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レイは賑やかなパーティ会場の雰囲気が苦手だった。
ポットにあったコーヒーをカップに注ぐとそのままドアを開けてロビーへ出た。誰もいない。ほっとしてソファに腰を下ろす。パーティは何事もなく進んでいる。やっぱり気のせいだったのか。だが、レイは突然の気配にビクッと身体を震わせた。とてつもなく危険なものが近付いてきている。レイは立ち上がり、窓際に駆け寄った。門から何台ものトラックが入ってきている。トラックは大きくUターンしてこちら側に背を向け、バックしてくる。ちょうど玄関を丸く囲むように五台の大型トラックが並んだ。レイは窓の下に身を隠し、そっと顔を上げた。いったい何が始まるんだ。
五台のトラックから一斉に運転手が降りてきて、荷台の観音開きのドアのロックを外した。そして逃げるように運転席に走っていった。
荷台を何かが叩いている。どすん、どすんと妙なリズムで叩くその音はレイの耳にも届いていた。やがてドアはゆっくりと開き始め、大勢の人間が一斉に降りてきた。あるものは転げ落ち、あるものは這いずるように地面に降りる。角材のような武器を持ったもの、斧を持ったもの、何も持たず、ふらふら歩いているもの。どの人物も何故か無表情で皮膚は土気色をしている。だが、その動きは意外にも早く一斉に玄関のガラス張りのドアを叩き始めた。
ゾンビだ。全部で数百人はいるだろうか。レイは素早く辺りを見回したが、従業員らしき人物は誰もやってこない。外にいるはずの警備員もだ。
ドアが軋み、ヒビが入り始めた。このままではいくらも持たない。レイはパーティ会場のドアに走った。
「皆、逃げろ! 早く!」
レイは急いでドアを閉めて声を限りに叫んだが、人々はちょっと驚いたように彼を見るだけですぐ話に戻ってしまう。
「逃げろ! ゾンビ共が来てるんだ!」
ゾンビですって? 頭がおかしいんじゃないの? そんな囁きや失笑さえ聞える。もう仕方がない。
「デビィ! 何処にいるんだ!」
レイは大勢のパッカーの間を掻き分けるようにしてデビィを探した。ドアが開き、一斉にゾンビたちが雪崩れ込んできた。ぼおっと突っ立っていた痩せた男がたちまち数人のゾンビに捕まり、首を引きちぎられた。吹き出る血。ゾンビ達は男の腹を裂いて湯気の立つ内臓に争うように喰らい付く。パニックを起こした人々が悲鳴をあげ、我先に廊下側のドアへ殺到する。
「どけ! 邪魔だ!」
レイは誰かに突き飛ばされて激しくテーブルにぶつかった。がしゃんといくつものテーブルが倒れ、食べ物が床に散乱する。逃げ遅れた者はたちまちゾンビに捕まり、噛みつかれて、手足をもがれる。あたりには血と内臓の臭いが充満しはじめた。レイはしばらく呆然と地獄絵図を見ていたが、我に返ると半分しかない腕をぶらぶらさせて傍を歩いていた中年のゾンビの頭を思い切り殴りつけた。ぐしゃり、と妙な音を立てて頭が潰れた。頭からどろりと濁った体液が流れ出て鼻をつく腐敗臭が襲ってくる。レイは顔を顰めた。
気が付くと周囲の壁全てに妙なものが見える。いつの間にか壁の下から10フィートほどの高さにいくつもの四角い窓が開いていて、そこから金属のアームについたカメラみたいなものが伸びてきているのだ。そいつらはゾンビに貪り喰われる人々に近付いては撮影をしているようだ。これは……いったいどういうことだ。
いや、とにかく今は逃げなくちゃいけない。デビィは……彼は何処にいるんだ。ドアの所で押し合いへし合いを続けている人々。あの中にいるのだろうか? ゾンビどもが彼らに襲い掛かった。数人のゾンビが一人ずつ、引き剥がすように捕らえては、身体を奪い合っている。とりあえず廊下に出てみよう。レイはゾンビどもを次々と突き飛ばしてロビー側のドアに向かった。ロビーにはパーティ会場に入りきれないゾンビが廊下の方へぞろぞろと向かっていた。コックの制服を着たもの、警察官、骸骨になった子供を背負った女。意志も感情も持たない彼らはただ本能のみで動いていた。
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「ん……」
俺はパーティの最中に廊下に出て、サンディと熱いキスを交わしていた。
「さあ、早く部屋へ」
「トイレに行って来る。待ってて」
サンディは廊下の途中にあるトイレに向かいながら、こちらにウィンクをしてみせた。いい娘だ。
何やらロビー側が騒がしい。ドアを叩く音が聞えたと思ったらガラスの割れる派手な音がしてきた。そして、何やら大勢の足音。なんだろう。まさか、女が言っていた組織の連中だろうか。足音は次第に近付いてくる。これは相当やばいかもしれない。
俺はサンディを呼びながら女子トイレに行こうとした。だが、いきなり廊下の反対側にある大広間のドアが開いて大勢の人達が先を争うように飛び出してきた。
「うわ!」
俺はどうにか人に激突するのを避けたが人々は次から次へと廊下に逃げてくる。
「あっちだ!」
数十人の人々が、廊下の突き当たりにある厨房のドアめがけて走っていった。
「駄目だ! ドアが開かない!」
パニックになった人々は今度は廊下の中央にあるエレベーターへと戻ってきた。混乱してロビー側に駆け出した数人は既に大挙して押し寄せてきた暴徒に捕まったようだ。
あれは……。いったいあの連中は?
