5.朱に交われば赤くなる
..025
山奥に倒壊音が響く。根元からへし折られた大木が周囲の木々や茂みを巻き込みながら倒れ、その下から二つの人影が飛び出してきた。
一つは白髪に藍色の瞳をした成人男性で、もう一つは淡い白金髪に金の瞳をした十にも満たない少年だ。
二つの人影はぶつかっては離れ、くるくると場所を入れ替えながら戦闘を続ける。
傍目には成人男性が年端もいかぬ子どもを襲っているようにしか見えないが、その力量は、ほぼ互角と言っていい。
「あらあら。鵠様も蚕も、さすがですわねー」
一人せっせと紙に文字を書き霊符づくりに励んでいた朱莉は、大木をへし折って地形まで変えながら戦闘訓練をする鵠と蚕をのんびりと見守っていた。
「さて、こちらの二人は……と」
視線をぐるりと動かすと、また別の戦いが繰り広げられていた。
「ほらほらどうした坊や! もっと本気でかかって来いよ! あの時みたいにさ!」
赤毛の青年に立ち向かう、濃紫の髪に緋色の瞳を持つ十代半ばの少年。桃浪と神刃だ。こちらの二人は鵠たちと違い、二人とも手に武器を握っている。
「何故、こんな奴と……!」
神刃は悔しげに顔を歪めながらも、桃浪との手合わせは良い鍛錬になるらしく、全力で攻撃を仕掛けている。
今は基本の剣技の上達を狙っているらしく、お互いに刀と小太刀を打ち合わせての一対一だ。
桜魔である桃浪は妖力、退魔師である神刃は霊力で得物を強化しているため、武器選択による不利はあまりない。勝負を決めるのは、純粋に力量のみであった。
しかし、桃浪はそちらも一流だ。
「これじゃ甘いぜ!」
「くっ」
素直に斬りかかっていく神刃は、彼の腕前ではまだまだ桃浪に遊ばれるようだ。
「……でもかなり強くなりましたわね」
肉体を鍛えても反映されない桜人になってしまったため、鍛錬にほとんど意味をもたない朱莉はせっせと霊符づくりに励む。
蚕や桃浪は桜魔ながら戦闘の技術を磨いて更に強くなると言うが、朱莉にはそのやり方はあまり向かない。男連中に交じるよりも、今は道具としもべの数で支援に回り、個人戦闘力の向上は陰で地道に続けることとする。
それでも彼らは日々強くなり、退魔師集団としての腕を上げている。
もともと神刃と朱莉の二人で行っていた活動に神刃が鵠を引きこみ、更にひょんなことから、桜魔でありながら桜魔王を倒す目的を持つ蚕と桃浪が加わった。
桃浪の目的は桜魔王に殺された養い親の仇討ちだが、蚕にいたっては彼自身が過去の記憶をあまりもたないため、何故桜魔王を倒したいのかもわからない謎の少年だ。
それでも今、五人は目的のために一丸となって動いている。
総ては、桜魔王を倒すために。
◆◆◆◆◆
夕暮れの時間を、黄昏という。
すれ違う相手の顔もわからぬ「誰そ彼」が変化したもので、これに対し明け方は「彼は誰」時と呼ぶ。その一方、夕暮れはこうも呼ばれることがある。
逢魔が時。
しかし現在、この緋色の大陸において薄闇の帳降りる黄昏時は、こう呼ばれる。
桜魔が刻、と。
桜の樹の魔力と、地上に溢れる瘴気、そして人間の憎悪や邪悪な思念。そのようなものが結びついて凝り、地中から生まれた妖魔、その名を桜魔という。
桜魔の被害は年々広がり、桜魔王と呼ばれる存在が出現したことから、ついに人類は存亡の危機に瀕することとなった。
桜魔が桜の樹の魔力を核として生まれるように両者には相関関係があるのか、桜魔の勢力が増すたびに桜の季節は長くなり、今では緋色の大陸では、一年中桜の咲かぬ日はない。
度々桜魔の襲撃に遭う人類は、滅びの運命を目の前にしながら、細々と生を繋いでいる。
だが、僅かながら希望もあった。人類の中には稀に桜魔に対抗できる能力者が生まれるのだ。
その能力者を、退魔師と言った。
人間はその身一つで桜魔と戦うにはあまりに非力だ。しかし退魔師ならば、霊力を用いて彼らの妖力に対抗できる。
退魔師協会に登録する正規退魔師、そして協会に登録していない非正規退魔師たちは、依頼を受けて桜魔を退治し謝礼を受け取って生活している。
しかし退魔師の数はあまりに少なく、その能力の強さも個人差が激しかった。各国の王も疲弊した国を支えきれず政府は形骸と化し、退魔師を集団で率いて桜魔に対抗するよう音頭をとれる存在がいない。
そのため、桜魔王の存在を掲げて襲撃を繰り返す桜魔に対抗できるだけの勢力が、現在この大陸には存在していなかった。
失われた平穏な時代を取り戻すため、人類は桜魔王を倒す勇者の登場を希求していた。
◆◆◆◆◆
「そろそろ、朱櫻国へ戻ろうと思うのですが」
依頼がないため一日を山奥での鍛錬に費やした鵠たちは、夕食の席で朱莉のその言葉を聞いた。
「朱櫻国?」
「戻る?」
朱櫻はこの花栄国の隣国だ。行き来するのにそれ程大変な場所ではない。
あくまでも地理的な問題においては、だが。
「朱莉は朱櫻国の人間だったのか?」
食べなくても生きていけるとのたまいながらも、普通に皆と同じように食事をしている蚕が無邪気な子どものように首を傾げて尋ねて来る。
「ええ。朱櫻国の嶺家という家に世話になっていました。今は桜人となったので戸籍上は死亡扱い……のはずなのですが、元々退魔師として活動していたので特に変わらず生活させてもらっていますね」
「退魔師程、第三者から見て実情不明の職業もないからな」
長期に家を空けても真夜中に外出しても怪しい武器を持ちこんでも「退魔師だから」の一言で事情説明が済む。普通の家庭はともかく、朱莉が貴族の令嬢として暮らしていた頃から家族にもそういう生活について説明していたのなら、それで納得が――行くわけがない。
「お嬢が桜人だということまで、家族は知っているのか?」
娘が自分の意志で人でなくなって納得する身内などいるはずがない。
「今の当主はお兄様ですが、元々は従兄弟なんです。私の実の家族が桜魔に殺されたことも、それで退魔師になったことも御存知です。私が桜人になることを決意した頃は朱櫻国そのものも国王陛下が桜魔対策に新しい方針を打ち出したりと、何かと騒がしかったもので」
「ああ……朱櫻国は、国王が退魔師協会と連携して桜魔への対抗に力を入れている国だったな」
朱櫻国。
その国は現在、大陸で最も桜魔に対抗する力を集めている国。しかし同時に、近隣諸国からは桜魔の大量発生の原因として忌み嫌われている国でもある。
今の国王の父、先代朱櫻王・緋閃は、周辺諸国に戦乱を広げ大陸を嘆きの炎で包み込んだ。その嘆きが桜魔と言う新たな火種となり、現在緋色の大陸が人類滅亡の危機に瀕している原因である。
「朱櫻の国王が代替わりしてから今三年だったか……父親の失態を取り戻そうと頑張ってはいるんだろうが、あんまり芳しい成果は得られていないようだな」
鵠が言うと、何故か朱櫻出身の二人が意味深に目を見交わした。
「うふふふ。そうかしら。ねぇ、神刃様」
「……この話題で俺に振るんですか、朱莉様……」
楽しそうな朱莉と違い、神刃は複雑な表情をしている。鵠はその表情に不審を感じた。
神刃の顔の中には朱莉の態度に呆れている様子の他に、若干の申し訳なさが含まれている気がする。申し訳なさ。それは、誰に対するものだ?
