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桜魔ヶ刻  作者: きちょう
第1章 天を望む鳥は夜明けに飛び立つ
2/12

2.天を望み夜明けに発て

..007


 かつて、“戦場の死神”と呼ばれた少年がいた。

 朱櫻国王の暴虐を発端に、大陸中が戦火に燃えていた時代だ。

 少年の名は火陵。身寄りのない彼は、自らを拾ってくれた主君を敬愛していた。

 しかしその主君は、朱櫻国王により殺害される。

 主君を救えなかった火陵はそれでも、国王の虜囚となった妹姫だけでも守るために憎き王に頭を垂れた。

 しかし、彼の願いはまたしても届かない。

 亡き主君の妹姫が夫たる隣国の王を憎み、憎み、憎み抜いて自死を選んだ時、火陵もまた決意した。

 いずれ、全ての災いの元凶たる男、朱櫻国王緋閃を殺害することを。


 ◆◆◆◆◆


 火陵と言う名の退魔師を鵠は一時期探したこともあったが、鵠がそうであるように火陵の方も非正規退魔師であったらしく、協会の登録などでは存在を確認できなかった。

 それに今の神刃の話からすると、火陵は長く朱櫻国にいたようだ。道理で花栄国からほとんど出ない鵠では会えなかった訳である。

 神刃の簡単な説明を聞き、鵠は長い沈黙の果てに口を開く。

「先代朱櫻王は、大陸中に桜魔の禍を広めた罪人として悪名高い」

「ええ。その通りです」

 わざわざ確かめる間でもない基本情報だ。この大陸中の誰もが、緋閃王を憎んでいる。

 だが、それでも鵠や花栄の人々にとって、緋閃王は遠い存在だった。隣国の君主は殿上人としても罪人としても、遠すぎて同じ人間だとは思えなかったのだ。

「お前は、緋閃王を直接知っているのか」

「……ええ、一応。火陵が王を殺したその瞬間、俺もあの人の傍にいましたから」

 もしやと思ったことを肯定され、更に衝撃的な事実を告げられた鵠は目を瞠る。

 神刃がどうして桜魔王を倒し、大陸に平和を取戻したがるのか、その熱意の一端を垣間見た。

 恐らくそれは、神刃本人の望みだけではなく、養父である火陵の願いでもあるのだ。

 神刃は努めて感情を排したような語り口で続ける。

「主君の妹姫の死を契機に火陵は緋閃王から逃れ、退魔師として桜魔を狩りながら俺を育ててくれました。そして二年前、ついに王を殺害したんです」

 王を殺し、火陵自身もまた命を落とした。

 緋閃の息子である現王蒼司はまだ少年だ。彼は父の暴虐に心を痛めており、桜魔を討伐し国を建てなおすことに臣下と共に全力を注いでいる。

「その口振りだと……お前は現朱櫻王のことも知っているようだな。王子は父親の殺害を認めたのか」

「――ええ。公にはされていませんが」

「当然だな」

 緋閃王の崩御が伝えられた時、大陸中の国々が歓喜した。これでようやくかの国の暴挙から解放されるのだと。

 蒼司王は速やかに即位し、緋閃王が何故亡くなったのか市井の人々は気にも留めなかった。それどころか緋閃王の死後一年ほど、新体制が安定するまで、蒼司王の存在も市井には深く知らされていなかったくらいだ。

 鵠は朱櫻国民ではなく、隣国花栄国の人間だ。元々朱櫻の事情には疎い。だが、神刃は朱櫻の退魔師。そして養父が養父だけに、大陸中を跋扈する桜魔の討伐について無関心ではいられなかった。

 混沌の元凶がいなくなっても、緋色の大陸の悪夢は終わらない。緋閃王が死んでも、後始末をする人間が必要だ。

 それが、現王と神刃の二人だと言うのか。

 目の前の少年が背負う予想以上に重い事情に、鵠は軽い頭痛を感じてきた。

 桜魔を倒して平和な世界を取り戻す。

 協力すると神刃に告げはしたが、その道は口で言うよりも遥かに困難だ。

 お伽噺であれば悪い化け物を倒してめでたしめでたしと終われるが、現実はそう簡単には行かない。

「鵠さん……先程の御言葉ですが」

 手伝う、と言った。放っておけばどんなに危険な局面でも一人で突っ込んでいきそうな神刃を放っておくことができない。

「本当に、俺と一緒に戦ってくれると言うんですか?」

「……言っただろ。手伝ってやるって」

「お気持ちは嬉しいです。ですが、それが火陵に対しての恩返しのつもりだと言うのならやめてください」

 これまで何度も鵠に会いに来て、しつこく勧誘を続けていた少年とも思えない言葉に鵠は呆然となった。人がようやく決意を固めたというのに、こいつはいきなり何を言い出すのか。

「火陵があなたを助けたことと、俺があなたに協力を願ったことは別の話です。俺はあなたを、養父のかつての行いで縛り付けたいわけじゃない」

「それはまぁ……俺も、そんな形で過去の恩を盾にされたら、協力するなんて言わなかっただろうな」

 鵠と神刃。二人の存在を繋ぐ糸は、火陵という一人の青年。

 けれど火陵はもういない。そして火陵が神刃と築き上げた関係と、鵠が火陵に影響された部分は別の問題なのだ。

 同じ人を知っているからでは仲間ですね協力しましょう、と。そんな単純に意志を決めることはできない。

 神刃の目的は桜魔王の討伐。そのためには当然、桜魔から憎しみを受け矢面に立つ覚悟が必要だ。

 本能で行動する桜魔たちに仲間意識は薄いが、それでも知能の高い桜魔は徒党を組むことがある。桜魔王の側近級ともなれば尚更だろう。

 桜魔王の討伐を決心し、名のある桜魔を狩って行けばその憎しみを一身に受けることになる。退魔師の名が知れ渡るのは人間の同業者の間だけではない。桜魔の中でも危険な人間は警戒され憎悪される。

