魔男と眠り姫
大学生の有は偶然知り合った少女、サキの部屋で彼女が眠りにつくまで物語を読むことになるのだが
室内は思いの外きれいに片付いていた。
テーブルには飲み残しのコーヒーが、洗濯物は畳まれずリビングソファに積み上がっている。
そこには生活に追われている日常が展開されてはいたが、日々に追い詰められて手も足も出せないでいる、そのような切迫感はなかった。
正直な話、育児放棄寸前の家庭環境を想像していたから安堵した。
彼女は私の袖を引きながら、一つの扉を指さして言う。
有、私の部屋こっちだよ
うん
彼女は勢い勇んで部屋に入り、布団に潜り込む。
サキ?
なあに?
明かりを付けたいんだ。スイッチはどこだろう?
かべ
どこ?
そこ
彼女が指差す方へ手を這わせ、電気をつける。
布団のなかから顔だけを覗かせるサキが見えた。
彼女は子鹿のように首をくるくると左右させ、周囲を見渡そうとしている。
どこか必死で、全てが愛らしかった。
私は遠く忘却の彼方から、古い願いが飛び出してくるのを見た。
サキどうした?ここ、自分の部屋だろ?
うん。そうなんだけどさ、なんだか何も変わってないのがうれしくて
彼女が自分自身の為に微笑むのを見たのはこれが初めてだった。私の願いが叶った気がした。
本はどれにするよ?
私がそう言うと、彼女が布団から飛び出してきて、きれいに整列する小さな書架から一冊を取り出して、いかにも大切そうに胸に抱えたままベッドの脇にもたれ掛かかる私の元へと歩み寄ってくる。
有、これにする
これってさ、くれしん、だよね?
うん
ダメだわ
どうして?
これはいい本だと思うよ、けれどこれは笑うために見る本だから。今は寝るための本にしようよ
どんな?
そうだな。世界名作劇場とか、そういうのない?
ある、待ってて
サキはそう言って書架に戻り、再び歩み寄ってくる。
彼女が手にしていたのは眠れる森の美女だった。
確かに一見するとこれは眠るための本のように思える。眠れる森の美女。しかしながら、この物語の本質は目覚めるところにあるのだ。
まあいいか。サキはベッドに入りな
うん
電気はどうする?駄目だ、豆電球にしたいんだが、そうすると読めなくなるわ
だったらこのままでいいよ
わかった。じゃあ読むから
有、となりきなよ
彼女はそう言って布団を持ち上げた。
やめとくわ
どうして?
横になったら眠ってしまいそうなんだよ
そうなの?
そう。じゃあ読むよ
待って待って
どうした?
これね、もう覚えてるの、耳にタコなの
だったらどうしたい?
うーん
彼女はああでもないこうでもないとしきりに唸っている。
その声が子守唄に、伝わる振動がゆりかごとなって、眠りに落ちそうになる。
なんとか堪えながら気長に待っていると、やがて彼女が口を開いた。
だったらさ、有がお話すればいいじゃん
サキは簡単に言うね
そうかな?
そうだよ。わかった、やってみるわ
私は観念して口からでまかせ、そのものに物語を与えることにした。
昔または現在、あるいは未来に。つまりあるところにだな、女に振られた男がいたんだ。彼は女とある約束をしたんだ
どんな?
サキ、眠る気ないだろ
そんなことないって
だったら黙って聞きな
わかった
男と女は約束していたんだ。彼らの村にはそれはそれは大きな、とてつもない大木があって、戦争が終わったら必ず帰るから、その木の下で再会しようって、結婚しようと約束を交わしたんだ。そもそも戦争が終わったら結婚するんだって言うのが死亡フラグなんだが、男はその精緻な包囲網をかいくぐり、生きて故郷に帰ることができたんだ。
ねえ有、死亡フラグってなに?
一言で言うと物語世界が下した死亡宣告のこと
なにそれ?
とにかく男は生きて故郷に帰還したんだ。けれど、そこに女はいなかった。
どうして?
満点の疑問符で燦々と輝くその瞳に、少々げんなりした。
教えて欲しかったら、口を閉じて目をつむりな
わかった
女は生きて男との約束を果たすためならなんでもしたんだ。
それはサキみたいな糞ガキンチョにはとても言えないような話だったりするから、説明は出来ないんだが。
だめじゃん
うん。あえて言うなら、他の村人達に嫌われてしまったんだよ、もちろん男のお父さんやお母さんにも。お前にやる籍ねーからうちの息子とはぜってー結婚させねーからって。そう言われてしまったんだ。
かわいそう
そう。かわいそうなんだ。けれど、しょうがないんだよ
どうして?
