屋敷の住人達
あれから一年と少しが経った。3ヶ月ほど前、ようやく視覚と聴覚がクリアになって何かにつかまって立てるようになり始めた頃に俺を囲んで盛大なお祝い事があったのだ。どんなに鈍い人間でもあれを誕生日パーティーだと思わない奴はいないだろいうぐらい立派な物だった。
この時になってやっとこの家にいる全ての人を確認することが出来た。俺を除いて六人いる。
一人目は金髪を短く刈り上げた身長180センチを超える美男子、と言うよりはワイルドな顔立ちをした男で俺の父親、ショーンだ。正確な年齢は解らないが30代半ばといったところだろうか。体つきは明らかに体育会系だが、別に脳筋な訳ではないのは目を見ればなんとなく解る。所謂出来る男という奴だ。生前、体力や筋力を付けるための体力を持ち合わせていなかった俺には少々憧れる物がある。・・・これが親バカまっしぐらでなければの話だが。
俺の首が据わるまでは触るのも抱くものおっかなびっくりだったというのに、首が据わってハイハイが出来るようになった頃には今までの不安はどうしたといわんばかりに俺を抱っこするは、構うは、おまけにその厳つい顔をゆがめて変顔をするはと(この時、俺は驚いて泣くでも笑うでもなく唖然とした表情をしたため、ものすごくショックを受けた顔をこの男はしていた)ものすごいスキンシップをかましてきた。止めはあのだらしない顔だ。もうとてもこの家の人間以外には見せられない表情だ。頼むから誰か注意してやってくれ。
二人目はストレートの黒髪を背中まで流している女性で俺の母親、セイラだ。身長はあまり高くなく160センチに届かない感じだろうか。で、胸がでかい。もう一度いう。でかい。今回それは脇に置くとしてさらなる問題が浮上した。確実に生前の俺よりも若い。下手したら二十歳に届いていないのではないかと思えるほど若い。ショーンはいったいどこでこんな娘拾ってきたのだろうか。是非とも教えてもらいたい物だ。
顔立ちは日本人に近い物があるが、どちらかといえば日本人と西洋のハーフといった感じだ。非常に美人、と言うよりも可愛らしいといったところか。黒髪も相まって見た目、非常におとなしそうに見えるのだが全然そんなことはない。むしろ少しは落ち着けと言いたい。庭の木になっている果実を採ろうと木に登ったり、何をやらかしたか知らないが怒れる侍女から走って逃げ回ったりとなかなかにアグレッシブだ。まあ、かつての俺みたいに窓辺で青白い顔に死相浮かべている方が問題なのでこれぐらいの方がむしろ安心できるか。
三人目は執事服に身を包み茶色の髪をオールバックにして鼻の下に髭を蓄えている男でゲイル。父親であるショーン付きの執事だ。歳は40代に乗ったといったところうだろうか。見た目もオーラもこの男に頼めば何でもやってくれると感じさせてくれる頼もしい雰囲気の男だ。ショーンとは長い付き合いらしく、主従の関係の中にどこか友人めいた物を感じることがある。で、この男はショーンとセットで俺を驚かしてくれた。
あれはセイラに抱かれて庭先の木陰で休んでいるときだった。いきなりショーンとゲイルが手に鉄製の長剣、RPG等でよく見るロングソードを持ち出して来たのだ。まさか殺し合いでもするのではないかと慌ててセイラの顔を覗くが特に気にした様子もなく微笑ましく二人を眺めていた。これはこの家の日常の一コマなのか、と思うと同時に鉄製の剣を振り回す日常とは一体どういう世界なのかと考え込んでしまった。そうこうしている内に件の二人は軽い準備運動を終えて向かい合った。セイラの様子からただ体を動かすだけなのだろうと思っていたのだが、この二人、何をとち狂ったのか明らかにガチンコで打ち合いを始めたのだ。素人目にもそれが熟練の技の上に成り立っていることは解るが、だからといって怪我をしないわけではない。技の応酬に目を見張る物があるがそれ以上に父であるショーンの職業の謎と怪我をするのではないかという思いから一体俺はどんな世界に生まれたのかと涙目になってしまったのを覚えている。
因みに、このすぐ後にセイラが俺が泣きそうな顔になっているのを二人の模擬戦が俺を怖がらせたのだと思って二人を止めたのだった。いや、確かに怖かったが二人の怪我が怖かったわけで別に二人が怖かったわけではないよ?
