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ある日の怪談(怪談集 短編三作)

里帰り

作者: 裃 左右

里帰り


 暑い夏。

 夏はうっとうしい季節だ。


 他の人が言うように、温度や湿度の話じゃない。

 とにかく夏はうっとうしくて嫌いだ。


 けど、夏休みは好きだ。

 休みだから。


 でもお盆になると、帰りたくも無いのに周囲は帰郷ムードになるし。

 近所のおばさん方も、学校の同級生もみんなして。


「いつ帰るの?」


 なんて聞いてくる。

 家から電話が来ないのが唯一の救いだ。

 

 私は墓参りの為でなく、そんな周囲の空気から逃げる為に帰郷する。

 もし、家から電話がかかって来ようものなら、私は里帰りを永久に延期し、お盆の存在しない土地に逃亡するだろう。


 今年も、そんなお盆が来た。

 人ごみの嫌いな私は、いつも盆の真っ只中を人気の無い寮で快適に過ごし。

 渋滞が減ったであろう、若干外れた頃に帰ることにしている。


 荷物をまとめた私は電車に乗って故郷へ向かう。

 しかし若干時期をずらしているとはいえ、それでも電車は混んでおりひどくイラつく。

 だけど電車を除けば、帰郷ラッシュと呼ばれてるらしい渋滞にあまり巻き込まれることなく、私は帰ることが出来る。


 というのも、私の故郷は学校の人間全員に地名を聞かせたとしても、誰も知ってる人間がいないほどの田舎だからだ。

 もはや、辺境の地と言ってもいい。


 近くの町についてからバスを乗り継ぎするのだが、故郷に向かうバスは日に2本しかなく、バスに乗る人間は運転手を抜かせば、いつも私しかいないという非常識な土地だ。

 だから基本的には、故郷の近い町まで人ごみを我慢し、後は誰もいない中でのんびりくつろぎながらいくのである。


 あくまで基本的には、だが。


 バスを乗り継ぎ、ようやく私は故郷へと向かうバスに乗り込んだ。

 今時、冷房もついていないようなバスだ。


 ちら、と一瞬運転手の顔を見る。

 なぜか、しょっちゅうこのバスの運転手は変わっている。


 やはり今年も変わったようだ。


「桶草まで」


 私は、故郷の地名を運転手に告げた。

 こうして、行き先を言っておかないと止まってくれないのである。


 その上、誰も並んでいないバス停は素通りだ。そのせいで、1度乗り損ねたことがある。

 フツーのバスもそうだろうけど、辺境の地でそれがあると非常に不味いことを理解して欲しい。


 バスの中間当たりの座席に座って、鞄から小説を取り出した。

 そのまま、感覚で本を開いて文字を目でなぞる。

 私は栞を使うことは無い。

 指が大体のページを覚えているし、何ページまで見たか暗記しているからだ。


 ちなみに、私は本を読まない。

 目でなぞるだけである。


 バスは、いくつかの誰も待っていないバス停を通り過ぎ。

 時間もそのまま、文字をなぞるだけの退屈なまま過ぎた。


 車内ではバスのエンジン音だけがBGMとなっている。

 正直、車のエンジン音は世の中で5番目に眠くなるBGMだと思う。


 起きているのか、寝ているのか。

 あやふやなまま、心地良いような良くないような時間が永遠に続くか。

 それも良いかもしれないと、そう思った頃だ。


 とあるバス停でなぜかバスが止まった。

 ……奇妙だ。

 確かに、誰もバス停には並んでいなかったはずである。

 本来ならば、通り過ぎるはずのバス停。


 私は一応は気にせず、文字をなぞり続けた。

 日差しが強くなってきた気がする、背中が暑い。

 誰か車内に入ってきた。


 だが、そちらの方に視線は向けない。

 なんとなく、まだらな白いブラウスに赤いスカートの女性のような気がした。

 何となく顔も目に入った気がする。

 気がしただけだ、下を向いている私の視界には入らない。


 その人物は、ガラガラな車内の中でなぜか私の隣の座席に座ったようだ。