女も男の両親と同じだから。つまり、相手がどう考えてそうしたかなんて考えられない、そういう人達の仲間だったんだ。だから悲嘆にくれる。つまり悲しみまくることしか出来ない。
彼女は悲しみの果てに、死のうとするんだ。けれどうまくいかない。
彼らの住む時代には自殺が出来ない魔法があって、女は生まれた時に、両親からその魔法を祝福として、ご褒美のことな、魔法を授かったんだ。
だから死のうにも死ねない。女は悲嘆にくれるんだが、そのエネルギーが怒りに変化していくんだ。
自分をこのような体にしたのは魔女だ、だから魔女が悪いんだってね
そして女は自分に魔法をかけた魔女を殺すことにしたんだ。
魔女の家の戸を蹴破って、そのよぼよぼの見難い魔女の肉体に包丁を突き立てる。
けれど魔女のほうが一枚上手だった。賢かった。
魔女はなんとか女を押し留めて、ある提案をしたんだ。
死ねない体にしたお詫びに死と同じものを与える
そう約束したんだ。
布団に入って、この聖水を飲みさえすれば、あなたは死を授かることができるから、騙されたと思ってやってみな。
そして女は家に帰り、魔女に言われたとおりに聖水を飲んで布団に横たわったみた。
するとどうだろう、女は彼女に与えられた寿命を全うするその日まで眠る以外には何も出来ない体になってしまったんだ。
そこに男が帰ってくる。
男も女と同じで生き延びるためになんでもやって帰ってきたんだ。
やっと会えるとワクワクしながら村の大木に駆け寄った。
けれど女はいなかった。男を不憫に思った村人から、女は一生眠り続ける体になってしまったという話を聞かされる。
男も悲嘆にくれて死のうとするんだ。けれど死ねない。
女が死ねなかったのと同じ理由で死ねなかったんだ。
そして魔女の家の戸を蹴破って、その醜い体にナイフを突き立てたんだ。
魔女は女にしたのと同じ話を男に聞かせるんだ。けれど男は魔女より賢かった。
おめーがそう言わなかったら、女生きてたんじゃね?
そう言い返したんだ。
すると魔女は
まじこの男ぱねえす、やべえわ何も言えねえ。って、潰れた梅干しみたいな顔をしたまま固まることしかできなかった。
そして魔女は報いを受ける。男に刺されたんだ。
男としては軽い気持ちでブスッと刺した。
魔女なんだからもちろん寿命まで死ねない体になってると思い込んでたんだよ。
刺された魔女は床にのたうちまわりながら、最後に口を開いた。
これでやっと解放されるって
それから男にとって予想外のことが起きる。
なんと魔女が死んでしまったんだ。
魔女は村人だけでなく、国王からも愛されていたから国中の誰もが、彼を非難したんだ。
両親さえも彼を見限った。それくらいその時代を生きる人間たちにとって魔女とは不可欠なものだったんだ。
男は孤独の中で生きていくこととなる。
彼は自分で蹴破った扉を直して、魔女の家に住み着くこととなった。
彼は永遠の孤独の中で何の気なしに魔術の本を手にとる。
するとなぜだろう、彼には本の内容が手に取るようにわかるんだ。
それは秘密の言葉で記された本だから、普通の人間に読めるはずなのに。
そう。男は死ぬゆく魔女に最後の呪いをかけられたんだ。
けれど、そうじゃないかもしれない。
少なくとも男は、呪いをかけられたと判断した。
そして彼は魔男として生きていくことになる。
時間はのろのろと近づいてきて、やがては男とすれ違う。
けれど、彼が振り返ってみても時間の後ろ姿は見えなかった。
男はそのときに、魔女によって彼が絶え間なく与え続けられていた時間さえも奪われてしまった事に気づいたんだ。
そう。全ては魔女の計算通りだったんだ。
男に全てを押し付けるために女を眠らせ、自分を殺させたんだよ。
時間は男を無視したまま十年、二十年と過ぎ去っていく。
彼の知る村の誰かがひとり、またひとりと死んでいく。ついに彼の本当の姿を知る人間は彼女だけになってしまった。
三十年、四十年経っても女は眠り続けている。
そして二百年もの年月が流れた。けれど、女は眠り続けたままだった。
そこまで来てようやく男はある仮説、つまり男がずっと感じていた予感が、現実そのものなんだと認めることにした。
女もまた魔女によって時間を奪われていたんだ。
男は村人や国王の求めに応え続ける傍らで、女を目覚めさせる魔法の研究を続けた。
けれど悲しくなるから女のところへ会いに行こうとはしなかった。
生まれてくる子供たちに祝福という名の呪いをかけ続ける。
男はその呪いによって女や人生の全てを失った。
その魔法を嬉々としてありがたがる村人や国王に対して抱くのは嫌悪感だけだったんだ。
そしてある時、男は全てに嫌気がさして家に閉じこもることにした。
国王の使者が男の扉を叩く。
我々は国王の使いである魔男よ早急に扉を開けられい
男はそれを無視した。次第に扉を叩くその音が大きくなり最終的には蛮声と叩き割ろうとする鈍い地響きだけが聞こえた。