鵠の疑問が追求される前に、横から興味津々といった顔つきの蚕が口を挟んだ。
「朱櫻国はそれでも桜魔対策について一定の効果は発揮しているな。私も興味がある」
「お前さんの目的からすればそうだろうが、まさか桜魔が退魔師協会の門を一人で直接叩くわけにはいかないだろうからなぁ」
「その通り」
こちらはあまり興味のない顔で話を聞いていた桃浪が、蚕の事情とその後の選択を揶揄するように笑う。
一人で退魔師協会の門を叩くことができないからこそ、蚕や、同じく桜魔王を倒す目的を持った桜魔の桃浪は、鵠たちと知り合ったことをこれ幸いと押しかけて来たのだ。
「退魔師協会の目標は退魔師の数を増やして桜魔王に対抗するってところだろ? そんなに上手く行くかな?」
「実際にそれで桜魔王を倒せるかはともかく、桜魔の襲撃被害に対する効果は出ているな。徒党を組んだ雑魚共に対しては弱い退魔師を組ませて当て、実力者には高位桜魔と当たらせる」
「それに、大陸中に桜魔被害を広げた緋閃王の悪名を祓い、朱櫻国の立場を取り戻すためには、積極的に桜魔から大陸を救うために音頭をとる必要があったのです」
朱莉は先程とは一転して憂いを帯びた瞳で語る。朱櫻国民や朱櫻国の退魔師に対する心象はまだしも、朱櫻国王緋閃に対する各国の印象はまだ悪い。
ただ、この世界で最も緋閃王を嫌っているのは他でもないその朱櫻国民であろう。
そして、今の国王は父親の尻拭いをすることが生まれた時から決定されている、ある意味可哀想な存在とも言える。
一歩間違えれば父親の代わりに憎悪を向けられそうなものだが、現在十三歳、即位はそれよりも幼かった少年王が真っ先に掲げた目標が桜魔の殲滅により大陸に平和を取り戻すことであったために、周囲は何も言えなくなった。
そんなわけで朱櫻国は、あらゆる意味で退魔師と桜魔の戦いの中心部なのだ。
「ここのところ桜魔の襲撃が少なくて依頼もないですし、皆様も一緒に行きましょうよ」
朱莉はまるで観光にでも誘うような口調で、いつも通りに内情は酷いことを平然と口にした。
「望まなくても桜魔の襲撃が降ってくるような、大陸最悪の戦場へ」
..026
鵠たち一行は朱櫻国を訪れた。
「お嬢の実家はどこだ?」
「首都です」
退魔師協会の本部も存在する、まさしく朱櫻国及び退魔師世界の中心部だ。
距離的には大したことはないので、僅か半日程で辿り着いた。
退魔師の身体能力は霊力の扱いによって常人より大きく引き上げられている。ただ走るだけでも馬車並の速度を出せる。蚕と桃浪の桜魔組については言うまでもない。人より強大な力を持つからこその桜魔だ。
朱櫻国の空気は、一見してわかる程に花栄国と違った。
花栄国よりも活気がある。だが、同時に人々はせかせかとしていて余裕がない。焦燥と不安が花栄国よりも強い。
衰退しつつもなお力を持つ朱櫻国の強さと、桜魔どころかこの大陸中の恨みを買っているという不安、恐れ。
ああ、そうだったと鵠は思い出した。何よりこの国はこれがあるから、依頼でもなければできる限り近寄らないようにしていたのだ、と。
しかしそう思うのは鵠だけのようで、この国出身の朱莉と神刃は慣れた顔をしている。
蚕と桃浪の桜魔二人にいたっては、どことなく楽しそうな様子だ。桜魔がこんな風に堂々と日中の大通りを当然のように歩くこと自体が珍しいからだろう。
「この街は花栄国の王都より活気があるな!」
「と言っても、せかせかした活気だけどな。みんな外を歩くのに怯えてやがる」
「当然のことだろう。だってこの国は――」
神刃の台詞の途中で、全員がふっと空を見上げた。
「言ってる傍から来なすったぜ」
遠い青空に黒い染みのような影を見つけて桃浪が喜び、鵠が臨戦態勢に入る。
「お嬢、場所はあるか」
「もう少ししたら、先日の襲撃で壊滅した一角があります。そこで撃ち落としましょう」
桜魔の群れが、この場所を目指していた。
◆◆◆◆◆
鵠たちがその場所に到着する頃、ようやく街の人々も襲撃に気づきだした。蜘蛛の子を散らすように慌てて人影がそれぞれの建物の中に避難する。
「避難が迅速だな」
「さすがに退魔師協会の御膝元ですもの。それにここ数年は国王陛下が陣頭指揮を執って、桜魔の襲撃に対する策として見張りを置いているのです」
「ほぉ」
街人たちの避難状況を思えばその見張りとやらは、ここにいる全員より力が下だ。恐らくこの国で真っ先にあの襲撃に気づいたのは鵠たちであり、見張りはその後に街人たちに指示を出したのだろう。
だが、そのおかげで鵠たちがわざわざ人を割いて避難指示を出す手間が省けた。ここにいる五人全員であの襲撃に対処できる。
「この国の退魔師が来るなら、私たちは退いた方がいいのではないか?」
蚕がそう問いかけるが、鵠はこう返した。
「いや、俺たちの存在を知らせるなら早い方がいい。大体首都が桜魔に襲われているのに何もしなかったなら、どうせこの国の退魔師の信用なんて得られまい」
退魔師協会とどこまで連携をとるのかはまだ鵠も決めかねている部分があるのだが、とりあえず恩を売っておくに越したことはあるまい。
「それもそうだな」
「蚕、桃浪。お前らは正体がばれないように行動しろよ」
姿だけ見れば、人間にしか見えない高位桜魔二人に言い聞かせる。桜魔の気配は完全に隠せるものではないが、幸いにもこちらは桜人にして魅了者の朱莉がいる。
彼女の従える無数の配下の桜魔の気配と入り混じって、余程気を付けていなければ蚕や桃浪が桜魔であることには退魔師であっても気づかれないはずだ。
「了解」
「わかったよ」
朱櫻国は、あらゆる意味でこの大陸の中心だ。
そもそも桜魔ヶ刻と呼ばれるこの時代が始まったのは、先代朱櫻国王・緋閃の所業による。近隣諸国に侵略を行い戦火を広げ、彼はあらゆる嘆きをこの大陸に生み出した。
桜魔と呼ばれる妖はそれまでにも存在していたのだろうが、爆発的に増殖して力を持ったのは僅かここ数十年のことだ。
