シナリオ屋(五)
人の姿で娑婆へ降りて、世のため人のためになるような、たいそうな発明や発見をなさる方は、同時に大変な苦労を背負い込むのが常です。
ただ、その苦労に合わせて、絶妙な助っ人がその方のまわりに配置されることも、また、決まり事でございやす。助っ人と言いましても、凄い方ばかりじゃありやせんよ。隣のおばちゃんだとか、魚屋のおっちゃんだとか、千差万別、老若男女、そりゃあ色々でございます。
その日、あっしは頼まれたシナリオを半分ほど書き上げた所でした。
「邪魔するよ」
ちょうど疲労がピークを迎えた矢先でしたので、「ナイスタイミング」と心の中でほくそ笑んで、お客様をお迎えします。
「如来さま、いらっしゃいまし」
「おや、嬉しそうだね?」
「えへへ、バレちまいましたか。実は休憩の口実を探していたところへ、如来さまが都合良く登場して下さったんでさあ。ささ、どうぞおかけになって下さい、お茶の用意をさせていただきやす」
「おやおや、私は共犯かい? 言うようになったね、シナリオ屋も」
セリフとは裏腹に、楽しそうにあっしが勧めた椅子に腰掛けられる如来さま。
あっしも正々堂々? と休憩できるってわけですから、嬉々としてお茶の用意に取りかからせていただきました。
「うーん、この菓子はなかなか絶品だね」
あっしがお出しした菓子をひとくち口にして、如来さまはおっしゃいます。
「はい、ちょうど今書いてますシナリオの依頼人のおひとりが、どうしても受け取ってくれって置いていかれたんです」
「はは、それではシナリオ屋も手が抜けないね」
「そりゃあもう……って!、あっしは袖の下を受け取ったからって手心を加えるような真似はいたしやせんよ」
「ははあ、袖の下なんだ、これは」
「ち、ちがいやす!」
「あはは」
などと如来さまにからかわれながら、ほっこりした時間が流れていきます。
「ああ、美味しいものは心和むねえ。ねえ、シナリオ屋」
「さようでございますね」
如来さまがおっしゃったから、と言うわけでなく、この菓子は本当に美味しいんですよ。
「有名、無名にかかわらず、美味しいものを求める心が作り出した味。そして、それを、ただ楽しんでもらいたいという下心のない思い。それらが重なり合って紡ぎ合って、この味をかもし出しているんだと思うよ」
「はあ」
「変わらずに、良い依頼を受けているらしいね。安心したよ」
「ありがとうございやす」
あっしは如来さまにほめられてとても嬉しかったんで、とっておきの娑婆のお話しをさせていただこうと思ったんですが、なぜか如来さまは菓子を食べ終えると、
「ごちそうさま、また来るよ」
と、早々に店をあとにされたのでした。
「あれ? 今日は話を聞きに来られたんじゃなかったんですかね?」
不思議に思いつつ後片付けをしていると、テーブルにいつの間にか宛名の書かれていない美しい封筒が置かれていました。
「これは……」
それで合点がいきました。如来さまはこれを持ってこられたんだなと。
実は、あっしは何度かその封筒を受け取ったことがあるんでさあ。手にとって押し頂き、中からこれまた美しい封筒を取り出して開いてみると。
――シナリオ屋。お前が書いている○○のシナリオに、ひとつ書き加えてほしい事柄がある――
えもいわれぬ心地よい声が響き渡ります。
そして、何のことはない、八百屋のおっちゃんで生涯を送りたいと依頼されたお客様に、1度だけある時期にある場所で店を開いてほしいというものでした。当然、八百屋のおっちゃん本人には了解を取ってあるとのこと。
ははあ、これはまた壮大な使命を持ったお方が娑婆へ降りられるんだな、とわかりました。
普通、人の一生に天が関わる事はほぼ皆無ですが、それがとてつもない影響を及ぼすような方の場合、天はあちこちにネットワークを張り巡らせます。で、ネットワークの一員になる方がご自分で人生を書かれている場合は、本人に頼み事をし、あっしのようなシナリオ屋が依頼を受けている場合は、シナリオ屋の所に頼みがやって来ます。
今回は、たまたまあっしがシナリオを引き受けた八百屋のおっちゃんが、何かにかかわっているらしい。
あ、ですがね。
笑い話じゃあ、ありやせんが、この八百屋のおっちゃんがものすごい人格者で、その方にとんでもない影響をお与えになるとかじゃないんですよ。ただ、おっちゃんがポツンと漏らしたひと言がひとつのヒントになるとか、ひもじい思いをしているときに、野菜や果物をあげたとか。
ただそれだけなんです。
