魔法の本は
手に入れたばかりの物は何故こんなにも心を刺激するのだろうか。銀色の短い杖、魔道具を眺めながら眠い意識の中で自分でも阿呆だなと思う思考の中を漂っている。興奮しすぎてまともに寝れなかった。
そう言えば、前世でも買った工具を試さずにはいられなかったな。友人に死んでも治らないと言われたが全くもってその通りだ。何とかは死んでも治らない。
手の中の魔道具は長さ二十センチほど、持ち手の部分の直径は一センチほどで先端に向かって緩やかに細くなっている。ショートワンドとでも言えばいいのだろうか?
持ち手にはさらに二十×三ミリの細長い楕円形の翡翠色の結晶体が収まっている。全体に細かな彫金がされているが派手さはない。
尻の部分に小さな輪っかがついているが・・・これはストラップとかウォレットチェーンのような物を付けるための物だろうか?後で部屋の中を探して手頃な物があれば付けてみよう。
そうやって魔道具を眺めているとニコラが俺を起こしに来た。入って来るなり、俺のことを見てほっこりした表情をしている。アラサー(見た目三歳)の道具フェチが新しい道具を手にニヤニヤしている光景だぞ。
「お早うございます、お坊ちゃま。プレゼントも良いですが着替えて下にまいりましょう。」
そう言いながら俺に近づいてくる。ああ、そうか。これは子供が喜んでいるように見えるのか。見た目って大事なんだね。
容姿の重要性にちょっと嫉妬をしながら持っていた杖をいったん脇に置く。そのままベッドを降りて着ているパジャマを脱いでいると、ニコラが今日の服を俺の前に持ってきてくれた。短パンにシャツといつも通りの動きやすい服装だ。で、いつものようにニコラが俺に服を着せようとしてくるが、
「ニコラ、大丈夫。もう一人で着られるから。」
あ、石みたいに固まった。だんだんと表情が変わってきたが・・・え?何で泣きそうなの?あれ?俺何か悪い事した?
「お坊ちゃま、ニコラはもう必要有りませんか?」
「・・・、・・・。じゃぁ、手伝って。」
言ったとたんに、パッと表情が明るくなりやがった。面倒臭ぇ、こいつ。
ニコラよ、俺がお前を姉と呼ぶ可能性の未来を今、自らの手でへし折ったぞ。
阿呆なやりとりをしながらも着替え終わって食堂に向かうと既にショーンとセイラが座って待っていた。
「お早うございます、お父様、お母様。」
「おはよう、カール。」「おはよう。」
二人へ挨拶をすませて席に着くとニコラたちが朝食を持ってきてくれた。
今日の朝食はオートミールもどきのミルク粥にベーコンとサラダだ。前世でオートミールなんて食べる機会がなかったので本家がどんなものかは解らないが、ネットの画像で見たことのある物に比べてかなり色が濃い。味に関してはそのまま食べようとすると、正直言って不味い。初めて口にしたときはえずいて涙目になった。これに蜂蜜、果物、ナッツ類を入れて初めて食べられるレベルになる。・・・これがなかったら食べる物がなかったな、俺。
俺がミルク粥にいろいろとぶちこんでいる中、セイラは蜂蜜だけを入れて、ショーンに至っては何も入れずにそのまま食べている。さすがは元軍人。不味くても食える物は食うのだろう。
二人に聞きたいことがあるのだった。ちょうど揃っているし今のうちに聞いておこう。
「魔法に関する本ってこの家にありますか?」
件の魔法の先生が来るまで二週間と少し。知識がゼロの状態からよりはスタートが楽になると思ってのことだ。なのに二人の表情は優れない。
「魔法の本か。あるにはあるんだが・・・。正直あれが役に立つとは思わないな。」
横でセイラも同感だと頷いている。嫌な予感しかしない。
「俺とセイラが昔使っていた本が一冊だけ有る。王都の学術院に通っていたときの物だが・・・ああ、学術院って言うのは八歳から九歳ぐらいの子供が六年間、大体成人するまでの間通う場所だ。そこで教科書の代わりに購入する本なんだが、正直言って使えない。」
「そうね、内容は高尚なことを書いてるのだけ、ど全くといって実践で役に立たないのよね。」
「ああ。本の名前が『グレッグ魔導理論』なんだが、学生の間じゃ役に立たない考えを『グレッグの考え』って言ってたぐらいだからな。」
学術院という単語の時にハテナマークを浮かべるとショーンが教えてくれた。そこまで役に立たないという本、逆に気になってしまう。