朱櫻国は先の戦争においても、現在の桜魔ヶ刻に関しても、大陸中の人々の怨嗟を向けられる立場だった。
だが、この国の苦悩はそれだけではない。
緋閃王の悪名を拭い、朱櫻国の立場を取り戻すために、現在の王は退魔師協会と連携して、桜魔への対策を進めている。
それ自体は良い事だ。愚かな父王の後を継いで、負の遺産を返済しつつ大陸の平和を取り戻すために奮闘する現在の少年王に関して近隣諸国は期待の目を向けている。
しかし、その過程で朱櫻はまたしても新たな問題を抱えることとなったのだ。
「この国は現在緋色の大陸で最も桜魔への抵抗を行う国だ。そりゃあ、桜魔側もこぞって襲撃してくるだろうよ」
桃浪の言葉に、鵠や神刃は顔を顰める。
理屈としては理解しているが、なんともうんざりする話だ。
桜魔たちは朱櫻が退魔師をまとめ上げ桜魔王を打ち倒すために旗を掲げる抗桜魔戦線最前線の国と見なし、他の国よりも頻繁に手下を差し向け激しい襲撃を行うのだ。
王都に住んでいる民にとっては、たまったものではない。
「――私たち桜魔には、根本的に『親』に対する憎悪が刻み込まれているんだ」
その見た目の稚さとは不相応に、静かに言い聞かせたのは蚕だった。
「桜魔は皆、望んでこの世に生まれ落ちたわけではない。死者の恨みを引きずったまま、完全な生者にもなりきれず魂の焦燥にかきたてられ、ただ、人を襲う。それは桜魔自身にとっても苦しみだ」
「苦しみ? この戦闘狂のように、どう見ても楽しんで人を襲っているように見えるが?」
桃浪を顎で示しながら、鵠は口を開く。
蚕自身は例外としても、鵠が知る限り人を襲わない桜魔などいなかった。なまじ生前に近い姿のまま正気を失ったように暴れ回る桜魔の姿には憐れみにも似たものを覚えるが、それで彼らに情けをかけてやろうという気持ちにはならない。
「ああ、そうだ。だから『苦しみ』なのだ。彼らに引導を渡してやれ。そして今度こそ、魂の安寧を――」
「……」
鵠だけではなく、神刃も朱莉も、桃浪さえもそれを粛々とした面持ちで聞いている。
一体、桜魔とは何なのだろうか。
ここにいる蚕や桃浪は、それぞれ外見も性格も性情も大きく違う。そして見た目の話だけでなく、彼らは一個の人格を持ち知性を持ち、人間と同じように行動する高位桜魔だ。
彼らのように人間との違いをその凶暴性や妖力の強さ以外で判断するのが難しいような高位桜魔が存在する一方で、下位の桜魔は人格も何もない猛獣として行動している。
それら下位桜魔にしても、人の恨みとその姿を強く残して狂人のような行動をとる幽鬼に近い桜魔もいれば、完全に獣の見た目ながら知性を宿し冷静な行動をとれる桜魔までいるのだ。
人間たちはそれらの桜魔をあまり詳細に分類せず、ただ高位・中位・下位程度と実力分けして呼んでいる。
どれほど人に近かろうが、人とは似ても似つかぬ獣や蟲の容であろうが、成り立ちが同じ桜の魔力と瘴気と死者の怨念からであれば、それは全て桜魔と呼び表し憎むべきものなのだと。
これまで桜魔の分類に関しては、鵠はあまり気にせずに生きてきた。今になってこんな話をしているのは、偏に蚕と桃浪の存在である。
そして自ら桜人となることを選んだ朱莉や、その事情に関わっているらしい神刃も、桜魔の存在の在り様については何か思うところがあるらしい。
「まぁ、魂の安寧とやらの話はあとにしようぜ」
だが今は議論を交わしている暇はない。
「来ましたわね」
下位桜魔ばかりとはいえ、空にぽつんと浮かぶ雨雲の如く涌いて出られるのは厄介だ。かなりの数の桜魔がこちらにやってくる。
街の中心に入る前にその足を止めさせようと、鵠は神刃に合図する。
神刃の放つ矢が下位桜魔の群れの先頭にいたものたちを次々と射抜き落として、集団の注意をこちらに引きつけた。
「さて。それじゃ、やるか」
「おう」
鵠の言葉に桃浪が楽しげに頷く。蚕もいつも通り穏やかな微笑を取戻し、朱莉は無表情で、神刃は顔を顰めたまま頷く。
空から次々と飛び込んでくる桜魔の群れを相手に、鵠たち一行の大暴れが始まった。
..027
彼女たちがやって来た時、すでに戦いは終局を迎えようとしていた。
「姐さん、こりゃ一体」
「これは……どういうことだい?」
一緒に連れてきた退魔師の一人である少年が、蝶々に尋ねる。だが彼女とてまだこの事態を把握できてはいない。
彼女たちは、朱櫻国の退魔師だ。特に蝶々は正規退魔師であり、以前から国王と面識がある。桜魔対策が実施されるようになってからは、退魔師協会と国王を繋ぐ重要人物の一人である。
十代半ばの少年に姐さんと呼ばれはしたが、彼女自身とてまだ二十歳を過ぎたばかりの若者だ。
「蝶々、あの連中は?」
桜魔たちの群れの中、霊力を振るって暴れている一団がいる。退魔師として桜魔を退治しているというべきなのだろうが、あまりに派手すぎて暴れているようにしか見えないのだ。
だがその連中の中に知った顔を見つけ、蝶々は事態を把握した。
「朱莉!」
「知り合いか? なら」
男が声をかけ、蝶々は引き連れてきた退魔師たちに聞こえるように返した。
「ああ。あたしの知人だよ! お前たちも聞いたことくらいあるだろう! 嶺家の朱莉お嬢だ!」
「なるほど」
「じゃあ、突っ込んでいいわけだな」
「ああ! あいつらに負けずに派手にやりな!」
蝶々からの合図で、朱櫻国の退魔師連合も一斉に飛び出した。
鵠たちが取りこぼした、あるいは取りこぼしそうな雑魚から、後回しにされている厄介な性質の桜魔まで次々に片付けていく。
「来たのか、朱櫻国の退魔師」
「知った顔がいますね」
神刃が先に蝶々に気づき、朱莉を促す。
退魔師たちの纏め役の女を見て、朱莉はぱっと顔を明るくした。
「蝶々!」
「朱莉! 元気だったかい? ……なんて、この様子じゃ聞くまでもなさそうだね!」
元気も元気、朱莉は街中ということを慮って配下の桜魔は出さないまでも、霊符だけで片っ端から雑魚を燃やし尽くしている。
