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桜魔ヶ刻  作者: きちょう
第2章 神の刃は黄昏に砥がれる
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7.神の刃黄昏に砥がれる

..037


 傷だらけで帰ってきた載陽たちを朔は不思議そうに出迎えた。

 彼が載陽から言い渡された桜魔王としての務め――その第一歩は、何故か「留守番」だった。別に積極的に載陽の命令を聞きたいわけではないが、この展開は正直拍子抜けだ。

 だから彼らが実際に人間たちの国で何をしてきたのかを帰ってきたら聞こうなどと珍しく殊勝に考えていたのだが、帰還した一行の様子はこの状態を最初から想定していたとは到底思えない惨状だ。

「おー、随分苦戦したみたいじゃないか」

「申し訳ありません。予想外の事態に気を取られました」

 厳格な男のあっさり謝る様に、何か余程のことがあったのだろうと朔は目を細める。

「予想外の事態?」

「……朔陛下」

 いくら朱櫻国が現在桜魔王を目指す退魔師たちの本拠地と言っても、載陽とその部下二人に早花と夬まで揃って出て痛手を負う程の規模とは信じがたい。

 名を呼んだまま朔をじっと観察するように睨み続ける載陽の視線に、意味もわからず困惑する。

「奴らですよ。前回花栄国でやりあった、最強の退魔師とその仲間。更に華節の部下でこちらを裏切った桃浪も加わった一団が、朱櫻国に来ていたんです」

「! ああ、そういうことか……」

 夬の説明で、ようやく納得がいった。

 あの男は恐らく強いだろう。載陽よりも。苦戦するのは仕方がない。

「――私が苦戦したのは、白髪の男ではありません」

「そうなのか?」

 他にいたのは桃浪に少年と少女くらいだったように記憶しているが、その中に載陽程の手練れを下すような者がいるのだろうか。

「桜魔です。人間の退魔師たちと、何故か桜魔がつるんでいたのです」

「その言い方だと、桃浪のことではなさそうだな」

 育ての親、華節を殺されたために朔を恨んでいる桃浪ではない桜魔があの集団の中にいる。確かに桜人を含めて何人かいたとは思うが……。

「前回はまだ桃浪自身がこちら側だったので、あいつが幾人か相手をしていました。ただの少年二人と思っていましたが、そのうちの一方、このぐらいの子どもが恐ろしく手練れの桜魔だったのです」

 このぐらいと、夬が手で示したのは、かなり低い位置だった。人間の子どもでそのぐらいの見た目ならば、十にも届かないだろう。

「確か金髪の子どもだったな。そんなに強かったのか?」

「ええ。お師様がほぼ一方的にぼろぼろにされていました」

「夬、そろそろその口を閉じろ」

「はいはい」

 載陽と夬の師弟関係について深く尋ねたことはないが、どうやらここは華節と桃浪とはまた違った関係のようである。

「あの少年は、何故か私のことを知っていたのです」

「お前を?」

 桜魔の年齢に関し、見た目は当てにならない。だがまったく影響がないわけではない。

 桜魔王である朔は見た目と年齢が等しい型で、外見通り、二十六、七年しか生きていない。他の個体も多少の差はあれど、人間型の高位桜魔になればなるほど、見た目と実年齢が近くなる。

 ただし最初から人間のように言葉も喋れぬ赤子として生まれるわけではない。桜魔にとって重要なのは自我と言う名の死者の妄執だ。だから生まれる時は大体誰しも、十に満たぬ子どもの姿として発生する。