「読みたいというなら止めはしない。後でゲイルに部屋に届けさせよう。解らないことがあればセイラに聞いたらいい。魔法の成績は俺より上だったみたいだからな。」
横でセイラがどや顔を決めている。ちょっと意外だ。話が切れたところで全員の食事が終わり各々席を立ち始めた。俺も部屋に戻ってゲイルが本を届けてくれるのを待とう、と思っていたらサンドラが珍しく声をかけてきた。
「お坊ちゃま、この後は礼儀作法の時間です。お部屋に向かいますよ。」
昨日の今日で早速やりますか、サンドラさん。・・・逃げたい。
◆◆◆◆◆◆◆◆
朝食の後、軽い休憩を挟んで早速サンドラの礼儀作法の授業が俺の部屋で始まった。因みにニコラは礼儀作法の『れ』の字が聞こえた瞬間に俺を置いて逃げやがった。あれを姉と呼ぶ可能性はこれで完全に消滅したな。
「さて、お坊ちゃま。本来ならお坊ちゃまのような年齢で礼節を学ぶのは早すぎるものです。ですが、日々の生活を見てお坊ちゃまなら出来ると判断しました。もちろんお出来になる範囲で簡単なことから始めてまいりますし、出来ないからと言って怒ることはございませんので楽な気持ちで行いましょう。」
厳格という二文字が服着て歩いているようなサンドラが、あのサンドラが、なんか慈愛の視線を俺に送ってくるのだけど。え、やだ、なんか怖い。
「さて、まずは歩き方・・・はまだ早いでしょうね。お辞儀とご挨拶からまいりましょうか。」
その言葉を皮切りにサンドラの礼儀作法の授業が始まった。
・・・・・・・
・・・・
・・
うん、一時間ほどやってみたけど思ったほど苦じゃないぞ、これ。前世で習う角度、会釈、敬礼、最敬礼に手と右足の位置を加えるだけだ。挨拶もテレビや映画でのシーンとあまり変わらない言葉遣いなので会得するのは問題にならない。
「さすがはお坊ちゃま。私が教える必要がほとんどありませんでした。ニコラが・・・はありえませんね。」
「うん、ゲイルの見よう見まね。」
まさか産まれたときには知っていましたとは言えないのでゲイルを生け贄にして逃れる。サンドラも何処か納得した表情だ。と、誰かがコンコンと部屋をノックしてきた。
「失礼します、旦那様より本を預かってまいりました。」
ゲイルだ。今朝、頼んだ本を持ってきてくれたようだ。サンドラがドアを開けて部屋に招き入れる。
「ではお坊ちゃま。噂のゲイルも来たことですので今日はこの辺にしておきましょう。あまり根を詰めても覚えられませんからね。」
「私がどうかしましたか?」
ゲイルが俺に本を私ながらサンドラの方に問いかける。
「いえ、ちょうどあなたのことが話題にでただけです。大したことではありません。ではお坊ちゃま、失礼いたします。」
そう言って、サンドラは部屋の外に出て行った。
「私のことですか?」
「うん、僕がゲイルをよく見てるって話。」
「? さようですか。」
◆◆◆◆◆◆◆◆
手元にはグレッグ魔導理論。王都の学術院の生徒から総スカンを食らうこの本には一体何が書かれているのやら。そう思って読み始めたのが三十分前。これは酷い。たしかにセイラの言ったとおり「高尚なことを書いてあるが実践では役に立たない」内容だ。
全てを読んだわけではないので確証は得られないがこの本、おそらく内容の大半が机上の理論で成り立っている。仮説に対しての裏付けが甘く、証明するデータの類も載っていない。何よりも、生前読んだロケット関連の著書の中で似たような構成のものが何冊かあったのだ。どれも同じ著者で本に倣って実験すると毎度ひどい結果になったのでよく覚えている。
俺は早々にこの本を読むことを諦め、セイラに教えてもらう方向に切り替えることにして、彼女を捜しに部屋を後にした。
セイラはサンドラと一緒に裏庭にいた。日差しが気持ちいいのでテーブルを出してお茶をしているようだ。日本の春と言えばスギとヒノキの花粉に黄砂とアレルギー三重苦があったので外に出るなんて考えたくもなかったな。
裏庭に出てきた俺をセイラが見つけて手招きしてくる。そのまま彼女の方に駆け寄っていくとサンドラが俺のために椅子をもう一脚出してくれた。礼を言って椅子に座ると、向かい側のセイラが待ってましたと言わんばかりの笑顔を向けてきた。
「どう?本は役に立った?」
「お母様、その質問は意地が悪いです。」