朱莉の友人である蝶々は薙刀使い。朱莉との連携も完璧で、この二人が揃った場所からは少し手強い大物から雑魚まで、次々に焼かれ裂かれ消し飛んでいく。
「……なんだ、あの物凄く怖い美人は」
「――朱莉様の御友人、朱櫻国の正規退魔師・蝶々さんです」
鵠の言う「物凄く」が怖いと美人のどちらにかかっているのか一瞬考えてしまった神刃だが、迂闊にそれに触れることは何とか避けて疑問の答だけを口にした。
「おお。さすがにこれだけの人数がいれば楽になるな」
一人異様に幼い見た目で浮いていることも気にせず、蚕は朱櫻国の退魔師たちの加勢を素直に喜んでいる。
「えー、倒す人数が減るじゃんかよ」
桃浪の方は相手が雑魚でも自分なりのやり方で楽しんでいたのか、手出しは余計だと言いたげに唇を尖らせた。
「せっかく被害が減りそうなのに変なことを言うな。お前から先に叩きのめすぞ」
そんな桃浪の不謹慎……とも、彼にとっては当然とも言える態度に神刃が不機嫌になり、睨み付ける。
「……なんでもいいから、とりあえず目の前の敵を倒せ」
鵠が呆れながらそんな二人を諌めた。だが周囲の退魔師たちを最も驚かせたのは、むしろ鵠のその言葉だった。
この桜魔の群れは、並の退魔師一人なら手こずる相手ばかりだった。神刃や桃浪が相手をしている中位桜魔は、気を抜けば一人前の正規退魔師でも危ない程の強敵に見える。
それを鵠は、雑魚と一緒くたにしたのだ。倒せて当然、と言わんばかりに。
そして彼に応える二人も。
「はいはい、わかったよ大将」
「すみません、鵠さん」
桃浪は引き続き不真面目に、神刃は生来の真面目さを取り戻して、鵠の言うとおり、目の前の敵に当たる。
鵠自身は先程からこの集団を率いている頭――群れの中に一人交じっていた高位桜魔を相手しているのだ。
本来なら戦いながら軽口を叩く余裕などない程の強さなのだが、鵠はまるで問題にしていない。
伊達に最強の退魔師と呼ばれた過去を持っているわけではない。その辺の一般退魔師と一緒にされては困る。
「何なんだ、貴様は……?!」
退魔師たちが増援を得て明らかに不利な形勢になった桜魔たちの頭は、目の前の男の強さこそ予想外だと苛立ちを表に出す。
「ああ? なんだ、知らないのか」
鵠は不愉快そうに舌打ちをしながら、目の前の高位桜魔にこう言いながらトドメの一撃を食らわせる。
「桜魔王に伝えておけ。のうのうとしていられるのも今のうち。次こそ殺す、ってな」
「貴様……まさか、華節を倒したという――」
「お前もここで終われ」
相手に最後まで台詞を言わせることなく、容赦なく鵠はその胸を貫く。
あまりの強さに朱櫻国の退魔師たちは自分たちの戦いも一瞬忘れ、その光景に見入っていた。
「あのー、鵠さん?」
朱莉が一言物申したい、と言った様子で小首を傾げながら声をかける。
「殺してしまったら、桜魔王に伝えるも何もないんじゃありません?」
「……おっと。しまった、つい」
気の抜けた様子に、ついつい周囲の気も抜けそうだが、まだ戦いは終わっていない。
一人の退魔師に桜魔が背後から迫っているのに気付き、鵠は叫ぶ。
「後ろだ!」
すぐさま援護に入ろうとするが、少しばかり距離がある。チッと軽く舌打ちして懐剣を投げようとしたところで、相手の桜魔が崩れ落ちた。
「え?」
それだけではない。周囲の雑魚が次々に消えていく。消える寸前、その額に刺さった苦無のような形の武器が見えた。
新たな援軍の登場に、蝶々がほっとしたようにその名を呼ぶ。
「天望殿!」
――え?
鵠が、神刃が、朱莉が、一瞬行動を止める。蚕や桃浪も怪訝な顔をしている。
鵠の苗字は天望だ。だが蝶々が今呼んだのは、明らかに彼ではない。
いつの間にかやってきた一人の青年が、武器を投げながらこの場のまとめ役である蝶々に話しかける。
「蝶々殿、それに退魔師協会の皆さんも。御無事ですか?」
「援軍感謝します! 群れの頭は倒されたので、もう後は雑魚掃除だけですね」
「……なるほど」
青年は一つ頷くと、ますます投擲武器の数を増やし、その一撃で確実に雑魚桜魔の数を減らしている。
そして鵠たちや最初の援軍である退魔師たちの奮闘もあって、すぐに全ての桜魔が倒し尽くされたのだった。
◆◆◆◆◆
「朱莉!」
「蝶々!」
結構な緊迫感あふれるはずの現場は、仲良く抱き合う女子たちの姿によって緩和された。何がなんだかわからないが、この相手がこれだけ親しそうな相手なら悪いことにはなるまい、と言った感情だ。
「……見慣れぬ顔がいるとは思いましたが、蝶々殿の御知り合いでしたら大丈夫そうですね。私はひとまず先に協会へ戻ります」
「はい。御支援、ありがとうございました。天望殿」
蝶々が丁寧に頭を下げる。
先程から天望と呼ばれている青年はそれを受けて自分も礼を返すと、あとの面子はまるで気にした様子もなく去っていった。
「朱莉様、あの人は……?」
「いえ、私も存じません。少なくとも二年前までの退魔師協会にはいなかった御仁ですわね」
神刃が朱莉に青年の素性を聞くが、芳しい答ではない。彼が「天望」と呼ばれていることを、鵠たち全員が気にしていた。
しかし今はそれを追求するよりも、朱櫻国の退魔師たちとの顔合わせが優先だ。
「嶺家のお嬢、そっちはあんたの知り合いかい?」
「お久しぶりです、兵破さん。その通りですわ」
朱莉は退魔師たちに、鵠たちを軽く紹介する。
「神刃様は時折この国にも来ているので御存知の方もいるのではないかしら。そして、こちらの方が鵠様。花栄国で退魔師をされています」
ざわざわと朱櫻国の退魔師が騒ぎだす。
「花栄国の鵠……?」
「ってまさか、何年か前に最強の退魔師って噂が立った……」
何年か前は余計だ、と思いつつ鵠は突っ込まない。確かに一時期噂が大きく立ったが、それ以来人と組むような仕事をしていないのでもう昔の話ととられていても仕方がない。
……別に鵠の腕が落ちたわけではない。
