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五年戦争  作者: 夾竹桃
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Page 1

多くの人々が世界を知り尽くした、と考えたのはつい最近の事だ。

世界に未知なる所はなく、多くの学者諸氏が山から草原から、有史以前の生物の痕跡を掘り尽くさんばかりに大地をひっくり返す。

しかし同時に人々は思う。この世には知らない世界がまだ存在するのではない、と。

ある者はその想いを絵で表現し、またある者は詩で表現し、またある者は物語という形で表現する。そうして現実を認識しつつ、人々は非現実的な事に夢見る。


わたしもその一人、というべきなのだろうか。確かに世間一般で言う自分が特別という考えがなかった、と言えば嘘になる。

だが同時に、心の何処かでそれはあり得ないとも思っていた。

もしかしたら自分は社会を構成する歯車以前の、ちっぽけな存在だと認識していたかもしれない。

それが不幸だとは思わなかった。

わたしの傍には義理の妹である紅葉、従姉妹であり父と同じ考古学者である葛葉という、かけがえのない家族がいた。

父も母も仕事一筋でろくに家にはいなかったが、二人がいれば十分だった。

確かに小さいがそれは幸せだった。そしてその幸せが永遠に続くと信じて疑わなかった。


しかしその幸せは崩れ去る。

始まりは葛葉が常識という境界の外側、悪夢からの使者とも言えるソレを持ち帰った時だ。

何が始まりか、など馬鹿らしい事かも知れない。だが正気の世界で安穏と過ごしてきたわたしの身に起きた事は、わたしの細く過敏な精神に十分過ぎるほどの傷跡を残した。


アレはあまりに常識の外側過ぎた。わたしの信じてきた世界が、何もかも崩れ落ちるほど。

紅葉と葛葉は慄然たる思いで、自身の身に起きたこの世の物ならざる奇怪な事象を忘れようとした。

わたしも忌まわしき記憶を封じようとした。だが這いずり回るような冒涜的な記憶は、わたしの心から平穏を追い出し、嘲笑するが如く混迷に陥れる。


だからだろうか。わたしはこの秘密を抱えて生きる事に疲れてしまった。

もしかしたら、記録に残す事で自分が正常だと思い込もうとしているのか。

それともこの記録が誰かに見られる事で、わたしと同じ人間が出来ないようにするためか。それとも秘密を抱える仲間を増やそうとしているのか。

わたしはわたしが何を考え、どの様な想いで記録を残す気なのか分からない。


いや、よそう。今さらそんな事を考えても意味はない。

これ以上、余計な雑念が浮かび上がる前に、わたしは未知なる恐怖の記録を残そう。

先に述べたが葛葉がエジプトより持ち帰った金属製の小箱と、その中に収められていた紅い線が刻まれた多面体の宝石を、三人で観察した時が始まりだ。







わたしが十七歳の時、そろそろ進路を考えなければならないと漠然とした思いを抱いていた頃だ。いつもの様に葛葉が海外から仕入れた発掘品を家に届けた。

葛葉は発掘品を大学へ運ぶ前に家でじっくり観察する癖がある。当時のわたしはそれが問題にならないか、といつも気が気でなかった。

ともかくソレは沢山ある段ボール箱の一つに入っていた。外見は単なる金属製の小箱だった。

しかし中には直径十センチほどある多面体の宝石が収められていた。

見た目はブラックダイヤモンドだったが、葛葉曰くこの地上のどの宝石とも一致しないらしい。

らしい、と言うのは葛葉も良く分かっていないからだ。


普段は宝石に疎いわたしでも、黒く輝く多面体の宝石に胸を躍らせた。

一つ下の紅葉は初めて見る拳大の宝石に見入っていた。宝石はカットの面が不揃いで価値は低かったため二束三文で売られていた、と葛葉は言った。

確かに良く見れば切子面の大きさは不揃いの上に、不純物が混じっているせいか所々に赤い筋のようなものが見受けられた。

宝石は無傷で透明度が高いものがもてはやされる、と以前テレビで知ったわたしは、確かに宝石としての価値は低いと思った。

だからだろうか、わたしは何の考えもなく、無意識の内に箱の中で宙吊りのように配置されている宝石に手を触れてしまった。

葛葉が止める間もなく宝石に触れたわたしが、最初に感じたのは熱だった。


指先から感じたのは熱だけではない。

遥かな太古、原始的な惑星に不時着した生物の、規則正しく心の臓を脈動させる震えも感じた。

無機質の宝石から熱と鼓動を感じる。有りもしない非現実的な事に驚いて、わたしは思わず手を引いてしまった。


それがいけなかった。

指を何処かに引っ掛けたのか、金属製の小箱が勢い良く倒れ、中にある宝石が放り出される。

宝石は弧を描いて壁に激突し、重力に従って落下した後、残った力でカーペットの床を転がる。

僅かな静寂の後、葛葉の口から小さな悲鳴が漏れる。彼女は床に転がった宝石を慌てて掴もうとして、そのまま硬直した。


わたしは暗雲たる気持ちを抱きながら、何度も目をこすった。しかし目の前に広がるおぞましき光景が消える事はなかった。

もしも目の前の光景を言葉だけで語れば、誰もが馬鹿馬鹿しいと笑うだろう。わたしもそうだ。

自分で体験しなければ這いずり回るように蠢き、脈打つ宝石という恐るべき光景を信じられないだろう。

わたしは慄然たる思いで突如脈打ちだした宝石を凝視した。わたしだけではない、紅葉も葛葉も同じ気持を感じていただろう。

