ての始まりはそれでもやはり桜魔王の存在だと思うのだ。

 桜魔などと言う脅威がなければ、人々は緋閃が殺された時点で彼への恐れを忘れられた。火陵の死は無駄にならず大陸に平和を取り戻せた。

 神刃だってただの少年として生きられただろう。

 それができなかったのは、桜魔王という存在のせいである。

 緋閃の行状まで彼に背負わせるのは責任転嫁かもしれないが、それを差し引いても人を殺してこの大陸を滅びの危機に陥れた妖だ。

 ここで彼を倒す。

 大陸に平和を取り戻す。

 そして人々が再び未来を望むことができるようにするのだ。

 鵠は彼に勝たねばならない。

「はっ!」

 剣もなく弓もなく、ただ相手を殴り、蹴る。そこに洗練も何もない。ただ力と技のぶつかり合いだ。

 仕掛けては躱され、躱しては仕掛けられの攻防を目まぐるしい速さで繰り返す。

 渾身の蹴りを後方に距離をとって躱され、鵠は反射的に舌打ちした。

「さすがに強いな」

「お前もな。伊達に勇者扱いされてはいないか」

 別に鵠は勇者でもなんでもないのだが、桜魔側では王を倒そうと立ち向かってくる者を勇者と呼んでいるらしい。

 再び地を蹴りどちらともなく距離を詰める。

 そう見せかけて鵠は咄嗟に生成した霊力の刃を放つ。

 桜魔王がそれを躱したところで、できた隙に一気に飛び込んだ。

 だがそんな思考は簡単に見抜かれ、あちらからも似たような攻撃がやってくる。

 息を継ぐ暇もない攻防が続く。

 鵠はだんだん焦りを感じ始めてきた。

 桜魔王と自分の力は、単純な戦闘力ではほとんど互角らしい。

 だがその分、長引けば長引くほど桜魔側が有利になる。体力や持久力と言ったものに関しては、人間ではない彼らの方が有利だからだ。

 持久戦に持ち込むのはまずい。短時間で決着をつけねば。

 だが、見事なまでに互角ではそれもままならない。

 桜魔王の力を破るには、膠着状態に陥らないよう、もう一歩踏み込むための手が必要だ。

 考える鵠だったが即座にそんな手が思いつくはずもない。そして何より、彼の思考を、攻防を、咄嗟に中断させるような出来事が起きた。

「神刃!」

 鵠は桜魔王の相手を放り出して、仲間の下へと駆け出した。


 ◆◆◆◆◆


神刃は早花と剣を交えていた。

 ここに来るまでの作戦会議で、朱莉と桃浪から提案されていたのだ。戦う相手を相性の良い相手と換えようと。

 朱莉は魅了者としての能力は強力だが、身体能力は決して高い方ではない。桜人となったことで人間の少女だった頃よりは断然動けているが、その程度だ。

 早花の動きは剣士のものであって、正面からやりあうのはきついのだという。

 一方、前回神刃が相手をしていた祓は、近距離は小刀の二刀流、中距離での手裏剣を使い分ける。距離を取って戦えば霊符使いの朱莉とも勝負になるという。

『頼みましたわよ、神刃様』

 そして確かに、神刃は納得した。剣士としての強さは桁違いだが、早花は祓よりはまだやりやすい。

「なかなかやるな」

 女は冷静に言った。

「祓に負けそうになっていたから、それほどの腕ではないと思っていた」

「……」

 悪かったな、雑魚で。神刃は内心で言い返す。

 早花は桜魔王の側近。強さが全ての桜魔の世界でその位置にいるのであれば、並大抵の相手ではない。

「考えてみればお前の傍には、桃浪がいるんだったな。あの戦闘狂は見込みのない相手には一切構わない。お前を侮る方が愚かだったか。だが」

 早花の一撃が重くなる。

 急に強くなったように感じた。今までは様子見に徹していたということなのか!

 元より人間とは腕力の違う桜魔。その上型の鋭さも剣の速さも、神刃とは比べ物にならない。

 一方的な守勢に回るのはまずいと考えながらも、神刃はだんだん早花の剣に押されていく。反撃を仕掛ける隙はなくなり、早花の攻撃を受け止め、受け流すので精一杯だ。

 このままではまずい。

「その程度の腕では私には通じない」

 神刃がなんとか攻撃を上手く躱したと思ったら、それは罠だった。白刃の軌跡が煌めいて、まったく別の方向から本命の一撃がやってくる。

 早花の剣は、まるで自由自在に動く生き物のようだ。

 永遠にも思えるその一瞬を、蛇に呑まれる蛙のような心地で神刃は迎える――。

「神刃!」

 朱い花が、目の前に散った。

 ぱたぱたと軽い音を立てて、その花が――桜魔のそれと違って消えることのない血の雫が、神刃の頬にも散っていく。

「鵠さん?!」

 咄嗟に二人の間に飛び込んできた鵠が、早花の攻撃から神刃を庇ったのだった。


 ◆◆◆◆◆


「鵠!」

「鵠様?!」

 身に纏う霊力が弱まったために、鵠の負傷はすぐに他の者たちも気づいた。蚕と朱莉が名を呼ぶが、少し離れた場所にいる鵠に届いている様子はない。

「ちっ!」

 蚕は目の前の敵だけでなく、桜魔王の方にも糸での攻撃を放った。今鵠を追わせるわけには行かない。

 朱莉も同じ考えのようで、配下の桜魔たちの一部を朔へとけしかけていた。可愛そうなことに魅了者の支配下とされた下位桜魔たちは、彼らの王の力に抗えるはずもなく羽虫のように燃やし尽くされていく。

 桃浪も状況に気づいてはいるようだが、彼は動けない。この中で一番どう動くかわからない夢見の相手を放り出すわけにはいかない。

「勇者は敗れ去ったようだな」

「いーや、まだわからんぞ。あいつは結構しぶといからな」

 傷の状態をしっかり見たわけではないが、鵠の霊力はまだ消えてはいない。日々の鍛錬で、鵠の打たれ強さは蚕も知っている。

 挑発してくる載陽に笑顔で返し、蚕はお返しとばかりに反撃の手を強める。

「ぐっ!」

「お前こそ、他人の心配をしている場合か? 載陽」

「貴様は、一体何者だ……!」

 すでに投げかけた問いを載陽はもう一度繰り返す。

 彼とのやり取りでは、記憶に欠落のある蚕もそれなりに色々な情報を得た。だがこれ以上は限界だ。他の者の手が空かない以上、早く載陽を倒して朔と早花を足止めしないと鵠が殺されてしまう。

