何それ、魔法?
そろそろ三歳の誕生日が迫っている頃だろうか。そんなことを考えながら今日も書庫に籠もって読書に勤しんでいる。誕生日目前のためか屋敷の中もどこか浮ついている感じだ。
二歳を過ぎたあたりから引きこもり気味の俺を見かねたニコラ、セイラ、ゲイルが暇を見つけては俺を外に連れだして、遊びと称して運動させてくれるようになった。簡単な駆けっこだとか鬼ごっことか、とにかく体を動かすことに重点を置いたものだ。いや、健康体って素晴らしいね。走り回っても命に危険がないというのは実にいい。
生前の虚弱体質なら五十メートルを走ろうものなら肥満体質の奴に抜かれ、百メートルを全力で走れば顔に死相が浮かび初めて、長距離の千五百メートルは途中で喘息の発作を起こして命の危険を感じるのだから。多少息が切れるなんて俺にとってはむしろ御褒美に見えてくる。いや、マゾじゃないよ?
そんなこんなで、今は運動して読書して疲れたら寝るといった子供らしくはないが実に充実した日々を送っている。今はこの世界の歴史書、と言うよりは創世の神話に近い物を読んでいる。中身はこんな感じだ。
この世界はかつて神々が暮らしていて、人の身には理解できない現象を彼らは起こしていた。山を消し、新たな陸を作り、やせた土地を瞬く間に豊かな土地に。そんな神々は新たな種を作り出した。それは、人族、エルフ族、獣人族、そして魔族だ。彼らは神々の元で平和に暮らしていた。
ある時、魔族の一部が神々の魔法を盗み出して勝手に使い、暴走させてしまったのだ。太陽は隠れ、陸は雪と氷閉ざされ、天候は荒れ狂い、土地は痩せ作物が育たなくなった。
神々はこれに大いに怒り、自らが御する事も出来ない力を手に入れた結果だ。罰として受け入れろ、と人々を残してこの世界を去っていった。残された人々はこれに嘆き、絶望した。
人々は嘆きながらも生き延びようと手を取り合い、この困難を乗り越えようと奮闘した。砦を築き、家畜を囲んで数え切れない月日を過ごした。
神の一人がそんな彼らの姿に感銘を受けて暴走した魔法を消し去り再びこの世界に太陽と平穏を与えてくれた。しかし、神々は決して彼らの前に帰ってくることはなかった。
内容にどこかありふれた物に感じるのは確実に生前培ったサブカルチャーの影響だろう。因みにこの後、生き残った連中は魔族をどこかの大陸に押し込んで種族ごとに分かれて各々好き勝手に暮らし始めて今に至るらしい。
名前からして危なそうな魔族はともかくエルフと獣耳っ娘には是非とも会ってみたい。
そんな神話から続くと言われるこの世界だが、意外にも時間や月日の感覚は馴染み深いものとなっている。
一日は二十四時間。
月は十二ヶ月。
ひと月は奇数月は三十日で偶数月は十二月を除いて三十一日。
四年に一度、蛇の年と言われる物が来てその時だけ十二月が三十一日になる。
一週間は七日だ。
月の名前は一月から順に、羊、牛、双子、蟹、獅子、乙女、天秤、蠍、狩人、山羊、水瓶、人魚となっている。各曜日は日曜から順に聖、火、水、木、風、土、闇だ。日曜日に当たる聖の日は一般的に安息日となっている。
貨幣はまだ見たことも触ったこともないのでさっぱり解らない。
創世神話に一区切りをつけて本を閉じたところでエントランスの柱時計が昼の三時を告げる音がかすかに聞こえてきた。昼の一時を過ぎたあたりから読み始めていたので約二時間ぶっ通しで読んでいたのか。神様の出てくる話というのは古今東西、どこを向いても肩が凝る内容らしい。
そろそろニコラがおやつの時間を知らせにこの書庫にやってくるはずなので閉じた本を本棚に戻す。この本棚、俺の手の届く範囲の本が時折サンドラたちの手によって入れ替えられている。ありがたいことだ。
神話を本棚に戻すときに背表紙に土佐藩の家紋、丸に十字のようなマークが刻まれているのが見えた。よく見るとマークの下にかすれて「教会」の文字が読みとれる。十字や予言者を掲げる宗教って嫌な想像しか浮かばないが、大丈夫だよね?