四人目は見事な銀髪をまとめ上げてメイド服に身を包んだ侍女長のサンドラだ。歳はゲイルとあまり変わらない感じだ。雰囲気はゲイルが柔らかい感じに対してサンドラは厳格な感じに見える。因みに彼女はセイラ付きの侍女だ。前述の三人があまりにも濃いので彼女に関してはあまりエピソードがない。強いてあげるなら、たまに俺に気味悪い物を見るような視線を向けるときがある。後は、馬鹿をやらかしたセイラを何時も追いかけているいイメージがあるといったところだろうか。そのせいかセイラは彼女を信頼はしてもどこか苦手としている感じがするのだ。まあ、サンドラの場合どこか説教臭い感じがするのでそれだと思うのだが。・・・実は俺も苦手なのは内緒だ。
五人目は同じくメイドのソフィーアだ。見事な赤毛の女性で髪型はボブカット、歳はセイラとあまり変わらないか少し上といったところだ。で、彼女は主に厨房周りを担当しているため俺との接点は殆どない。彼女とは今後に期待だ。
最後の六人目はこの家の中で一番俺との接触の多いメイドのニコラだ。明るい茶髪を肩まで伸ばした、この家で一番若い、恐らく十五、六の女の子だ。俺との接触が多いのは単に彼女が俺付きのメイドだからだ。俺付きのメイドと言っても別にセイラが育児放棄しているわけではない。主な仕事はセイラが休憩しているときや夜中に俺の世話をしてくれるのだ。今は動き回れるようになった俺をセイラと共に心配そうに見守ってくれている。
さて、ニコラだがエピソードがありすぎてどこから語っていいのか解らない。彼女のことを一言で表すなら残念なお姉ちゃんと言ったとことだろうか。俺に、どこかクールで頼れるお姉さんと見られたいのか俺が見ているところでは微笑みを浮かべながら、てきぱきと仕事をこなして、それはもう彼女の理想を演じている。その分、当の本人は見られていないと思っているところでの落差がもう・・・。例えば氷山の一角だが、俺が生まれたばかりの頃に腹が減ったので夜中に彼女を呼んだことがあるのだ。赤ん坊のこの時期なら俺の記憶に残らないとでも思ったのだろうか。何をとち狂ったのかこの娘、母乳もでない自分のおっぱいを俺に差し出してきたのだ。いやいや、何お馬鹿なことやっているの、君母乳でないでしょ?と俺の呆れと哀れみを読みとったかは解らないが恥ずかしげに自分の胸をしまって、寝ているセイラの元に俺を届けたのだ。この時、彼女が何事かつぶやいたのだが結局意味は分からなかった。大丈夫かこいつは。
そうそう、この誕生日の時にようやく自分の名前を知ることが出来た。名前はカールハインツ。愛称はカールのようだ。そんな俺はようやく一人で立って歩き回れるようになったので部屋を抜け出して屋敷の中を探索している。後で、ニコラが血相を変えて探し回りそうだが別に屋敷から抜け出すわけではないので大丈夫だろ。何かあれば俺が大声を出せばいい。もっとも、口と舌が未発達なせいで未だにパパやママと言った同じ音を繰り返すことしかできないが。
ここ数日でこの家、と言うよりは広さ的には屋敷と言った方が正解だろう、の構造がやっと解ってきた。屋敷はT字の形でIの部分が潰れている感じだ。高さは二階建てでT字の上の横棒の部分は左右対称の構造になっている。エントランスもこの位置に存在する。エントランスを入って直ぐに鶴翼の陣形のように大階段が作られている。右に進めば普段俺達が生活しているスペースで一階部分が厨房、食堂、居間、浴場となっている。二階は主にそれぞれの私室だ。二階に行くために大階段しかないのは不便なためT字の隅にはそれぞれ二階に通ずる階段が存在する。実際に大階段を使うことは殆どない。