 稀に桜魔が桜魔を生むこともある。その時は親が子を育てるため、特に容姿が幼い場合もある。

 蚕と呼ばれていたあの子どもは前者だろう。あの見た目ならまだ生まれたばかりのはずだ。

「それは珍しいな。だが中身が老人というわけでもあるまい」

「ただの子どもではありませんでした」

 ではいったい何だと言うのだろう。たまたま幸運にも才能と妖力を持って生れついただけの桜魔ではないのか。

 朔には載陽があの子どもをそれ程警戒する理由が実感できなかった。何せ面識自体が少ない。

 それよりも、結局これからどうするかだ。

「――で、俺に桜魔王として動けと言う割に、今回俺を置いてきぼりにした成果はあったのか」

「ええ、もちろん」

 載陽が笑う。酷薄なその笑みは、まさしく人を喰らう桜魔の笑みだ。

「次で、奴らと決着をつけましょう」


 ◆◆◆◆◆


「本当に桜魔が襲撃してきたのはこの辺りなんだろうな?」

 退魔師協会に入れられた報告によって現場へと赴いた鵠たちは、不審な表情で辺りを見回した。

 そこには桜魔の気配がない。

「待ち伏せということですか」

 常に真正面から仕掛けるだけが戦いではない。今は桜魔側も退魔師側もそれなりに数を揃えてお互いに策を練っている。

 今回も依頼こそ受けたものの、協会はこれが桜魔の罠ではないかと疑っていた。

 襲撃を受けたのは人気のない地区。先日も襲撃を受けて、すでに住民たちが避難をしている地区がもう一度桜魔に来襲されたというのだ。

 前回のような高位桜魔との戦闘になることが予期され、退魔師協会の面々と共に鵠たちにも出動要請がかけられた。

 連れだって目的地にまで辿り着いたのだが……。

「見事に瓦礫の山ですね」

 人気どころか桜魔の気配すらなく、死んだ街が無残な姿で横たわっている。

「待ってください、何か聞こえませんか?」

 配下の桜魔たちに指示して情報を集めていた朱莉が真っ先にそれに気づいた。ある方向を指差し、一行はそろそろと歩き出す。

しばらくすると他の者たちの耳にも、どこからか子どもの泣き声が聞こえてきた。

 鵠たちは半壊した建物の焼け跡や瓦礫に身を隠しながら、その声の発信源にまで近づく。

「あれは……」

 木を簡単に組んで作った粗末な台に、小さな子どもが吊るされている。

「まさか、桜魔が子どもを攫って……」

「いや、待てこれは罠だ」

 桜魔襲来の報が入れば、退魔師たちは必ず動く。桜魔たちは先に現場に潜んで待ち伏せを狙うが、他に被害が出なければ退魔師たちもわざわざそれに付き合う義務はない。

 しかし、救出しなければならない相手がいれば別だ。

「と言うか、そもそもあの子どももグルなのではないですか?」

 如何にもな罠の様子に、朱莉が指摘する。

 今回はまだ桜魔たちは特に被害を出したという報告は受けていない。

 この罠のためだけに、別にどこかから人間の子どもを攫ってくるなどするだろうか。

「まぁ、蚕みたいにちびっこいってだけの桜魔なら結構いるしな。この歳でこいつ並に戦えるかどうかとなったら別だけど」

 朱莉と桃浪は、あの子ども自体桜魔を使った罠だと言う。

「あんたたちはどう思う?」

「全然わからないよ。まぁ、強いて言えば顔や髪型が絶妙に隠されているのが怪しいとは思うね」

 蝶々たちに尋ねてみるも、怪しいけれど断定はできないという調子だった。

 罠であることはわかるのだが、問題はどこまでが罠で、どこまでが「本物」かということだ。

「まぁ、桜魔が人間の子どもを囮にするなら、ここぞとばかりに死体を晒していくのが普通ではないでしょうか」

 葦切の冷静過ぎる発言に、神刃がびくりと震える。

「だが、相手が死体だとわかっていればこちらも動かない。以前から桜魔たちの目的は退魔師を誘き出すことだったろう。もしも本当の人間だとしたら助けないわけにはいかないし、助けてからも子どもを守るのに手を割く分戦力を削れる」

「……そう言われればそうですが」

「しかしよ、あっちがそれを読みきって、人間と思って助けに来たところを桜魔の子ども自身がぐさりと行く手筈かも知れんぜ」

 兵破がまた別の見解を告げる。

 要するに作戦としてはどちらもありえるのだ。足手まといを増やすための人間か、刺客として使うための桜魔か。

「あ、あの」

 神刃は迷いながらも、結局口を開いた。

「確かに俺たちからすれば、相手が本当に人間かどうかはわかりません。でも」

 相手が人間の子どもか桜魔の罠か。他の者も迷っているように、神刃にもその真偽はわからない。けれど。

「もしもあの子が、本物の人間だとしたら、助けなかった時、俺たちは……少なくとも俺は、一生後悔します!」

「……」

 周囲の退魔師たちが沈黙する。

 桜魔ヶ刻と呼ばれるこの時代だ。助けられる者がいれば助ければいいが、それよりもまず先に自分の命。いかな退魔師と言えどそこは変わらず、他人より自分を優先したところで責められまい。

 けれど、それだけでは生きていけない人間もいるのだ。

「……そうだな」

 鵠が溜息と共に頷く。

「神刃ならそう言うと思っていたぞ」

 蚕の笑顔が、彼の内面を代弁してくれた。

「ま、あれが相手の罠だとしても、俺たちがその上を行けばいいだけだ」

 あの子どもはとりあえず助けるということで決着した。

 そして肝心なことを朱莉が問いかける。

「で、誰が行くんですの?」


..038


「提案した以上俺が行きます」

「危険だぞ。わざわざ囮に使われるくらいだ。あれが桜魔だった場合、見た目より手練れかもしれない」

「でも、この前現れた桜魔たちを倒す人員は必要ですよね?」

「そうですわね。何かあった時のことを考えると、鵠様にはいつでも出られるよう待機していただかなくては」

 結局、子どもの救出には神刃が向かうこととなった。

「私のかわいい子たちに行ってもらう手もありますが」

「それだと相手が人間だった場合には怯えさせることになるし、見た目だけ幼い高位桜魔だとした場合、お前の配下が死ぬぞ」

「……それは嫌ですわねぇ」

 朱莉が顔を顰める。

 やはり神刃が自分で行くのが一番いいようだ。

 蚕や桃浪の一件でますます桜魔の気配に鋭くなった神刃であれば、触れる程に近づけば相手が桜魔であるかどうかもすぐにわかるだろう。

「無理はするなよ」

「はい」

 頷いて神刃は動き出した。無残な見世物のように縄で吊るされ泣いている子どもに近づく。

「う……ひっく、うっ、うっ……」

「大丈夫」

 子どもの縄を解きながら優しく語りかけた。

「もう大丈夫だか……ら……」

 それまできつく目を閉じていた五歳ぐらいの子どもは、ようやくそっと瞼を開いた。

 その瞳は瞳孔が目立つばかりで、白目の部分がまったくない。――人間の目ではない。

 神刃は子どもを抱いたまま叫ぶ。

「――罠です!」

 周囲の瓦礫から桜魔たちが一斉に飛び出し、更に彼らを追って飛び出した退魔師たちと戦いが始まる。


 ◆◆◆◆◆


「ちっ! やっぱりかよ!」

 神刃に襲いかかろうとした桜魔の一匹を、鵠はそのまま蹴り飛ばす。

「鵠さん!」

「お前も早く『それ』を倒せ!」

 いまだ神刃の腕の中にいる子ども姿の桜魔を指し、鵠は言った。そして自分は敵を倒しに動き出す。

 神刃は腕の中の子どもを見た。

 いくら幼気な見た目をしていても、これは桜魔だ。人類の敵だ。

 だが、瞳の容がほんの少し人間と違うだけの子どもは、今も目の縁に涙を浮かべたまま震えている。

 神刃を害する様子でもない。

 武器はない。敵意すらも。この桜魔の子どもは、本当にただ怯えているだけだ。

「ぼ、坊や」

 すぐ傍で震える声がした。

 子どもと同じ、白目のない瞳をした女が真っ青な顔で神刃の腕の中の子どもを見つめている。

「……っ」

 神刃は腕の力を緩め、子どもを地面に下ろした。

 即座に母の下へ駆けだした子どもと、それを受け止めた母親は固く抱き合う。

「……行け。もう俺たちの前に顔を出すな」

 子どもを抱いた桜魔の母親は神刃に一礼すると、くるりと振り返り必死で駆け去っていく。

 それを追うかのように狙う別の桜魔を神刃は弓で射抜いた。

 桜魔の間の力関係など知らない。

 あれは人類の敵。人に仇成す存在。けれど。

 怯える小さな子どもを躊躇いなく殺せるような冷徹さは、神刃の中には存在しなかった。

「何をやってるんです!」

 他者を庇う動きを見せたことで隙ができた神刃を狙う桜魔を、更に葦切の苦無が貫いた。

「葦切さん」

「桜魔を逃がしましたね。君は、それが何を意味するのかわかっているんですか?」

 葦切は険しい表情で、襲い来る下位桜魔を片っ端から倒している。

「わかっています」

 本当に?