 神刃の戦いはそう言った面も含んでの戦いだ。生半な覚悟で手出しできるものではない。一度協力すると決めたら、もはや途中で抜けることはできないのだ。

「ですから、俺は――」

「独りで戦うって? それこそ、無茶言うな」

 鵠が火陵のことをいっそ思い出さなければ良かったとでも思っていそうな神刃の言を遮る。

「確かに俺は昔、火陵に恩を受けた。だがその恩を養い子に返すだなんて、そんなつもりでお前に協力してやるなんて言ったわけじゃないぜ」

 見くびってもらっては困る。天望鵠は腐っても花栄国で最強の退魔師と呼ばれた男だ。

「俺がお前を手伝ってやると言ったのは、俺にならそれができると自分で知っているからだ。そんな俺を作り上げたのがたまたま火陵だったってだけだ。そして――」

 他の誰かに言われたわけではない、これは確かに鵠の意志だ。

 切欠を与えたのはかつて鵠の命を救い、その人生に強い影響を与えた火陵の存在かもしれない。けれど今ここに鵠がいるのは、彼との出会いだけが理由ではない。

「何よりお前が……何度も何度もしつこいくらいに桜魔王を倒して平和を取り戻すなんて言う馬鹿が……こいつなら最後まで投げ出すことなく戦い続けて、夢みたいなその目的を成し遂げられるんじゃないかって、信じさせたからだ」

 愚直なくらい一途に、この手で平和を取り戻すのだと訴え続けた神刃。緩やかな滅びへと突き進むこの大陸で、あるいはただ一人、人類が桜魔に勝つ未来を信じているかもしれない少年。

 鵠を動かしたのは、何より神刃の存在だった。

「お前が現実を見据えることもできないくらい馬鹿なただのガキなら放っておいたさ。……だがお前は、火陵の養い子だと言った。あの男の戦いを一番近くで見てきたはずのお前が、そんな軽々しい気持ちで桜魔王を倒すなんて言えるわけない」

 神刃が元々大きな瞳を零れそうな程に瞠る。

 彼が何度も何度も鵠に訴え続けた言葉の数々。鵠は毎回取るに足りない戯言だと聞き流しているようで、本当は一番大事なところにちゃんと届いていた。

 でも信じるにはまだあと一歩足りなかった。

 神刃の意志は固いがその実力は発展途上ということを差し引いても、天才たる鵠と比べてしまえば数段劣る。その程度の実力しかない彼がどうしてそこまで桜魔王討伐に注力できるのかがわからなかった。

