侍女ニコラ
私、ニコラがセイラ様の実家、アマツガミ家に奉公に出されたのが十歳の時でした。別に家が困窮していたわけではなく、商人である父が花嫁修行のためと卸し先のアマツガミ家に話を持って行ったのがきっかけです。
当の父もこの話は通れば儲け物と思っていたらしく、実際に話が来たときには大いに驚いていました。
そんなこんなでアマツガミ家の侍女習いとして働き始めることになりました。この時、当時からセイラ様のお付きだったサンドラさんと初めてお会いしました。そして、サンドラさんが私の指導係となりました。
見事な銀髪をまとめ上げ少しつり目なため、見た目厳しそうな方だなと言うのが第一印象でした。・・・実際厳しかったです。それはもう、ほかの指導係に変えてもらいたいほどに。
サンドラさんの指導のもとお仕えするようになったセイラ様は、アマツガミ家の四女の末っ子で当時十三になったばかりでした。既に姉妹のみなさんは他家に嫁いでいたので実際に会う機会があったのは年に数回ほどです。男性のご兄弟はお兄さまが二人でお二人とも城の文官として勤めておりました。
お仕えしたばかりの頃のセイラ様は絹のように流れる黒髪を肩口で切りそろえ内側に向けてカールさせており、非常に珍しい翡翠の眼もあって可愛らしくもありながらどこか神秘的な雰囲気が漂っていました。また、身長も今より低かったのを覚えています。・・・胸も十三とは思えない大きさでした。あの容姿であの大きさは反則です。存在が犯罪です。
そんなセイラ様の実家、アマツガミ家は子爵家で爵位は低いですが歴史は古いそうです。この辺りは何度サンドラさんに教えてもらっても覚えられる気がしません。なんでも私たちが住むレーヴェンガルト王国建国時からその名が存在しているそうです。
歴史あると言われるアマツガミ家の爵位が低い理由ですが、何代か前に本家がお家騒動の果て自滅したのだとか。そのため本家の血筋にもっとも近かったこの家が改めてアマツガミの名を名乗るようになったと。
セイラ様に仕えて二年目の頃、王都近郊で魔物の大規模発生が起こりました。魔物の正確な数は解りませんが王都全体が恐怖に包まれたのをよく覚えています。この頃には花嫁修業のことなんてすっかりどこかに行って、セイラ様に仕えることを道としていました。この間にいろいろとあったのです。
まあ、今セイラ様や私たちが無事なので当時の危機を乗り切ったことはお分かりいただけると思います。この時活躍されたのがショーン様が所属されていた聖騎士団です。
聖騎士とは騎士の上位に当たり、剣技と魔法に秀でたエリート集団です。王宮が抱えている兵は地位順に、一般兵、騎士、聖騎士、宮廷騎士、近衛騎士です。上位、下位の細かな階級はありますが大まかな内訳はこんな感じです。聖騎士は宮廷騎士に比べ地位こそ低いですが実力は宮廷騎士を上回り近衛騎士に迫るものです。なにせ宮廷騎士は金と権力とコネがあれば貴族だったら誰でも就くことが出来る実力のないお花畑な役職なのです。実力はないくせにプライドだけは高いため、国民の間ではパレード騎士(貴族の見栄で装備がやたら派手なため)やなんちゃって騎士と呼ばれています。
使えない騎士の話は脇に置いてショーン様です。ショーン様はゲルハルト子爵家の次男です。家督は既に長男が継いでおりショーン様は長男の不幸の備えとして教育を受けておりました。どこの貴族も次男以下は扱いが不遇で、家督を継ぐ可能性が一番高い長男に何の問題もなければ婿養子の縁談を待つか自力で地位を築くかの基本、二択しか残されていません。
ショーン様はこの後者を選び、十五の成人を迎えるとそのまま騎士団に入ったのです。そこで実力を付け聖騎士に取り上げられました。この時にショーン様に騎士の爵位が授けられてゲルハルト家の分家として認められるようになりました。いつ頃、騎士の位を授かったとかは残念ながら私は把握しておりません。ショーン様が幼少の頃より仕えているゲイルさんなら知っていると思うのでいずれあの人に聞いてみましょう。
ショーン様が聖騎士の副団長に任命され、そろそろ彼にも准男爵ぐらいの地位をと言う声がちらほら出始めた頃に魔物の大規模発生です。この魔物の大討伐で前線を指揮しながら、自らもまた兵の前に立って大量の魔物を屠ったそうです。
この時、ショーン様の部隊の後ろに控えていたアホな宮廷騎士の貴族が功を焦って作戦を無視し突出したあげく孤立してしまい、ショーン様が部隊の一部を引き連れてこのアホの助けるのですが。そこでショーン様は大怪我をしてしまいます。幸い、治癒魔法で一命を取り留めたのですが、怪我の影響で再び前線で剣を振るのが難しくなったそうです。