「あら、拗ねないでカール。かわりに魔法のこと教えてあげるから。」
そう言うと彼女はケラケラと笑い出した。
「何故あの本しかないのですか?」
これは今朝から思っていた疑問だ。魔法のある世界で何故あの本しか出回っていないのか。
「他の本は数も少ない上に珍しくて高いからよ。大体の本はお金のない研究者がお金を稼ぐために本を出しているからね。簡単に稼ぎたいから数を少なく一冊を高くするの。そうするとお金持ちが珍しがって勝手に値段をつり上げてくれるの。
グレッグ魔導理論は元々、学術院の中で埃をかぶっていた論文なの。誰が書いたか解らないけど、生徒の手元に何もないよりはいいだろうって事で本にしたものよ。グレッグって名前も論文のどこにも出てこないで、本にするときにまとめた人の名前か適当につけたって噂があるわ。」
誰が書いたか解らない物を本にしていたのかよ。よくそんな物を教材にしようと思ったな。教育委員会みたいな物は存在しないのか。
「じゃあ、魔法って何ですか?」
「わからないわ。」
「え?」
「わからないのよ。魔法って何百年も研究されているけどそのほとんどは謎のままなの。解っていることと言えば大きさは違っても大体の人が使えて、古代の発掘品が全ての魔法の起源だって事ぐらいね。」
「え、じゃあ呪文って・・・。」
「それも、大半が発掘された物を解析した結果ね。中には新しく作られた物も存在するけど殆ど偶然の産物らしいわよ。その証拠に新しい呪文はここ数百年で発見も発掘もされていないもの。あ、国の研究所ならもう少し詳しいことが解っているかも。」
頭がだんだんくらくらしてきた。つまりはよくわからない物を、よくわからないまま、なんとなーく使っていましたと。そういうことか。そりゃグレッグの本も仮説で止まるわけだ。実験で証明しようにも降ってわいた奇跡にすがっているのだから無理な話だ。例えるなら、立派な天守閣が出来たからこれにふさわしい土台を今から作ろうと言っているようなものだ。
「お母様、僕は魔法の何を勉強すればいいのですか?」
「使い方と呪文よ。この二つを知っていれば、と言うよりこの二つ以外を知る方法がない、が正解ね。カール、杖は持ってる?」
「じゃぁ、簡単な呪文からいってみましょう。最初は・・・水球辺りが良いかしら。呪文は『水よ、我が前に玖となりて放たれよ』よ。人がいない方向にむけてやってみて。」
頷いてから椅子から立ち上がり、セイラたちから五メートルほど離れた位置まで歩く。そのまま杖を裏庭の先、林になっている方向に杖を向ける。
水のイメージ、雨・・・は弱いな。川は・・・嫌な予感がするからやめておこう。水道から流れる水。よしこれでいこう。
『水よ、我が前に玖となりて放たれよ』
すると、杖の先端にゴルフボールほどの水の玉が顕れて勢いよく飛んでいった。・・・すげー、本当に魔法だ。
「ねえ、サンドラ。この子一回で成功させたわ!」
「さすがですね。まさかとは思いましたが。」
向こうは向こうで盛り上がり始めた。今のうちにもう一回やってみよう。目を閉じながら今度はもう少し詳細なイメージで・・・さっきのゴルフボールではなくテニスボールぐらいを・・・空気抵抗を減らすために楕円気味にして・・・打ち出し時に安定させるために回転運動を加えて・・・射出速度は亜音速ぐらいで・・・
「カールの将来はやっぱり魔導・・・カール!?」
「お坊ちゃま!?」
名前を呼ばれたので目を開けるとすごい勢いで回転している楕円形の水の玉が杖の先端にできあがっていた。え、なにこれ?俺まだ呪文唱えてないけど。
集中を切らしたその途端、水の玉は杖の先端が指していた林の方向ではなく明後日の方向、屋敷の屋根に向かって飛び出していった。飛び出した後はジャイロ効果で安定したのか一直線に屋根を目指して、
バキッ!
屋根を貫通していった。あの屋根ってたしか銅を貼り合わせた物だったよね。水で貫通するものなの?
恐る恐るセイラたちの方をみると、ああ、二人とも表情が死んでいる。
「あの、お母様?」
「カール。」
「お坊ちゃま。」
声をかけた瞬間二人とも、にこやかな笑顔を向けてきた。セイラもサンドラも目が笑っていないことを除けばだが。
「「指導役がくるまで魔法の使用は禁止です!」」
ですよねー。
思ったほど筆が進まず連続更新記録が・・・。
誤字脱字とかみかけたら教えてください。