 現実味のない計算しかできない愚か者の夢想であればいくら鵠とて付き合いきれない。

 その疑問を解消してくれたのが、火陵との縁だった。

 桜魔王討伐に誰よりも近かったはずの退魔師に育てられ、その意志を受け継いだ子ども。

 事情を知ってしまえば、この大陸に平和を取り戻すという神刃の決意が誰よりも固いことを疑う余地はなかった。

 途方もない理想ではあるが、実現できない夢を語っている訳ではない。

「……お前は自分の交渉だけで俺を説得したかったんだろうが……いや、切欠に火陵の存在があったとしても、結局俺は最終的には、お前の言動に動かされたわけで……」

 次第に自分でも何を言えばいいのかわからなくなってきた鵠の前で、神刃が微笑んだ。

「本気……なんですね。鵠さん……」

 どこか肩の力を抜いた顔は、今までの張り詰めた横顔からは一転してあどけなくすら見える。

 まだ子どもなのだ。正確な齢は聞いたことはないが、顔だけならぱっと見は少女にすら間違えそうな程。鵠と十は違うだろう。

 こんな子どもが、その頼りない腕で大陸の平和を取り戻そうと足掻いている。

 だがその頼りない腕こそが、惰性という闇で溺れる鵠にとって掴むべきものに見えたのだ。

 ――鵠、あなたは退魔師になんてならないで。

 ――桜魔に関わらないで。

 すまない。母さん。

 俺は約束を守れない。

 ただ一人の息子を置いて、夫である兄だけを望んで放り出した母の遺言よりも、今ここで自分を必要としてくれる相手を鵠は選ぶ。

 その時ようやく、退魔師・天望鵠は生きることになるのだ。

「――改めてお願いします。俺と一緒に、戦ってもらえますか」

「ああ。やってやるさ」

 自分たちは退魔師。所詮戦うことしかできない人間だ。

 だが今この世界で、その力こそが何より必要とされているのであれば。

 戦って戦って戦う。そして平和を取り戻すのだ。

 真の平和とは何かなどという問題について議論する気はない。だが少なくとも、人を襲う桜魔が跋扈し人類の滅びを目論む大陸に未来はないだろう。

 桜魔王を倒し、蔓延る桜魔を狩り尽くす。

 そして――。

「俺たちの手で、“桜魔ヶ刻”を終わらせるぞ」

 桜の花が散っていく。

 いつかこの樹から魔性の花が消え、正しき季節が巡りはじめるようにと、彼らは固く誓いを交わした。


..008


 神刃の説得に心を動かされた鵠は、彼と共に桜魔王を倒すことを誓った。

 そこで鵠と神刃は、花栄国の首都に近い都市の一つに、一軒の民家を借りた。

 本気で協力体制を築くなら日常の訓練から桜魔退治の依頼まで、常に共に行動できるよう一緒に暮らした方いいだろうという話の流れになったのだ。

 旅の退魔師たちが何人かで徒党を組むのと同じようなことだ。無策でいきなり桜魔王に突っ込むわけには行かない以上、拠点はあった方がいい。

 共に暮らし始めて身の回りを一通り整えた数日後。その日、珍しく朝起きて来ない神刃を、鵠は起こしにやってきた。

 襖を開くと、暗い部屋の中に横たわる人影。

 布団にはいつも通りの神刃と、隣に髪の長い見知らぬ少女。

 ふー、と鵠はこれみよがしに溜息を吐き出した。

 人の気配に気づいたのか、神刃がくぐもった声を上げながら目を覚ます。

「ん……」

「神刃」

「んみゅ……くぐいさん?」

 半分以上眠気まなこの神刃に、鵠は冷静に告げた。

「お前も若い。それは否定しないが、そういうことは、できる限り俺……と言うか、同居人にバレないようやるのが礼儀というものだ」

「一体何の話……って、おわぁ!」

 はっきりと覚醒した神刃が隣に横たわっている少女を見て奇声を上げる。

「ちょ、朱莉しゅり様?! いつの間に! と言うかなんでこんなところにいるんですか!」

「んー、騒がしいですわよ神刃様……こんな真夜中に……」

「もう朝です――!! って、そうじゃなくて! ああ、鵠さん?! 待ってください! 違うんです! 誤解なんです!」

「あら? あの方あなたの恋人だったんですの? これは失礼なことをしてしまったかしら」

 すでに背中を見せている鵠に対して必死で弁明する様子の神刃に、少女は呑気ながら、神刃にとっては不穏な言葉をかける。

「そっちの誤解じゃない! というかその判断もおかしいでしょう?! 朱莉様、これ以上話をややこしくしないでください――!!」

 少年の叫びが早朝の屋敷にこだました。

 救世の道は前途多難。想像よりも遥か遠いようである。


 ◆◆◆◆◆


「それでは改めまして御挨拶を。私、神刃様の知人で退魔師の嶺朱莉れいしゅりと申します。最強の退魔師として御高名な鵠様にお目にかかれるとは恐悦至極」

 なんとか誤解を解き、仕切り直して応接間。鵠の正面に神刃と問題の少女が並んで座る。

「……天望鵠だ」

 朱莉が苗字を名乗ったので、鵠も人前では滅多に口にしないそれを名乗った。朱莉は気にした様子もなくにこにことしている。

 だが、そのにこやかで親しげな様子はただの仮面だ。鵠は対面してすぐにそれに気づいた。

 ――この少女は只者ではない。

 普通の人間とは気配が違う。退魔師としての実力も恐らく神刃より上だろう。

 二人がお互いに「様」付けで呼び合っていることも、どうにも因縁を感じさせる。呼び方は丁寧だが、態度と言うか扱いは雑だ。

 鵠自身、久方ぶりに他人との付き合いというものを再開し、自分がどのような態度をとればいいか計りかねている部分がある。同年代や異性ならまだしも、相手は自分より十も幼い少年である。

 そして神刃とはまた別の意味で、この朱莉という少女は扱いづらく感じる。

「もったいぶった言い回しは好かない。用件があるなら、単刀直入に頼む」

「では、御言葉に甘えまして――桜魔王討伐に手を貸して下さるそうですね」

 ピン、と空気が張り詰めた。

「そうだ」

「ありがとうございます。私は神刃様の同盟者です。これまで表向きは彼が、水面下では私が動いて参りましたが、鵠様の御協力が得られるとなると心強い」

「……」

 鵠は沈黙する。

 神刃は苦い顔をしている。聞かずとも朱莉の扱いに手を焼いている様子が伝わってくるようだ。

 一体、この二人はどういう関係なのか。

 同じ年頃の男女だというのに、どうやら恋人同士ではないらしい。ではただの友人かと思えば、それも何か違う気がする。髪と目の色は似ているが、姉弟や家族というわけでもないと言う。

「これまでの神刃の様子だと他に仲間がいるようではなかったが……」

「主に私の事情です。それに私と神刃様は目的こそ同じくしていますが、はっきり言って仲が悪いので真の意味で仲間とは言えません。せいぜい利益関係での同盟がいいところですね。ですから神刃様にとって初めての仲間はあなたなのです」

「……」

 鵠は再び沈黙した。

 本当に一体、この二人はどういう関係なのか。

 神刃自身が鵠に嘘を吐いたり隠し事をすることは少ないが、特に必要を感じなかったので黙っていたということはこの分ではまだまだありそうだ。

「……朱莉様の他にも、俺には何人か協力者がいます」

「……まぁ、当然だろう。むしろお前みたいなガキが孤軍奮闘で桜魔を倒そうとしていたら無謀過ぎる」

「協力者に関する話は、おいおい語っていくことにしましょう。多分今聞いても余計に話がややこしくなると思いますので」

 複雑な事情があることは理解できる。鵠を仲間に引き入れることに必死だった様子からも、戦力増強が必要なのは事実だろう。

 しかし、それらを割り引いて考えても目の前の少女はどこかが、何かがおかしいと鵠の感覚に訴えるものがあるのだ。それが神刃が彼女の存在を鵠に隠していた理由なのかもしれない。

「まずはお互いの実力をしっかり把握するためにも、協力して桜魔退治を幾度かしませんか?」

「……そうだな」

 普通の人間――否、「普通」などというわかりやすい人間は存在しないか。誰にだって事情がある。どんなに平穏無事に日常を送っている人間だって。

 それでも鵠が今、神刃や朱莉のことを知るには、実際に共に戦ってみることが一番だろう。

 三人は全員退魔師。なんだかんだ言っても、戦うことが最も早く相手を理解する手段なのである。

 平和にゆっくり相手を知っていく時間などと言うものはない。こうしている間にも、大陸は蔓延る桜魔の脅威に晒されているのだ。

「俺もここ数年、戦ってはいたが本気で腕を上げようと鍛えてはいなかった。修行がてらいくつか依頼をこなすのがいいだろう」

 神刃が驚いた顔になる。

「鍛えてなかったって……鵠さん、あの強さでですか?!」

「当たり前だ。あの程度の退魔師が最強なんて呼ばれてたら、大陸はとっくに滅んでる」

 鵠は半ばムキになって言い放った。

 ここ数年、修行をサボっていたことをバラした気まずさも、それでも強さを褒められた照れくささもある。

「ふふふ。心強いことですわね。では、戦いながら最強当時の勘を取り戻していただくことにしましょう」

 ころころと笑った朱莉は、続けて何やら不穏な話を口にした。

「ちょうど良い事件もあることですし」

「ちょうど良い? 最近は街人たちの口に昇るような大規模襲撃もなかったと思うが」

「はい。けれど内容が内容なので、できれば早期の解決を目指したいと思うのです。その分報酬は期待しないで頂きたいんですが……」

「つまり、あんたはその噂にそれだけ先の危険性を見ているということか」

 朱莉はわからないが、鵠だけではなく神刃も退魔師業で日銭を稼いでいるはずだ。その彼らを前にして、報酬がなくてもやらなければいけないと彼女は言う。

 ならばその噂は恐らく、まだ退魔師への依頼として顕在化した問題ではないのだ。それでいて、朱莉はその件を放置しておけばいずれ厄介になると危惧したことになる。

 彼女は報酬のための依頼ではなく、いずれ降りかかる危機を避けるために先手を打つ判断をしたのだ。朱莉が余程のお人好しでもない限り、どうにも面倒なことになりそうな案件である。

「お二方は、こんな噂を知りませんか?」

 誰もが桜魔の襲撃で家族や親しい者を亡くすのがもはや当然のようになっている時代で、最も人々の心を揺さぶる誘惑を彼女は口にした。

「――“死者が、帰って来る”」

..009


「まずは、基本の情報収集と行くか」

 鵠たち三人は、朱莉が持ってきた噂“蘇る死者”の詳細を知るために街に出た。

 彼らが拠点として選んだのは、花栄国の首都ではない大き目の都市の一つだ。ここから首都へも退魔師の身体能力なら半日足らずで行ける距離だが、さすがに国王の御膝元は避けた。