 蚕は早花にも糸を放った。攻撃としては大したことはないが、とにかく鵠と神刃の元へ行くのを邪魔してやる。

 桜魔王が早花に指示を出す。負傷した鵠よりもこちらを先に仕留めるべきだと指示を出しているのが聞こえた。

 これは好都合だと、わざわざ引きつけなくてもこちらに来てくれそうな二人の会話に耳を澄ませている中、突然載陽のその声は蚕の耳に飛び込んできた。


「ふん、桜魔王を倒すなどと! 貴様もはや、自分が次の桜魔王になるつもりではあるまいな!」

「え……」


 その瞬間、普段は奥底に沈んでいたあらゆる情報が蚕の脳裏を駆け巡った。


..044


「うふふふふふ。お仲間が大変みたいよぉ?」

 桃浪は夢見と戦いを続けていた。

 鵠が神刃を庇って傷を負ったらしいのはちらりと目に入ったが、駆けつける余裕はない。

「そうみたいだな! あいつも苦労するねぇ!」

 無駄にくるくると回転している夢見の、無駄ではない回転をかけた蹴りが飛んでくる。それを上手く避けて、桃浪は斬りかかった。

 夢見は肉体の一部を鋼のように硬化させる能力があるらしく、黒く変色・変形した腕で桃浪の剣を受け止める。ぎりぎりと競り合いながら、また囁く。

「行かなくていいのぉ?」

「大丈夫だぜ。あいつはこのぐらいで死ぬようなタマじゃないし」

 桃浪は刀身で相手の身体を押しやるようにして、一旦距離をとるとまた剣を構えなおした。

「それとも行かせてくれるのかい? お前さんが死ねば、俺もあいつらの加勢に行ける」

 夢見をどうにかせねば、桃浪は動けない。

 けれど、向こうは今のところまだ余裕がある。中距離攻撃手段を有する蚕と朱莉がすかさず桜魔王と早花に攻撃を仕掛けて、鵠への追撃を防いだからだ。

「駄目だよぉ。ちゃんとあんたを足止めしなさいって、載陽様に命じられてるからぁ」

「そうかい。お前さんの従う相手はあくまでも桜魔王でなく、載陽のおっさんの方なんだな」

 桜魔王の統率力が欠けている現在、桜魔たちは頭領を据えた何人かの集団を形成して動いていることが多い。桃浪の主が華節であったように、夢見の主もまた載陽なのだ。

 しかし、桃浪と夢見の主に対する認識や感情は大きく違うようだ。

 桃浪の言葉にくすくすと笑いながら返す夢見は、不思議なことを口にする。

「でも、それも、もうあと少しのことかもねぇ?」

「何……?」

 その不穏な響きに、これまで余裕の笑みを崩さなかった桃浪も僅かに眉を顰めて訝しむ。

 思わせぶりな言葉を吐く夢見の視線の先には、いまだ蚕と戦い続ける載陽の姿があった。


 ◆◆◆◆◆


「鵠さん……!」

 肩から胸にかけて焼け付くような痛みが走る。咄嗟に霊力の防御を集中し、何とか致命傷だけは避けた。

 だが、溢れ出る血は止まらない。黒い服の胸元を更に深淵な色に染め抜いていく。

「鵠!」

「鵠様?!」

 蚕と朱莉の声がして、次の瞬間彼らの攻撃が早花と桜魔王を襲うのを見た。今追撃を受ければ鵠は死ぬ。その最悪の結果を二人が防いでくれたのだ。

 今のうちに止血をして、戦いに復帰せねば。

 ただでさえ人数的に厳しいのだ。一人でも欠けたら勝つどころか、逃げることすらできない。

「く、鵠さん……」

「大、丈夫だ……神刃、お前は戦いに……」

 彼を追ってやってきた神刃に対し、戻れ、と言うのを鵠は止めた。

 神刃が鵠の傷を止血する応急処置の手際は良い。退魔師は戦闘中の負傷が当たり前だ。ここまでの深手は珍しくとも、浅い傷の手当なら頻繁にするために応急処置に慣れている。

 だが、その手際の良さとは裏腹に、神刃の瞳からは大粒の涙がいくつも滑り落ちていた。

「ご、ごめんなさい……鵠さ……俺が、俺のせいで……!」

 ああ、やってしまったと鵠は思った。

 葦切に庇われた彼が自分の身代わりになったことで、神刃が落ち込んでいたことはわかっていたのに。

 蚕に諭されて鵠の方では少し心の内が変化したのだが、あの後は夜明けまで間もなく結局神刃と話をする時間はとれなかった。

 火陵が緋閃王を殺したのか。それとも神刃が父親を殺したのか? 食い違う過去。そこに潜む、誰にも言えない神刃の痛み。

 何とかしてやりたいところだが、鵠に過去を変える神のような力はない。だから今が大事なのだ。

 自分はまた、選択を間違えたのか?