男はうずくまって耳を塞ぐ。
恐怖したのではない。もはや男に恐れは存在しなかった。彼に耳を塞がせたのは畏怖さえ与えられない自身の身の上に対する自己憐憫だった。
村人が男のドアを叩く、そして今回も男はそれを無視する。
魔男様、違うんです
と村人は言う。
そのあとに続いた言葉に動揺した男はついにその扉を開いてしまう。
村人は言った。
村の眠り人が死にかけているのです
その言葉を聞いた男はまたあることに気がついた。
人々に与える祝福が、どういうわけだか彼女の生命と直結しているということ。
そう。魔女はこういう事態に陥ることを予測して、女を永遠に眠らせたのだ。
それからというもの、彼は毎日村人や国王の求めに応じ続る傍ら、女のために魔法で城を建て、その天守閣を彼女の部屋とした。
久しぶりに対面する女は彼と同様にどこまでも醜い姿をしていた。
彼女を守らなければと男は思った。
しかしそれ以降は、特別な用事がない限り立ち寄ろうとはしなかった。
男は村人や国王の求めに応じ続ける。それに応じるようにしてミイラと化した眠り姫はみるみるうちに若返っていく。
そして彼の知る女そのものなったころ、彼女の若返りは止まる。
その知らせを受けて、男は女の元へと駆けつける。
上掛は規則正しく上下しているにもかかわらず、肌は病的なほど白く、彼女はまるで死んでいるみたいだった。
それなのに、呼吸も出来ないくらいに胸が苦しくなる。
男は女に会うたび恋をする。
こんなにも近くにいるというのに、二人はすでに千年以上前に描かれた時間の矢の航跡上で静止していた。
男がかつて人間だったということを知っている人間はもはやいない。
そして今となっては眠り姫と呼ばれ、村人から敬われているこの女性も(飛び抜けて美人ではあるという点を除いて)昔はどこにでもいるような田舎の乙女で、どこにでもいるような風采のあがらない村の青年と恋をしていたことを知る人間もまたこの時代にはいないのだ。
ある意味おいて二人は魔女によって葬られたのだ。
どれだけの歳月がながれようとも二人は互いに手の届かない地点で静止している限り、再会することは叶わない。
その事実が彼を悲しくさせるのだ。
サキは随分前から眠りの中にいる。もちろん私は気づいていた。いたのだが、話しをやめることはできそうになかった。その話を一番近くで聞いている私自身が、その物語の続きを求め続けていたのだ。
男は自前の魔法の力で薔薇の城を立てた。
女はすでに国家を通り越して人類の象徴となっていた。
そして魔男もまた、魔術師として同様の名声を得ていた。
魔男が女に会うためにはもっともらしい口実が必要となるようになり、そのために男は国中に城を立て続けた。
それが誰であれ、魔男が人の前に立つときには何かしらの奇跡を起こして見せる必要があったのだ。
彼は魔術を唱えて城を建てる。
あるときは海のそば、ある時は森のそば。そういうふうにして、眠りの中にいる彼女と魔男は旅を続けた。
彼には時間性がなかった。
故に男は女が薔薇の花を愛していたことを1000年経った今でも覚えていたのだ。
けれど、女が愛していたあの香りはもはや存在しなかった。
蕾は出来るのだが、いつまでたっても開花しない。やがて蕾は茎の養分として吸収されて役割を終える。男が生き抜いたあの戦争の最終局面、敗れた国の王が死ぬ間際に唱えた呪いが世界中の草木から花を奪ったのだ。
それだから魔男はこれまでに、薔薇で彩られた城を建てようとはしてこなかった。
しかしながら、女同様になにかのきっかけで芽吹くかもしれない。
その可能性にかけてみようと考えたのだ。
一年、また一年と月日はながれていく。薔薇は蔦のようにして城を取り囲み、花はいつまでも芽吹かなかった。
そしてまた千年が経った。
男は未だに彼女を救う手立てを見つけられずにいた。男と女にもたらされたのと同じ状況を構築しようと何度も試みたのだけど、一度としてうまくいくことはなかった。
しかし彼はあきらめなかった。
それだけが彼の美徳だった。美徳を有していると言うことは彼の運命そのものに依然として祝福される余地残っているというしるしなのだ。
彼はそれを手にすることになる。
ある日、途方に暮れる彼のもとに預言者が現れた。
彼は今まで見たこともないほどの大男で、何気なく行われる動作はあまねく哲学が含まれているようだった。
ついに二人のいきさつについて打ち明けられる人間が現れたと魔男は喜んだ。
話しのあいだ、預言者は穏やかに頷き深い同情の意を表す相槌を打った。
そして男が話終わるのを見届けると、たっぷりと蓄えられた口ひげに手を当てながら滔々と言葉を宙に浮かべた。
眠り姫は満月の夜に眠りに落ちた。そういうわけですね
その問いかけに男は頷く。
彼女を助ける方法が一つだけ、あるにはあるのですが
それはなんでしょうか?