 桜魔王の討伐を目指すとはいえ、今からそう目立つ訳には行かない。力を蓄え、確実に倒せるとなった時に打って出る。

 そのためには普通の退魔師として桜魔との戦闘で鍛錬を積む必要もあるだろう。今回のこともその一環である。

 昼の街中は桜魔の注意を引かないようどこか抑えた気配ながらも、やはり人の多い場所だけあって活気があった。

 最近は大きな襲撃がないため、この近辺は比較的平和な空気だということもある。

 三人揃って動き回るのは少し面倒だと鵠が考えたところで、朱莉の方から別行動を申し出た。

「私はちょっと別の手段で情報を集めてきますので、街の人たちへの聞き込みはお二人にお任せします」

「別の手段?」

 朱莉は意味深に笑うだけで去っていく。大した打ち合わせもなしにそう言うということは、彼女は余程特殊な伝手でも持っているのだろうか。ただの聞き込みや情報屋から話を聞く程度のやり方とは思えない。

「朱莉様はあれでいいんです。今説明すると長くなりますし、あの方の能力をご紹介するなら人目のない夜の方がいいと思います」

「そんなに珍しい力なのか」

「ええ」

「……わかった。なら細かい話は後回しだ。俺たちも情報収集に出よう」

「はい」

 ひとまず朱莉のことは置いておいて、鵠と神刃は連れだって行動することにした。

 一通り街をぶらついて異変がないか確認した後、二人は一軒の定食屋に入る。

「朱莉様の情報によると、噂が出回ってるのはこの地区だそうです」

 店の中は適度に混んでいてざわついていた。自然な会話を装いながら話し出す。

「……確かこの辺は、三か月くらい前に襲撃を受けて壊滅的な被害を受けた地域だったな」

「……ええ」

 これまで歩いてきた街中やこの定食屋の素朴な店内を行き過ぎる人々の顔は、一見何ら変わりない日常を取り戻したように見える。

 けれどそうではないことを改めて知り、神刃が顔を曇らせた。

「その頃は確か、たまたまこの地区に手練れの退魔師がおらず桜魔の侵攻を抑えきれなかったと」

「王都の退魔師協会の不手際だなんだとも言われているが、桜魔に上手を行かれたな」

「俺も、あの時はかなり遠く離れた街にいました」

 一人の人間にできることには限りがある。ましてや、その場にいなかった者に何が出来ると言うのか。だが被害にあった人間にとっては運が悪いでは済まない。

 その辺りはもはや考えないようにしろと自分にも神刃にも言い聞かせながら、鵠は今目の前の事件に集中しろと話を進める。

「それにしても被害がでかかったな」

「……退魔師協会の方でも今後同じことが起こらないよう対策を練っているらしいんですが……あの」

「なんだ?」

「鵠さんは、何かこの件に関してご意見はありますか? 俺はその、退魔師の数を増やすくらいしか思いつかないんですけど」

 できるなら教えを乞いたいという顔の神刃に、鵠は説明してやる。

「退魔師の数を増やすのは大前提だが、それだけじゃ駄目だ」

「どうしてですか?」

「三か月前の侵攻時、街に退魔師が少なかった。それは何故だと思う?」

「え?」

「質問を変えようか。あの時、俺は街にいなかった。お前は何故街を空けていた?」

「それは、他の地域での依頼を受けに――って、まさか……」

「そのまさかだ。この街の退魔師の数が足りなくなったのは、他の地域の桜魔退治に退魔師をとられたからだ」

「それを見計らったように……いえ、見計らって桜魔が侵攻してきたんですね? じゃあ、最初から計画的な……」

「だろうな。これが、桜魔王――統率者のいる集団の厄介なところだ」

 これまで個々で散発的に襲ってきていた桜魔が徒党を組み、頭を使って人間側の対策を切り崩しにくる。

「恐らく人間型の桜魔があらかじめ情報収集をしていたんだろう。手練れを遠方に分散させるように、わざとあちこちで被害を起こしたんだ」

 他に手練れの退魔師が残っていれば良かったのだが、数が足りなくなった。逆に街に戦力を集中していれば、見捨てられた辺境を襲撃するという作戦だろう。

「まんまと釣られたわけだ。俺も、お前も」

「……!」

「そして俺たちが倒さなきゃいけない相手は、そういう奴らなんだ。雑魚を殴って終わりじゃない。相手の出方を読む必要がある」

「だから、情報収集や作戦が大事なんですね」

「ああ」

 その後は口にしにくいが、二人とも同じことを考えている。

 作戦や情報も大事だが、それ以上に協力者を募る必要があると。やはり、戦力の増強は必要だ。最初から完全な防備を敷くにも、相手の作戦に対応するにも、とにかく人手がいる。

