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五年戦争  作者: 夾竹桃
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Page 31

続きを書こう。さて何処まで書いただろうか。

わたしが異世界に転移し、度重なる疲労によって泥のように眠った所まで書いたか。


翌日、時間で言えば昼過ぎに眼を覚ました。

頭を何度かふると、入り口近くで直立不動のジャスティンが目に入った。

彼女に会釈しながらわたしは時計を手に取り、今の時間を確認する。

現時刻が昼過ぎだと理解したわたしは、驚きながら何故この時間まで放置したのだ、とジャスティンに尋ねた。

すると彼女は、何度かわたしを起こそうとしたが全く反応がない上に、三度目辺りで入り口に控えていろ、と命じられたと答えた。

おそらく寝ぼけていたのだろうが、彼女は律儀にもそれを守り、入り口近くでずっと控えていた。


わたしはようやく優男の言った、専属メイドはどんな理不尽な命令にも従うよう教育している、という言葉の意味を知った。

例えわたしが寝ぼけて言った命令でも、彼女にとっては絶対なのだ。

不躾な命令を口にした事、女の子を無体に扱った事に罪悪感を覚えたわたしは、ベッドから起き上がると床の上で土下座した。

パンツ一丁で土下座する様は果てしなく情けなかったが、その時は恥ずかしさよりも罪悪感が強かった。


わたしの土下座にジャスティンは困り果てていた。彼女は混沌の使者に対して命じる事は許されない。例えそれが立って下さい、という些細な内容でもだ。

だから彼女は慌てながらもどうする事も出来ず、挙動不審になる以外になかった。彼女からの返答がない事を訝しんだわたしは、ここでようやくジャスティンが困っている事に気付いた。

少し考えてパンツ一丁が問題だと勘違いしたわたしは、素早く服を着ると再度土下座をした。

華麗なスライディング・DOGEZA、と心の中で得意顔をした当時のわたしを思い出すたびに、自分を殴り飛ばしたい気分になる。


「何をしているのだ、お坊ちゃん」


結局、わたしの馬鹿な土下座モードを解除したのは、入り口で呆れ顔をしたイェーガーだった。

彼女は頭の悪い人間を見るような目で、わたしを見下ろしていた。

もしパンツ一丁なら人間の屑を見るような目線だっただろう。わたしは服を着ていた事をこの時ほど喜んだ事はない。

いや、この様な恥ずかしき内容は短くしておこう。話を戻すが、わたしの部屋にイェーガーがアポイントも取らず訪問した。ジャスティンを見ると、知らないと言いたげに首を横にふっていた。


「いちいち話を通すのが面倒なのだよ。お坊ちゃん、どうせ暇だろう。私に付き合え」


わたしはこの時、なぜイェーガーがわたしの元へ訪れたのか理解出来なかった。

顔合わせの場で彼女は一番に席を立った。わたしとの会話も全くと言っていいほど適当だった。

それが翌日、本人から付き合えと言われれば、幾ら何でも疑ってしまう。

訝しげな視線をイェーガーに向けていたのだろう。わたしの視線に気付いた彼女は、小さく笑いながら答えた。


「何だ。Jから私が前回も参加している事を聞いていないのか? せっかく私が足を運んでやったのに、お前は質問の一つもないとは大した余裕だな」


今なら分かるがイェーガーは、わたしより前にパラケルススと焔から質問攻めを受けていた。

だからわたしも同じように質問攻めしてくると彼女は考えたのだ。しかし若輩者だったわたしは、イェーガーが何故そのような行動を取ったか理解出来ず、あたふたする事しか出来なかった。

それでも時間をかけて気持ちを落ち着かせ、ジャスティンにイェーガーのおもてなしを頼んだ。


わたしの急なお願いにも、ジャスティンは笑顔を浮かべて元気良く返事をしてくれた。

彼女の天真爛漫さに、わたしの心はどれほど救われただろうか。今でも彼女には感謝しきれない。


話を戻そう。

茶会が用意されるとイェーガーはジャスティンが席を用意する前に適当な所へ座り、足を組んで片肘をついた。

傲岸不遜で横暴な態度に見えたが、同時に憎らしいほど様になっていた。もしわたしがイェーガーと同じ態度をしても、単なる悪態をついた餓鬼にしか見えなかっただろう。

思えばこの時から、わたしはイェーガーを憎く思いながらも、同時に心の何処かで強い憧れを抱いていたのかもしれない。


「この国は紅茶だけ旨いな。食事の方は微妙だ。最も、百年前よりはマシだが」


ジャスティンが出した紅茶を一口含んだイェーガーは、そんな事を呟いた。

百年前、という言葉を耳にしたわたしは、自然と彼女に質問を投げた。どうして百年前の五年戦争に参加した貴女が、今回も参加出来たのか、と。


「簡単さ、私は百年前に人間をやめた。今は吸血鬼ライフを満喫している所さ」


驚嘆の事実だった。どういう意味だ、とわたしは思わず呟いてしまった。


「頭が悪いな、お坊ちゃん。いいか、良く考えろ。私たちが五年戦争に参加して得られる利は何だ?」


その言葉にわたしは答えが出なかった。言われてみれば、わたしたちが参加する義理や義務はない。ならば相応の飴が必要になる。当時のわたしが理解出来たのはそこまでだった。