「お坊ちゃま、おやつの準備ができております。居間の方へ・・・どうされました?」
ノックの後に書庫に入ってきたニコラが本の背表紙も見つめながら固まっている俺を見て不思議そうに声をかけてくる。勉強の甲斐あって彼らの言葉も問題なく理解できるようになった。
「ニコラ、このマークって何?」
聞くだけでなく喋ることも出来るようにもなってきた。もっとも、喋れるようになったのはここ二、三ヶ月の話だが。
「ああ、聖神教会のマークですね。この世界をお作りになられた神様を崇めている宗教です。荒れた世界を治めてくれた神様を最高神においているはずです。」
「なるほど。他に宗教はあるの?」
「解釈の違いで宗派が存在するくらいでしょうか。最後の神様が女性で女神様でしたり、魔族が魔法を盗んで怒った神様が災いを起こしたとかで流れそのものは聖神教会ですね。聖神教会以外にも少数ですが土着の神様を祀っているところはございます。後は悪魔崇拝だとか邪神を崇めている邪教の類ですね。」
「わかった。ありがとう。」
邪教なんてあるのか。あまり関わりたくないな。
「では居間のほうに参りましょう。」
そう言ったニコラに続いて書庫を出ていく。
一階の居間にはセイラとサンドラがいた。セイラは居間のソファに腰掛けお茶を楽しんでいてサンドラはその背後に立って給仕につとめている。一見、仲のいい屋敷のお嬢様とその婆やに見えるのだが、
「奥様、お茶を飲まれるときは背筋を伸ばしてもっと優雅に・・・」
「サンドラ、午後のお茶ぐらい気を張らずに飲ませてちょうだい。」
実際の会話の中身は嫁と姑だ。別に喧嘩をしているわけではないのだがサンドラは特に礼儀作法にうるさいため何時もこんな感じだ。ちょっとセイラが可哀想なのでここは援護射撃にでるとしよう。セイラがカップをテーブルに戻すタイミングを計って、
「お母様!」
軽く助走をつけてセイラの横に飛び込む。
「きゃっ!カール?」
「カールお坊ちゃま!?なんてはしたない!」
驚くセイラに俺に説教を始めようとするサンドラ。このまま説教を食らってやる道理はないので、すかさずサンドラのほうを向き反省した表情プラス上目遣いで、
「ごめんなさい、サンドラ。次からは気をつけます。」
「っ。・・・次はありませんよ、お坊ちゃま。」
どうだサンドラ。これが子供の武器だ。いくら俺のことを不気味と思っても子供の愛くるしさというのは不変なのだ。次の小言がでる前にハイと満面の笑顔で答えてセイラのほうへ向き直る。後ろからため息が聞こえるが気にしない。
「お母様、今日のおやつは?」
うん、さっきからお母様なんて呼んでいるが柄じゃないことは俺が一番よく思っている。他の呼び方だとサンドラの表情が、こう、ね?
「今日はラスクよ、カール。」
「やった。」
小声で喜んでいると俺の頭をセイラが撫でてきた。俺の髪はセイラのような黒髪ではなくショーン譲りの金髪だ。逆に髪質はショーンの堅いツンツンとしたものでなくセイラ譲りのさらさらと流れる髪質だ。生前の髪質が散々たる物だったので今の髪は自分で触っても気持ちがいい。
自分の部屋に姿見がないので割と最近まで俺は自分がどんな姿なのか解らなかった。喋れるようになった頃にニコラに頼んで鏡のあるところに連れて行ってもらったのだ。そこで初めて自分がどんな姿に生まれたのかを知った。
髪はさっきの通り金髪。顔立ちはショーンではなくセイラに似て可愛らしい。女装すればだませる自信がある。瞳の色、これは予想外だった。ショーンが碧でセイラは生前なら珍しい翡翠だ。で、俺はと言うとなんと琥珀色。金髪金眼と派手なのだ。
まあ、瞳の色は成長と共に変わることがあるらしいから一時的なものだろうと思っておく。
「あら、申し訳ありません、お坊ちゃま。ミルクが冷めているので温めなおして参ります。」
そう言って俺の前にあったマグカップをニコラが回収して厨房に持って行こうとする。
「そうなの?だったらかしてごらんなさい。」
ニコラが運ぼうとしたマグカップをセイラが止めて引き取る。なんだろう、お茶の気分ではなかったのだろうか?