だが、ある女退魔師のこんな言葉は気になった。
「葦切様と、どっちが強いのかしら」
葦切? とはもしかして、先程この場を離れた、天望と呼ばれていた青年のことだろうか。
「こちらの二人は鵠様の仲間です」
朱莉が桜魔二人についても、何食わぬ顔で自分たちの仲間として紹介する。
「へぇ……ってことは、坊やの執念が実ったわけだね。まさか最強の退魔師を自分の陣営に引っ張りこんじまうなんてさ」
蝶々の言い方からすると、彼女もまた、神刃が桜魔王を倒すために強い退魔師の協力を求めて行動していたことを知っているらしい。
神刃は彼女の威勢に押され気味なのか、苦笑しながら頷いていた。
「ま、積もる話は後にしよう。いつまでもこんなところにいたくないだろ? とりあえず移動するよ」
桜魔は死体を残さないが、戦場となった場所はぼろぼろだ。
「移動はいいが、どこに向かうつもりだ?」
問いかけた鵠に、蝶々は当然のように言った。
「決まっているだろう? この国の退魔師たちをまとめ上げるお方、国王陛下のところへさ」
..028
王宮へと向かうことになった。
……この展開はいきなりすぎないか? と内心で疑問符を浮かべる鵠の様子など知ったことではないという調子で、朱莉と蝶々は彼らを案内する。
朱櫻国の王宮は朱い。
この国特有の、朱い桜が咲いている。だから『朱櫻国』なのだ。桜魔の被害が広がるずっと前から、この国はこうだった。
今は朱櫻の朱い桜は、人の血を吸った妖樹なのだと言われている。
緋閃王の狂気がこの国に残した傷跡は深い。
「着いたよ」
蝶々が何事かを門衛に話すと、彼らはあっさりと通された。平時と違い今は桜魔との戦いを行っている。
「ざるな警備、と言っていいのかい?」
「国王陛下の勇気ある決断と言ってほしいね」
桃浪の言葉に、蝶々は唇を尖らせて反論する。
「近隣で桜魔の被害があった時に避難してきた民が逃げ込むためや、退魔師協会とのやりとりを密にするためにあえて入り口を開いているんだよ。民を見捨てて王様だけが無事でも仕方ない。それが現王のお考えさ」
蝶々は国王を直接知っているらしく、気さくな調子で説明する。
非常時であるため今の王が人前に姿を現したことはない。人類が滅びるかどうかの危機を前に、戴冠式さえも行われなかった。だからこそ王の姿を目にすることの価値も今はそれほどない。
だが、蝶々の様子からすると、現国王は父親である緋閃とは違い、年上である彼女がそれなりの信用を置くだけの人格者であるらしい。
「ほら、お迎えが来たよ」
「蝶々姐さん、朱莉お嬢さん、二人ともよくおいでなさった。お仲間の方々も」
「辰」
廊下の向こうから、青年が一人歩いてきた。
「それに神刃も、久しぶりだね」
「ああ、うん……久しぶり、彩軌」
神刃と朱莉、二人で呼ぶ名前が違うことに鵠たちは怪訝な顔を見合わせた。
「初めまして、“勇者さま”。俺は情報屋の辰、または彩軌と申します。どちらでもお好きなようにお呼びください」
鵠の白銀髪ともまた違う白髪に鳥打帽を被った青年だ。外見は二十代半ば、鵠と同じような年頃に見える。
「鵠だ。こっちの二人は蚕と桃浪」
「はいはい。神刃のお仲間にしては随分『個性的』な方々ですね」
彩軌の言い方に、鵠はおや、と片眉を上げる。
高位桜魔と人間の外見上の区別などつかない。退魔師でもない人間が二人の正体に気づくはずもないのに、彼は一目見てそれを理解したような口ぶりだ。
いやそれだけではない。彼は――。
「あんたこそ、朱莉と同じくらい『個性的』だな」
「ええ。俺とお嬢は結構気が合うもので」
なるほど、朱莉が桜人になった背景にも色々事情があると言っていたが、そのうちの一つが、この目の前にいる青年桜人のことらしい。
蚕と桃浪はさすがに同族だけあってすぐに気づいたらしく、わざとらしく友好的な笑顔で握手など交わしている。
「ここが王宮内だとは思えない光景だな」
「うふふふふ」
桜魔討伐を進める王国の王宮内で、桜人と桜魔が握手をしているのである。呆れる鵠の横で、朱莉が思わせぶりに笑った。
彼女はいつも通りだが、神刃の様子が先程からおかしいことには鵠も気づいている。だが何も言わない。今は。
「蒼司……国王陛下の御部屋はあちらですよー」
彩軌の案内で、鵠たちは王宮の更に深部へと向かうことになる。
通された場所は謁見の間と呼ばれるところだった。
物語でよく王様が部下や賓客、訪問者と対面するあの部屋だ。
「堅苦しいのはお嫌いで単刀直入なやりとりを好むと連絡を頂いていますので、そのようにしました」
「謁見の間に通されてそう言われてもな」
彩軌の言葉に鵠が溜息で返すと、続く言葉は部屋の奥の玉座から返った。
「ごめんなさい。そうでもしないと、僕が王だと口で言うだけでは信じていただけないかと思いまして」
まだ玉座まではかなり距離があるが、少年には聞こえていたようだった。
少年――そう、朱櫻国の王は若い。
年の頃は十三、四と言ったところか。
「初めまして、天望鵠様。そしてお仲間の皆さん。朱櫻国王、朱櫻蒼司と申します」
悪逆非道で有名な父を持つとは思えない、素直そうな少年だ。
だが、鵠はこの少年に関し、名前や性格よりも真っ先に容姿が気になった。
濃紫の髪に緋色の瞳。そこまでは朱莉も同じだし、この国ではよくある組み合わせなのだろう。しかしその少年の顔立ちは。
「神刃」
「兄上」
鵠が自分の隣に立っている少年の名を小さく呟いたのと同時に、玉座の少年も彼を呼ぶ。
だがそれは名ではなく二人の関係性を示す言葉だ。
――兄上?
誰が? 神刃が? 朱櫻国王の?
つまりそれは――。
「お久しぶりです」
「久しぶり、蒼司」
弟と目される国王に話しかけられて、神刃は苦い顔をしている。
「神刃」
鵠は改めて、きっちりと全員に聞こえるようにその名を読んだ。
「ちゃんと説明しろ」
「はい。……そのつもりです、鵠さん」
神刃が朱櫻国王の「兄」?