で、どう言った役柄かは本人にもシナリオ屋にもわかりません。ただ、時期と場所を指定されて、それを書き加えるだけ。そんなの失礼じゃないですか、訳もわからずただ時間と場所だけ指定されるなんて、と、思うでしょ。
ですがね。
これが本当に素晴らしいんです。絵にも描けない面白さ、とは、このことでしょうかね。あれがああなって、これがこうなって、ああ、この方がこういう風にかかわられて、それで最後はこうなるのか! ってね。いやあ、あっしたちが考えるどんでん返しなんて、幼児が考えたみたいに可愛いもんですよ。もう凄い! あらゆる事柄があっちこっちでひっくり返りまくりです。
よく、娑婆の方は「事実は小説よりも奇なり」などとおっしゃいますが、そりゃあ当たり前です。なんせ、天、と言うか、神様がかかわっておられるんですから。
これこそ、正真正銘、神のシナリオです。
と言うわけで、あっしは八百屋のおっちゃんのシナリオに、新たに指定された時期と場所を書き加えたんでやんす。
「はあ……、うう、もうダメだ……」
ドサリと畑のそばへ倒れ込む1人の若者。
「おい! 兄ちゃん! 大丈夫か?」
「す、すみません……何か食い物を……、」
「はあ? ガハハ、なんだ兄ちゃん、行き倒れかい! よーっし、ちょうどスイカが腐るほどあるんだ、食ってきな!」
しばらくして。
「ハグッ! ハグハグハグ! ううーうまい! ありがとうございます、おっちゃん!」
「いいってことよ!」
満腹になった彼は、一息つくと、丁寧におっちゃんにお礼を述べます。
「ありがとうございました。俺本当に何もないんで、どうやってお返しすれば」
「なあに、うちは余ってるスイカをこんなに食べてもらって大助かりだ」
「でも」
「だったら、誰か困った人がいたら、その時は兄ちゃんが助けてやりな。それが恩返しだ」
バシン! と背中を叩いて豪快に笑う八百屋のおっちゃん。
「はい、必ず」
少し感激した様子で頷くその人が、のちに、この世界を変えてしまうほどの発見をなしとげる人物だとは、このときおっちゃんも、本人さえも知らないのでした。
なんと、八百屋のおっちゃんは、行き倒れのその人にスイカを提供し、彼を助ける役だったのでした。
如来さまから手紙を受け取ってしばらく過ぎた頃、思いがけない方が店にやってこられました。
「あれ? あ! 一次さん! どうされたんですか?」
それは一次さん。
1万回の旦那のところで用心棒をされていた方です。旦那のシナリオを書いている間は、うちの店の用心棒までしていただいたんです。あっしは嬉しくて懐かしくて、つい抱きついちまって、一次さんを大いに照れさせました。
ですが、旦那が天へ帰られたあと、一次さんも天へ帰られたはず。
「どうなさったんですか? もしかして、やんごとなき事情で天から追い出された、とか?」
あっしのとんでもない言いぐさを、ただ苦笑でやり過ごす一次さん。
「いや、違いますよ。ちょっとした、ボランティア、です」
「ボランティア?」
「はい、俺ができるのは、用心棒くらいなので。天での募集に応募したら選ばれました」
どうやら大発見の彼が窮地に陥っているらしいんです。
いえ、誰かに命を狙われているとかじゃなくて。とんでもなくメンタルの強い彼が、珍しく疲弊しているとのことで、その命の綱を自分で手にかけないように、見守る役目が必要だと判断がくだされたようです。
なぜ天がそこまでするのか。
彼が今ここで発見をあきらめてしまうと、世界が少し遅れて行ってしまうんです。何と言いましょうか、上手く説明できないんですが、その遅れが微妙にあちこちに影響して、やがて大きな歪みになってしまうんです。
その見守り役に一次さんが選ばれたんでやんす。
「さすが、天はよくおわかりになっていやすね」
「いえ、そんなことはありませんよ」
照れながら謙虚にそう言うと、一次さんは娑婆へ降りていかれました。
彼の人生は、端から見ると熾烈を極めていた。
ただ、本人にとっては、どんな試練もなぜかそれほどつらいものではなく。いや、むしろ発見にかかわる困難は、難解であればあるほど彼には楽しいと思えるのだった。
ただ1度を除いて。
(もう、俺には手立てが、ない。皆、すまない。すまない。すまない)
心に響く声、何かにとりつかれたように、彼の頭の中には命を落とすことしかないのだった。どうやって死のう、どうやって死のう。ただそのことのみを繰り返し考える。
そのうち考えることすら面倒になると、手近にあった太い縄を手に取り、首に巻き付ける。
天井に綱を放り投げてよろよろと机に乗ると、そこから空中へ足を出す。
ギシ! ミシッ!