セイラは右手でマグカップを持ち左手の薬指にはめてある小さな石のついた指輪をマグカップに当て、
『炎よ、我が手に集いて、これを熱せよ』
変な呪文のような物を唱え始めた。・・・これは、いわゆる眼が疼くとかそんな類なのか?サンドラの視線もまたこの人はとどこか呆れを含んでいる。ショーン、奥さんが病気だぞ。それも重度の。
阿呆なことを考えているとセイラの持っているマグカップから湯気が漂い始めた。
「はい、カール。熱いから気をつけるのよ。」
マグカップを受け取っている俺の顔はさぞ間抜けだっただろう。今この人何やった?
「お母様?これは一体?」
「あら、カールは魔法を見るの初めてだったかしら?」
「は、初めてです!」
この世界、魔法があるのか!神話や絵本の中に魔法はちらほら出ていたが実在するとは思っていなかった。物を温めるだけと俺の想像している派手なものではないがそれでも魔法が存在するのか。
「てっきりショーンがもっと派手なのを見せているのかと思っていたわ。」
派手な魔法もあると!俺のテンションはもう鰻登りだ。先ほどの間抜け面から変わって俺の目は今相当に輝いていることだろう。これは、ラスクを食べている場合じゃない。
この後、さらなる知識を求めてセイラが疲れて、また今度ねと言うまで俺は質問を浴びせ続けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
あけて翌日、俺は書庫に向かいながら昨日セイラから聞き出した魔法についてのことを頭の中にまとめる。
セイラの薬指にはまっていた指輪は結婚指輪ではなく魔道具で魔道具がないと魔法は発動しない。属性は曜日に似ているが聖、火、水、風、土、闇の六つだ。大昔は木の属性があったらしいが真の意味で使える者が居なくなって現在はこの属性から派生した治癒魔法が残っているだけらしい。
呪文は流派が存在するらしくそれぞれ内容と効果が微妙に異なるらしい。
魔力は個人によってその保有量が異なって枯渇すると死ぬことはないが気絶する。
魔法の発動には魔道具と魔力、呪文詠唱そして想像契機が必要となる。この想像契機、一般的にトリガーと呼ばれるらしいが、とは例えば火属性を使うなら明確に頭の中に火をイメージすると言うものらしい。このイメージで魔法の威力が変わるそうだ。より正確なイメージを描けば強力な魔法となり曖昧なイメージでは最悪、魔法そのものが発動しないそうだ。セイラの使ったあのミルクを温める魔法は本気で使えば触れた鉄の鎧を赤熱させるぐらいのことは出来ると言っていた。あの時は蝋燭の炎程度のイメージだったのであの程度の威力だったそうだ。
あと、全く魔法が使えない人間もいると聞いた。原因は分からないらしいが。出来れば使えますように。
「お坊ちゃま、こちらです。」
書庫の前にニコラが立っていた。昨日の話の中で魔法が使えるかどうかを判定する機械が書庫に置いていると聞いたので俺が早速使いたいと言ったからだ。こういうものは普通、倉庫に置いているのではと疑問をぶつけたところ説明書を紛失すると面倒なため一緒に保管していると言われた。この世界にも取扱説明書があるのか。
昨日の段階で出来れば使いたかったのだが長年使ってなかったので万が一があってはいけないと却下された。昨日の夜と今日の午前中を使ってゲイルが簡単な点検と動作チェックをやってくれて午後一でここに向かってきたわけだ。因みにこの機械、骨董品な上に値段も高いそうだ。ショーンがこの地方に赴任する前からこの屋敷に放置されていたそうだ。