そんな狂気と戦慄の中、宝石が禍々しき輝きを放った。たちどころにわたしの意識は底知れぬ恐怖の深淵へと飲み込まれていった。


次に目が覚めた時、わたしの目に入ってきたのは見知らぬ天井だった。

朦朧とする意識の中、わたしの耳に扉が開く音が届く。ゆっくりと音のした方へ顔を向けた。

見知らぬ少女が扉の前に直立不動で立っていた。


「お早うございます。朝食の準備が出来ております」


確かに彼女はそう言った。わたしは未だはっきりしない意識の中、まるでそれが当たり前のように声をかけた人物を凝視する。

年は自分と同じぐらい。同年代の女性に比べて些か高身長だが、それがスレンダーな美人の雰囲気を醸し出していた。

蒼い瞳はまるで宝石の如く、陽の光を浴びた金色の髪はほのかに輝きを放っていた。

余分な所に贅肉はなく、そして必要な部分に程よい肉付きがある体躯は、嫌らしさを微塵も感じさせず、逆に神々しさが感じられた。


「着替えはこちらにございます。それでは、失礼致します」


わたしの失礼な視線を知っても、彼女は眉一つ動かさず一礼をして立ち去った。

彼女が去ってから少しして、舐めるような視線を向けていた事に今さら後悔したわたしは頭を抱えて唸り声を上げた。

恥ずかしい気持ちを押さえて着替え終えた後、わたしは咳払いを一つして外に出る。

入口前で待機していた少女は、わたしを見て小さく頭を下げた後歩き出した。付いて来い、という事だろうと理解したわたしは、素直に彼女の後について行く。


歩きながらわたしはあちこちに視線を向ける。

当時のわたしは古美術品の値打ちなど知らない学生で、恥ずかしながら廊下に飾られているものは単なる絵画程度にしか思っていなかった。

途中、奇抜な壺を見て思わず触れたくなったが直前で止めた。先の件もある、不用意に触るのは止そうと考えたからだ。

やがてひときわ大きな扉の前に彼女が立ち止まると、軽くノックを二回した。


「入りたまえ」


扉の向こうから妙に迫力のある声がした。しかし目の前の少女は気にする様子はなく、静かに扉を開けるとわたしに入るよう促した。

この時、詳しい事情が説明されず相手の言い分ばかり通されていて不愉快な思いをしたが、喚いても何も事態は解決しないと、自身を無理やり納得させた。


少女の言う通りに部屋へ入るとまず目に入ったのは大きなテーブルだ。

漫画やゲームなどで良く目にする欧州貴族が使う長いテーブルと言えば良いだろうか。ともかくそのテーブルの入口側に二人、そして奥の方に一人座っていた。

入口側は紅葉と葛葉という見知った顔だった。しかし奥に座っている人物に心当たりはない。

妙な気持ちになりながらもわたしは少女が指示した席に座った。


「ようこそお越し下さいました。混沌の使者殿」


奥の席、おそらく上座に座っている優男が両手を広げながら、仰々しく言葉を口にした。

何かのビックリショーかと思ったわたしは、カメラでもあるのではと周囲を見回した。しかしそれらしいものは何一つなかった。

当然だ、これはビックリショーでも何でもない。陰鬱でおぞましい悪夢という名の現実だ。


「皆様、色々と疑問はございますがまずは私の話をお聞き下さい」


いちいち芝居がかった行動をとる男だ、とわたしは思った。しかし不思議な事に、わたしは彼の一挙一動が無視出来なかった。

彼は演劇のようにこの世界の歴史を語る。それは荘厳で雄大な物語のようにも聞こえた。

わざと難解にしているのでは、と思えるほどあやふやな言葉で紡がれる歴史は、当時のわたしにとっては眠気を誘うものだった。

十分、いや二十分ほど彼の演説は続いた。最後の方はもはや理解の範疇を超えていた。途中からわたしは思考を放棄し現実逃避にふけった。


「以上になります。何か質問はございますか?」


難しく語った彼の話を纏めるとこうだ。

まずわたしのいる場所は、地球とは異なる世界、いわゆる異世界という奴だ。

そしてその世界は一柱の神によって創造された。

その神は旧約聖書創世記と同じ事を行った。だが最後にその神は自分の代理人たる神、そして世界を管理する四柱を創造した後、何処かへ消え去った。

残された五柱で世界を管理するかと思いきや、世界を管理する四柱は非常に仲が悪かった。


それぞれが独自に領土を制定し、他の神の領土を侵略したり侵略されたりを繰り返した。

何百年もの間、戦に明け暮れた神々だが、遂に平穏が訪れる日がやってきた。我慢の限界に達した代理人たる神が、世界に特殊なルールを制定したのだ。

それが五年戦争と言われるルールだ。

ルールと言っても単純に戦争が出来る時期は百年に一回しか訪れない。そして戦争が出来る期間は五年だけだ。他にも細かく条件はあるが大まかなルールはそれだ。


「そしてその戦争に、我らが神は直接関与出来ません。故に代わりとして、我らが神のメッセンジャーたる人物を五人立てる必要があります。我々はメッセンジャーを混沌の使者と呼んでおります」


見る者の心をかき乱すような笑みを浮かべて、優男は混沌の使者の説明をした。


ここで一旦、筆を置こう。これ以上の想起はわたしの体に著しく負担を強いる。

問題ない、まだわたしの身体は保つ。故にしばし休憩の後、記録の続きを書くとしよう。


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