赤い文字
こんにちは、葵枝燕でございます。
せっかくホラー企画があるので、参加してみようと思い書いてみましたが……ホラーではなくなってきました。こわい話、苦手なんですよね、色々な意味で。
とりあえず、ホラーのつもりです!! 全然こわくないと思うけど!!
それでは、どうぞご覧ください!!
Tさんは、大学入学を機に実家を離れ、一人暮らしを始めることとなった。一人息子な所為か両親には反対されたが、最後には二人とも「頑張れよ」と送り出してくれた。
一人暮らしをするにあたり、必要なものを部屋に運ばなければならない。引っ越し業者に頼むのが一番手っ取り早い方法だった。しかし、それは金がもったいないと思ったTさんは、当面必要なもの――着替えや食器類、カップ麺や寝具などを箱に詰めて、自分で運ぶことにした。そこまで持って行くものはないだろうと高を括り、引っ越し前日に荷造りを始めたTさんだが、始めて五分も経つとそれが間違っていることに気付いた。どれも必要に見えてきたのである。結果、Tさんがやっと抱えられるような大きさの段ボール箱二つ分の荷物が、Tさんの車に乗ることとなった。
こうして、Tさんの一人暮らし生活は始まったのである。
大学まで歩いて五分ほどの場所にある二階建ての木造アパートが、その日からTさんの住まいとなった。築年数はそれなりに重ねている建物だったが、その代わりに家賃が安かった。大学は何かと金がかかるのは知っていたため、家賃が安いのはそれだけで助かるとTさんは思ったのだった。
段ボール箱二つを持ち、これから住むことになる部屋の鍵を開ける。ドアを開けると、左右に一つずつ、奥に一つと、計三つのドアがあった。左側のドアの向こうは洗面所と風呂場とトイレがあり、奥のドアの向こうはキッチン兼リビングになっている。右側のドアの向こうに何があるのかは、Tさんは知らなかった。一応部屋の見学はしたのだが、家賃が安ければそれで充分だと思っていたTさんは、あまり部屋の中をよく見ずに契約していたのだった。
とりあえず、段ボール箱をリビングに運び込むことにした。しかし、夜遅くまで荷造りをしていたTさんは、自身が思っている以上に疲れていた。最奥にあるリビングまで行くのさえも面倒だったのだ。そのため、Tさんは一番近くにあった右側のドアを開けた。
ドアの向こうはごく普通の、ありふれたタイプの洋室だった。Tさんは部屋に入り、段ボール箱を床に置いた。置いたのはいいが、開ける気力はなかった。
「ん?」
Tさんは箱を枕に寝ようとしたが、視線の先にあるものに釘付けになった。
それは、一台のドレッサーだった。
(何で、こんなもんがあるんだよ……)
少し気味悪く思ったものの、Tさんの体力はもう限界だった。Tさんは沈むように眠りについたのだった。
Tさんが目を覚ますと、日の光が仄明るく部屋を照らしていた。朝なのだと、ぼんやりした頭でTさんは感じた。大きな欠伸を零す。そして、動きが固まった。
『おはようございます。疲れは取れましたか?』
ドレッサーの鏡には、赤い文字でそう書かれていた。
(昨日はこんなの、なかった……よな?)
