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続きを書こう。さて何処まで書いただろうか。
確か途中で街は首都と気付き、その首都に繋がる城門を通過した所からだったな。
城門から首都が一望出来た。
首都は石畳の道とカラフルなレンガの建物、まわりに豊かな水量の川が馬蹄形に流れていた。
しかし家だけなく森林があちこちに点在していた。ざっと見渡した限り、首都の中に三割ほどの森林地区があると思った。
首都を囲む外壁には幾つかの門が建てられていた。後に知る事となるが門の数は全部で七つだ。
遠くから見ても分かる美しい街並みに、わたしは感動して言うべき言葉も失った。
その間に馬車は城門を通り、首都の中央通りを進む。街は三階か四階建ての古い建物が多く、所々壁が剥げ落ちていたが、それが逆に風情を醸し出していた。
中央通には噴水が十二個設置され、いずれも色々な彫像で飾られていた。
「すごーい!」
葛葉は目を輝かせながら街並み一つ一つ食い入って見ていた。紅葉も美しい街並みにうっとりした目を向けていた。
わたしは彼女たちほどではなかったが、メルヘンチックな街並みを見て中世ヨーロッパへタイムスリップしたのでは、と思った。
最初は首都のわりに人通りが少ないな、と思ったがその理由は簡単に分かった。食料など日用雑貨類を売る店は中央通りにはなく、川の荷降ろし場の近くにあるからだ。
中央通りには高級雑貨店、または政府機関、教会などの宗教施設が建っていた。
「J様、議長がご挨拶をと申しておりましたが、いかが致しましょうか」
「放っておけ。どうせおべっかを使われるだけだ」
それは問題ないのか、と思ったわたしだが、確かに気を使ってくる人間の対応は面倒だろうな、とも思った。
どちらかと言うと、腫れ物扱いかもしれない。何しろ混沌の使者は彼らが信奉する神のメッセンジャーだ。下手に機嫌を損ねて、神の不興を買う訳にはいかないのだろう。
もしかしてわたしたちが馬車から下りないのも、政治家たちへの配慮なのだろうか、と思った。
これがわたしの思い違いで、実際は馬車から見える部分を紹介すれば問題ない、とJが考えたからと気付いたのは、首都案内が終わって数時間も経った後だった。
首都案内は感動の連続だった。ゲームや漫画で良く中世ヨーロッパの街並みが参考資料として使われるが、なるほど納得だ、と思えるほど美しい街並みだ。
月並みな表現しか出来なかったわたしだが、首都の景観を的確に表現する言葉がそれ以外見当たらないのだ。
レンガ造りの建物、アーチ状に石畳を並べた道路、芸術性の高い噴水、一体どの様な言葉で表現すれば良いのだろうか。稚拙な頭で考えた結果が、美しい街並みという言葉なのだ。
首都案内は大体四時間ぐらいだっただろうか。しかしその内容は大変満足出来るものだった。
わたしは宮殿に戻ってからも興奮が収まらず、気持ちが昂ぶっていた。そんな鬱陶しいわたしに、最後まで付き合ってくれたJには感謝している。
「今は承認が済んでいないから、お前は一人で首都へ出向くな」
J曰く、混沌の使者なら政治家が命懸けで守ってくれるそうだ。ただこの時のわたしは、まだ正式に混沌の使者として承認されていなかった。
だから下手をすると犯罪に巻き込まれ、最悪の場合命を落とす事にもなる、と警告を受けた。
しかし一体何時になったら承認されるのだ、と疑問を口にしたがその問いにJは答えなかった。否、答えられなかったという方が正しい。
彼らと別れた後、意外と疲れていたわたしは夕食も取らず眠りについた。
夢を見た。今思い返しても不思議な夢だった。
わたしは海の上に立っていた。空は漆黒の黒を塗りたくった光届かぬ世界なのに、わたしが立っていた海は淡い光を放っていた。
暫く呆然としていると、ふいに周囲が若干暗くなった。それと同時に声が聞こえた。
「忠誠を誓え」
地獄の底から轟くような恐るべき声は、烈しく地面を揺らしているような錯覚を覚えた。
この世のものとは思えない悍ましき声に、わたしの精神は酷く磨り減った。だが声の主は、わたしの事などお構いなしに、冒涜的な声で再度語る。
「我に忠誠を誓え、その血と命を捧げよ。さすれば汝に我が力、貸し与えん」
底知れぬ深淵のごとき漆黒の声に、わたしは惨殺された屍のように首を縦にふった。
今でもあの声は、我々には到底分かり得ない器官で出した音だと思う。現実感を冒涜し蹂躙する名状し難き声は、何度思い返しても慄然たる思いがわたしの心を駆け抜ける。
わたしが頷くと同時、右腕に病的かつ冒涜的な禍々しい混沌とした痛みが走った。
慌てて右腕を見ると、わたしの右手甲に見たこともない精妙な幾何学模様が彫られていた。
左手で拭っても消えず慌てるわたしに、声の主は嘲笑うように名状し難き声で語る。
「我への忠義の証、刻まれたり。これより汝、混沌の使者を語る者なり」
声と共に周囲の明るさが蘇る。そこでわたしはようやく気付いた。
足元の海に巨大な影がある事を、周囲が暗くなったのもこの影が現れた為だという事も。