 だがそれは特殊な事情を抱えた人間にとっては諸刃の剣でもある。

「鵠さん、あの――」

「しっ」

 神刃が意を決して口を開こうとしたところで、鵠が周囲の話声に気づいて口を閉じるよう促した。

 ちょうど鵠の真後ろの席で、男が二人話し始めたのだ。

「聞いたか? あの噂?」

「噂? ああ、確か……死人が帰って来るとかいう……ただの噂だろ?」

「それが、そうでもないらしい……」

 鵠と神刃は注文の品に手を付ける振りをして聞き耳を澄ます。

「はずれにある屋敷の夫婦、三か月前に子どもを亡くしていただろう」

「ああ」

「……帰ってきたんだとよ」

 男の声が一層潜まる。鵠たちも周囲のざわめきの中からその声を拾うよう、より一層集中した。

「なんだって?」

「しっ」

「だって、ありえないだろうが」

「そうとも言えねぇ。あすこは柵から家の中が見られるだろう? 庭で子どもを遊ばせるのが見えたんだってさ」

「……人違いじゃないか? 親戚が来てたとか余所からもらったとか、色々あるだろ」

「俺もそうは思うが……」

 ぼそぼそと男たちの話は続く。しかし二人の注文の料理が来ると、話題は彼らの仕事上の愚痴に移ってしまった。

 これ以上聞いていても無駄だろうと判断し、鵠が軽く手を振って自分も料理に箸をつけ始める。

「鵠さん……」

「はずれの屋敷というと、あれか」

 鵠はすぐに頭の中に街の地図を描く。一通り歩いてみた甲斐があると言うものだ。すぐにその場所はわかった。

「とりあえず、これを食い終ったら行ってみるか」


 ◆◆◆◆◆


 聞いた噂の通り、区画のはずれにある屋敷へ行ってみると、庭で子どもが毬を突いて遊んでいた。

 縁側から母親らしき人物がそれをにこにこと見守っている。

 塀の隙間からこっそりとその様子を見た神刃は、眉を顰めて鵠の方を見遣る。

「鵠さん、あの子……」

「ああ、桜魔だな」

 直にこの目で見た二人にとっては、もう間違いない。あの子どもは桜魔だ。

 見た目はかなり人間に近い。あるいはこの角度からそれらしい特徴がわからないだけかもしれない。しかし、放つ妖力は誤魔化しようがなかった。

「でも、人に危害を加えようとしているようには見えませんね。もしかして、本当にあの家の子で親元に帰りたかったとか……」

「神刃」

 穏やかな風景に心乱されそうになる神刃に、鵠はあえて冷たい声を出して釘を刺す。

「間違えるなよ。桜魔は決して、幽霊でも生前の人間の人格をそのまま遺した存在でもない」

 あれは魔なのだ。間違いなく人に仇なす。ただ家族のところに帰りたかった可哀想な死者などではない。

「……そうですね」

 神刃も頷き、自分に言い聞かせるように呟いた。

「桜魔は全て、殺さないと」


 鵠は屋敷を尋ねた。呼び鈴を鳴らせば、応対に顔を出したのは先程縁側で子どもの桜魔を見つめていた女性である。

「どなたかしら?」

「退魔師の鵠と申します――」


..010


「それで、門前払いをくらったわけですか」

「ああ」

「はい」

 朱莉が戻り、全員が『家』に揃った。早速情報交換と行きたいが、鵠と神刃の成果は定かではない。

「まぁ、現在桜魔が現れている場所がわかっただけで十分ではないですか? その夫婦の理解を得られずとも、『大本』を倒せば末端の『兵隊』を潰せるでしょうし」

「大本?」

「兵隊?」

 あの後、半狂乱の屋敷の住人に追い出された鵠と神刃の成果はそこで終わった。結局他の噂には辿り着けなかったのだ。しかし朱莉は、別の伝手でもう少し情報を仕入れてきたらしい。

「はい。私が聞いた話に寄れば、今回の『蘇る死者』事件は、一匹の桜魔によるものらしいのです」

「死者が帰ってきたという話は一件や二件じゃないが」

「操っている親玉がいるそうなんです。ですからその親玉を叩けば兵隊も消滅します」

 朱莉の話をまとめるとこういうことだった。

 三か月前の襲撃で多くの被害者が出た。大多数はすでに細々と隠れ暮らす日常を取り戻しているが、一部にはまだ襲撃の被害を受け止めきれない者たちもいた。

 今日鵠と神刃が訪れた屋敷の夫婦など最たるものだ。喪った子どもの面影を求めて悲しみ続けていた。

 そこに、この一月程で、死者が帰って来るという噂が流れ始めた。

 ある日突然、亡くした筈の家族が生前の姿そのままで戻ってくるのだという。

 噂はひっそりと、しかし確実に広まっていった。死者を取り戻したくて、墓地で名を呼び探し回る者の姿さえあったと聞く。

「けれどそれは」

「桜魔の罠か」

「ええ」

 元来桜魔は桜の魔力と瘴気、そして死霊の怨念から成る存在だ。

 生者のように肉体を持って生きながら、彼らの存在そのものは死に近い。

 ここまで聞いて鵠は話の行方に見当がついた。

「もしかして、肉体に憑りついて動かしている……?」

「その通りです」

 襲撃で死した者の亡骸を利用して、桜魔は人々の懐に入り込んでいるのだ。醜悪なやり口に三人の表情が重くなった。

 神刃は朱莉に尋ねる。

「――それで、蘇った死者は、結局その後、何をするんです?」

「特に何も。例えば子どもの姿をした桜魔なら、無邪気に遊ぶだけ。けれど一緒にいる家族は日に日にやつれていくそうです」

「生気を吸っているわけか」

「でしょう」

 他の桜魔たちのように人間と見れば襲い掛かってくるわけではないらしい。だが完全に人に害をなさぬ訳ではない。

「……だが、蘇る死者を求める者が減らないということは、その件で新たな死者は出ていないということか」

「そのようですね」

 死んだ家族が帰って来たのと入れ替わりに死んだとなれば、さすがにそう言った噂になるだろう。ただでさえ襲撃の後で桜魔関連の情報に敏感になっているはずの人々の間でそう言う話が回っていないということは、まだこの件で桜魔に殺された者はいないということになる。

「さて、ここまでが基本情報。ここからが肝心な話です」

 朱莉が表情を引き締める。

「桜魔の『兵隊』には、糸がついているそうです。からくりの操り糸が」

「つまり末端から辿ることで親玉の居場所を知ることができるってわけか」

「ええ」

 退魔師としての経験は年嵩の鵠に長がある。朱莉の言葉に察しよく頷いて、鵠は先を促した。

「だとしたら」

「あなた方の調査も無駄ではないようです。その屋敷の桜魔を探って、大本の親玉を見つけ出しましょう」


 ◆◆◆◆◆


 鵠たちは屋敷の監視を始めた。あの家の住人には理解を得られなかったが、だからと言って彼らが被害に遭うのを見過ごすわけにも行かない。

 区画の外れに建つ屋敷なので、周辺から監視できそうな場所はいくらでもある。彼らは屋敷の玄関と裏手の庭、二つの場所からの監視を決めた。

 玄関先は神刃が、裏手は鵠と朱莉の二人が見張っている。

 何か起こる可能性が高いのは昼間に子ども姿の桜魔が遊んでいた庭の方だろう。そこからであれば家の内部の様子も少しだけ窺える。そう考えて玄関は神刃一人に任せ、裏を二人が担当することにしたのだ。

「静かなもんですねぇ」

「そうだな」

 人々は息を潜めている。

 屋敷に動きはない。僅かな虫の声すら届かない。しんと夜の闇だけが存在を主張する。

「……なぁ、お嬢」

「なんですか? 鵠様」

「あんたは一体何者だ?」

 朱莉は不思議な少女だ。鵠は最初から違和感を覚えていた。神刃がいないこの機にと思い切って尋ねてみる。

「その気配。神刃との関係。俺に簡単には見せられないという能力」

「どれも説明すると長くなりますので、機を見て順番に……と、行きたいところですが、実は鵠様の疑問の一つ目と二つ目は関係していますの」

「あんたの素性が、神刃と関係するってのか?」

「そうです。ちなみに私の能力に関しては単に珍しいので説明が必要というだけで、あなた様ならすでに御存知かもしれません。……でも今は、先に神刃様との関係について軽くお話ししましょうか」