大討伐での武勲を称えられ、准男爵を飛ばして男爵の地位をショーン様は授かりました。この男爵の地位、実はショーン様が聖騎士団を抜けると決めたことを陛下が聞きつけ、せめて指南役で残ってくれと引き留めようとするも、全く頷かないショーン様に折れて陛下自ら今後の苦労がないように授けてくれたようです。本当かどうかは知りません。何せお酒の席でショーン様のご同僚の方から聞いた話なので。
ショーン様の怪我の原因となったアホは作戦無視の責任から爵位を降格され宮廷騎士の座も追われたそうです。
男爵に地位を授かったとき、ショーン様は三十歳で未だ独身。いい加減結婚しろと実家にせっつかれ、渋々用意されたお見合いをすることになったのです。このお見合い相手が当時、成人されたばかりのセイラ様です。
正直、貴族同士の結婚で恋愛結婚なんて非常に希です。だいたいは正室は家柄を考えて、これが貴族の勤めだと折り合いを付け、その後本当の恋愛相手は側室や妾に迎えるのが一般的です。女性の身としてはセイラ様に恋愛の末、結婚と幸せな道をとは思っていました。お見合い相手が有名な聖騎士とは言え性格に問題があればセイラ様を連れて逃げてやろうと考えていたのですが。・・・いや、まぁ、ねぇ?
セイラ様もショーン様も互いに一目惚れ。恋に年の差なんて関係ないというのを胸焼けがするぐらい見せてもらいました。お見合いに設けた応接間はもう甘い空気でいっぱいです。
耐えられなくなった私はそっと部屋から抜け出すことにしたのですが、何故かサンドラさんとショーン様についてきたゲイルさんまで私の後に続きます。部屋の中央で二人だけの世界を作り出しているお二方を残してそっと部屋を後にすると、
「後は若いお二人に任せましょう。」
いつも毅然とした表情を顔に張り付けているサンドラさんが疲れて何処かひきつった笑顔を浮かべながらそう言ったのは今でも忘れません。
大成功だったお見合いの果てに二人は一年後に結婚。この時ショーン様は三十一、セイラ様が十六、私が十三でした。ゲイルさんとサンドラさんは頑なに年齢を口にしないので解りません。ただ、この時既に四十の入り口が見え始めているのだけは何となく解りました。
結婚と同時に今の領地、ルーレに引っ越すことになりました。位置的には王都から馬車で一日か二日の位置です。長閑な農地でこの地の前任だった方は跡目に恵まれず亡くなったそうです。で、ショーン様の田舎でのんびりしたいと言う希望に添う形でこの地を任されました。
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ルーレに来て三年目、ゲルハルト男爵家の第一子が生まれました。初めてのお産で家の中はもう大変でした。急いで産婆を呼びにいったりオロオロして邪魔なショーン様に檄をとばしたりと、さながら戦場です。
数時間の格闘の末、産まれた赤ちゃんは・・・何故か泣かないのです。サーッとその場にいた全員の血の気が引く音が聞こえるようでした。ただ、狼狽えてどうしようと騒いでいる私たちを余所に、一番最初に立ち直った産婆が赤子を抱き抱えると、
「あうあ!」
生きてます!元気な男の子の赤ちゃんが手足を懸命にバタつかせて生きていることを表現しています!同時に全員の安堵のため息が場に流れました。
この後お決まりの顔のパーツがどっちに似ているか大会が始まり私たちは産後の片づけに撤するのでした。
産まれた男の子はカールハインツ様と名付けられ、セイラ様からこの子のお世話を任されました。ショーン様譲りの金髪にくりっとした琥珀色の瞳がとても可愛らしいです。これは是非、出来るお姉ちゃんを演じ、お姉ちゃんすごいねと言わせたと思いました。
ある時、深夜にカールお坊ちゃまがおっぱいをねだってきました。家の者はみんな寝静まっています。そこでふとあることを思い出しました。
赤ちゃんはおっぱい、ミルクのにおいを覚えると。これは、お坊ちゃまを虜に出来るのではないか。さっそく自分の胸をはだけて乳房の先をお坊ちゃまに差し出します。が、何故でしょう、反応しないどころか、ものすごく残念なものを見るような視線をお坊ちゃまが私に向けてきます。なんだか悲しくなってきたので胸をしまってセイラ様のもとに向かうことにします。
「やっぱ、おっぱい出ないとダメなのかな。それともサイズ?」
呟きは誰もいない暗い廊下に消えていきました。お姉ちゃん作戦の先行きが不安です。
その後も、私がお姉ちゃんだよと耳元で洗脳してみたり、部屋の掃除を見せてみたり(赤ちゃんのいる部屋で埃をまき散らすなとサンドラさんに怒られました)様々なことをやって見るも全てあの哀れみの視線で返されてしまいました。何がダメなんでしょうか?