そんな話は聞いていない。
剣呑な空気を感じ取った少年王もすっと表情を引き締め、一同をまずはゆっくりと話ができる場所へと案内する。
「こちらへ。個人的に親しい客とお話しするための、僕の私室があります」
◆◆◆◆◆
「お嬢、あんたがこれまで隠していたのはこれか?」
「ええ。いきなり言ったら吃驚なさると思って」
「すみません、鵠さん……」
「別に黙っているのは構わないんだが……」
心の準備をする時間が欲しかった、とは言いたいような言いたくないような鵠である。
自分自身の身の上も考えれば、あまり神刃にばかり強く言える立場ではない。
「もしかして、神刃兄上のことは内緒だったのですか? すみません、桜魔王討伐に協力してくださる方々だと聞いていたので、てっきり」
「いや……こちらこそすまない、国王陛下。先にこちらの話を整理させてくれ」
「はい。私のことはどうぞお気になさらず」
鵠としてもこの少年王への態度を決めかねていた。いろいろ迷った末、ぶっきらぼうに、不遜とすら言える態度で接することになる。
平時に普通の国の王なら――例えばこれが花栄国の国王だと言うのなら、それこそ相手が五歳児だろうと鵠は王に相応しい礼をとったことだろう。
だがここは朱櫻国、大陸中に戦乱を広げ無数の桜魔を生み出した、退魔師の本拠地でありながら天敵とも言える国。その国の王。
現国王である蒼司に罪はない。それはわかっているのだが、迂闊に彼に謙る訳にはいかない。
緋閃王の悪名が雪がれるまでは、朱櫻の国王に対し退魔師が下風に立つ訳にはいかないのだ。
そしてその緋閃王は――。
「話をするのなら、蚕と桃浪には出ていてもらいます?」
朱莉が桜魔二人を眺めながら、入り口の方を指差す。鵠は首を横に振った。
「ここまで来たら答を言ったも同然だろう。ついでにこいつらの正体も教えてしまえ」
そう、こっちの問題もあった。蚕と桃浪に関しては今のところ協定を結んでいるが、相手が桜魔である以上完全に信用していいものかもわからない。それを考えれば神刃が自分の素性を黙っていたのも当然の話だ。
これは、誰彼かまわず口にしていいような話ではない。
――私たち桜魔には、根本的に『親』に対する憎悪が刻み込まれているんだ。
先程の戦いの前に、蚕はそう言っていた。
鵠の思考を余所に、促された神刃は蚕と桃浪の正体を弟王に告げる。
「蒼司。こいつらは蚕と桃浪。桜魔だ」
「桜魔……なのですか?」
蒼司は神刃の爆弾発言をごく普通に聞いていた。驚いていないわけではないらしいが、思ったより反応が薄くて鵠は怪訝に思う。その疑問は朱莉の台詞によってすぐに解消された。
「蒼司様は二年前の、私と神刃様の間であった事件を御存知なのです。魅了者にして桜人たる私の存在を御存知ですから、多少はね」
「……なるほど」
朱莉は蒼司の方にも、蚕たちの簡単な事情を説明した。
「神刃がお二人を信用なさっているのなら、僕もあなた方を信じます。どうか、桜魔王を倒すために力を貸してください」
「そのつもりだ」
「任せとけ」
人間の王から自分たちの王を倒してくれと頼みこまれ、桜魔二人はあっけらかんと気安く請け負った。やはり眩暈のしそうな光景だ。
「まだ完全に信用したわけではない」
「そうですか。ではそのように」
蒼司とのやりとりに一区切りをつけて、神刃はついに鵠と向き合う。
「鵠さん。……今まで隠していてすみませんでした」
葛藤や羞恥を通りこし、神刃の目にはもう諦観と憂いしか宿っていない。
「俺は、先代朱櫻国王、緋閃の息子なんです」
それは、この大陸で最も憎悪を集める血統。
蒼司王と同じく、大陸中全ての人間と桜魔からの恨みを買う存在だった。
..029
神刃の素性云々に関しては、今更問い質しても仕方がない。蚕と桃浪も特に興味はないらしく、一行はすぐに話を切り替えた。
朱櫻国の退魔師に協力してほしい。そのために退魔師協会に紹介すると国王から告げられた鵠たちは、現在退魔師協会に向かっている。
「ここだよ」
しばらく街を歩いて案内役の蝶々が示した建物は、このご時世にも関わらず立派な三階建てだった。
白い壁に朱塗りの柱、そしてところどころに紫の花模様が大きく描かれている。その花模様が朱櫻国の退魔師協会の紋章だった。
「蝶々! ……そいつらは」
中に入ると、一人の男が声をかけてきた。蝶々の後ろの鵠たちを見て言葉を呑み込む。だが彼に関しては、先程も会ったのでまだマシだ。
怪訝な顔をしているのは、鵠たちを見たことがない他の退魔師たちである。
蝶々が代表し、国王蒼司の意向を退魔師たちに伝えている。そして。
「気に入らねぇな」
やっぱりこうなるよな、と鵠は内心で平然と受け止めていた。
「いくら王様の言うこととはいえ、余所者にそんな簡単にシマを荒らされてたまっかよ」
兵破と呼ばれる巨漢が、鵠を睨み付ける。
彼は鵠たち余所者を不審がる退魔師の代表らしい。
――おかげで話が随分通りやすい。
「そんな餓鬼ばっかり引き連れた優男共に何ができる」
「ん? 俺も入ってんの?」
鵠の相方と言う意味ならこの道に引きずり込んだ神刃なのだろうが、傍目には似たような年頃の桃浪の方がそう見えるようだ。顎で示された桃浪はにやにやとしている。
「ははははは。まぁ、確かに見た目なら鵠と桃浪だけが戦闘員に見えるだろうな」
蚕は外見だけで実力を判断するならまぁ妥当だろうと、いつも通り軽やかに笑い飛ばす。
「私も餓鬼扱いなのですか? 心外ですわ」
元々ここの退魔師協会に所属していたはずの朱莉だが、この場では鵠たちと一緒くたの扱いを受けて不満そうにしていた。
「それを言うなら、図体がでかいだけのあんたに何ができる? 桜魔に筋肉勝負でも仕掛ける気かよ」
「く、鵠さん?!」
平然と挑発し返した鵠に、神刃が焦った声を上げる。協力を求めるために来たのに、いきなり喧嘩を売ってどうするのか。
「あァ? なんだてめぇ」
「こっちの台詞だ。せっかくお上の御命令で仲良くやってやろうと来てやったのに」
自分は別に退魔師協会との協力などいらないと、鵠は言いきる。
「――上等だ。そこまで言うなら、本気で腕っぷしで物決めようじゃねぇか」
そしてあれよあれよと言う間に、兵破と鵠の勝負の場が整ってしまった。
「負けてくれて構わないんだぜ。お前が俺たちより断然弱いとなれば、王様も考え直すだろ」