 仲が悪いと言い切ったのに、何故彼女は神刃と共にいるのだろうか。

 鵠には不思議でならない。口では因縁があると言いながら、朱莉も神刃もお互いを心から憎んでいる感じではないのだ。

「私が神刃様と出会った頃、すでに彼は桜魔王討伐に向けて動き出していました。と言っても、今以上に何ができたわけでもないんですけれどね」

 二年前のことです、と朱莉は言った。

 大して歳が変わらぬように見えるが、これでも朱莉は神刃より二歳年上だという。現在は朱莉が十七歳、神刃が十五歳。

 二年前なら、朱莉は十五歳。神刃に至ってはまだ十三歳だ。

「私はとある依頼を通じて神刃様と出会いました。正直に言って、第一印象は良くありませんでしたね。私たちはある意見の相違から対立関係にありましたので」

「対立関係?」

 朱莉はそれに関しては、今は話したくないと言った様子で首を横に振る。

「ただ、最終的には神刃様のこの桜魔ヶ刻時代を終わらせたいという願いを私も知るところとなりました。神刃様自身は気に入りませんが、桜魔に怯えるこの時代を終わらせたいという願いには共感するものもあります。だから、手伝うことにしたのです」

 かなり端折った説明だ。後半だけならそれこそ鵠と神刃の間でさえそう説明できてしまう。

 神刃は桜魔王を倒し平和を取り戻すという願いに対し、愚直な程に一途だ。だからこそ手を貸してやりたくなる。

「大雑把にまとめるとこんなところですわね」

「……」

 朱莉と神刃の関係は、何らかの蟠りを抱えている。それでも彼女が神刃の目的に協力してやろうと考えていることもまた、確かなようだ。

「あなたが神刃様に協力してくださって、これで私も一安心というものです」

 そして彼女は言った。

「神刃様にとって――本当の味方はあなた様だけでしょうから」

 いつの間にか大仰なまでに話が進んでいないか。確かに桜魔王討伐に協力するとは決めたが、そんな神刃の人生全てを背負うような決断をした覚えはない。

 何より神刃自身が、彼の本音を全て鵠に明かしてはいない。

 それなのに朱莉の言い方は、まるで鵠が永続的に彼の味方をするかのようだ。

 別に裏切るつもりがあるわけではないが、そんな妄信されても困る。鵠だとて間違っても自分ができた大人などと思ったことはない。

「待て、俺はそんな大層な――」

「鵠さん!」

 しかし、鵠がそれを朱莉に伝えるだけの時間は与えられなかった。朱莉が表情を引き締める。

「来たか!」

 鵠もさっと意識を目前の桜魔に関することに切り替えた。

 闇の中で、桜魔の人形が動き出している。


 ◆◆◆◆◆


「どうしたの? ぼうや」

 夫婦は子どもに手を引かれて庭へと降りた。

 真夜中だ。どうしてこんな時間に。

 手を引く子どもの腕は氷のように冷たい。その冷たさにぞくりとする。

 死体が見つからなかったから、生きているという希望を捨てたくはなかった。

 やっと帰ってきたのだ。もう二度と失いたくない。

 けれど今日の子どもは様子が違った。

 庭先に降りる。夜の気配をいつもと違うように感じる。

 暗闇で影が動いた。

 化け物が口を開く。ぼうやは化け物ににこりと笑って近づいた。

 お宅のお子さんは桜魔です、などと言って、昼間突然不躾に尋ねてきた男のことを思い返す。

 あの時は何を馬鹿なと男を追い返したのだ。けれど、これは、今目の前にいるものは――。


 二人は悲鳴を上げた。

..011


 子ども姿の桜魔が本性を現す。悲鳴を聞きつけて、三人はすぐに屋敷の庭先に駆け付けた。

 しかし武器を手に取って構えたのは鵠と神刃の二人だけで、朱莉は一人ひらひらと手を振って彼らを見送る体勢に入った。

「お二方とも頑張ってくださいませ~」

「ってお嬢! あんたはどうした?!」

「私の能力はここでは少し目立ち過ぎますので、今回は静観させていただきます」

「……」

 静観というよりただの傍観じゃないのか? とはいえ今回の桜魔は、鵠と神刃がいてその上更に朱莉の手助けを必要とするような強敵にも思えなかった。鵠はそのまま戦闘態勢に入る。