 脳裏を火陵の、寧璃の――そしてこれまで手にかけてきた様々な桜魔たちの死に顔が過ぎる。

「わかっています。本当に」

 神刃は同じ言葉を繰り返す。

「もしもあの親子にこの先殺される時が来たとしても、その時は自分の未熟を恨んでも、この選択自体を後悔することはありません」

「……そうですか」

 葦切は呆れたのか何なのか、感情の読めない声でそれだけ言った。

 後は戦いに集中する。

 今回は退魔師の人数も多いが、向こうが用意した下位、中位桜魔という兵力も多い。

 そして鵠が夬、朱莉が早花、蚕が載陽、桃浪が夢見と戦っている。

 前回と組み合わせが若干異なる。そして前回神刃が相手をした祓は今回、蝶々と兵破の二人を相手にしていた。

 戦いをやめるわけにはいかないのだ。


 ◆◆◆◆◆


「おや、今回はあなたですか」

「何度か顔は見たがこうして手合わせするのは初めてだな」

 鵠は夬と戦っていた。いつも場にいるのは知っているのだが、真正面から戦闘したことはない。

 だが、この男がどんな戦い方をするのかは、桃浪や朱莉の配下である紅雅から聞いている。

「あなたのような殴り合いは苦手なんですよ。切った張ったなんて御免です。あー、やだやだ」

 この男、何故桜魔王の側近などしているのだろうか? 鵠の中にまた新たな疑問が湧いたが、ここは深く触れないことにしておこう。すでに夢見のような変態――もとい、奇人が手下にいるのだ。他にどんな変人が桜魔王の部下だろうと気にしてはいけないだろう。

 今回も載陽の相手は、蚕が務めている。前回は単純な戦闘よりもむしろ会話による駆け引きで相当揺さぶりをかけられたようだと言っていたから、また蚕は精神攻撃紛いのやりとりをするのだろう。

 早花の相手もまた朱莉である。人の目があるので下位桜魔は出せないが、人型の紅雅ならばもう他の退魔師の目に触れても気にしないらしい。再び二対一の攻防が始まっている。

 そして今回は鵠が夬の相手をする分、桃浪が夢見を抑えていた。

 戦闘狂の桃浪は、夢見の変則的に輪をかけて変則的、様々な攻撃手段を持ち、攻守を目まぐるしく切り替えてくるようなおかしな戦い方を気に入ったらしい。

 夢見の方も相変わらずの様子であり、あの二人はなんだかそこだけ悪夢のような別世界で随分と楽しそうに戦っている。

 そして神刃が囮の桜魔を逃がそうとして出遅れた分、祓と言う名の少年の相手は退魔師協会の蝶々と兵破が担当していた。

 祓は桜魔王の配下一行の中では格段に若く、他の顔触れに比べてまだ実力的にも精神的にも未熟だ。そのため蝶々や兵破でもまだなんとかなっている。

 だが、この膠着状態を長くは続かせない。

 神刃と葦切が雑魚散らしをほぼ終えて、こちらへと向かってくる。

 まずは三対一の構図にして夬を倒せれば、戦いは格段に有利になる。

 夬が苦戦の様子を見せ、退魔師側が優勢を確信したその時だった。

「おっと、困るな。うちの部下に手を出してくれちゃ」

 大陸の均衡を崩す声が、以前の戦いを思い出させるように響いた。


..039


「桜魔王……!」

 華節の時を思い出す。あの時もこの男は突然現れて、退魔師たちではなく、自分の同族であるはずの華節の胸を貫いたのだ。

「てめぇ……!!」

 桜魔王の姿を目にした途端、桃浪が夢見を踏み台にして一気に飛び込んだ。

「桃浪!」

 桜魔王は素手のまま、桃浪の剣をあっさりと受け流す。鵠が霊力を身に纏わせるのと同じことを、妖力で行っているのだ。刃物に動じるような様子もない。

「あれ~あたしの相手はぁ?」

 桃浪が放り出した夢見が、殺せる相手を求めて彷徨う。

 下位桜魔を倒し、彼女を抑えようとした何人かの退魔師が迂闊に仕掛けては即座に返り討ちにあっていく。本気の一撃ではないので死んではいないが、軽傷でもない。あれではもう戦闘はできないだろう。