「そうだな。俺たちさえいれば、あんたたちの協力なんて不要なものだと考え直すだろう」
「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ!」
神刃に腕を引かれた鵠だが、にやりと笑みを返す。その顔を見て、神刃も止めるのを諦めた。
「あれ? 引き下がるのかい、坊や」
「……あれはもう駄目だ。鵠さん、本気で怒っているわけじゃないよ」
不思議そうな顔の桃浪にゆるゆると首を振って見せる。
鵠は本気で喧嘩を売るのが目的ではなく、それを口実に暴れたいだけだと見抜いた神刃は、止めるのを諦めた。
「まぁ、兵破さんの方もあんな安い挑発に乗る方ではありませんよ。ただ実力も知らない相手を無駄に警戒したままぎすぎすしたくないんでしょう」
朱莉の方は兵破の思惑も見抜いているらしく、険悪な雰囲気の男たちを生温い目で見守っていた。
「男同士ってどうして無駄に殴り合うのが好きかねぇ」
まったくやってらんないよ、と蝶々がぼやく。
「まぁ、お互いの実力を知るには確かに一番の方法だな!」
「そうだな」
爽やかに肯定する蚕と同意する桃浪。もはや誰にも止められないと言うより、誰も止める気がないようだ。
殴り合う鵠たちを横目に、朱莉たちは落ち着ける場所へと移動した。
◆◆◆◆◆
壊れた椅子が流れ弾として飛んでくるのを、蚕がひょいと避ける。
「……ところでこれ、誰が弁償するんですか?」
「陛下にでも出してもらったらいかがです?」
思わず問いかけた神刃に、朱莉はあっさりとそう返した。
「こ、こんなことで……!」
青褪める神刃と動じない朱莉の向こうで、鵠と兵破の戦いは遂に終局を迎える。
「くっくっく!」
「はっはっはっは!」
笑い合う二人の男たちは、生傷のついた顔を見合わせるとがしっと腕を組んだ。
「あんた、良い腕してるな!」
「そっちもな! 兄ちゃん!」
そしてお互いの健闘を湛えあう。
「……終わったみたいですわね」
散々殴り合って和解するというベタな方法で交流した鵠と兵破が戦闘を終了する。
周囲でハラハラと見守っていた他の退魔師たちも、それで一旦落ち着いたようだ。
結果的に二人がこうして殴りあったことで、確かに退魔師協会との交流はできたらしい。
兵破はここでは腕利きの一人らしく、あの兵破を……! などとちらほら驚愕の声が上がっている。
戦闘を終えてみれば兵破の方はかなり傷を負っているが、鵠は返り血の方が多いらしく、せいぜい顔を含めた数カ所に青痣を作ったくらいだった。
そう言えば鵠の最初の戦闘方法は、霊力を乗せた拳で桜魔に殴りかかる純粋な肉弾戦だったと度肝を抜かれたことを神刃は思い出した。
そうして一度は落ち着いたかに見えた協会内だったが、新たな波乱の種がやってきた。
「何事です、これは」
蝶々から天望と呼ばれていた青年だ。
「おう、天望の御当主!」
「葦切様」
やはり彼が葦切なのか、あちこちからそう呼ばれている。
気さくな表情で話しかける兵破に対し、顔を顰める葦切は何に不快を感じているのか。兵破の怪我か、それとも鵠の存在か、あるいはこの場所の惨状そのものか。
「強いぞ、こっちの兄ちゃん」
「知ってます」
鵠と今日初めて会ったはずの青年はそう断言した。
「鵠さん、あの方と面識ありますの?」
「いや、ない。……ないはずだ」
鵠たちがここに来た理由を蝶々が説明し、鵠と戦うことになった訳を兵破が説明する。二人の話を聞いた天望葦切なる青年は一つ溜息をつくと、鵠の方へ向き直った。
「鵠……天望鵠殿」
鵠を知っているという発言は伊達でないらしく、彼は鵠がこの国に来て、国王の前でしか名乗っていないはずの苗字を口にした。
「私ともお手合わせ願えますか」
「構わないが、ここでやるのか?」
「ええ。外で騒いで桜魔を引きつける気もありませんので」
「鵠さん」
相手は鵠より更に柳腰の優男。だが、兵破の態度からすると、彼より格上の退魔師に見える。そんな相手ともう一戦するのかと、神刃は鵠の心配をする。
ただでさえ今日は昼前に桜魔の襲撃を退けて高位桜魔と対峙したのだ。
「さっきと同じだ。……俺たち退魔師にとって、相手の事を知りたければ戦うのが一番早い」
しかし鵠は退く気はなかった。
目の前の青年が「天望」である理由と実感を知りたいと思う。
穏やかに睨み合う二人の様子に、自然と場の緊張が高まった。
「それでは――」
葦切が丁寧にも声をかけて。
「行きます」
両者が同時に地を蹴った。
..030
「がっはっはっは!」
酒の杯を酌み交わし、鵠は兵破たち朱櫻国の退魔師たちと親交を深めていた。
「ええと……この事態は一体……」
「男の世界はわからんもんさね」
「俺も男なんですけど……」
「じゃあおっさんの世界とでも思っておけば」
困惑する神刃の相手は蝶々と朱莉に任せ、鵠は今度は酒飲み対決でも始めそうな勢いで飲んでいる。
殴りあって同じ釜の飯を食えばもう仲間ということか、鵠は大分兵破たちと打ち解けた様子だ。
桃浪と蚕もそれぞれ自分のペースで場に馴染んでいる。桃浪は騒がしいノリのいい兄ちゃんとして、蚕はまったく子ども扱いされてと分かれるが、どちらも特に不満はないらしい。
「食べておきましょうよ、神刃さん。こんなところでご飯食べること、最近は滅多にないじゃありませんか」
「ええ……そうですね……」
朱莉は朱莉で食事を堪能していて、神刃にまで勧める始末だ。
神刃は一体何故こうなったのかと、先程までのやりとりを思い返す。
鵠と葦切が戦うことになった、あの後――。
葦切は強かった。
生身の殴り合いをしていた兵破とはまた違う、退魔師としての戦闘を鵠と葦切は行った。
さすがに建物を壊さないような手加減は二人ともしていたが、それでも世間一般の退魔師からすれば同じ人間とも思えない強さだった。
周囲を巻き込まないために、鵠は素手で戦っていた。素手と言っても霊力を籠手か鎧のように身に纏うので、攻撃力は申し分ない。
葦切は道具を使っていた。鵠のように素手の殴り合いは苦手のようだ。と言うか、普通の退魔師はそうである。
朱莉が使うのと同じく呪符や霊符と言われる札、それから苦無と呼ばれる投擲武器。あるいはその二つを組み合わせて着弾してから効果を発揮するもの。
葦切の退魔師としての実力は高い。
だがそれも、ここにいる連中と比べればの話だ。