 庭先にはずらりと赤い子どもたちがならんでいる。

 鵠は顔を顰め、神刃も眉間にしわを寄せた。

 屋敷の夫婦の死んだ子どもに扮していた桜魔は今その「皮」を脱ぎ捨て、桜魔としての本性を現している。

 着ぐるみのように被っていた人の皮を脱ぎ捨てた桜魔は血に似たどろどろとした液体を表皮から垂れ流す肉の塊だ。

 それが、鵠と神刃の姿を目にしてニィと笑う。

「神刃! 屋敷の人間を!」

「はい!」

 鵠は自分が前に出て、神刃には援護を頼む。この状況では若夫婦や使用人と言った人間を守る者も必要だ。

「一、二、三……全部で九体のようですわね」

 朱莉が血塗られた人形の数を数える。子どもの姿をした傀儡の兵隊たちは、皆、似たような薄気味悪い表情で笑う。

「一匹残しておいた方がいいか?」

「いえ、大丈夫です。全て倒してしまっても、もう私の能力で本体を追えます」

 朱莉の能力はまだわからないが、情報収集といい敵の追跡といい、随分と多芸なようだ。

 それなら遠慮はいらないとばかりに、鵠は桜魔を倒すことに集中する。

 さすがにあれを直接殴ることは遠慮したいと、携えてきた刀を引き抜く。

 人形が襲いかかってきた。

 思ったよりも俊敏で、こちらに斬りかかろうとする爪のような形状の武器は鋭い。

 だが所詮は雑魚。鵠の敵ではない。

 飛び掛かってきた二匹をあっさりと斬り捨て、自分から群れの中に踏み込む。

 桜魔の方も鵠の強さを理解したらしく、残り七匹が連携してくる。だがそれも鵠相手ではあまりにも稚拙な行動だった。

 一匹、また一匹と屠られていく。

 赤子程の子どもの首がごろりと転がり、血と肉が崩れ落ちて桜の花弁へと変わり夜風に流されていく。

 総てを屠り終えた時、そこにはもう最後の屍以外全てが消えていた。

 最初の桜魔が着ていた子どもの皮の「着ぐるみ」だけが無残に地に打ち捨てられている。

「強い……」

 神刃の口から感嘆の息が漏れる。

 傀儡を使役する桜魔はそれ程強くないことが多いが、九対一で力も速さも一歩も劣らず叩きのめした鵠の強さはやはり別格だ。

 神刃ならばもう少し手間取っただろう。一匹を処理する間に他の人形の攻撃を地味にちくちく食らい続けたはずだ。

 しかし鵠は、桜魔の攻撃を全て躱した。後ろに目がついているのかと思う体捌きで、危なげなく全ての攻撃を躱して一撃で急所を切り裂き続けた。

 鵠は平然としている。

 朱莉は最後の確認のためか、しゃがみ込んで桜魔の痕跡を探るようだった。この人形を倒しただけでは「蘇る死者」の噂は消えない。人形を操っていた本体の桜魔を倒さないと。

 しかしその時、悲鳴が上がった。

「いやぁああああ!!」

 若夫婦の奥方が、半狂乱で叫ぶ。

「どうして! どうしてよぉ!」

「落ち着け!」

「やっと、やっとあの子が帰ってきたっていうのに! なんてことをしてくれるの!」

 婦人に詰め寄られた鵠は、冷めた目で彼女を見つめた。

 こんな理不尽な責めには慣れている。

 鵠たちが桜魔を倒さねばこの屋敷の人間は全員間違いなく死んでいたはずだが、そんなことはどうでもいいのだろう。死者に縋る程正気を失った人間とはそういうものだ。

「あの子を返して! 返してよ!」

 震える拳で胸を叩かれて、そろそろ引きはがすべきかと鵠が腕をあげかけたその時だ。

「いい加減にしてください」

 ぴしゃりと氷のような声を投げかけたのは神刃だった。

「ちゃんと、現実を認識してください。あなた方のお子さんは、もう死んだんです!」

「神刃」

 これまで鵠が見たことのない表情で、神刃は屋敷の夫婦に怒りをぶつける。

「子どもの死から目を逸らして、桜魔なんかにつけこまれて……あなた方がそんなんじゃ、どちらにしろ死んだ子は救われない!」

「神刃!」

 さすがにこれ以上はまずいと鵠は制止の叫びを上げるが、神刃の舌も止まらない。

「子どもはあなた方に幻想を見せるための道具じゃない! 両親がちゃんと死を弔ってあげなくてどうするんですか!」

「あ、ああ……」

 神刃の強い言葉に衝撃を受けたか、ついに婦人が泣き崩れる。

「おまえ……」

 夫が駆けつけて彼女を抱き寄せた。

「戻るぞ、神刃」

「鵠さん」

「俺たちはあいつの本体を追わねばならん」

 まだ戦いは終わっていない。

「邪魔したな」

 踵を返す鵠の背に、妻を抱きかかえたままの夫の声がかけられる。

「礼は言いますまい、退魔師の方々」

「気にするな。と、言っても無理だろうが、こちらにも事情がある。命を救ってやったんだからそれで勘弁しろ」

 礼を言われたいわけでも、感謝をされたいわけでもない。そもそも鵠たちが勝手にやったことで、これは不法侵入だ。今はもう法に則る機関さえまともに機能していないが、世が世なら犯罪と言われても仕方ない。

「命を救えばなんでもしていいということなら、我々の意志はどうなるのです」

 妻のようにはっきりとした物言いではないが、夫の方も鵠たちの行動に不満があるようだ。

「あの子が戻ってくるのなら、我々は、自分の命など……」

 鵠は溜息をつきながら振り返る。

「だから危険な桜魔を放置しろってのか? 自分の子が帰ってこないなら、お前らは他人の子がその桜魔に食われる可能性も見過ごせと言うんだな」

「……」

「桜魔に関わることでなければ好きにしろ。だがこれは、退魔師の領域だ」

 他人の人生や価値観に文句を言っても仕方がない。

 破滅的な思考になるのも無理はない悲惨な時代だ。

 彼らが勝手にするように、こちらも勝手にするだけだ。

「鵠様」

 いつもと同じ笑顔の朱莉が指をすっと上げる。

 いつもと同じはずなのに、どこか寂しそうな顔だと思うのは鵠がそう思っているからなのか。

「桜魔の本体はあちらです」

「そうか」

 朱莉の能力で突き止めた先では、今度はこの桜魔の本体と戦わねばならない。そこでまた鵠たちは何匹もの傀儡を切り払うのだ。かつて人であったものから剥ぎ取られた皮ごと。

 この家に帰って来たのはあくまで桜魔の兵隊であって、殺された子どもの皮を被っただけのただの人形だった。

 それを息子が帰ってきたと受け入れてしまうのであれば、神刃の言うとおり、死んだ子ども本人の救いはどうなるのか。

 桜魔は桜魔、死者は死者。死んだ人間は蘇らない。だから人は、人を殺す桜魔を憎むべきなのだ。

 庭先で崩れ落ちた夫婦二人を最後にちらりと一瞥した鵠を、朱莉が促す。

「行きましょう。我々の戦いへ」

..012


 別の場所で傀儡を操っていた桜魔を倒し、花栄国を一時期騒がせた「蘇る死者」事件は収束した。

 もう死者が帰ることはない。死者が帰ってきて喜んでいた者たちは一時期狂わんばかりに嘆いたというが……。

「それでも、きっと徐々に立ち直っていくでしょう」

「そうか」

 人はそんなに弱くない。

 弱さにしがみつく理由を作っては駄目だ。

「で、お嬢」

 鵠は朱莉に話しかける。

「何故俺たちはわざわざこんな小洒落た茶屋で二人きりで話さねばならないんだ……?」

 普段使う定食屋ではない。内装といい品目といい如何にも若い娘が好みそうな甘味処で、鵠は朱莉と向かい合っていた。

「あら、お気に召しませんでした? せっかく神刃様から鵠様は甘味がお好きだと聞き出して選んだ店なのですけれど」

 確かにここの練りきりは絶品だ。味だけでなく見た目でも楽しませてくれる菓子など物資不足のこの世の中でケチをつけては罰があたるだろう。

 だがしかし。

「鵠様も、色々聞きたいことがあったのではありません?」

「……」

 楊枝を不満げに噛みながら、鵠は朱莉を睨み付ける。

「話せと言うのは簡単だが、今俺が聞けば、あんたは誤魔化すのだろう」

「おや、何故ですの?」

「神刃がそれを望んでいないからだ」

 桜魔になって子どもが帰ってきたと言う夫婦に神刃が投げた冷たい言葉。

 あれは彼自身の両親という存在への蟠りを示しているのではないか?