「くそっ!」

 桜魔王は桃浪の相手をしながらも、夬の援護をしてくる余裕ぶりだ。ただ、鵠だけでなく葦切と神刃がいるために、桜魔王が桃浪につきっきりになれば夬が倒されてしまう。

 二対四、とはいえ、桃浪は他三人と連携する気がない。

 腕利きの退魔師たちが疲弊するのを待って登場した分、桜魔王にはまだ余力があった。

「畜生……! 前回はいなかったくせに! 高みの見物を決め込んでたってわけかよ!」

 言ってもどうしようもないことだが、思わず鵠は埒の明かない悪態をついた。意外なことに、桜魔王からのほほんと返事がかえってくる。

「ああ、それが載陽の作戦らしいからな。前回と今回と俺のいない戦場を見せつけて、お前たち退魔師が俺を敵対戦力に勘定しないように誘導するってな」

 それで遅れて来たのか。というか何故王のくせに載陽の言いなりになっているのか、この桜魔王は。

「朔陛下! 何を敵に素直に作戦を明かしてやっているのですか! そんな余計な説明は要りません」

 こんな場面だというのに、載陽の怒声がぴしゃりと飛んできた。

「はいはい」

 桜魔王はそれこそ、厳格な教師をやり過ごす不良生徒のように適当に頷く。

 言葉の端々からどこかのんびりとした性格が窺える。そのくせ彼は――強い。

「くそっ……! さすが我らの王よ、強いな……!」

 いまだまともに攻撃を入れられていない桃浪が悔しげな声で賞賛する。

「王が強くて嬉しいだろう」

「ああ、いいぜ! それでこそ殺し甲斐があるってもんだ!」

 軽口を叩き合う。桃浪はどうあっても桜魔王を殺す気だ。彼はそのためにここまで来たのだ。

「これはよろしくありませんわね」

 ふいに、また局面をひっくり返す女の一言が響いた。

 もう相手も人間型の桜魔ばかりで下位の桜魔はいない。紛らわしいことにはならないだろうと、朱莉がこれまで影の中に隠していた配下の桜魔たちを召喚する。

「ありゃりゃ。今度はこっちが数の優位に手間取る番ですか」

 鵠と葦切の攻撃を必死で躱し続ける夬が、形勢が変わったのを見て取り冷や汗をかきながら笑う。

 他の面々も朱莉のその一打で少しずつ形勢が変わっているようだった。

 桃浪の相手をしている隙を狙って、神刃が夬ではなく桜魔王に矢を放つ。

 初めは直線的な攻撃だったが、その後に放たれた、途中で曲線的な軌道を描く矢にさしもの桜魔王も意表を衝かれた。

「おっと」

「さっすが坊や、やるねぇ」

 だがそれは桜魔王を動かすことにも繋がってしまう。

「後ろから射抜かれるのはいやだなぁ」

 口振りはのんびりとしているが、その意味するところは攻撃的だ。

「逃げろ神刃!」

 つまりは、桃浪や鵠たちより先に、援護の神刃を片づけてしまおうということなのだから。

 鵠が救援に行こうとするが、ここぞとばかりに今度は夬が攻勢に出る。彼に邪魔をされて、鵠は神刃の下へ辿り着けない。間に合わない。

「坊や!」

「神刃!」

 桃浪が桜魔王に弾き飛ばされ、蚕が載陽の相手をする傍ら神刃を気遣って視線を投げてくる。

 しかし神刃は逃げるよりも迎撃を選んだ。

 だが先程のように誰かの相手をしている隙を狙うならともかく、真正面から一対一では、神刃では桜魔王に攻撃を当てられない。

「くっ……!」

「悪足掻きは嫌いじゃない。だが、通用する局面ではなかったな」

 桜魔王が神刃に手を伸ばす。

 その時、咄嗟に割って入った葦切が神刃を突き飛ばした。

「葦切?!」

「天望殿!?」

 桜魔王が伸ばした手は、そのまま神刃ではなく葦切を掴んだ。葦切は反射的に脱出のために体を捻るが、うまく外すことができない。

 ただ掴んでいるだけではなく、どうやら何か特別な術を使っているようだ。

「おや……」

 朔はぱちぱちと、重たげな瞼を瞬かせる。

「なんかこう、目当てと違う魚が釣れた時の気分だ」

「人質としては充分だと思いますよ」

 鵠に隙ができた瞬間、彼を振りきってきた夬が言う。

「おーい、載陽。退魔師が一人釣れたんだけど」

「ぐっ……! ならば、今回は、引き上げましょう!」

「待て!」

 今回も蚕に一方的に痛手を受けた載陽が撤退を提案する。

 蚕は彼を追おうとするが、ここぞとばかりに他の桜魔たちが一斉に目晦ましを使った。

「葦切様……!」

 神刃は自分の身代わりとなるかのように捕まった葦切の名を呆然と呼んだ。


 ◆◆◆◆◆


 一行は朱櫻国の王宮に戻ってきた。退魔師協会だけではなく、国王蒼司にも説明をせねばならない。

「……そうですか」

 自分が隣国から呼び寄せた天望家の若当主が攫われたと聞いた時の蒼司の第一声はそれだった。そして彼は他の者に口を挟む隙を与えず、続けてこう言った。

「それではあなた方は、葦切殿を取り戻してきてください」

「!」

 国王の当然と言えば当然の命令に、退魔師たちはハッと顔を上げた。

「ちょっと待ってください蒼司様。本気ですか?」

「私はいつだって本気です」

 退魔師たちの心情を代弁する彩軌の言葉に、蒼司はきっぱりと返した。

「何も今すぐ行けとは言いません。準備に必要な物があれば彩軌にでも申し付けてください」

「……私たちに、桜魔王の本拠地に乗り込めと言うんですのね」

「元々そのつもりだったでしょう。何なら、これを名実ともに退魔師と桜魔の最終決戦にしてくださってかまいません」

「蒼司」

 蒼司王はわかっている。それがどれだけ難しいことか。その上で、それでもやれと言うのだ。

「――俺は、別にそれで構わない。状況的に勝つことは難しいだろうが、それでも勝つ気で行く」

「鵠さん」

 敵の本拠地でやり合うのだから不利は不利だ。

 けれど、葦切を見捨てると言う選択肢もまたない。

 彼を見捨てるか桜魔王を倒すかならば、選ぶまでもなく後者だ。他の答はありえない。

「申し訳ありません、鵠殿」

 驚いたことに蒼司は心からそう思っている様子で、けれど自らの意志で下した命令を覆すことなく繰り返す。

 その理由は、次の彼の言葉で鵠たちにも理解できた。

「我が父、緋閃王は最悪の大罪人です。……だからこそ私は、父とは違う道を行かねばならない」

 退魔師には退魔師の信条があるように、国王には国王の信条があるのだと。

「今回はたまたま葦切様でしたが、攫われたのが彼でなくとも、私は同じことを言ったでしょう」

 けれど王と言うのは人を動かすもの。蒼司がこれまで、そしてこれから決断していく全ての道も、彼の周囲にいる者たちを巻き込み従わせる。

「お願いします。鵠殿、皆さん。葦切殿を取り戻してください」

 蒼司はぺこりと頭を下げる。

 王は頭を下げてはならない。その仕草は王のものではない。

 けれど今の彼は、表面上だけ偉ぶって中身のないどんな者よりも王者に相応しい。

「ああ」

 鵠は脳裏に葦切の顔を思い浮かべた。彼との話のことも考えた。

 まだ聞かねばならないことがある。鵠自身のためにも葦切を桜魔王から取り戻さねば。

「俺たちは、必ずあいつを取り返す」

..040


 国王蒼司への報告が終わった後、王宮の庭園の片隅で神刃は落ち込んでいた。

「俺のせいで……」

 ――お前のせいじゃない。

 葦切救出作戦について何か手伝いたかったが、今は彼にできることは何もないと言われてしまった。

 鵠たちと退魔師協会の代表者は今まさに救出作戦のための会議をしていると言うのに。

「葦切さんが……」

 ――俺もこれが終わったらもう休む。お前も少し体を休めて、次に備えろ。

 休めるはずがない。頭では鵠の言うことが正しいとわかっていても、それでも罪悪感と焦燥に駆られて心が落ち着かない。

 自分の力なさは知っているつもりでいた。けれどまだまだ甘かった。力になれると思っていたのだ。何かができると思っていたのだ。

 非力でも未熟でも、無力ではない。その場に自分がいることで、変わる何かがあると信じたかった。

 結果はこれだ。神刃の存在は、悪戯に被害を増やすだけのこととなった。

「火陵」

 唇からぽつりと言葉が零れ落ちる。口を衝いて出るのはもういない義父の名だ。

 神刃のために死んだ人の名だ。

 庇われて守られて、“また”自分だけが生き残るつもりなのか?