 桜魔を殺して死に向かう母の背を見送った時のように、後悔を――。

「いや……」

「鵠さん?」

 鵠は唇を震わせながら、傍らの神刃と視線を合わせて小さく呟いた。

「死なない」

「!」

「大丈夫だ……俺は、死なない……お前も死なせない」

 今も傷はズキズキと痛みを響かせるけれど、命に別状はない。死にはしない。絶対に。

 死ねない。

 誰かを助けて死ぬなんて、そんな結末は鵠だって望まないのだ。

 共に生きるそのために共に戦う。

 初めはただそれだけだった。そして今もそれを変える必要なんてない。

「望んで助けたんだ……お前を……俺が……俺の、意志で……お前のせいじゃない」

 お前のせいじゃない。だけど、お前のためだと。

 自分のせいだなんて、落ち込ませるために助けたんじゃない。

 鵠も。そしてきっと――火陵も。

「ここで……立ち止まるな……戦え、俺も戦う……!」

 鵠に神刃が戦いを促して今この時間がある。だから今度は、鵠が神刃にそれを言う。

 そのための、桜魔王を共に倒す仲間ではないかと。

「……!」

 神刃は鵠の言葉にハッと目を瞠り、蚕にかけられた言葉をも思い出した。

 ――全ての時、全ての者が最高の実力で最善の結果など出せない。だからこそ我々はお互いの不足を少しでも補うために仲間と組み、過去ではなく未来のために戦うのだ。

 過去は変えられない。

 だがまだ未来はいくらでも作れる。生きているのだから。そのために助けたのだから。

「神刃、お前にしか、できないことを……」

「鵠殿!」

 小さな叫び――そうとしか言えない声が割って入り、鵠と神刃は視線を向けた。

「葦切さん!」

 神刃は彼が無事であったことに安堵の表情を見せたが、葦切自身は鵠の怪我に目を落とし険しい顔をする。

「……まだ生きていますよね? 気休め程度ですが、治療を施します」

 多才で評判の天望家当主は、治癒術まで使えるらしい。

 何故ここにいるのか、詳しい話を聞きたいがそんな時間の余裕はないようだ。

 遠くで爆音が響いた。

 こちらに救援の手を回したせいで、蚕と朱莉が苦戦しているらしい。桃浪も夢見の相手を放ることはできない。

「行け……神刃」

「――はい。俺、やります!」

 鵠は神刃に声をかける。神刃も力強く頷いて応えた。

「すみません葦切さん、鵠さんを頼みます!」

「どうぞ。私も後で加勢しますから」

 淡々と言う葦切の冷静さもあってか、神刃は彼本来の力と役割を取り戻したようだ。

 蚕の攻撃と朱莉が差し向けた下位桜魔を捌いていた早花の相手に飛び込んで行く。

 蚕、朱莉、紅雅、そして神刃が加わった四人は、載陽、祓、夬、早花、桜魔王と向かい合う。お互いを支援しあえるよう、密集して交戦し始めた。

 戦況を確認しようとした鵠の肩口に傷の痛みが走る。

「じっとしていてください」

 葦切の治癒術は、ゆっくりと、しかし確実に鵠の傷を塞いでいった。

 血に染まった衣服の隙間から覗く肌は肉芽に覆われつるりとしている。

「完全に治したわけではないので、無茶は利きませんよ」

「葦切……あんたどうしてここに。拘束されてなかったのか?」

「しっかりされていました。霊力を封じる枷をつけられて。ここまで来れたのは、助けられたからですよ」

「助けられた?」

「ええ」

 こんな桜魔しかいない完全なる敵地で、一体誰に助けられたと言うのか。

「襲撃の際、罠として使われていた桜魔の子ども、覚えていますか?」

 鵠は目を瞬かせた。覚えているが、それが、まさか。

「神刃の奴が逃がしていたな。害はなさそうだから放っていたんだが」

「その親子が枷を外してくれたのです。もともとこのアジトは見張りの数が少ないので、拘束さえ解けば簡単に逃げられる」

 折しも鵠たちが桜魔王と戦い始めたので、他の者に気づかれず抜け出すことができたのだという。

「で、その親子はどうした」

「……行きましたよ。遠い、遠いところへ」

 桜魔王からも、人間たちからも離れたどこか山奥にでも隠れ住むと言っていた。

「そうか。お前は殺さなかったんだな」

 神刃が彼らを助けた時は責めたはずだった。桃浪のような桜魔を仲間にしていることを信じられないと言っていた葦切だ。

「あなた方の甘い流儀に合わせて差し上げただけです」

「そうか。ありがとう」

 傷の手当とそのことと、二重の意味で鵠は礼を言った。

「お前も合流したことだし、そろそろ帰るか」

「そうですね」

 二人の声が重なる。鵠に合わせたのか、今は葦切まで口が悪い。

「「あいつらをぶっ倒して」」


..045


 神刃はまず自分の役割を果たそうと、早花に攻撃を仕掛けた。今度は剣で斬りかかるのではなく、弓で中距離から狙いをつける。

 ただでさえ蚕の糸針と朱莉の霊符を落としていた早花は、さすがにこれで手一杯になる。もう自分からは仕掛けてこない。

 傷を癒した鵠と葦切が後で加勢してくれるはずだ。それまでには、桜魔王と早花、夬、祓、載陽をこちらは蚕と朱莉と神刃で足止めせねばならない。朱莉の使い魔である紅雅も頑張っている。桃浪は夢見と一対一での戦闘中だ。

 剣での戦い、接近戦だとどうしても桜魔側が有利だ。剣技は早花、肉弾戦は桜魔王と載陽の独壇場である。夬は紅雅が何とか押さえ込んでいるが、いくら相性があるとはいえ、中位桜魔である紅雅がいつまで格上である夬の足止めをできることか。

 神刃は今、自分が一番何をするべきなのかを考える。自分にできることと、できないことを。

 接近戦で勝つのが厳しいので、中距離からの援護に徹する。短弓から自在に曲がる霊力の矢を放ち、少しでも相手の動きを止めようとした。

 祓は朱莉の霊符にかなり苦戦している。早花も危なげなく攻撃を捌いてはいるが、反撃をする余裕はない。夬も同等。桜魔王は余裕の表情だが、元々積極的に相手を倒そうという気が薄く見える……。