 ――鵠は、神刃について何も知らない。

「神刃の養い親は退魔師の火陵という男だ。俺はてっきり、神刃の奴は本当の両親を知らないんだと思っていたが……」

「へぇ。あなたは、神刃様の義父について御存知なのですか。私はそちらに関しては存じませんでした。私が知っているのは……」

 鵠だけでなく、朱莉も語尾を濁す。しかし鵠と違って、彼女は言葉の続きを探しているようだった。

「鵠様が考えたこと、半分は当たっています。神刃様は自分の御両親の名や、彼らがどういう立場であったかなど、そういう知識は持っているんです。けれど両親に育てられたわけではないので、その人柄について本当の意味では知りません。そういう意味では、あの人は自分の両親について知らないとも言える」

「複雑そうだな」

「ええ。私の知る限り、一番複雑な生い立ちの人間ですね」

「あんたは?」

「私ですか? 私の生い立ちはとても普通ですよ。自分で言うのもなんですが、とても恵まれた人生を送って来ました。それでも今こうなっているのは、私自身が選んだ結果です」

 鵠は声を潜めて尋ねた。

「あんたは……桜魔だな」

 ざっと風が吹き、店の中に何処からか桜の花びらを吹き込む。

 とても美しく不吉な花を。

「それもまた半分は外れ、半分は正解ですね」

 優雅な仕草で湯呑を傾け、彼女は告げる。

「私は桜人おうじん。人間が生きながらに桜魔の組成を取り込むことで変化する妖です」

「桜人だと……?」

 鵠の知識の中にその言葉は一応あった。だが現物は初めて見る。

 桜人は人間が自ら望むことで妖となった存在だという。桜魔のように心まで死者の妄執から生まれるのではなく、人間が自分の意志を持ったまま妖に変化する。

「私が桜人に変化したのは二年前です。そこから体が成長していません。不老不死の身となりました。私はそれを望んで桜人になったのです」

「あんたと神刃は二歳差だったな……なるほど、同じくらいの年齢に見えたのはこちらの勘違いじゃなかった訳か」

 二年前に桜人になって以来身体的に成長していないなら、朱莉の外見は十五歳ということになる。現在十五歳の神刃と同じくらいの年齢に見えるわけだ。

「まぁ、あの頃は色々とありました。私と神刃様の仲が悪いのもそのせいです。けれど今は色々あって、あの人に協力しています。私だって自分の目的のためには、早くこの大陸に平和を取り戻したいですもの」

「目的?」

「……まぁ、その話はいずれ。他愛のない話ですよ。あまりにも他愛なくて……鵠様でしたら、お笑いになるかも知れませんね。そんなことのために人間であることを捨てたのかと」

 朱莉の切ない表情に、鵠はその理由にある程度のあたりをつけた。

 彼女は恋をしているのだ。けれどその相手は恐らく一筋縄ではいかぬ相手なのだろう。それと大陸の平和と神刃がどう関わるのかは、生憎とまだわからないが……。

「……別に、俺はあんたの人生には興味などない。妖に変じたとはいえあんたは正気を保って人間に利するよう行動しているし、文句をつける筋合もないだろう」

「そうですわね。誰にも文句は言わせません。神刃様にも、誰にも」

 神刃もなかなか頑固だと思ったが、朱莉も相当だ。

「私は神刃様に対し、ある『恨み』を持っています。けれどまた、それがある故にあの人がこの桜魔ヶ刻時代を終わらせることも信じられる」

「複雑な関係だな」

「そうでもありませんよ」

 神刃の生い立ちの話とは違い、朱莉と神刃の関係は事情を話してしまえばとても簡単なものだと言い切る。

「鵠さん」

 そして彼女は鵠に頼んだ。

「あの人をお願いしますね。この先どんなことがあろうとも、最後まで心から神刃様の味方になってあげられるのは、きっとあなただけです」

 朱莉は、自分はそうではないのだと言外に告げる。

「……確約はできない」

 だが鵠にもわからない。

 自分がそれほど神刃の心の内側に入り込んでいるとは到底思えなかった。

「ふふふ。まぁ、簡単に請け負う男よりは信用できますわね」

「お嬢……」

 そうして時間は過ぎていくのだ。


 ◆◆◆◆◆


「蘇る死者の噂?」

「ええ」

 少年は自室で報告を受けていた。

 濃紺と紫の布と黒檀の多く使われたどこか暗い印象を与える広い一室。しかし一度窓を開き眼前に広がる朱色の桜を引きこめば、夜空を焦がす炎のようなその花弁が暗い色の調度によく映える。

「それで、どうしたのですか? 桜魔の仕業でしたら、すぐに退魔師の派遣を――」

「いえ、もう終わったそうです」

「終わった?」

 主君である少年に、部下の男はなんともざっくばらんな口振りで説明した。下手に畏まられるよりは気安くわかりやすいので、少年はその態度を咎めもしない。

「っていうか元々花栄国での話なんですけどね。ちなみに朱莉様からの情報です」

「朱莉様、と言うことは……」

「ええ。神刃様も関わっているんでしょう」

「……」

 顔見知りの退魔師の名を聞かされて、彼女がいる以上当然関わってくるもう一人の名も確かめた少年は、沈黙を以て更に先を促す。

「神刃様は桜魔王討伐のために他の退魔師と手を組んだそうですよ」

「他の?」

「はい。花栄国内……いえ、ここを含めた近隣諸国においてかつて最強と呼ばれた鵠と言う名の退魔師と」

「鵠? それは鳥の名前ですか? だとしたら例の……」

「ええ。本人が知っているかどうかはともかく、天望の血筋に連なる者であることは間違いないでしょうね」

 花栄国には退魔師の名家が存在する。子どもたちに代々鳥の名をつける習わしのその家の名は天望。

 鵠と言う名の人物を少年は知らなかったが、天望の退魔師だとすればその実力は確かなはず。

「彩軌」

「はいはい、なんです? 陛下」

 少年は男の名を呼んだ。彩軌は道化のようにおどけた態度で、深々と頭を下げて見せる。

「あの方たちを、こちらに呼び戻しても良いと思いますか?」

 陛下と呼ばれた紫紺の髪に橙色の瞳の少年――蒼司王は、彩軌を心細そうに見つめる。

「陛下のお好きになさったらいいんじゃないですかね」

 見つめられた男はにこにこと感情を掴ませない顔で笑ったまま、気楽に言った。

「でもそんなことしなくても、すぐに彼らはやってくるでしょう。ここに。全ての闘争と怨讐の始まりの地に。あなたは玉座でその時を待てばいい」

 桜魔ヶ刻はこの朱櫻国、緋閃王の愚かな行為から始まった。

 ならばそれを終わらせるのもまた、朱櫻の血を引く者の務めであろう。

「朱櫻国王、蒼司陛下――」

 少年は目を伏せる。

 その瞳には、拭いきれない時代の憂いが、今も深く宿っているのだった。

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