 この自分にそんな価値などないというのに。

「火陵……俺、どうしたら……」

 神刃の力が通じる場面は、もうこの先にないのかもしれない。そこまで考えた時だった。

「よぉ、何落ち込んでんだよ坊や」

「神刃、鵠が心配していたぞ」

「蚕……桃浪」

 桜魔二人がやってきた。

「辛気臭い顔してんなぁ。そんなにさっきのを気にしてんのか?」

「……辛気臭いは余計だ。いいだろう、別に。ちょっと一人で反省会したって」

「反省会なんて有意義なもんには見えなかったけどね。ひたすら埒の明かないことで自分を責めてるだけに見えたが?」

「なっ……!」

 桃浪の言っていることは真実ではあったが、神刃は反射的に反発を覚えた。もはや桃浪の言うことは最初から信用も納得もする気もない。

「そう落ち込むな、神刃。葦切のことが心配なら、これから取り戻せばいいだけだ」

「蚕……」

 蚕の言葉に少しだけ頭を冷やして、神刃は二人と向き直った。

「ま、桜魔王様は肩書の割に派手な破壊活動はお好みじゃないからな。あの兄ちゃんも人質としてとりあえず捕まえたーくらいで、あとは多分何もせずに放置だろうよ」

「朔は結構のんびり屋だからなぁ」

「……」

 二人は神刃を気遣ってなのか、葦切の安否に関し桜魔王の性格を交えて説明する。

 そう言われれば神刃もなんとなく納得してしまう部分もあるのだが、逆に不安をかきたてる側面も桜魔王にはあった。

「でも、辻斬り騒動の時は……」

「……あれは野心家の華節の方が派手にやる気満々だったからな。自分を殺すつもりの女なら、そりゃ機を見て殺したいだろうよ」

 わかっているのだと桃浪は言う。それがわかっていて、それでも自分は復讐をするのだと。

「うじうじ悩んでても仕方がない。それより、先のことを考えようぜ」

「そうだな」

 蚕が桃浪の言葉に頷き、いつもと変わらない口調で、しかしいつもよりもしみじみと言う。

「全ての時、全ての者が最高の実力で最善の結果など出せない。だからこそ我々はお互いの不足を少しでも補うために仲間と組み、過去ではなく未来のために戦うのだ。今この一時の不安など、葦切が無事に戻ってくれば笑い話になる」

「過去ではなく、未来……」

 しかしそれは裏を返せば、もしも葦切りの身に何かあればこんなものでは済まないということ。

 いや……、と神刃は思い直した。

 そんな結果にはさせない。そのために戦うのだ。いつまでも後ろ向きではいられない。

「……ごめん、二人とも」

「心が決まったようだな」

 神刃の精神的な変化を感じ取ったのか、蚕がその顔を見てやわらかく微笑んだ。

「……悪かった。おかげで少し落ち着いた」

「素直にありがとうって言えないのかねー」

「蚕、ありがとう」

「どういたしまして」

「あれ? 坊や、ねぇ俺は?」

 わざとらしく絡んでくる桃浪をいなしながら、神刃は自分より先に鵠たちと顔を合わせたという蚕にどんな話があったのかを訪ねる。

 そして蚕は、鵠たちや退魔師協会との話し合いの進捗を教えてくれた。

「先程一度休憩していたが、作戦会議はまだもう少し続くらしい。今、退魔師協会の方でも王都の防衛と葦切奪還作戦にどれだけ人を割り振るか決めているようだ。私たちは言うまでもなく奪還側だ」

「ま、向こうも攫った人質おいて王自ら襲撃に出陣、てことはないだろうからその辺は安心していいだろうよ」

 葦切奪還という目標のために、様々な人員が心を一つに動いている。

「ここが正念場だな」


 ◆◆◆◆◆


 真夜中の会議を終えて知った顔が一室からぞろぞろと出てくる。蚕はきょろきょろとその面々を見回し、求める姿を見つけて駆け寄った。

「鵠」

「蚕。……神刃はどうした?」

「一通り道具の点検と型の確認をしてから寝てしまったぞ? 話したいことでもあったのか?」

 今日一日は色々ありすぎて、あっという間に過ぎてしまった。すでに日付の変わった深夜。桜魔である蚕と桃浪はともかく、人間の鵠や神刃たちはそろそろ寝なければ明日に備えられないだろう。

「いや……単に様子が気になっただけだ」

 そう言ってすぐに場を離れようとする鵠に、蚕もついて歩いて行く。彼らの部屋は退魔師協会の面々に与えられたものとは別の棟にあるのだ。

「神刃と話をしなくて良いのか? 鵠」

 補修する暇も金もないのだろう、華やかな装飾が年月に負けて剥げ始めている廊下を歩く途中、蚕が話しかけてきた。

「……」

 神刃が落ち込んでいることは鵠も知っている。だが、かける言葉が見つからないのだ。

「俺が通り一遍の慰めを口にしたところで、どちらにしろあいつの心には響かないだろう」

「そうか? 私には、お前が自分自身に自信がないから、神刃にかける言葉も見つからないのだと思っていた」

 思った以上に手厳しい言葉に、鵠はふと横を歩く蚕を見遣る。

 蚕はいつものように笑っている。彼にとってのいつも――その幼気な容姿にそぐわぬ、深い知性と見識を湛えた眼差しで。

「お前はこの国に来てから、悩みっ放しだ。神刃もそうだが、お前も結構重症だと私は思う。それを他の者たちに見せないようにしているからこそ、無理が生じるのだろう」

 見抜かれていたことに何を思えばいいのか。憤怒、落胆、それとも安堵?

「葦切に出会ってからだ。お前の様子がおかしくなったのは。いくら顔を合わせたことのない親戚だと言っても、そんなに悩むこともないだろう。両親のことを聞きたければ、素直に聞けば良い――」