 こちらにぎりぎりと殺意を向けてきて、厄介な手練れ。

 狙うは載陽だ。

 祓に放ったと見せかけた矢を神刃は直前で載陽の方へ向ける。

 載陽はあっさりと叩き落したが、そのせいで彼の注意が神刃にと向いた。

「鬱陶しい羽虫が……!」

 倒すなら弱い者からが鉄則。まずは貴様からだと神刃に向かってくる載陽の前に、蚕が飛び込んだ。

「羽虫ならどちらかというと私の方だろう? 何せ名前が蚕だからな!」

 孵化する前の幼虫は、にこにこと笑いながら神刃を庇い、載陽の攻撃に対応する。

「蚕!」

「いい攻撃だったぞ神刃! この男の相手は私がする! お前は他の者たちを援護してくれ!」

 朱莉や蚕より射程のある弓で攻撃していた分、神刃は少し皆より離れていた。神刃を狙うために載陽が離れたことで、桜魔側の陣形が崩れた。

 神刃の戦線復帰を機に、再び蚕と載陽の一対一の構図が復活する。

「貴様……図に乗るなよ!」

 謎の少年桜魔にここまで翻弄されてきた載陽の苛立ちはいい加減頂点に達していた。

 それを受ける蚕の表情も、いつもと同じはずなのに、いつもとは違う戦意を纏っていた。

「こちらの台詞だぞ、載陽。あまり舐めてもらっては困る。だって私は……」

 蚕が操るのは自らが生み出した糸と絹。妖力を通すことによってそれは自在に形状を変える。

 ふわりと白い布が広がったかと思えば、次の瞬間それは鉄よりも硬質化し、巨大な刃となって載陽の体を斜めに切断した。

「……ッ!」

 半身を斬りおとされ、落下する胴体。遺された上半身は最期まで呆然と目を見開いて己の死に様を妬きつけていた。

 その上半身も、蚕は片手に生み出した妖力の炎で鮮やかに焼き尽くす。

「桜魔王を倒すために生まれたのだから」

 桜魔王でもない貴様如きに負けはしない。


 ◆◆◆◆◆


「載陽様!」

 祓が悲鳴のように叫ぶ。

「あらあらぁ……載陽様ぁ、殺されちゃったぁ……!」

 悲嘆する少年とは違い、夢見はいつもと変わらない表情で、桃浪との戦いを続けている。

 飛び出していく祓を尻目に、桃浪は夢見に問いかける。

「お前さんは行かなくていいのかい? 大事なご主人様が殺されたっていうのに」

「うん? 別にいいよ」

 夢見はいつもと変わらない――笑顔で、否定する。

「……何故?」

「だって載陽様が言っていたんだもの。この世は強い者が全てなんだって。載陽様が誰よりも強いうちは従ってた。でも、もう、いいの」

 相変わらず喋り口調は幼いが、普段のべたべたと甘ったるい語尾が今だけは明瞭になる。

「へぇ……」

「負けちゃったあのひとに、もう用も価値もないの」

「そうか」

 桃浪は再び攻撃を仕掛ける。先程とは違う、もっと鋭い一撃。

「なあにぃ? なんで怒ってるの? 桃浪ぉ」

「夢見。お前さんは面白い奴だよ。ひょっとしてちょーっと気が合うかもしれんと思ったが……違ったようだぜ」

 華節を殺された復讐で桜魔王と対立する桃浪と、載陽を殺されても平然としていられる夢見はまったく別の生き物だと。それがわかっただけ。

「心置きなく戦える」

「変な桃浪? 今まで手加減していたのぉ?」

「いいや。俺はいつだって本気さ」

「だよねぇ!」

 夢見と桃浪の戦いがより一層激しくなる。

 一方、祓は載陽を殺した蚕に飛び掛かった。

「待て! 祓! お前の力では――」

 早花が止めようとするが間に合わない。そして一人の相手しか目に入らない相手など、他の人間からすれば格好の餌食なのだ。

 朱莉の飛ばした霊符が爆発し、祓の腕を焼く。二刀流にしろ手裏剣投げにしろ、彼の場合は腕がなければどうにもならないからだ。

「うあっ……!!」

「ちっ! 世話の焼ける――」

 早花が負傷した祓を回収に行く。

 蚕と朱莉の相手には、桜魔王が動こうとした。神刃もまだ矢を番えてそこにいる。紅雅も夬を抑えて善戦している。

「!」

 攻撃を仕掛けようとしていた桜魔王が咄嗟に身をかわすと、霊力の光弾が雨あられのように降ってきた。

「鵠さん!」

「待たせたな」

「これで五対三、さて、どうします?」

 葦切も参戦だ。彼はもともと助けを待つ人質だったはずだが、いつの間にかしっかり戦闘に参加している。

「朔陛下。このままでは」

「わかっている。潮時だな。と言っても、今回は帰るのは俺たちじゃないんだが」

 載陽が撃破されたのも大きいが、祓が負傷してそれを回収した早花も動けない。夢見と桃浪の戦いにも決着がつかないようであるし、数の上で一気に桜魔側が不利になった。

 とはいえ鵠たち退魔師側にもそれ程余裕があるわけではない。蚕はともかく朱莉や神刃が桜魔王に敵う実力があるわけではないし、鵠は完全に傷が塞がっていない状態だ。

「というか、お前はいつの間に抜け出したんだ? 早花、しっかり閉じ込めておいたんだろ?」

「ええ。そのはずなのですが……申し訳ございません」

 しれっと抜け出している人質の姿に桜魔側が首を傾げている。

「……成程ね。裏切り者ってわけですか」

 紅雅を退けて桜魔王たちに合流した夬が不機嫌な顔で言う。彼は葦切を逃がした相手に見当がついているようだ。

「日頃の行いですね。尤も、日頃の行いが良い桜魔という存在も不気味ですが」

 桜魔の母子を囮にした桜魔王側と、それを助けた神刃がいる退魔師側。

 葦切とてまだ桜魔に蟠りはある。あるのだが。

 桃浪と夢見も決着の着かない戦いを中断し、それぞれの陣営へと戻った。

「ま、人質も無事に取り返したことだし、俺たちは帰るとするぜ――決着は、また次だ」

「ああ、そうだな」

 軽い口調で言葉を交わした鵠と朔だが、二人ともその意味を十分にわかっている。次の戦いこそが、本当の最終決戦になるのだと。

 朱莉の影渡りを利用すれば、桜魔王にも追って来れない。

 桜魔たちから姿を消す前に、葦切は桜魔王を――朔を振り返る。そして意味深な一言を送った。

「『朔』殿」

 何故か彼は知っている。滅多に人間の前で呼ばれることのない、桜魔王の名前を。

「――貴方の母上は、あれでも十分貴方を心配していたのですよ」

 早花に伝言を頼んだ言葉を、葦切は改めて桜魔王に伝える。

 桜魔王――朔は息を止める。先日見た夢を思い出した。

「おい、待て!」

 まだだ、まだ聞きたいことがある、あるのに。

 ちゃぷんと葦切の身体が朱莉の影の中に沈み、朔の手はその背に届かなかった。


..046


 朱櫻国に戻ってすぐ、鵠はちゃんとした治療を受けることになった。国王の知人として御殿医まで引っ張り出して大騒ぎしたが、無事に治療が完了した。

 鵠自身は葦切の応急処置がしっかりしていたこともあってそう深い傷だとは思わなかったのだが、周囲からはしばらくの絶対安静と、療養を命じられた。

 ばたばたと別の意味で騒がしくしていた数日が終わり、見舞いと言う名目でやってきた神刃とやっと落ち着いて話をする。

「傷の具合はどうですか? 鵠さん」

「もうすっかり良い。鍛錬に戻ってもいいぐらいなんだが、普段から王様を蝶よ花よと甘やかしている医者先生の見立てではまだ一週間は安静だそうだ」

「ここのところ働き通しでしたし、少しぐらい休んでもいいんですよ?」

「冗談じゃない。一週間もこんな状態だったら、すっかり歩けなくなるっての」

 実際鵠は激しい運動こそしないものの、王宮の中を行ったり来たりするなどして体力が必要以上に落ちないよう苦労しているのだ。明日辺り蒼司とも話をしに行く予定であるし、歩けるようになったら葦切とも会話する必要がある。