鵠の敵になるような相手ではない。霊符と苦無の組み合わせで攻撃方法の選択肢は多いが、純粋な戦闘力で言うなら先日戦った華節――桃浪の養い親である桜魔の方が、ずっと強かった。
鵠は純粋な体術のみの腕前で、葦切を圧倒した。
『まだやるか?』
『……いえ、あなたの強さはよくわかりました。これ以上の戦いは無用』
手合わせありがとうございました、と。丁寧にそれだけ告げて葦切はさっさとその場から去っていった。
後に残された鵠たちは結局彼に関してはその強さ以外何もわからず、佇むばかりだ。
そこに改めて声をかけてきたのが兵破たちだった。
散らかった部屋を片付けて料理を運び込み、即席の宴会を始めたのだ。歓迎の印だと言って。
兵破は蝶々とはまた違った意味でここの退魔師たちの纏め役らしく、彼が言うならとその時協会にいた退魔師たちが大勢宴会に参加している。
けれどそこにも、やはり葦切の姿はない。
「しかし、強いなあんた。まさかあの葦切様――天望の御当主殿に勝っちまうとは」
折よく兵破が葦切のことについて話をしてきた。
「あいつは一体何者なんだ? 見たところどっかのお貴族様のようだが」
「ああ、いい家の出らしいぜ……って、ちょっと待て! 花栄国の天望一族を知らないのか?!」
一瞬流しかけた兵破が、呆れて鵠の方を見つめてくる。
「天望……やっぱりあの家か。なんで花栄国の退魔師が朱櫻に来ているんだ?」
「あんたらも似たようなもんだろう? 桜魔王討伐をいよいよ本格的にやりたいっていう王様が、隣国から呼び寄せたんだよ。退魔師の名家、天望家の若当主をな」
「ふーん」
天望。天望葦切。
葦切とは鳥の名前だ。名付けの法則は鵠と同じである。苗字を聞いた時からもしかしてと思っていたが、彼はやはり……。
葦切は貴族の身分といいあの態度といいとても取っつきやすい人物には見えないが、それでもここでは嫌われてはいないようだった。
「まぁ、天望の旦那は実際強いからな。あんたほどじゃなかったが。なぁ、あんたこそ昔花栄を中心に『最強の退魔師』って呼ばれてた奴じゃないか?」
「その通り。花栄の退魔師、鵠だ」
「畜生、やっぱりか」
まったく、すぐに気づくべきだったと、兵破がぼやく。鵠の素性に関しては先の襲撃における戦闘で気づいた者も多かったが、兵破はたまたま鵠の戦闘にそれ程注目していなかったらしい。
「そういや、さっき天望の旦那と何か話してなかったか?」
「いや、別に大したことじゃない。向こうも俺のことを知っていたってだけだ」
そう、知りすぎる程に知っていた様子だ。彼は鵠を「天望鵠」と正式な名で呼んだ。
「なんだ、あんたももしかして有名な家柄のお貴族様だったりするのか?」
葦切は喧嘩っ早い性格ではないし、最強の退魔師と知って好んで戦うような性格には見えない。そこから兵破は推察したのだろうが、鵠は一応否定しておいた。
「そんな良い身分じゃねぇよ。だったら花栄でちまちま非正規退魔師なんぞやってないさ」
「おお! 俺らと同じ立場かよ! それを早く言えよな!」
兵破は感情表現が激しいらしく、その筋肉によってふとましい腕で、ばしばしと鵠の背中を叩いてくる。
「最近の朱櫻は王様の意見でもう退魔師ならなんでも集めているからな。俺たちも随分この国を歩きやすくなったぜ」
「本当だな」
正規退魔師と非正規退魔師を同じように扱うなら、国内外の実力者を集められると言うのが蒼司の判断だ。すでに国が戸籍を管理できるような情勢でもなし、実力があるなら協会への登録は問わずに、改めて一から朱櫻王への協力者として退魔師を募っている状況である。
兵破だけでなく、ここにいる退魔師の割合は正規も非正規も半々と言ったところらしい。立場で揉める段階はすでに通り過ぎたのか、皆それなりに仲が良い。
「ま、これからは仲間だ。朱櫻国の平和を取り戻すために協力してくれ」
兵破の言葉に鵠はにやりと笑って返す。
「おや、そんな小さな目標でいいのか? 兄弟。取り戻すなら――大陸の平和だろう?」
「! いい度胸だ! よく言ったぜ」
そしてまた兵破はがはははと大きく笑いだす。杯の残りを確かめるまでもない笑い上戸だ。
「やれやれ、兵破さんに気に入られちまったようですね」
「まぁ、実際兄さん強いしな」
「そっちの二人も結構やるみたいですしね」
次第に他の退魔師たちも会話に混ざりだす。
鵠と葦切が戦闘していた間、流れ弾を防ぐという地味に重要なことをしていたのは桃浪と蚕の二人だった。
特に蚕は子どもらしい見た目に似合わぬ実力者だと知られ、すでに一目置かれている。まぁ、甘いものを差し出されたり酒以外の飲み物を渡されたりと、扱いは子どものそれなのだが。
「朱莉お嬢さんも相変わらず見事な腕前で」
「ふふ。ありがとうございます」
一人の男が元から面識があるのか、朱莉に話しかける。
「お嬢さんもここ数年で随分変わりましたね」
「そういやそうだな、嬢ちゃん、あんた昔はもっとこう可憐と言うか儚げと言うか、大人しい感じじゃなかったかい?」
「あら、心外ですわね。今の私が可憐ではないと仰いますの?」
朱莉が小首を傾げながらも笑っていない目で兵破を睨む中、鵠がぼそりと呟く。
「可憐で儚げで大人しいお嬢……? なんだそれ、俺の知ってるお嬢と違う生き物じゃねぇか」
「くーぐーいーさまー!」
朱莉がもっと怖い目で鵠を睨み付けてくる。場がまたどっと笑い声で沸いた。
「そっちの坊やは大丈夫かー? あんま食ってないみたいだが」
「い、いえ! 大丈夫です! おいしいです!」
いかにもこういった場に慣れていないのだろう神刃は、慌ててカクカクと木の人形のような動作で何度も頷く。
色々と気まずいことや隠していること、逆にこちらが知りたいことも色々あるが、その全てをこの場で聞くわけにもいかないことくらいは神刃にもわかっている。
「まぁ、とりあえず落ち着きなよ神刃坊や。あんたが今ここでどんよりして問題が解決するわけでもないし」
「蝶々さん、でも」
「あたしら退魔師はいつ死ぬかもわからない人生だ。今を楽しんで明日に全力を注げない奴は強くなれないよ」
ほれ、と蝶々は神刃の方へ新しい皿を押し付ける。
「う……頂きます」
勢いに押されて皿を受け取り、神刃はおずおずと箸をつける。
そう、今更慌てても焦っても仕方がない。
神刃と蒼司のこと、鵠と葦切のこと、退魔師揃いのこの場に蚕や桃浪を連れてきて良かったのかということ、問題は山積みだが、それでも。
宴会はその日の夜中まで続いた。