 となりから、見知らぬ気配がする。


 正直落ちつかなくはあるが、そのまま少しも顔を向けずに音もなくページをめくる。


 隣から女性の声が聞こえた。


「学生さんですか」


 心なしか湿っぽい声だ。

 しかも、抑制がなくボソボソして聴き取りづらい。


 梅雨の時期に嫌な声を出すものだ、私に対する嫌がらせか。


「ええ、まあ」


 退屈ではあるので会話をするのは、問題は無い。

 そう自分に言い聞かせる。


「この辺に来るのは初めてですか」


 女性はゆっくりと話す。


「いえ、毎年この時期になると来ていますよ」


 今の時期を考えればわかるだろう。

 どう考えても、お盆だから仕方なく嫌々帰郷する学生だろうに。


 そう聞いて、彼女はまた抑制の無い声で話し出す。


「ああ、ならご存知ですか」


 そこで彼女は言葉を止める。

 恐らく彼女は、こう聞いて欲しいのだろう。


「何がですか」


 だが、私は無言のままだ。

 仕方なく彼女は自分から話し始める。


「昔、ここに旅行に来た女性がこの近くにある佐々里橋から川に飛び込んだんです」


 ずいぶんと思わせぶりに話すものだな。

 背中に当たる日が気になってきた。


「いえ、知りません。この辺は家からは大分離れているもので」


 名水で有名な場所でもあるので来たことが無いわけでもないが。


「その女性と言うのはですね、子どもを宿していたそうです。彼女は同じ職場に結婚を誓い合った男性がいました。彼女はその男性を信じて、その男性の為に働いたのです」


 しかし、彼女に子供が出来たと知ったその男性は、その女性を捨てました。と哀しそうな声で話す。


「なぜなら、もうすでに彼には婚約者がいたからでした」


 良くある話だ、私は自分にそう言い聞かせる。

 たいしたことが無いと思うのではなく、その女性だけが特別ではないのだと私はそう考えた。


「彼女は子どもをおろすことも出来ず、実家の家族の元へ帰りました。しかし彼女の家族は、その子どもを認めてくれはしませんでした」


 バスのエンジン音と彼女の声だけが響く。

 それらを掻き消そうとするかのように、私はページを音を立ててめくった。


 雑木林に入ったようだ、木々が日差しをさえぎる。


「子どもを見捨てることも出来ず、かといって1人で生むことも出来ず、彼女は遠く離れた人気の無いこの地に来ました」


 彼女が私のほうをむいている。


 いや、気のせいだろう。

 なぜならば私は彼女を視界に入れて無いからだ、そんなことに気付けるはずが無い。


「そして思いつめた彼女は、その夜に佐々里橋から川を見つめていました。しかし飛び降りる勇気が出ない。」


 私は沈黙を保つ、いや保ったままでいいのだろうか。


「それからどれ位時間がたったでしょうか、偶然その近くでキャンプしていた学生が彼女の様子を不審に思って声をかけようとしました。それをきっかけに彼女は……」


 次第に彼女の声しか聞こえなくなってきた。


 彼女の声が頭に響く、私は起きている眠っているのか。

 眠っているのだとしたら……少なくとも悪夢だ。


「いつもはその川は、水が多くて流れも速いんです。毎年、おぼれる人がでるくらいに」

「でもその時だけ、たまたま水が干上がっていたんですよ。彼女が飛び降りた時には」

「彼女は頭から、まっ逆さまに落ちていきました。水の無い硬い地面……むき出しの岩に向かって」


 ふいに顔を上げそうになる。

 わずかに残った意識がそれを止めた。


「だから、彼女の頭は半分潰れてしまったそうですよ。ほら、丁度あの橋からだそうです」


 布がすれる音、彼女が着ている服がすれる音がする。

 

 恐らく、腕を上げて指を指しているのだろう。

 その飛び降りた橋とやらに向かって。

 

 しかし、私は顔を上げない。目も向けない。

 ただ、わざと音を立ててページをめくっただけだ。

 そうして、小説を読んでいるフリをする。

 