ああ、気になることが一つ。生まれたときもそうですがお坊ちゃま、本当に泣きません。癇癪を起こしたり愚図ったりもしないので非常に手が掛からないのですが、サンドラさんがこういう子には産まれながらに病気を抱えている子が多いのだとか。不安です。
カールお坊ちゃまが一歳の誕生日を迎えられてから少し経った頃、お坊ちゃまが一人歩きをするようになりました。私はと言えば奇抜なことはせず本の読み聞かせや遊び相手からアプローチをかけるようにしました。お姉ちゃん作戦は進行中です。
私の読み聞かせの影響かお坊ちゃまは二階にある書庫によく行くようになりました。後を付けてみると私が読み聞かせた絵本を取り出して自ら読んでいるのです。一歳児が文字を読めるとは思わないので大人の真似事で本を読んでいるふりなのでしょう。危険はないと思いますがセイラ様に報告して見張るようにします。サンドラさんにも報告すると表情が凍り付いていました。去り際に、あれは本当に人の子なのかしらと呟いていましたが、お坊ちゃまはちゃんと人間ですよ?
二歳を過ぎると少しずつ喋れるようになり三歳を目前にした今では違和感なく会話が出来ています。もしかして天才なのでは?
だいぶ前からお坊ちゃまが書庫の上の方の本を気にするようになったので使用人たちで子供が読んでも大丈夫なものや読めるものを手の届く範囲に置くようにしました。例の作戦は進行していますが残念ながらお姉ちゃんではなくニコラと名前で呼ばれています。まだ諦めませんよ。
そんなお坊ちゃまは昨日、セイラ様の魔法を見て自分も魔法が使えるか知りたいと言い出しました。それで昨日からゲイルさんが判定用の魔道具の点検整備をしてくれました。最後の動作チェックは私も立ち会い、問題なく仕えることを確認して今はお坊ちゃまを書庫の前でお待ちしているところです。
お坊ちゃまが来られたので書庫に一緒に入り、魔道具の説明書を一緒に読みます。この魔道具、効果の割に馬鹿みたいに大きいのですが、調べてみると怪我をしないようにと安全装置が大量に組み込まれています。光る以外の効果が出ないようにすごい神経を使っています。昔は町の子供にこの装置を使わせて才能のある子供に領主自ら魔法を教えていたのだとか。
説明書の最後の一文を読んだ辺りでお坊ちゃまがなにやら考え込んでいます。光の強さで才能の部分ですね。お坊ちゃま、産むが易ですよ。お坊ちゃまを励ましたところで判定を行います。
結果は、光こそ弱いですが暖かな橙色の光が結晶の中に揺らめいています。・・・色が着いています。しかもはっきりと。ここまではっきりと色を出せる人はこの国に一体何人いるでしょうか。国内最高峰と言われる宮廷魔導師でも一人か二人なはずです。
私が黙っているとお坊ちゃまが不安そうにこちらを見てきます。お坊ちゃまに光の色について説明して差し上げますが、そんなことよりセイラ様とショーン様です。お二人に報告しないと。お坊ちゃまを置いて書庫を飛び出してお二方を探しに行きます。
お二方に事情を説明しているとサンドラさんとゲイルさんも一緒になってお坊ちゃまのいる書庫に向かうことになりました。
「本当にカールが色付きの光を出したの!?」
セイラ様が何度目かわからない質問を私にしてきます。
「セイラ、少しは落ち着け。しかし、色付きか。将来は宮廷魔導師か?」
ショーン様も何処か興奮した様子です。
開け放たれた書庫の扉が見えてあともう少しと言ったところで突然、書庫の中から目を灼かんばかりの光があふれてきました。光は本の一瞬で直ぐに収まりましたが何が起きたのか解らず全員その場で固まってしまいます。
「カール?・・・カール!!?」
いち早く立ち直ったショーン様が慌てて書庫の中に駆け込みます。それを皮切りに私たちも硬直から抜け出して部屋に飛び込んでいきます。
部屋の中には装置の前で目を開けたまま茫然とした表情で倒れているお坊ちゃまとそれに必死に呼びかけるショーン様。セイラ様はショックで座り込み、サンドラさんが彼女を介抱しています。ゲイルさんは魔道具の安全装置を確認しています。私は完全に置いてきぼりです。
いったい何が起きたのです?