凄まじい悲鳴が聞える。こちらにゆっくりと歩いてくる者たちはどこか変だ。手の千切れた者。身体から骨が覗いている者。黄色い髪の女の子が捕まり、身体中を齧られてのた打ち回っている。血の臭い。そいつらは既に俺のすぐ傍まで迫ってきていた。
ゾンビ……こいつらはゾンビだ。
恐ろしく体格のいい男が俺を見つけて拳を固めている。プロレスラーだろうか。その左腕は大きく齧り取られていて、筋肉の赤い束が見えている。俺は急いで逃げようとしたが、もう後ろには別の奴らがいた。逃げられない。
絶望で頭が真っ暗になった瞬間、俺の前に誰かが立ちふさがった。次の瞬間レスラーが凄い勢いでそいつの顔を殴りつけた。
「うっ!」
顔を抑えてそいつは呻いたが、次のパンチが繰り出される前に素早く身を屈めて男を蹴り倒した。
「ばかやろう! 逃げろ!」
レイだ。彼は俺の腕を握ると近付いてくるゾンビを突き飛ばしながら、ロビーと逆方向へ走り出した。
「ゾンビの数が多すぎる。玄関から出ようとするのは危険だ。こっちに出口があるといいが」
「待ってくれ! サンディが!」
だが、すでに何人ものゾンビ共が女子トイレに入っている。
「駄目だ。間に合わない。とにかく逃げるんだ」
レイは立ちはだかるゾンビ共を薙ぎ倒しながら廊下を走る。俺は手を引かれて転びそうになりながらついて行くのが精一杯だった。廊下には壁から伸びた何台ものカメラが動き回っている。これはどういうことだ。
突き当たりは厨房のドア。俺達が辿りつく直前、そのドアが外側から鈍い音と共に破られた。鋭い鉈の刃の先端が、木屑を散らしながらドアを切り裂く。見る間にドアには大きな裂け目が出来て、何本もの変色した手が我先にと中に入ってくる。やがてドアが勢いよく開くと同時に大勢のゾンビ達が入ってきたのだ。
俺達は廊下を右に曲がり、右にある階段を駆け上がった。もう逃げ道はそこしかなかった。
「屋上に出るのか?」
「いや、それじゃあ逃げられない。部屋に戻って窓から出るんだ。ベランダを伝っていけば何とか降りられるさ」
六階の部屋の鍵を開け、飛び込んだ瞬間、俺は気が抜けてその場にへたり込んでしまった。と同時に猛烈な吐き気を催して、バス・ルームに駆け込み、腹の中のものを全て吐いてしまった。
バス・ルームから出てようやく落ち着いてレイを見ると、彼の口は血まみれだった。
「レイ、その口はどうしたんだ?」
「さっきの奴に殴られたときに前歯が折れたらしい。すぐに直るよ」
「そうか……一体、奴らは何なんだ? ゾンビか?」
「ああ、そうだろうな」
「どうしてゾンビが? 奴らは何処から来たんだ」
レイは話した。ロビーから見えた光景を。
「……それじゃあ、これは最初から計画されたことだったのか」
「分からない。ただ、背後に大掛かりな組織があることは確かだ」
「そうだな……ひょっとしたら軍の人体実験じゃないかな」
「人体実験?」
「そう。ゾンビに襲われたとき、人々はどんな行動に出るか、ゾンビはどのように人を襲うのか。こうやって人を集めて襲わせ、ビデオカメラで撮影してテープに記録すれば生のデータが取れる。俺達がここに来る時、外に真新しいプレハブの小屋が見えたんだ。おそらくあそこでカメラをコントロールしてるんだろう」
「そんな……。人間ってずいぶん酷いことを考えるんだな」
いや……でも、もしかしたらもっとおぞましい事かもしれない。
レイは窓を開けようとした。だが、いくら動かそうとしても窓はびくともしない。
「くそ! この窓は嵌め殺しだ。鍵も見せ掛けだ」
「何だって? それじゃ……」
レイは椅子を持ち上げて窓に思い切りぶつけたが、窓はびくともしない。
近寄ってよく見ると、格子状の金属が入っている。強化ガラスだ。
「レイ、これじゃあ、出られないよ」
俺は恐ろしかった。このまま俺はゾンビの餌食になってしまうのか。レイはいい。ゾンビは人間しか食わないから。
「俺も……ヴァンパイアだったらよかったのに」
レイは何も言わずに俺の顔をじっと見つめている。