「上出来だ。そう、飴がなければ人間は動かない」


つまり貴女は吸血鬼になる事が、自分の利益だと言いたいのかとわたしは尋ねた。


「元の世界に殺したい奴がいたからな。吸血鬼の持つ身体能力・治癒能力・特異能力・不死性はとても良かった。まぁ一種の賭けではあったが」


どうにもイェーガーは必要な言葉だけを要約するので、何が言いたいのか理解しづらかった。

しかし少しはイェーガーの事が理解出来た。まず彼女は元人間、現吸血鬼という種族に分類される。そして吸血鬼になった理由は、元の世界で殺したい奴がいたから、だ。

流石に何故殺したい奴がいたのかは尋ねなかった。尋ねても答えてくれそうにないし、彼女の心の深い部分に触れると思ったからだ。


「少しは理解して欲しいものだ。私はヴァンパイア・ネクストに頼んで吸血鬼にして貰った。だが、私が吸血鬼のまま元の世界に戻れるかは賭けだった。そして見事賭けに勝利し、私は吸血鬼のまま元の世界に帰る事が出来た」


そこでイェーガーは嘲嗤う。わたしは彼女の顔を見て、言い知れぬ朦朧とした恐怖を感じた。


「心臓に杭を打たれても、銀の武器で首を斬られても、流水も、十字架も、太陽すら私には何の意味も成さなかった。もっともあの世界で吸血鬼を殺す方法が本当に効果ある、と考えていたのは本物の馬鹿だけだったが。そんな奴を絶望の淵に落としてやるのは……くくくっ、案外楽しかったよ」


吸血鬼の持つ能力とはそれほどなのか、とわたしは愕然とした思いでイェーガーを見た。

あの細腕のどこに悍ましき力を秘めているのか、全く理解し難い事だった。


「お坊ちゃん、この程度で怯えるならやめておけ」


どれほど時間が経っただろうか。考え悩んでいるわたしに、イェーガーは宣告した。

わたしには彼女の言葉の一つすら理解し難いものだった。だがイェーガーはわたしが理解しようと、理解しまいとどちらでも良かった。警告はした、ただそれだけが欲しかったのだろう。

その証拠にわたしの苦悩を見ても彼女はさして気にせず、悠々自適に紅茶を飲んでいた。


「この世界はお坊ちゃんがいた世界とは違う。それを認識出来ないのなら、混沌の使者を務めるのは不可能だ。第一お前、人を殺した事がないだろう?」


当たり前だ。幼少より剣道を嗜んでいるが、その技で人を無闇矢鱈に傷つけた事は一度としてない、とイェーガーに反論した。

だがわたしの返答など最初から予想していたのだろう、彼女は楽しそうに笑うだけだった。


「だろうな。血の臭いは頑張れば消えるが、人を殺した死臭は消えない。お前からは血の臭いも、死臭も感じない。代わりに砂糖を吐くほど甘い偽善の臭いがする」


正直に白状しよう。この時のわたしは想像力のおよびもつかぬ世界の、光り輝いている所しか見ていなかった。

呪われた禍々しい深淵と狂気的な恐怖が支配し、恐怖が去っても驚嘆、畏怖、憐慇、畏怖の感情が次々と生じる世界が存在している事など、当時のわたしは全く理解していなかった。


「お前は混沌の使者に向いていない。あの糞野郎が承認していないのも、お前が使えるかどうか考えあぐねているのだろう。悪い事は言わない、素直に元の世界へ帰してと願え」


無知こそ罪と言うが好奇心も時として罪であろう。本当は気付いていた、わたしは五年戦争において全く役に立たない事を。だが当時のわたしはそれから目を背けた。


誰かに責任を押し付けたくない、と綺麗事を言った。

だが本当は彼女から感じる深淵の恐怖を目の前にしてなお、心の奥底から湧き出る強烈な好奇心に背中を押されたのだ。

戦争というものがいかに凄惨で理不尽な世界か考えずに。


そんなわたしを見抜いたからこそ、イェーガーはわたしが生きて動く無限の闇に飲み込まれる前に、元の世界へ帰そうとしたのだろう。

足手まといは要らないと存外に語ったイェーガーだが、それが彼女なりの優しさだという事に、わたしは後悔する時期になって気付いた。


そう、後悔先に立たず。わたしが彼女の優しさを理解した時、深淵はわたしを見初めていた。

慈悲深き大地の神々よ、生きて蠢く深淵の闇に落ちたわたしを嘲笑え!稚拙な思考を超越した世界よ、わたしはもう一度言おう! まさかこれほどとは夢にも思わなかった!