だんだん意識が遠のく。ああ、俺はこれで死ねるんだな。死んだら楽になれると思うだなんて、人生で初めてだ。
シュッ!
その時、鋭い刃物の音が聞こえたような気がして。
同時に身体がドオン! と地に落ちる。
彼には見えないが、そばには刀を抜いた一次が立っている。
ああ、綱が切れた、のか。助かってしまったのか。身体に感じる痛さに悔しさがこみ上げてくる。
なんで、なんで? なんで!
「死ぬことすら選べないのか。いったいこの先、どうしろと言うのだ」
――それでも、生きろ――
泣くことすら忘れた頭の中に、どこからか男の声が響いた。
「……それでも……生きろ」
彼は両腕で顔を覆うと、ようやく声を殺して泣き出した。
それから何年かして。
「おめでとうございます! これは人類史上、類を見ない大発見です!」
彼の発見は、このときの世界にとって、なくてはならないほどのものになる。
この功績が発表されたあと、彼はあらゆるメディアに引っ張りだこだ。今日は彼の生い立ちを紹介する番組の制作途中だ。
「ありがとうございます。でも、こんな俺でも、実は1度だけ、自分自身を手に掛けようとしたことがあるんですよ」
驚くインタビュアーに続けて彼が言う。
「けど、首に巻き付けた綱が切れましてね。そのあとみっともなく、どうしろって言うんだーとかごねてたら」
「はあ」
あきれたように生返事を返すインタビュアーに、真顔で彼が言う。
「声がしたんですよ」
「声?」
「それでも、生きろ、と」
「それでも、生きろ……」
そこで微笑んだ彼は言葉を探すように、また話を続ける。
「そのひとことに、まるで憑きものが落ちたようになって、ようやく目が覚めました。それからは何があってもあきらめないと決めたのです」
インタビュアーもカメラマンも無言で彼の言葉を聞いている。
「もう今となってはあの声が誰かはわからない。けれど、俺はあのときのあの声の主に、お礼が言いたいです。本当にありがとう、と。そして……」
「あのとき、命を捨てなくて、本当に良かった、と」
「一次さん、お礼を言われてますよ」
「やめてください。規定違反だとかなり怒られました」
ここは天と娑婆の中間地点。
ボランティアを終えられた一次さんが、また帰りに顔を見せてくださいました。
そうなんでさあ。実はボランティアは姿を見せちゃいけないとか、他にも厳しい規定があるんです。一次さんの場合は見せたのは声だけですがね、結構なんやかんやとお小言をいただいたようです。
「でも、違反しても言いたかったんですよね」
「と言うより、あのときは、勝手に声が出てしまったというか」
「一次さんらしい」
「やめてください」
また照れる一次さんは、あっしが無理矢理勧めたお茶を飲むと、天へと帰って行かれました。
エピローグ?
彼の発見は、その後の化学や科学をずいぶん発展させたんでございやす。
けれど、欲望や利権などの醜い心がそれを奪い合いはじめ、彼らの世界が滅びかねない事態に陥ります。実際、星がひとつ滅びたくらいの醜さでした。
ですがね。
いや、天というものはなかなかに辛抱強いんですね。
それから何億年かして、醜い心が全滅すると、彼の発見で順調に進んでいた世界が、あらたな宇宙を生み出したということです。
めでたし、めでたし。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シナリオ屋の第5弾です。
今回は少し壮大な?? お話になってしまいました。
実は、「あのとき命を捨てなくて良かった」と言う言葉をどこかで垣間見てひどく感銘を受け、浮かんだお話しです。人の一生には色んな事がありますね。けれど、あとで考えると、何であんなに悩んでいたんだろう、と思うこともあるかと思います。私もご多分に漏れずです。
とにかく、言うは易く行うは難し、ですが、悩んでいるときは宇宙に上がったつもりで視界を広げてみるといいかもしれませんね。
まだシナリオ屋続くと思いますので、どうぞ遊びにいらして下さい。