「俺の両親は、実の兄妹だった」

 蚕の台詞を遮って、鵠の唇からぽろりと言葉が零れ落ちる。その見えない雫が弾けた地点で、鵠は脚を止めた。蚕も。

「聞けるわけがない。向こうだって口に出したくもないだろう」

 禁忌の交わり。

 鵠自身はそれで困ったことなどない。この時代にわざわざ退魔師風情一人の素性を気にする人間など少ないからだ。

 けれど今はそうもいかない。

 桜魔王を倒し、大陸の平和を取り戻す勇者様にはそれなりの箔が必要だろう。少なくともただのチンピラには務まらない。

 鵠自身とて、今更自分のことで両親についてとやかく言われるのは嫌だった。

 両親はすでに亡くなっているのだ。頼むからあの二人は、このまま静かに眠らせておいてほしい。

「なるほどな……」

 蚕は何か考え込んだ。

 そして静かに口を開くと、厳かささえ感じる口調でこう言った。

「なぁ、鵠。もういいじゃないか。もう自分を許してやれ」

「許す? 何がだ」

「お前とお前の両親のことをだ」

「……」

「お前は自分の存在を罪に感じているのだろうが、そんなことはないはずだ」

「何故お前にそんなことが言える、お前には――」

「ああ、私には両親などいない。もしかしたらいるのかもしれないが、覚えていない。それでも私は何も感じない。多分私にとって、親とはどうでもいい存在なのだろうな」

 蚕があまりにさらりと言うので、鵠は言葉を失った。

「それが全てではないことはわかるだろう。桜魔だって人だって。――桃浪が華節を最期まで裏切れなかったように、大切な存在を持つ者はいる」

 桜魔である彼の感情面について、鵠たちはこれまで深く突っ込んで聞いたことはない。

 彼らと自分たちは違う生き物だ。だから同じ事象への感じ方も当然変わってくる。

 だが、だからと言って、今ここにいるお互いに対する気持ちは嘘ではない。

 ここにある感情は。

「だが私は悲しくない。苦しくも寂しくもない。お前たちに受け入れられているからだ」

 親を知らずとも、同胞を裏切り裏切られようとも。

「鵠、お前が苦しむのは、お前が両親を愛しているからだろう」

 両親に対し自分に対し、何も感じなければ苦しみも悲しみも存在しない。

 蚕はそうなのだ。鵠は違う。

 鵠は両親に対し思う所がないわけではないが、それでもあの二人を愛していた。だからこそ。

「その愛を――愛することを許せばいい。お前はお前自身と、その両親を愛していいんだ」

「そんなこと、言われるまでも……」

 言いかけた鵠の語尾が段々と弱まり、消えていく。

 わかっている。つもりだった。

 けれど、いつも心のどこかで引け目を感じていた。

 実の兄妹でありながら結ばれた両親、その二人から生まれた自分の存在に。

 最強と呼ばれながら鵠が退魔師として誰とも交流せず花栄国で埋もれていたのはそのためだ。自分の素性や過去を話したくなかった。

 そこに、一人だけ近づいて来た者。

 神刃がやってきて、鵠は少しだけ変わったのだ。己の存在を罪と感じ独りで生きたい、生きるべきだと言う考えから。

 仲間を得て共に戦う。この世には自分を受け入れて理解してくれる者もちゃんといるのだと。

 ならばその変化を与えてくれた神刃に――与えられた鵠にしか言えない言葉もあるだろう。

 鵠は、蚕の言葉によってようやくそこへと辿り着いた。

「あー……」

 いくら外見と中身の直結しない桜魔とはいえ、十にも満たない子どもに本心を見抜かれた挙句助言されてしまった鵠は些かのばつの悪さといくつかの照れくささに頬を掻く。

「ようやくわかったよ、お前の言いたいこと」

「そうか、それは良かった」

 蚕は弟を見つめる兄のような、弟子に対する師のような、不思議な保護者感を漂わせて頷く。

「悪かったな、蚕。色々付き合わせちまって」

「なんの。私にとって大事なのは今生きているお前たちだ。少しでも役に立てれば良い」

 蚕の笑顔につられるように、鵠はようやく微笑んだ。そして改めて、自分自身の気持ちを確かめることができた。

「そうだな。俺も……」

 今生きている神刃が大事だ。


..041


 桜魔王の根拠地は、朱の森と呼ばれる深い森の中に建てられた屋敷だった。

 漆喰の白さが目に付くこんな屋敷を、一体誰がこんなところに建てたのかと葦切は不思議に思う。

 とはいえ、それをわざわざ尋ねることができる状況ではない。

 桜魔たちの本拠地に連れて来られた人質の立場では。

 いかにもとりあえずと言った様子で、桜魔たちは葦切を攫ってきた。

 本来の狙いは葦切ではなく、常に鵠の傍にいるが、あの一行の中では一番弱い神刃だったのだろう。

 神刃は現在の実力もすでに退魔師としては一流、将来性を考えても申し分のない逸材だが、世間の退魔師の基準などあっさりと突き破る超一流の戦士たちと比べられては敵わない。

 葦切自身の実力も、神刃と同じくらいだろう。

 今こうなっているのは、たまたま葦切と神刃があの位置取りでいたからだ。そして葦切が、あの時神刃を庇うと言う行動をとったからだ。誰の実力がどう劣っていたとかではない。

 強いて言えば、葦切自身が桜魔王などものともせぬ実力であれば良かった。それならば話は早かった。

 花栄国一の退魔師一家の当主としても、その力は欲しかった。

 けれど、葦切は鵠には敵わない。

 最強の退魔師には。

 ……そんな葦切の物思いを打ち破るように、桜魔たちは攫ってきた人質の扱いについて話し始める。

「……で、こいつはどうするんだ」

「陛下、それを決めるのはあなたです」

 別に何もかも素直に載陽様の言うことを聞かなくてもいいんですよ、と桜魔王に対し側近の夬が言う。

「私が」

 早花が気を利かせて自分が人質の面倒を見ると言い出した。

 他の血気盛んな連中や、知性があるかも怪しい下位桜魔に任せては葦切が殺される恐れもある。

「わざわざ人質を取ったからには、早々に死なせてしまうのはまずいでしょう」

 生真面目な様子でそう言うと、早花は霊力を封じる手錠で拘束された葦切の背を押して部屋から出そうとする。

 そこに声をかけた者がいた。

「待て」

「……載陽殿。何用でしょうか」

「その男自身も、花栄国と、ここ最近朱櫻国でも名を上げている退魔師だ。今のうちに殺してしまうのが良いでしょう」

 早花に目を向けながらも、載陽は葦切の扱いに対して朔に上申した。

 今は力を封じているとはいえ、本気になったら鵠程ではないとはいえ、並の退魔師より余程手強い相手だと。

「と言ってもなぁ、殺したら殺したで厄介だろう。人質に気を配る必要がなくなったらそれこそあの連中は全力で攻めかかってくるぞ?」

 あまりしっかりと顔を合わせたわけではないが、鵠一行の性質はここ何回かの邂逅で朔も何となく把握している。

 元の狙いであった神刃ならばまだしも、葦切に関してはもともと付き合いの長い仲間というわけでもないだろう。死んだからと言って精神的な動揺を狙えるような相手でもなく、逆に今まで以上に情け容赦のない攻撃を喰らう未来しか見えない。

 夬と早花もうんうんと頷いた。相手を変えて幾度か戦っているが、鵠が、朱莉が、桃浪が、葦切の死体を投げつけられたからと言って悲嘆して戦えなくなるようなタマだとは到底思えない。

「あたしもぉ、そー思いますぅ!」

 極めつけは夢見のその一言だった。

「……夢見。貴様もか」

「だってぇ、あいつらのほとんどはあたしたちと同じ桜魔ですよぉ? 昨日今日会ったばかりの人間一人死んだところでぇ、どうだっていいと思うのぉ」

「……それもそうか」

 逆に葦切が生きている間は、鵠や神刃の心情的にも彼を守るために退魔師側は力を割かねばならない。

 載陽もようやく納得した。かに見えた。

「だが、何も丁寧に五体満足で帰してやる必要もないだろう」

「だから、怪我をさせれば余計怒りを買うと」

「目に見えて負傷させる必要はありません。幻覚の一つでもかけて、この男自身も退魔師たちへの刺客に使えばいいのです」

「……」

 葦切は表情こそ変えないが、内心ではこれまでで一番動揺した。

 自分が殺されるのは構わない。

 だが自分自身が彼らの、退魔師たちの足手まといになるなど――!