 だが、その前に鵠が話さねばならない相手は、今ここにいる神刃だ。

「神刃」

「……はい」

 鵠の声が変わったことがわかったのだろう。神刃が神妙な顔つきになる。

「今回のことは、あんまり気に病むな。俺も気にしていないし、葦切も気にしていないそうだ」

「ですが」

「それにな」

 何か言いかけた神刃の言葉を遮り、鵠は先日聞いた話を続けた。

「お前のおかげで、葦切の意見も少しだが変化したようだ」

「え?」

「あの時あいつ、桜魔たちに捕まっていたはずなのに平然と現れただろう?」

「あ、そういえば……なんで」

「助けてくれた奴がいる。以前、お前が罠から助け出してやった桜魔の親子だそうだ」

 神刃は零れ落ちそうなほどに目を丸くする。

「因果応報ってのかな、自分の行いは良くも悪くも自分に返って来る。桜魔側は自分たちの仲間でさえ囮に使ったから裏切られた。……だがこちらは、お前が頑張った分だけ救われる人間もいたってわけだ」

「俺……俺は別にそんな……」

「でも、お前のおかげだ。ちなみにその親子に関しては、葦切が隠形の符をいくつか渡して逃がしたそうだ。もう争いには巻き込まれたくないんだと、桜魔側としても」

「葦切さんが……」

 彼らが無事に生き残れるかは、鵠たちにもわからない。

 だが、生き残れたらいいなと思うからこそ、葦切は少しでも彼らの助けになる道具を渡してやったのだろう。

 鵠たち一行の仲間である桃浪を排除したがっていた時の葦切の様子からすれば考えられない行動だ。その意志を変えたのは、神刃と彼に救われた桜魔の親子なのである。

「なぁ、神刃」

 鵠は寝台の傍らに縋るように座り込んだ少年の頭を、腕を伸ばして撫でる。

「俺は、お前が誘ったからこそ、桜魔王を倒すことを決意したんだ」

「鵠さん……」

「お前は無力なんかじゃない。お前が動かなければ動かなかったものがたくさんある」

 他の誰が言っても駄目だった。鵠は自分が偏屈である自覚はある。簡単に他人に説得される性格ではないとわかっている。

「だからお前も、もう少し自分を赦して、認めてやれよ。いつもいつも、自分のせいだなんて抱えてないで」

「……」

「お前がそんな風に自責の念を抱え込むのは、父親のせいか? 緋閃王がこの大陸に“桜魔ヶ刻”と呼ばれる時代をもたらしたから」

「いえ、俺はその……」

「じゃあ、養い親の火陵のせいか?」

 神刃は息を忘れる。

「お前を育て上げた火陵の念が、今もお前を縛り続けるのか、だったら、そんなもの――」

 捨てちまえと言いたかった。だが言葉は途切れ、発する前に消えていく。

 鵠は神刃を見つめたまま、静かに目を瞠る。

「でも」

 透明な滴が、神刃のまだまろみを残す頬を伝って次々に落ちていった。

「でも、鵠さん」

 震える声が、涙で滲む瞳が、ようやく少年の本心を吐露する。

「あの人が死んだのは、火陵が死んだのは、俺のせいなんです――」

 ああ、これだったのか。鵠は思った。ようやくすとんと腑に落ちた。

 息苦しい程に神刃が生き急ぐその理由。消えない罪悪感。贖罪への焦燥。

「俺さえいなければ、火陵は緋閃王を殺してそこで復讐を終わらせられたんだ。もっと生きていられたのに、俺を死なせないために、自分の命を捨てて――」

 緋閃の命を絶ち、そして自らの命も絶った。

「俺が、俺があの人を殺したのに――あの人の想いを、無駄になんてしていいわけがない!」

 だから神刃は桜魔王を倒したがっている。桜魔王を倒して、この大陸に平和を取り戻して。緋閃王と火陵、そして自分自身、全ての贖罪を果たすつもりで、これまでただがむしゃらに、桜魔王を倒すためだけに生きてきた。

 休みもせず走り続けては時折振り返り、過去ばかりを気にしている。己の未来を全て切り捨てて。

 だがそれは本当に火陵の望みだったのだろうか?