エントランスを入って左が客間、応接室、来客時に使う大食堂だ。こちらのスペースは実際に使っていることを見たことがない。
最後にIの部分だが、未だ入ったことがない。いや、正確には今の俺には入れないのだ。ショーン、ゲイル、たまにサンドラが入っていくところを見たことがあるのだが俺がやっても扉が開かないのだ。しかもこの扉、何故か音もなく横にスライドするのだ。この部分だけ妙にSFチックなのは何故だ。気になるが、今は後回しだ。
屋敷の内装は木と漆喰を使った派手な装飾のない落ち着いた柔らかい雰囲気だ。例えるならいいところのお嬢様学校の旧校舎といった感じだろうか。建築の歴史に詳しくないので俺の表現力ではこのあたりが限界だろう。
対して外装は石造りで質実剛健とまでは行かないが威厳のある風格がでている。屋根は銅で葺いているのか緑青がでて歴史ある建物だと思わせてくれる。
で、俺が今いるのが屋敷の右側(便宜上、居住区と呼ぶことにする)の二階にある我が家の書庫だ。ニコラが俺に読み聞かせる絵本をこの部屋から引っ張り出してくれるのを見たので忍び込んでみたのだ。書庫の中はあまり広くなく、本が傷まないようにと明かり窓は少ないが文字が読めない明るさではない。奥に変な装置のような物があるが今は無視だ。
目的は文字と言葉の完全習得。そして俺が生を受けたこの世界の歴史だ。歴史に関してはあまり期待していないので主な目的は言語の方だ。
書庫の中からニコラが俺によく読んでくれる、というより俺がせがんで読んでもらった、一冊の可愛らしい絵柄の本を見つけだして早速開いてみる。文字はアルファベットのロシアのキリル文字を足して二で割ったような形だ。ニコラの読み聞かせてくれた音を思い出しながら解読に取りかかる。あのわけの解らないノイズの解析に比べれば難しいことはない。目標は一ヶ月での解読だ。
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一ヶ月もかからなかった。大体二週間ほどで解読は終わった。これは英語だ。文法は全く同じと言っていい。違うのは発音と相対する文字だ。
日本語で例えるのなら、あ行にさ行がきては行にが行がくる。さらにうの段とおの段が入れ替わっている感じだ。この場合「おはよう」なら「すがゆお」となるような感じだ。解ってしまえば簡単なものだ。こっちは国際社会化の影響で母国語を含めて最低三から四カ国語を話せないとやっていけない世界を生きていたのだ。文法が同じならやりようはある。
因みに俺が生前修めた語学は、日本語、英語、ロシア語、中国語の四カ国語だ。どれもあの時のコンペで必要な物だった。まさかこんなところでも役に立つことになるとは夢にも思わなかったが。
そこからはひたすら本を読みあさる日々だ。セイラとニコラも俺を見失ったら書庫にくれば俺を見つけられるので途中からはただ確認にくるだけになってきた。サンドラだけは俺を見かけると珍獣を見るような視線をくれるようになったが。まあ、実際気味が悪いだろうな。一歳過ぎたばかりの子供が本なんか読んでいるのだから。
読み始めて一週間ほどで屋敷の中の会話が理解できるようになってきた。そこで解ったのは、俺の姓はゲルハルド。今まで謎だったショーンの職業は元聖騎士で現在この一帯(ルーレと言うらしい)を治める領主で爵位は男爵、貴族だ。屋敷の規模や使用人がいること思えばそうだろうなと思ってはいたが、実際に知ると違和感しかない。生前の感覚で言えば貴族なんて過去の遺物でお目にかかることは無いのだから当たり前か。何故、聖騎士を辞めることになったのかは解らなかった。いずれ聞いてみよう。今は知識だ。