彼女を開放してあげることです
預言者はそう言った。それは男が期待していた言葉ではなかった。
他に方法はないのでしょうか
男はそう言って預言者に詰め寄ろうとしたが、預言者の背後から射す無垢な後光に焼かれる思いがして、これ以上近づくことは出来なかった。
あなたがもつ不撓不屈の精神、それは素晴らしい美徳です。しかし、そればっかりではうまくいきません。あなたがする行為、そのすべてが思いやり以外のもので満たされていたために、何をしてもうまく行かなかったのです。
あなたが頑なに頑張り続ける限り、彼女もまた永遠という檻の中で眠り続けなければならないというわけなのです
男は何も言い返せなかった。
彼は女を愛してなどいなかったのだ、ただ自分を受け止めてくれる人間、そのぬくもりが恋しかっただけなのだと気づいたのだ。
預言者は微笑んでいる。
悲しみと慈しみ。
二千年という悠久なる時間のトンネルを駆け抜けてきた母親の眼差しだった。
そして父親の眼差しでもあった。
預言者は再び口を開く。
それでは今から大事な予言をします
男はそう言って遠くを見つめるような眼差しでぼんやりと魔男を眺めた。彼は遠い未来を眺めていた。長い沈黙の後、預言者は口を開いた。
あなたが彼女を諦めてから一万年後、その最初の新月の夜にバラは咲き乱れ、彼女は目覚めるでしょう
預言者が去った翌日から彼は城の大工事を始めた。
一万年の風雪や戦争に耐えうるものにしなければという一心で彼は魔法を唱え続けた。
魔法を一つ唱えるたびに、今まで感じられなかったざわめきが心をゆらすに男は気づいていた。
それこそが幸せだつた。
満たされていく心とからからに乾いていく肉体。
彼のもとに時間が帰ってきたのだ。
時間はいつだって彼に寄り添っていた。
遠ざけていたのは彼自身だったのだ。
男は彼女が眠るベッドのとなりに自分用の棺をしつらえて、やがて死ぬその日まで、彼女の為に魔法を唱え続けた。
やがて男は息絶えた。
女も次第に干からびていき、やがてはミイラとなった。
ベッドの上で彼女は朽ち果てて、まるで初めからそこには何もなかったと言わんばかりの空白がそのベッドを、その部屋全体を満たしていく。
それから数ヶ月間は音もなく過ぎていった。
しかしある日、異変が起きる。
ベッドから産声が聞こえるのだ。
それは間違いなく男が愛したあの女であった。
彼女は眠りの中で大人に、やがて塵となり、再びベッドに横たわる赤子として産声を上げる、それが永遠に繰り返されていく。
男は実体を失い、霊となってもなおその場にとどまり続けている。
彼は女が目を覚ますその日まで見守り続けると決意していたのだ。
時間は刻々と流れていく。
そして記憶は薄れていく。
最初のうち、世界はこれまで繰り返されてきたのと同じ営みを続けていたが、魔男の消失により、世界の軍事的均衡は次第に瓦解し始めた。
戦争が戦争を呼び、それから千年も立たぬうちに二人を残して人類は滅亡した。
絶望を具現化したような汚染の極地にあった世界は徐々に輝きを取り戻していく。
森はどこまでも深くなっていき、夜空を見あげれば、そこにはいつだって天の川が見えた。
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