中に入ると部屋の奥にある今まで用途不明だった装置が掃除されてそこに鎮座していた。ニコラと一緒にその装置に近づいて観察する。大きさは子供用の学習机で机の上に幾何学模様がかかれている。左右に手を置くためと思しきスペースがありその間に六角形の形にカットされた結晶が填められている。
装置を眺めているとニコラが横から一冊の本を渡してきた。表紙には「魔法判定装置 取扱説明書」と書かれている。ニコラと一緒に使用方法をの項目を読み進めていく。
使用方法は机の上の左右のスペースに手をおく。頭の中に光をイメージしてそれをトリガーとする。呪文『我が内に在りし光よ、我の前に顕現せよ』を詠唱する。発動すれば中央の結晶体が光る。この時、魔法の素質によって光の強さが変わる。
光の強さで素質が解るのか。ここは思いっきり光ってほしいな。
「坊ちゃま、あまり気負わず気楽にいきましょう。」
ちょっと強い自分を妄想しているとニコラが俺が緊張していると思って励ましてきた。
「そうだね、取りあえずやってみようか。」
そう言って装置に手を置く。次いでトリガーとなるイメージを。光、光、・・・蝋燭は火だから電球、豆電球とかか?頭の中で構造がシンプルな豆電球が浮かぶ。イメージはこんなものか。あとは詠唱。
『我が内に在りし光よ、我の前に顕現せよ』
唱えると同時に頭の中のイメージが体を駆けめぐる感覚に襲われ、次の瞬間には目の前の結晶体が豆電球と同じ柔らかい暖色系の光を放ち始めた。・・・なんかしょぼいぞ?
これはどうなのかとニコラのほうに顔を向けると、ニコラが固まっていた。
「ニコラ、これってすごいの?」
「・・・ぇ?あ、はい。申し訳ありません。驚きのあまり意識が。」
弱すぎて驚いたのだろうか。ニコラは軽く頭を振って鈍った思考を取り戻す。
「お坊ちゃまは光が弱いことを気にされていらっしゃるようですが、基本的この装置で光る色は白いのです。お坊ちゃまのように色が付いて発光することは非常に珍しいのです。今朝の段階でゲイルさんが確認したときには白く発光していたので装置の不具合といことは考えられません。恐らくお坊ちゃまには魔法の才覚がおありかと思います。・・・ちょっと奥様と旦那様を呼んでまいりますね。これは是非見ていただかないと。」
そう言って書庫を出てセイラとショーンを呼びにいってしまった。
素質はあっても光が弱いのは何となく不満だ。同時に一つ疑問が浮かんだ。これ、豆電球のイメージがそのまま出てきたように見えるのだが?ニコラはしばらく戻ってきそうにないのでちょっと実験してみよう。
さっきは豆電球をイメージして豆電球と同じように光った。いっそ太陽はどうだろうか。あれほど光っているものはない。
早速装置に手を置いて太陽をイメージ。呪文を詠唱して・・・何も起きない。何故だ。こうなったら片っ端から試す。実験は基本的にトライアンドエラーの積み重ねだ。続いて普通の電球、成功。蛍光灯、失敗。ハロゲンランプ、成功。LED、失敗。etc・・・
光ものは光るがどうにも俺が納得するものではなかった。ただ、傾向はつかめた。失敗する原因は分からないがイメージした光量がそのまま出てきている。そんなことをやっていると開いたままの書庫の扉の向こうからセイラの興奮した声が近づいてくるのが聞こえる。
「本当にカールが色付きの光を出したの!?」
時間切れかと思ったが最後に一つだけ試してみる。瞬間的な光量なら恐らくトップクラスであろうものを。確かあれはマグネシウムの高速燃焼の原理を利用したものだから。それをイメージしながら呪文を詠唱して・・・。
カッ!
あ、やば。