「そうかい」


イェーガーはそれ以上何も言わず、ジャスティンに紅茶ご馳走様と言うと部屋から出て行った。

彼女が立ち去ってから少しして、わたしはようやく気付いた。背中は汗だらけで、気付かない内に拳を握っていた事に。







茶会から数日経ったがそれ以降、イェーガーと会話を交わす事はなかった。それどころか他の混沌の使者と言葉を交わしていなかった。

これは本格的に問題だ、と考えたわたしはジャスティンを通して、四人にコンタクトを取った。

しかし反応が帰ってきたのはJと焔の二人だけだった。

おまけにイェーガーとパラケルススはふらっと何処かへ消えたまま、という有り様だった。

各自の自由さに頭が痛くなったわたしだが、ともかく一番良い反応が帰ってきそうなJに、町の案内を頼んだ。


大した騒動もなく、平穏な日々を過ごしていたわたしは退屈を感じていた。紅葉も葛葉も同様で、数日も経てば彼女たちも落ち着きを取り戻した。

二人と話して出した結論が、この世界の現状を知る事だった。何が何だか分からないまま、流されるように異世界を行ったり来たりするのは御免被りたい。

そうわたしたちは結論を出した。今思えば、イェーガーの警告を二人に伝えていれば、また違った選択肢を選んでいたのかもしれない。


いやそれはないだろう。紅葉は兎も角、葛葉は生粋の考古学者だ。中世西洋の印象がある街を見て血が騒がない方がおかしい。

結局、紅葉か葛葉が残ると言えば、わたしはなし崩し的に残っていただろう。それが自分たちの精神に畏怖を染みこませる事になると知らずに。


幸いにもJからは良い返事を貰えたが、焔の方は返事が帰ってこなかった。

この時のわたしは焔の表側が人見知り激しい性格だと知らなかった。だから返事が帰ってこない事に不快感を覚えたが、女の焔より男のJの方が話しやすいと思うことにした。


準備して人生初の馬車に乗り、わたしたちは街を目指した。

途中、出発地点へ振り返ってわたしは心底仰天した。

今までわたしたちが寝泊まりしていた建物は、まさに大聖堂と言えるほど大きな建物だった。


「我々が居住している場所は、この国の民にとって神の住む聖地だ。あの程度の広さは当然だ」


一体幾つの部屋があるのだろう、と庶民的な事を考えていたわたしにJが呆れながらそう言った。確かに近所の神社もかなり広い土地を所有していた事を思い出す。

神域とはそういうものかと漠然と理解した。それから馬車の揺れを満喫すること三〇分、ようやく街の入り口、深淵の王朝の首都に到着した。

J曰く、吸血神の住む宮殿と首都は一本の道でしか繋がっていない。また首都側から宮殿に入るには特別な許可を得ないと不可能との事だ。


「混沌の使者はこの国では特別な存在だ。いや、他の国でも同じであろう。兎も角、混沌の使者ならいかなる場所であろうと入る事が許されている。勿論、国内ではだが」


そうなのか、なら行列の出来る店に行っても並ばなくて済むのか。

確かにわたしはそんな事を言った。それが余りにもおかしかったのか、Jは一瞬きょとんとしたが、すぐに腹を抱えて大笑いした。

わたしはというと、クールな風貌のJが大笑いした事に驚いていた。だがわたしの驚きなど意に介さず、Jは腹を抱えて笑う。


「笑い過ぎです、J様」


若干苦しそうにしながらも笑うJに、彼の専属メイド、確かクリスという名の二〇代前半の女性が、突っ込みを入れつつ背中を擦った。

クリスは一見すると無口、無表情、無愛想な女性に見えるが、実際は凛とした気品と知性溢れる美人だ。しかし完璧に見える彼女には一つコンプレックスがある。

それは彼女の胸が、同年代に比べて若干、否、非常に慎ましいサイズだという事だ。

間違っても指摘してはならない。圧倒的な苦痛や恐怖、驚嘆、畏怖、憐慇、無力、絶望という感情を味わいたくなければ、大人な対応を心がけるべきだ。


「もうすぐ城門前に着きます」


ジャスティンの言葉にわたしは馬車から身を乗り出した。確かに城門と言える巨大な門が、わたしの目に飛び込んできた。

あの城門の向こうはどの様な世界が広がっているのか。未知なる刺激との出会いに、わたしは胸を高鳴らせた。


ちょうど区切りが良い。ここで一旦筆を置く事にしよう。

問題ない、まだわたしの身体は保つ。故にしばし休憩の後、記録の続きを書くとしよう。


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