「……無駄になんかならない」

 神刃がキッと赤らむ目元をきつくして問い質す。

「何故あなたにそんなことがわかるんです?! いくらあなたが火陵を知っているって、そんな何年も前の、僅か数日の記憶なんて」

「わかるさ」

 感情を露わにして問いかけてくる神刃に、鵠は告げる。神刃には見えない、自分が外側にいるからこそ見えた真実を。

「お前を見ていればわかる」

 どれほど愛していたか。そして愛されていたか。

「知らなくたって断言できる。火陵はお前を恨んだりしない。お前を苦しめ、悲しませるための死なんか選んだりしない。あの男はいつだってきっと」


『これでいい。神刃』

『お前が正しい選択をできる人間に育ってくれた。私はそれだけで――』

『お前はもう自由だ。――けれどもしも一つだけ、言う事を聞いてくれるなら』


『幸せになりなさい』


「お前の幸せを願っている」


「うっ……うう……うあ、あっ、ああ……」

 神刃の記憶に残る言葉と、鵠の声が重なる。

「うわぁあああああ――っ!!」

 鵠の胸に縋りつき、泣きじゃくる神刃の頭を抱え込んだ。

「……強くなろう、神刃。俺も、お前も」

 この世で一番忌まわしい、自分自身を認められるくらいに。

 そして桜魔王を倒し、大陸に平和を取り戻すのだ。

「必ず戦いを終えて、幸せになるぞ」

 それが自分たちをこの世に送り出し、生かしてくれた人たちの願いでもあるのだから。


..047


 起き上がれるようになった鵠は、運動も兼ねて朱櫻国王・蒼司のもとを訪れていた。神刃にまだ聞けていない、彼の過去の詳細を聞くためだ。

「兄上が……神刃が火陵に剣を向けたのは、私を助けるためです」

「やっぱりか」

 火陵が緋閃王を殺し、自らをも殺し王と心中した。その場にいたのは神刃を除けばもはや蒼司だけだ。

 蒼司の話によればもう一人、情報屋の辰こと国王の懐刀・彩軌も事情を知っているそうだが、あの男は尋ねても決して話そうとはしないだろう。

 だから鵠は、国王である蒼司に直接、彼と神刃の父親に関して尋ねることにした。

 緋閃王のことを口にするのは、蒼司にとっても辛いことだろう。わかっている。それでも鵠は、蒼司と神刃、どちらかに辛い思いをさせるならば前者を選ぶ。

「神刃の母親は、他国から無理矢理攫われてきた貴族の姫です。火陵は、その姫の兄に使える戦士でした。緋閃王は火陵の主君を殺し、妹姫と火陵を奪ったのです。彼の感情は姫よりも火陵に対する執着の方が強かったようです。しかし……」

 火陵と緋閃の間に、語られる事実以外の何があったのかなど鵠は知らない。蒼司にもわからないと言う。

 ただ、戦場の死神と畏れられる程の戦士・火陵を、緋閃は自分の部下として欲しがっていたらしい。

 主君を殺された火陵はそれでも妹姫が生きている限りは彼女を守ろうと、苦渋を飲んで緋閃の配下にくだることとなった。

 けれど。

「緋閃王は自分が一番優れていると信じて疑わない暴君。あの男は考えもしなかったのでしょうね、無理矢理攫って妾とした妻が、どうやって己に復讐しようと考えているのかなどと」

 姫君が復讐の道具として選んだのは実の息子。彼女と憎き夫、緋閃の間に生まれた子――神刃。

「“神刃”は裁きを意味する“神の刃”。例え女児だったとしても、この名がつけられたことでしょう。寧璃様……神刃の母は、復讐のためだけに神刃を産んだのです」

 聞いているだけで胸の悪くなる話だ。だが本当に憂鬱なのはここからである。

「火陵はどう絡んでくる?」

「寧璃様が産んだばかりの神刃を預けたのが、兄の部下として信頼していた火陵です。彼女は自分の存在が、火陵を緋閃王の下に縛り付ける枷になっていると考えていた」

「まさか」

「はい。生まれたばかりの息子に復讐を果たさせろと火陵に預けた後、彼女は自ら命を絶ちました」

「――」

「これは彩軌からの情報なのですが……どうやら寧璃様は、ずっと火陵のことが好きだったらしいのです」

 聞くことを後悔したくなるような重い話に、鵠は内心で頭を抱える。神刃が自分の過去を語りたがらない訳だ。

 何も――何も持っていなかった。生まれ落ちたその時から与えられた復讐の役目以外、何も。

「火陵は十二年をかけて、神刃を戦士として育てました。彼の言うことならなんでも聞くように優しく、愛情をかけて。彼の目的は、寧璃様の怨嗟を背負わせた息子である神刃に父王・緋閃を殺させることでしたが……」

「殺せなかった……いや、殺させなかったんだな」

「その通りです」

「俺がかつて出会った火陵と言う男は……養い子に実の父親を殺させることができるような、そんな男じゃなかったよ」

「あなたがそう言うのであれば、そうなのでしょうね。私は火陵についてその人柄はほとんど知らないのです。今のことは全て、三年前の事件に関係して、覚えておくべき知識として彩軌に与えられたものがほとんどです」

 蒼司は火陵が神刃を連れて、緋閃王を殺すために王宮に乗り込んできた際、初めて兄である神刃と出会った。

 兄にまつわる話は知らなかったが、己の父親が鬼の所業を行っていると知っていた蒼司は復讐を止める気も起きなかった。

「火陵は、神刃に父親を殺させたくはなかったようです。結局彼は、緋閃王を自ら殺した。そして自分のことも殺せと、神刃に言いました」

 蒼司の表情からはすっと表情が抜け落ち、神刃と同じ緋色の瞳はここではない過去を見つめている。

「神刃は、できないと言いました」

「……」

「火陵は、それなら僕を殺すと、僕の首に剣の切っ先を突きつけて言いました」

「それは……継承権の話か?」

「はい。公式に発表されていないとはいえ、神刃もこの国の王子であることに変わりはありません。でもこのままでは王を殺した弑逆者の養い子として処分されてしまう」

 火陵と無関係だと示すために火陵を殺すか。

 国で「唯一の」王子となるために、出会ったばかりの弟である蒼司を殺すか。

 その二択だと、火陵は神刃に突きつけた。

「でもどちらもできなかった。神刃に人間を殺せるはずがない」

「……そうだな」

「そして火陵は――自ら命を絶った」

「……」

 鵠はなんとなく、火陵の考えていることがわかるような気がした。

 あの男は神刃にもう、親の復讐を果たすための道具でも、呪われた両親の間に生まれた不幸な子でもなく、ただ自由になってほしかったのだろう。

 いまだに神刃を縛り続ける、火陵自身の呪縛からも。

 火陵自身の呪縛は解けない。彼にそれをかけた寧璃はもういない。

 緋閃は死んだ。彼は火陵に殺されて、火陵は復讐を果たした。果たしてしまった。そして何もなくなり、罪だけがその手に残った。

 憐れな男だと、改めて思う。

 そんなにも愛していたのか、かつての主君とその妹姫を、養い子の神刃よりも……?

 けれど親の世代の憎悪や情愛に巻き込まれて、結局神刃は置き去りだ。

「馬鹿な火陵……そんなことをしても、神刃が喜ぶわけないのにな」

「本当ですよ」

 後に残された神刃を知る者たちは、しみじみと死者に対して溜息をついた。

 憤りは静かに深く沈んでいく。緋閃王といいその妻・寧璃といい火陵といい、本当に聞くべき相手さえいない恨み言だけが、溜まっていくのだ。

「悪かったな、蒼司王。お前にとっても辛いだろう記憶を、根掘り葉掘り聞いてしまった」

「いいえ、構いません。あなたが神刃を支えてくださるのなら、このぐらいの情報は必要でしょう。それに」

 俯く少年はその表情に大人びた影を落とす。

「大きな声では言えませんが、私は生きている父が嫌いでした。誰からも嫌われ、憎まれている暴虐の王。あの人が生きている限り、私はあの人を憎み続けなければいけなかった。だから、火陵が父を殺してくれて、私はこの世の誰よりもほっとしているのです。死んでくれてようやく、私はあの人を父親として愛することができるのですから」