 どうすべきか。いっそ何かされる前に自ら舌を噛むべきかと迷い始める彼の前で、桜魔王一行の話し合いはまたしても予想外に緩い方向へと進む。

「お師様、幻覚って簡単に言いますけど、誰がどうやってかけるんです?」

「下位桜魔も合わせれば配下に一人ぐらいその能力を持った者が……」

「いません」

「何?!」

「いないぞ」

「いませんよ、そんな者」

 夬が、朔が、早花が、きっぱりと否定する。

「俺の配下で残った者は肉弾戦に強い者ばかりだ」

「弱いけど多彩な能力持ちという配下は、意外にここには少ないんですよ」

「そういえば私たちも、その理由までは知りませんね」

「貴様ら……! 王を補佐する者がそれでいいと思っているのか……?!」

 ついに載陽の怒りが、朔だけでなく夬と早花にまで向けられる。

 それを、朔は一言で封じた。

「俺がいいと言っているんだからいいんだ」

「!」

「ああ、そうそう。うちに幻覚系の能力者がいないのは、俺がそいつらを全部ぶっ殺したからだ。何か気に食わなくてな。能力を持っている者全てが気に食わないから、これからお前が何処かから連れてこようともそいつも殺す」

「……!」

 朔が本気で凄めば、載陽とて怯む。

 この男は桜魔王なのだ。例え誰が認めずとも、それに相応しい実力があるからこその王だ。それが桜魔の世界だ。

「……では、陛下。この男は部屋に放り込んでおいていいのですね」

「ああ。お前に任せる」

「御意」

 早花が内心ほっとする葦切を連れて出て行った後、載陽は再び朔に話しかける。

「敵に情けは無用」

「別にそんなんじゃない。幻覚系は俺が好きじゃないだけだ」

 かといって暴力を振るうのも大分制限される。桜魔の身体能力は基本的に人間より遥か上だ。霊力を封じて肉体を強化できない退魔師ならば、加減を間違えると殺してしまう可能性がある。