自問しながら、Tさんはドレッサーに歩み寄った。ごく普通のドレッサーだ。化粧品を並べておくのだろう台には、一本の口紅が乗っていた。どうやら、赤い文字の正体はこれのようだ。
(でも、一体誰が……)
この部屋には、自分以外いないはずだ。一人暮らしなのだから当然のことだ。そして、口紅など持ち込んではいない。化粧をする趣味は持ち合わせていなかった。
口紅で書かれた赤い文字を見ながら、Tさんはただただ困惑していた。
引っ越してきて二週間が経ち、いよいよ入学式の日となった。Tさんは着慣れないスーツに袖を通した。ネクタイも、どうにか結ぶことができた。中学と高校の六年間、学ランしか着てこなかったことをTさんは少し悲しく思った。
出かける直前、最後に身だしなみをチェックしようと思い、ドレッサーの元に向かった。
そしてそこに、起きたときにはなかった文字を見つけた。
『ネクタイ、上手く結べてますよ。いってらっしゃい。お気を付けて』
赤い文字で記されたその言葉は、その色のおどろおどろしさに反してあたたかみが感じられた。Tさんは何だか緊張が和らいでいくのを感じた。
「ありがとう。いってきます」
自然とそう言っていた。そう言った自分に驚いたが、Tさんはそろそろ出ないとまずいことに気付き、慌てて部屋を飛び出したのだった。
いつしかTさんは、鏡に書かれる赤い文字をこわがることがなくなった。むしろ、心待ちにするようになっていた。口紅で紡がれる赤い文字は、あたたかかった。勇気付けられるような、元気になれるような、そんな不思議な力があるように思えたのだ。
だからTさんは時々、ドレッサーの前に座って話をすることにした。大学であったこと、アルバイトを始めたこと、料理がなかなか上手くならないこと――色々なことを話した。その度に赤い文字は答えてくれた。それがTさんは嬉しかった。
「やぁ、Tさん」
「あ、ども」
引っ越してきて一月が経った頃。大学から帰ってきたTさんは、隣の部屋の住人と鉢合わせた。どうやら隣人は、これから夕食の買い物に行くところらしい。Tさんは大学での、隣人は職場での話をそれぞれに交わす。会話を終え、Tさんが部屋に入ろうとすると、隣人が呼び止めた。
「Tさん、君の部屋で変なことは起こってないかい?」
「変なこと?」
隣人が頷く。やけに真剣な表情をしていた。先ほどまでの柔和な表情が嘘のようだ。
「例えば、ドレッサーの鏡に赤い文字が書かれる――とかさ」
「……え?」
なぜ隣人はそれを知っているのだろうか。
「実はね、君の前にも何人かその部屋に住んでいたんだよ。でも、みんな一月と経たずに出て行ってしまうのさ」
それは初耳だった。見学に来たとき、不動産屋はそんな感じのことは言っていなかったと記憶している。
「それで、彼らが口を揃えて言うんだよ。鏡に赤い文字が書かれるってさ」
隣人の言葉を、Tさんは聞きたくなかった。聞いてはいけないような気がしていた。しかし、そんなTさんの思いを知らない隣人は、言葉を吐き出し続けていた。
寝室として使っている洋室。Tさんはそこに寝転んで、天井を睨んでいた。
(殺人事件、か)
隣人の話によれば、Tさんの住む部屋で今から三年ほど前に殺人事件が起こったのだという。この事件で、当時十九歳の女性が犠牲になった。まだ、大学生になったばかりだったという。そして、被害者である彼女には、身寄りがなかったそうだ。そのため、遺品を引き取る者はおらず、彼女の遺した物達は使える物を残して、その大半が業者に引き取られていったという。
ドレッサーはきっと、“使える物”として置いて行かれたのだろう。口紅は、見落とされてしまったのかもしれない。
そんな曰く付きの部屋だとは思っていなかった。しかし、それを教えなかった不動産屋に怒りは湧かなかった。最初はこわかったが、赤い文字に勇気付けられたことの方が今は大きかった。それに出逢えたことに比べれば、曰く付きの部屋だったことは構わないと思えた。
翌朝、目が覚めたTさんはすぐにドレッサーを見た。しかし、そこには何もなかった。
それから何日も、Tさんは起床後すぐにドレッサーを確認したが、赤い文字が綴られることはなかった。
それから数年が経ち、Tさんは大学を卒業した。そして、それを機に実家に戻ることにした。
出発直前、Tさんはドレッサーの前に座った。この部屋の過去を聞いてから今日まで、一度も赤い文字は書かれないままだった。
Tさんはそっと、鏡に指を這わせた。赤い文字はない。ただの鏡だった。
「そうか」
Tさんは呟いた。
「知られたくなかったんだな」
そうしてTさんは、四年間住み慣れた部屋を出て行った。
読んでいただきありがとうございました!
主人公の名前をイニシャル風にしたことに、特に理由はありません。何となくで付けました。
全然こわくなかったと思いますが、楽しんで(?)いただけたなら幸いです。