一体どれほど大きいのか、矮小なわたしでは到底理解出来るはずもなく、燦然たる思いで異形の影が薄くなるのを眺めていた。
やがて異形の影が殆ど見えなくなり、周囲の明るさが元に戻る直前、わたしの脳に声が響いた。
「我を失望させるな」
それを最後に、わたしの意識は時空を超越した底知れぬ漆黒の深淵に堕ちた。
目が覚めたわたしは、まず一番に己の右手を確認した。
ああ、夢ならどれほど良かったか。わたしの右手には夢と同じ模様が彫られていた。
その模様を見るやいなや、ジャスティンは部屋を飛び出した。彼女は優男を連れて戻ってくると、彼に何かを伝えていた。
話の内容はわからぬとも自身の手に刻まれた模様の事なのは十分理解した。
「おめでとうございます。一葉様は無事、我が神より混沌の使者として認められました」
優男曰く、わたしの右手に刻まれた模様は、ヴァンパイア・ネクストの似姿を顕しているらしい。
わたしには幾何学模様を不気味なまでに歪めた文様にしか見えなかったが、彼らにとっては神聖にして不可侵な模様らしく、喉まで出かかった評価を飲み込んだ。
それから数日、調書と呼ばれる資料作成に時間を取られた。国内の有力者に配布するもの、と聞いたが具体的に何を書かれているかは一切知らされなかった。
それが終われば次は授けられた能力の確認だった。具体的に何を授けられるかは、ヴァンパイア・ネクストへの謁見が済むまで誰も分からないそうだ。
そして能力を授かっても同じ混沌の使者しか分からないとの事だ。Jが前に能力の紹介をしたのは、わたしが混沌の使者ではなかったから、とJ本人から説明された。
ともかくわたしはイェーガー、パラケルスス、焔、Jと再び顔を合わせて、各自の能力を把握する。
イェーガーは名の通り狩人という能力だった。人が残した僅かな痕跡を嗅ぎ取り、その人物が何処へ逃げても地の果てまで追いかける能力のようだ。
どうやら吸血鬼の力が強すぎるため、バランスを取るために探索系の能力を授けたとの事だ。
本人は非常に不満気だったが、普通なら見逃しそうな僅かな痕跡を嗅ぎ取って人や物を追跡したり、遠く離れた兵士の会話を盗み聞きしたりと、諜報する時にかなり重宝する能力だ。
Jは前にも説明された通り工房だ。道具を必要とせず想像したものを創造する。言わば移動式工場に近く、材料さえあれば錬金術すら出来るそうだ。
後に見る事になるが、鉄鉱石を素手で触るだけで鉄を抽出した時は、驚きを超えて呆れた。
パラケルススは医術だ。こちらはJの能力に近く、生きてさえいれば医療道具を必要とせず生物の怪我や病気を治療出来る能力だ。
この世界の魔術は基本的に人間が持つ治癒能力を高めるだけで、不治の病は治療出来ないし、命に関わる怪我の場合は命を落とす事がある。
しかしパラケルススはそれらを無視し、病気や怪我を治した、という結果だけを引っ張ってくる。ある意味では生きる万能薬だ。その影響か不明だが、薬や毒を生成する事もお手の物だった。
焔は外見に見合わず爆弾という能力だった。名前から能力の内容が非常に分かり難いが、端的に言うと言霊を込める事で、あらゆるものを爆弾に変える凶悪な能力だ。
爆弾にする材料や質量で威力が変わるが、拳程度の石で地面を抉れる威力は出るとの事だ。
つまり道端に落ちている石すら爆弾に変えられる彼女にとって、世界にあるもの全てが武器だ。
問題は爆弾に変えたものが焔本人にしか分からず、他人には判別する手段がない事だ。
おまけに爆弾になったものは敵味方を判別しない。道端に落ちているエロ本を拾ったら、いきなり爆発する事もある、という非常に使い勝手が悪い能力だ。
そしてわたしの能力は投擲だった。
しかしこれには一つ罠があった。それは投擲と書いてかんしゃく玉と読む事だ。
意味が分からなかったが論より証拠、如何様な能力かを試した所、わたしの右手に小型の爆弾が十四個生成された。
後に知った事だがわたしの爆弾は生成すると言うより、右手の関節から生えるという表現の方が正しかった。
また焔との違いは彼女は物を爆弾に変える能力、わたしは直径二センチの接触式球体爆弾を生み出す能力だ。
一つ一つは威力が低いものの、四人の中で圧倒的な範囲攻撃が可能な能力だ。
問題があるとすればヴァンパイア・ネクストの領土内では、まさにかんしゃく玉と言っても良いぐらい威力が落ちる点だ。
民への安全対策なのだろうが、そんな事をわたしが知る由もなく、四人の視線を受けて縮こまっていた。恥ずかし過ぎて、穴があったら入りたいくらいの気持ちだった。
「まぁ……気を落とすな」
Jが肩を叩いて慰めてくれたが、わたしは余計惨めな気分になった。
本音を言えばもう少し格好良い能力が欲しかった。痛々しい名前でなくとも、少しは箔があるような、そんな能力が。
「お坊ちゃんにはお似合いな能力さ」
イェーガーが笑いながらそう言った。これから五年間、わたしはこの能力と付き合うのか。
戦慄に背中を貫かれ、余りの衝撃にわたしは目の前が真っ暗になった。
今日はここまでにしよう。しかしあの能力名だけは異論を唱えたいと、今でも思う。
問題ない、まだわたしの身体は保つ。故にしばし休憩の後、記録の続きを書くとしよう。