「枷をつけた人間風情一人に何ができる。あいつを助けに残りの奴らがのこのこやってくるまで放っておけばいいだろう」

「……朔陛下」

 載陽は眼光を鋭くし、朔に問いかける。その本心を覗きこむように。

「あなたはあの男に、何か思い入れがあるのではないでしょうね」

「はぁ……?」

 いきなり何を言い出すのかと、朔は頓狂な声を上げる。

「思い入れ? いや、俺にそういう趣味はない」

「そういう意味ではありません」

 ではいったい何を聞かれているのかと、いまいち載陽の真意を掴みかねている朔への答を口にしたのは、意外な存在だった。

「あー、そっかぁ。似てるもんね、あの人と」

 ぱちんと手を叩いた夢見が甘ったるい声で告げる。

「似てる? 誰と誰が?」


「朔様とさっきの人。あと、鵠って呼ばれてた男も似てる」


「は?」

「え?」

 朔と夬は目を丸くした。

「似て……いるか? 俺とあの男」

 完全に予想外の発言をされた桜魔王は、思わず側近の一人と顔を見合わせた。

「ええ? いや、そう思ったことはありませんが……あ、でも」

 夢見の発言に記憶を手繰った夬は、あることを思い出してふと言葉を止める。

「陛下とあの人質を直接結ぶことは難しい……けれど、陛下と鵠なる男が似ているとは、私も感じました」

「髪の色だろ?」

 鵠も朔も、白に近い銀髪だ。しかし瞳の色は鵠は夕闇の藍色だが、朔は桜色である。背格好も大体同じくらいだろう。だがそちらは決して珍しいようなものではない。

「顔立ちも少し。そして鵠と人質も、少しばかり似ています」

「そうか?」

 朔は鵠一行の顔をじっくり見たことがないので、全体的な雰囲気こそ判別できても、細かい造作まではわからない。

 鵠と葦切は髪の色が白銀と黒に近い緑褐色という対照的な色味であるため、印象はまったく異なる。似て……いるのだろうか。

「まぁ、そんなことはどうでもいい」

「……先代陛下が」

 夢見の感想など当てにならないと、切って捨てようとした朔に載陽は何かを言いかけた。

「先代がなんだって」

「……いえ、何でもありません」

「気になることを言うな」

「私の勘違いです。お気になさらず」

 どう見てもそんな雰囲気ではないのに、載陽は朔の追及を許さない。

「貴方が、奴らに油断なさらなければそれで良いのです」

「油断? それはお前の方じゃないのか?」

「ええ。そうですね」

「お師様……?」

 朔どころか夬にまで不審がられながらも、載陽は頑なに理由を話さなかった。


..042


 早花は適当な部屋の一つに葦切を放り込んだ。霊力を封じる枷をつけたまま、その体を椅子に縛り付ける。

 見た目は大人しそうな女であっても、桜魔の腕力は人間より遥かに上だ。ただでさえ拘束されている葦切は無駄な抵抗はせず、そのまま素直に縛られた。

「妙な真似をしなければ、お前の仲間の退魔師たちが来るまでは生かしてやる。そこから生き延びられるかどうかは、お前たちの実力次第だ」

「それで結構です。そちらこそ、罠に嵌めたつもりであなた方の方が殲滅されても恨み言は聞きませんよ」

「言ってくれる」

 早花は葦切の挑発にも乗らず、静かに笑うと、踵を返して部屋を出て行こうとした。その背に、葦切はもう一言声をかける。

「ああ、そうそう」

 部屋を出る直前の早花の足が、次の葦切の一言に止まった。

「先程のお話ですが、桜魔王が幻覚嫌いなのは彼の両親の話からでしょう」

「……は?」

「彼にお伝えください。……いえ、伝えなくてもかまわない。もう知っても知らなくても意味はないでしょうから」

「何の話だ?」

 早花は顔を顰めた。葦切の言っていることの意味がまるでわからない。

「『花鶏様は心配していました』よ」

 葦切は脳裏に別々の二人の青年の容姿を思い浮かべ、そして更に彼らから繋がる一人の女性の話を思い返す。

 総ては彼女から始まった。

「……意味がわからん」

 早花が出ていく。この話を桜魔王に伝えるかどうかはわからない。

 葦切に出来るのはこのくらいだ。

 最近初めて顔を合わせた再従兄弟の力を思い知れば、自分程度がこの大陸の運命を変えられるなどとは思わない。

 捕まっている間、彼は実家の天望家のことを考える。両親のことを考える、鵠のことを考える。

 桜魔の襲撃で話が途切れてしまったが、鵠は恐らくあのことを……彼の両親にまつわることを知らないのだろう。

 彼が倒そうとしている桜魔王が何者なのかを。

 そして葦切は更に、鵠の仲間たちのことも考える。

 人から桜人になった朱莉、桜魔である蚕、桃浪。

 鵠をそもそも救世の道に引きずり込んだと言う、少年退魔師の神刃。

 桜魔の子どもが囮として使われた時、神刃はあくまでも助けることを選んだ。

 葦切はその光景を見ていて自身に某かの揺らぎが起きたことを知った。

 あの時、桜魔王に捕まりそうになった神刃を庇ってしまったのは、だからだということを。

 これまで殺してきた無数の桜魔。

 そのために殺してきた、無数の感情。

 あの少年は自らの胸の奥に埋葬してきた幾つもの感情を揺り起こす。鵠もだから、彼と共にいるのだろうとわかった。

 そうして揺り起こされてしまった感情が、葦切にある想いを起こさせる。

 それは危険な考えだ。全てを崩壊させるかもしれない爆弾だ。

 でも。

 彼らは。もしかしたら。

 考え込む葦切の耳に、不意にこんこんと窓を叩く音が聞こえてきた。


 ◆◆◆◆◆


 天望家当主救出作戦は翌日早朝決行されることとなった。

 一部の退魔師たちが徹夜で立てた計画を、鵠たちで実行する。

「悪いね、一緒に行ってやれなくてさ」

「本当だぜ。だが餓鬼ばっかだと思ったら意外と怖い奴らが多いこの面子で助けに行ったりしたら、葦切が泣いちまうかもしれないからな」

 退魔師協会の代表として、蝶々と兵破が鵠たちを送り出す。

 敵の本陣に人質を取戻しに向かうのは、少数精鋭が原則だ。取り返しに行って人質を増やしては仕方がない。

 それに、退魔師協会の人間が多いと朱莉の魅了者としての術が使いづらいのだ。

「おやおや、あんたたちこそ、向こうで葦切様にあの淡々とした口調で『遅い』なんて言われて泣くんじゃないよ」

「俺たちも行きたかったんだがなぁ」

 蝶々は軽口を叩き、兵破は名残惜しそうに鵠たちを見送る。

「ってなわけだ。行くか」

「はい」

「おう」

「うむ、良いぞ」

「参りましょう」

 不安がないわけではない。不利な戦いになることはわかっている。

 神刃の問題だとてまだ解決していない。

 鵠は蚕とは話したが、その後まだ神刃に声をかけられずにいる。神刃に関しては、桃浪がとりあえず戦いに勝つのが先だと奮い立たせたらしい。

 それでももうこれ以上の時間はかけられない。

「桜魔たちの中に長く人間を置いておくのも問題があるのだ」

 蚕はそう言う。人に敵意を向ける桜魔たちのなかに人間がいるのは危険だ。桜魔王の棲家である朱の森に存在するのは高位桜魔だけではない。

 そうでなくとも救出は早い方がいい。

 五人は朱の森へと向かった。

 何事もなく森までは潜入できる。妖気を辿って桜魔王の根拠地らしき地点を突き止めることも。

 そこにあったのは、指摘されなければ桜魔たちの根城になっているとはとても思えない、一見普通の屋敷だった。

 古びてはいるがそれがまた素朴な味わいとなった、極一般的な民家の一つ。こんな森の中に建っている割には綺麗に手入れが行き届いている。

 屋敷に近づいた鵠たちは朱莉の影渡りの能力で隠れ、まずは外から建物の中を窺っていた。

 しかしいつまでも隠れている訳にもいかない。

「これ以上は影渡りで近づくのは無理です。この子の力の限界です」

 桜魔王の妖力が支配するこの地では、朱莉の配下に収まるような下位や中位の桜魔では存分に能力を発揮できないらしい。

「ま、影の中からじゃ攻撃を仕掛けることもできないからな」

「だが、葦切のいる場所くらいは掴みたいものだ」

「俺たちが適当に暴れれば向こうさんが連れて来そうなもんだけど」

「……いっそのこと、二手に分かれますか?」

「それも一つの手ではあるが……」

 人員を分ければ当然戦力は落ちる。人質の位置もそうだが、桜魔王がどこにいるかもわからない状態でそれは避けた方が無難だろうと鵠は指摘した。

「そうだな。鵠がいない状態で桜魔王と当たれば、葦切どころか私たちも危険だ」

 蚕も鵠の意見に賛成し、また桃浪の意見も一理あると言った。

「私たちが姿を現せば、桜魔王側は必ず葦切を連れて来るはずだ。簡単に殺しはしまい」

「殺すくらいなら最初から死体を軒先に吊るしておけばいいだけだからな」

「まぁ、そう言うことだな」

 人質は生きているからこそ意味がある。嫌な考えだがそう言うことだ。

「……とにかく、近づかなければ話にならない」

 五人は影から抜け出して、桜魔王の根拠地たる屋敷へと近づいた。

「意外と普通の屋敷だな」

「まぁな」

 思わず小さな声で感想を呟いた鵠は、予想外に返ってきた声に慌てて振り返った。

「来るのが意外と早かったな。まだこっちは起きたばっかりだっていうのに」

「桜魔王……!」

 朔はふわりと緊張感のない欠伸などしている。

 起き抜けだと言う本人の申告通り、いつもより妖力が弱い。そのせいだという訳ではないだろうが、接近に気が付かないのは迂闊だった。

 後から考えて気が付いたことだが、朱の森は一面の桜と無数の桜魔の気配が入り乱れて、妖気に気づきにくい土地柄となっていたのだ。

「葦切は無事なんだろうな」

「……ああ、無事だ。殺したらどうせお前らそのまま帰るだろ? 攫った意味がないじゃないか」

 少し間があったことが気になるが、あまり気にしている余裕もない。

「奴を返せ、って言っても無駄なんだろうな?」

「こういう時のお決まりの台詞ってもんがあるだろう? 勇者様」

 そろそろ眠気も覚めたのか、桜魔王は気紛れな猫のようにぺろりと唇を舐めて言う。

「俺に勝ったら、あいつを返してやるよ」

 朔の言葉と共に、彼の配下の桜魔たちも屋敷を飛び出して来た。


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