「蒼司」

 それはせいぜい十四かそこらの少年が口にしていい言葉ではなかった。けれどこれこそが、紛れもないこの少年の本心だろうことも鵠にはわかった。わかってしまった。

「神刃にはこんな思いをさせたくはありません。いつまでも緋閃の息子などという名に囚われてほしくはない。だからもう……父の生み出した“桜魔ヶ刻”と一緒に、彼の残滓を全てこの世から消してしまいましょう」

 神刃が緋閃王の血を引いていることは事実だ。だが鵠には神刃ではなく、目の前のこの少年こそが新たなる時代を作り出す王に相応しいと思えた。

「桜魔王に恨みはありませんが、彼には悪夢の時代の象徴として、我が愚かなる父の名と共に消えてもらう」

 厳かなまでの口振りで、王は一人の青年に懇願する。あまりにも重い願いを。

「お願いします、天望鵠殿。この大陸の全ての人々の平和のために、桜魔王を倒してください」

「――ああ」

 鵠はその頼みを引き受けた。

 蒼司の言う「全て」には色々な人々が含まれている。神刃が、目の前の蒼司が、仲間である朱莉が、退魔師協会の面々が、再従兄弟である葦切が、亡くなった両親が、罪もなく脅威に怯える不幸な街人たちが、そして……鵠自身が。

 この時代を終わらせるのだ。その時やっと救われる。

「必ずこの大陸に、平和を取り戻して見せる」

 ――彼は、唯一無二の“勇者”となる。


..048


 鵠は葦切と酒楼で待ち合わせをしていた。

 桜魔に攫われる前に葦切が口にしていた、鵠の両親に関する思わせぶりな話が気になって、それを聞く約束だったのだ。

 退魔師協会のように、花鶏や交喙本人を知る可能性のある人間もいるところではまずいというので、こうしてこんな場所を訪れている。

「なんで外なんだ? 本家とは言わないが、てっきりこの国の中にもある邸の一つに案内してくれるもんだと思ったんだが」

「私としてはそれでも構わないのですが、恐らく貴方の方が気を悪くすることになりますよ」

 葦切の言い分に、鵠は眉を潜める。

 空いた食器を横に押しやり、彼は一冊の草子を差し出した。

「これは?」

「貴方の母親、天望花鶏の手記です。天望家の別邸の一つに残っていたものが偶然発見された時、私がそのまま預かることになりました」

 その言い方から、鵠は葦切がそれを申し出なければ、この手記はそのまま誰にも読まれることなく処分されていただろう事も察した。

「鵠殿。貴方の御両親についてですが……どんな事実でも聞く覚悟はおありですか?」

「……ああ」

 鵠の脳裏に浮かんでいるのは、いまだ緋閃王の存在に囚われ続けている神刃と蒼司のことだった。

「大なり小なり親子関係に問題なんて、誰だって抱えているもんだ。俺だけ逃げるってのは許されないだろう」

「……そうですか」

 彼らを解放するためにも、自分は桜魔王を倒すのだ。

 そして今、両親のことを知ることが、その一助となるらしい。ならば知らねばならないだろう。

 二人は何故実家を捨てたのか。

 そして、目の前の葦切とは違う、もう一人の鵠に似た男のことについて。

「なぁ、桜魔王ってのは、もしかして……」

「……三十年近く前」

 鵠の目を真っ直ぐに見つめたまま、葦切が話し出す。名家天望家の闇を。

「退魔師として名高い天望花鶏は、当時の桜魔王に攫われました。彼女がどんな目に遭わされたのか、その正確なところを知る人間は、恐らくもうこの世にはおりません」

「……それで」

 胃を締め付けられるような痛みに耐え、鵠は先を促す。

「天望の家は、彼女を見捨てる選択をしました」

「!」

「花鶏すら歯が立たなかった、桜魔王には誰も敵わない。それが、天望家の見解でした」

「……」

 何故、花鶏が桜魔王に攫われたのか、その辺りの事情は葦切もよく知らないと言う。

 あの頃すでに時代は桜魔ヶ刻と呼ばれていたが、まだ桜魔王と言う存在についてはほとんど知られていなかったのだ。

 ただ、花鶏はその時分、天望家の次期当主と目されていた、花栄国最高の退魔師だった。

 彼女が勝てなければ、天望の家に桜魔王に対抗できる人間はいない。

 だから、見捨てた。

「花鶏の兄、天望交喙はそんな家の決断に反発し、たった一人で彼女を救出に向かったそうです」

「……」

 父は――天望交喙は、退魔師としての腕前は妹の花鶏に劣っていた。

 性格的には母より余程しっかりしていたのだが、生まれ持った霊力と言う才能の差は大きい。交喙は早々に後継ぎ候補から外されて、花鶏が家を継ぐことになっていた。

 妹が消えれば家を継ぐことができる立場。

 けれど交喙はその道を選ばず、一人で花鶏を助けに行った。

 鵠は仲睦まじかった両親の姿を思い返す。

 少し不自然で不格好な兄妹と言う名の夫婦、けれどやはりあの二人の間で交わされていた愛情に、嘘はなかった。

 そして母が、父が死んですぐ仇をとるのに命を燃やした理由もわかった気がした。

「この手記からは、彼女の断片的な想いを読み取ることができます。私はこれを全て読ませていただきました」

 そこには一つ、気になることが書かれていたという。

「子どもを置いてきたと書いてあったのです」

「子ども……」

 交喙と花鶏、実の兄妹の間に生まれた子は鵠だけだ。

 けれど、二人の間ではなかったら。

「この手記に連ねられているのは、子を置き去りにした彼女の後悔がほとんどでした。状況説明も経緯もほぼなく、只々『許して』『ごめんなさい』『あなたをひとりに』と、置いてきた子どもに対する懺悔が書き連ねてあります」