 少しづつ、私は落ちついてきた。

 ようやく私は口を開く。


「それはずいぶん退屈な選択肢を選びましたね」

「退屈……ですか」

「ええ、生きていてもこんなにも退屈なんです。死んだらもっと退屈でしょうに」


 本当に、つまらない選択肢ですね。と小説のページをめくりながら冷ややかに言葉をつむいだ。

 だが、彼女は私に話しかけることを諦めない。


「では、もしあなたが彼女ならどうしましたか。前向きに生きることを選びましたか」


 相変わらず湿っぽい声だ。

 じめじめしていて、うっとおしくもある。


「さあ、どうでしょうか。でもまぁ、少なくとも前向きとか後ろ向きとか些細なことにはこだわらずに、本でも読んでたんじゃないですかね」


 車のエンジンの音だけが聞こえる。

 また、日差しが強い。

 

 カーテンを閉めて置けばよかったと思うが、今閉める気にはならない。

 もし、私がカーテンを閉めようとするとどうしても彼女が目に入るからだ。

 

 エンジン音が消えて、砂利道を走る音に変わった。

 木々が日差しを少しさえぎり、大分暑さも楽になる。

 

 もうすぐ、トンネルだ。

 このトンネルを抜ければ、すぐに家に着く。

 この妙な会話も終らせることが出来るだろう。

 

 その時、彼女がゆっくり私に顔を近づけてきた。

 気配が近づく。


 心臓の鼓動が大きくなる。

 自分の心臓の鼓動だけが聞こえる。


 突然、目の前が薄暗くなった

 誰かの気配がすぐ隣にいるのがわかる。

 彼女が私を覗き込んでいる気がする。


 誰かが耳元でそっと消えそうな声でつぶやく、しかしその声は妙ににはっきりと聞こえた。


「あなたは駄目ね」


 私は無言だ。

 心臓の音が五月蝿い。


 まだ私は無言だ。


 そして、また車内が明るくなった。

 日差しが背中に当たって暑い。

 車のエンジンの音だけが車内に響く。


 心臓も落ち着いていた。

 私は小説を閉じてかばんの中に放りこんだ。


 もうすぐ、バスから降りなければならない。

 バスが減速していく、私は立ち上がった。


 ふと、座席を見ると私の分だけではなくもう1人ぶん余分なへこみがあった。

 まるで今まで誰かが座っていたかのように。


 運転手の隣まで歩き出した私は、いつものように停車する前にお金を払う。

 普通は懐かしいとでも言うのだろうか、季節は違えど正月にも見た家の近所だ。


 バスが止まる、私は1人でバスから降りていく。


「お客さん、ちょっと」


 私は振り向く。


「あの、変なことを聞くようですがね。今まで誰かもうひとり……他に女性が乗ってませんでしたかね」


 私は怪訝そうな顔をした、少なくともそのつもりだ。

 もしかしたら、運転手の声は震えていたかもしれない。


「まさか、私1人だけですよ」


 運転手を安心させる為に、私は少し微笑んだ。

 少なくともそうしたつもりだ。


 もしかしたら、私はこれからこのバスに乗って道を引き返していく、この運転手を気の毒に思ったのかもしれない。

 恐らく、彼女が乗り込む姿を目撃したのであろう運転手に気休めに一言付け加えた。


「私が携帯で女性と話をしていたから、何となくそう思ったんでしょう」


 そう言って、私は家まで歩き出した。


 内心、無理がある気休めだとは思うがそれでも彼は信じるだろう。

 自分が冷静であるために。

 それが常識的な態度と言うものだ。


 これから、荷物を持って坂を上っていかなければならない。


 蝉の鳴き声が聞こえる。

 そろそろ日も傾いてくる頃だ。


 ふと、私は考える。

 あのバスは、彼女を乗せたまま走っていったのだろうか。

 それとも彼女は私と共に降りたのか。


 ――あの、頭の半分潰れた血まみれのブラウスを着た彼女は。

 一瞬、鮮明な映像が頭の中で流れる。


 はっと気付いた私は、首を横に振った。

 いや、違うな。私はそんなものは見ていない。

 私は彼女を視界に入れなかった、だから見えるはずが無い。

 いつものように、見なかったことにすればいいのだ。


 いつの間にか坂を上りきる。

 出遅れたバスが私を横切って行く。

 若干赤みがかった日差しが、バスの窓に映り嫌なものを連想させる。


 赤く染まるバスの車内。

 私はそのバスを見送りながら、自然とバスに向かって毒気付いた。


「だから、夏は嫌いだ。本当にうっとおしい」


 そうしていつもどおり、お盆が始まった。


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