「デビィ。俺は外に出て逃げ道を探してくる。お前はここに残れ」
レイはテーブルの上にあった俺の剣を手に取ると、鞘から抜き出した。ぎらり、と刃が光る。
「いいか。絶対に外に出るな。俺は鍵を持っていくからノックはしない。だからノックの音がしても絶対に開けるな!」
「分かった」
そっとドアを開けて廊下へ出て行くレイを俺は見送ることしか出来なかった。
どのくらい時間が経っただろう。廊下の方からしばらくは悲鳴が聞えていた。ここまで上がってきながら、ゾンビに捕まった者たちの断末魔の叫び。そして、各部屋のドアを叩く音。だがやがてそれも聞えなくなった。ゾンビ共は下へ降りていったのだろうか。
少しだけドアを開けると、外を覗いた。廊下ではゾンビ共が食事の真っ最中で、こちらに気付いた奴はいないようだ。もう生きてる人間はいないのか。いや…いや。女性がひとり、必死でこちらに歩いてくる。その腕は血まみれだった。
「サンディ!」
俺は思わず廊下に出て、サンディに駆け寄った。彼女は嬉しそうに微笑みながら俺のほうに両手を伸ばしてきた。全てはあっという間の出来事だった。
サンディが抱きついてきた瞬間、凄まじい痛みが全身を駆け抜けた。
俺は彼女を突き飛ばして、部屋に駆け込み鍵を掛けた。
恐る恐る腕を見ると、右腕の肩に近い部分の肉が噛み切られている。
噛まれた……畜生! ゾンビに噛まれたものはどうなる? そうだ。ゾンビに噛まれたものは死に、そして蘇る。意志を持たない生ける屍、ゾンビとなって。
「う……うわあああ!」
俺は床に膝をついて叫んだ。絶望と悲しみ、そして死の恐怖。ただ天を仰いで叫び続けることしかできなかった。
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レイが廊下に出ると、後から上がってきた人々が階段をぞろぞろと上ってくるゾンビ達に襲われていた。
「助けて!」
若い女性の悲鳴にレイは剣を構えて駆け寄ったが、すでに倒された彼女の身体には穴が開き、ゾンビが内臓を引っ張り出していた。もう、手遅れだ。レイは階段を駆け下りた。続々と上ってくるゾンビを剣で薙ぎ払い、首を次々と切り落としながら下へ降りていく。だが、ゾンビの数が多すぎてなかなか前に進めない。途中の階がどうなっているのか。他に生きている人がいるのか。まったく分からない。ようやく鉄臭い血や内臓から漏れた糞尿の臭いに満ちた一階に辿りつくと、厨房のドアを目指す。廊下ではそこらじゅうでゾンビ達が死体に群がっている。どろどろの血で汚れた廊下の壁に寄りかかって太った男が腸をウインナ・ソーセージみたいに貪り食っている。レイは吐き気を抑えながら厨房へ入っていった。中には誰もいない。ステンレスの流し台やコンロの間をすり抜けて向かい側にあるドアに辿りつく。鍵は掛かっていない。あの連中はここからもゾンビを侵入させるために開けておいたのだろう。
外に出ても、逃げきれるかどうかは分からない。だが、この中にいるよりはずっとましだ。デビィを連れてこよう。彼だけは何としても逃がしてやりたい。
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音がした。ドアが開いて誰かが入ってきたようだ。
「デビィ! まさか……!」
そうさ、そのまさかだ。そんな悲しそうな顔で俺を見るなよ、レイ。自業自得って奴さ。ああ、これで俺はお終いだ。もう母さんや父さんや妹にも会えないんだ。
「噛まれたのか!」
そんなの見りゃあ分かるだろうが。間抜け……。ああ、何だか頭がぼうっとしてきた。眠い。
レイが俺の横に跪き、右腕を掴んだ。と、彼はいきなり俺の傷口に噛み付いたのだ。レイは必死で俺の血を吸い上げては床に吐き出してる。いったい何のつもりなんだ。もう、何をしたって無駄なのに。
「おい、レイ。俺はもう駄目みたいだ。もし蘇ったらその剣で首を落としてくれ。人を喰う化け物なんかになりたくな……」
眠い。
もう、何もかも分からなくなり、深い死の谷へと吸い込まれていった。