「……」

「これ以上は、貴方が直接これを読んで判断するべき問題でしょう。恐らく私が辿り着いた結論と同じ答に貴方も行き着くはずです」

 葦切は鵠によく似た「あの男」を見た瞬間、ばらけた冊子の欠けた頁がようやく見つかったような気分になったと言う。

「……ありがたくもらっておく。悪かったな」

「いいえ。ですが、貴方はこれからどうなさいます? 天望に戻ってきますか?」

 鵠は首を横に振った。

「葦切、俺はお前個人に対しては悪感情はない。だがかつて天望の家が父母を見捨てたと聞いては、やはりいい気分にはなれない」

「そうでしょうね。貴方には私に変わって天望家を継ぐだけの器量もあると思うのですが――」

「いいや。俺にその気もなければ、そんな器でもないさ」

 かつて家に見捨てられた女の息子と、その息子の立場に成り代わった、彼よりも力の劣る男は向かい合う。

「俺は両親のことはともかく、その更に血縁となると考えたこともなかった。どうでも良かったんだ、本気で」

 父と母さえいれば良かった。祖父母も伯父叔母も従兄弟も、再従兄弟どうだっていい。

「鵠殿」

「当主の器ってんなら、お前の方だろ? 家を捨てた親戚の動向なんて気にしなけりゃいいのにいつまでもこんなもの預かって……血縁の末端まで目を配るなんて、お前は本当に当主なんだな。俺はそういう柄じゃない。例え両親がそのまま家に残ったとしても、どうせ俺の代で勘当されて結局お前が当主に選ばれたんじゃねーか?」

「さすがにそこまでは……というか、そもそも貴方の御両親が天望に戻っていたら、あなたは生まれていないのではありませんか?」

「あ、そうか」

 極当然とばかりに交喙と花鶏を夫婦として考えていたが、よく考えたら実の兄妹で子を成すことを家が許すはずがない。

「じゃ、こうだ。うちの両親は結局二人で生きるために駆け落ちして俺が生まれるんだから、どちらにしろ俺は天望の家にはいない」

「……貴方が御両親を本気で愛していることが、よくわかりましたよ」

 鵠にとって、あの二人の間に生まれたことはやり直したい汚点や変えたい過去ではないのだ。彼らの息子ではない自分など考えられない。それはもはや天望鵠ではない。

「本当は貴方に実際に会ったらどうするべきかと色々考えていたはずなのですが……なんだか毒気を抜かれてしまいました」

「そうか?」

「ええ。まったく貴方といい神刃殿といい、とんでもない方ばかりです」

「む……」

 葦切はいつも通りの無表情なのだが、心の底から呆れたと言う気配が伝わってくる。鵠は眉を歪めて唸った。

「でも私のような普通の人間に、桜魔王を倒すなどという偉業は務まらないのでしょうね」

 そう零すと葦切は、任せましたよ勇者様、などと茶化してくる。

「おい」

「……まぁ、貴方には必要ないと思いますが、家の名前がどうしても要るような事態になったらお声かけください。私に出来る限りの便宜を払って差し上げますよ。有料で」

「金とんのかよ!」

「当然です。私は家が一番の退魔師ですから」

 胸を張る葦切に鵠は笑う。これまでよりずっと軽やかな気分で。

 親の言うことの全ては聞けないが、それでもなんだかんだで楽しく生きているのだ。


 ◆◆◆◆◆


 朱の森の奥に建つ屋敷の中に、少年の泣き声が絶えず響き渡る。

「……うっ、くっ……さ、載陽様……」

「……もういい加減泣きやみなさい、祓」

「でも、早花様。載陽様が……!」

 師を失った祓の嘆きは深かった。早花が優しく背を叩いて窘めるが、嗚咽はなかなか止まらない。

「しかし……あの蚕とかいう子どもは何者だ?」

「桜魔王を倒すことが目的だなどと言っておりましたね……」

「なーに考えてるんだろうねぇ? 桜魔なのにぃ」

 早花と夬、生き残った桜魔王の側近と、載陽のもう一人の部下である夢見は蚕の存在について小首を傾げながら話し合う。

 夢見は祓とは違い、載陽の死にそれ程の衝撃を受けてはいないようだった。そしていつも通りけらけらと笑う彼女を見て、祓は余計にその胸の悲しみを深くするのだ。

「あ、あいつら……絶対に許しません!」

「……」

 年長の三人は、特に早花と夬は、まだ若い祓の言葉に複雑な表情を浮かべた。

 桜魔は一方的に人間を殺す悪辣な存在だ。それが自分の身内を殺されたからと嘆き悲しむなど。

 だが、思えば彼らを裏切って鵠についた桃浪などもそういう考えだった。

 遺され悲しみに塞ぐこの少年をどう扱うか、夬と早花は途方に暮れていた。

「……これからどうなさいます? 朔陛下……陛下?」

「え? あ、ああ。なんだ?」

 早花は桜魔王に声をかける。だが、彼は何か考え事をしていたらしくどうにも反応が鈍い。

 怪訝に思いながらもこのままにしておくわけには行かない。早花は話を続けた。

「祓のことです。載陽殿の仇を取りたいと申しておりますが……」

「仇ねぇ……」

 桜魔王は退魔師たちを脳裏に思い浮かべる。

 人間側の勇者である鵠、彼の傍にいる神刃、桜人となってまで戦う魅了者こと朱莉、彼らを裏切った桜魔・桃浪、そして載陽を倒す程の腕前を持つ謎の子ども、蚕。

 更には天望家の当主だという青年、葦切が朔に向けた意味深な言葉。

「……」

 相手の顔の見えない幸せな夢は覚める度に気分を落ち込ませる。この世界には、朔を苛つかせるものばかりだ。

 だったら胸をかき乱す者は全て、消してしまうのが早い。

「そうだな。載陽の言うとおり、たまには桜魔王らしきことをしてみようか」

「陛下……?」

 泣き腫らした目の祓が、期待を込めて朔を見つめる。

「人間を全て殺せばいいんだろう? 人間が死ねばもう桜魔が人間に殺されることもなくなる」

「陛下……!」

 いつになく過激な発言に、早花と夬がぎょっと目を瞠る。夢見は激しい戦いの予感を覚えたのか、きゃははとけたたましい笑い声を上げた。

「朱櫻国に本格的な襲撃を仕掛けよう。退魔師の中心地となっているあの国から始めて、大陸中全ての国を滅ぼす。当分は退魔師が邪魔だが、ま、あいつらも全部殺せばいいさ」

 全て全て殺してしまおう。彼らの中に和解や平和などと言う言葉はない。

 殺すために、滅ぼすために生まれたのだ。だから桜魔というのだ。

 朔にとってはそれだけでいい。


 大陸に死をもたらす絶望の王が、ようやくその本領を発揮する――。



 続く.



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