第三十四話 黒へ
「アイラには普通の女の子みたいな生活をしてほしかったんだ。恋したりしてさ。アタシにはできなかったことだからさ。」
初めて酒を飲み交わしたとき、酔った姉はそう言っていた。
結局あの人は最後まで変わらなかった。
いつでも私を置いて行ってしまう。
もう手の届かないところまで行ってしまった。
「普通の女の子になんてなれるわけないじゃん…。」
力任せに机を叩く。
無意識に拳へ魔力を流してしまっていたらしく、机が粉々になる。
もったいないことをしてしまった。
何かを壊してもヴィリアールは生き返らないのに。
あの後私は帝国軍の兵士に救助され、そのまま回復魔法をかけてもらった。
おかげでなんとか動けるようにはなった。
姉の遺体は無理を言ってその場で埋葬してもらった。
女皇は王国軍を率いていたのに、私の言葉を聞き入れてくれたあの兵士には感謝してもしきれない。
「アイラ…入るで?」
静かに扉が空き、リアが入ってくる。
そんなに悲しそうな顔をしているなんて、らしくない。
「お姉さんのこと…その…残念やったな…」
「…ありがと。気を使ってくれて。」
会話が続かない。
こういう時どうすればいいかわからない。
あんなに恨んでいたはずの姉なのに、なんで私はここまで落ち込んでいるんだろう。
「その…何かしらは食べるんやで。昨日から何も食べてないやろ?」
「…うん。そうする。そろそろお腹すいてきちゃったや。」
今まで無視していたけれど、確かにずっと何も食べていないから空腹だ。
何か食べて少しでも気を紛らわせないと。
いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
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リアに連れられて宿を出る。
宿を出た瞬間不快感に襲われた。
あぁ、こいつらはどこまで人を弄べば気が済むんだ。
「お姉ちゃんは死んだよ。これで満足?」
「アイラ…?どうしたん?」
路地に向かって言葉を発した私に、リアは困惑している。
私だってこいつがのうのうとやってくるなんて思っていなかったよ。
空間が揺らぎ、あの男の姿が現れる。
「…満足?そんなわけないだろう。ヴィリアールと僕は遠縁にあたる。仲もよかっただけに残念でならない。」
「…レイン!?なんでここにおるんや!」
リアが腰の刀に手をかける。
しかしレインはそれを気にする様子などない。
今日のレインはいつもと明らかに様子が違う。
「思ってもないことを言うんだね。宵闇とかいう奴らとつるんでるから、口下手なんでしょ。」
「別に嘘は言っていないさ。どうせ死ぬなら僕が有効に使ってあげたかっただけさ。」
「お前…何言うとんや…!」
今にも斬りかかろうとするリアを手で止める。
こいつにはまだ聞きたいことがあるんだ。
「それで、あなたはなにがしたいわけ?まさかあなたも永夜を開きたいの?」
「まさか。僕は永夜なんかに興味はない。僕が求めているのは愉悦だけだ。」
「で、今回は愉悦を得られたの?」
「今回の実験はまだ終了していない。ヴィリアールの死に関しては…まあ実にくだらなかったといえるけどね。」
あぁ、そうか。
こいつは人間じゃないんだ。
人の皮を被った畜生だ。
「レイン、お前…今すぐ斬ったるわ。そこ動くな。」
「リア、待って。」
「いいや、待たん。こいつはここで殺す。」
「リア。」
自分でも驚くほど冷たい声だった。
リアもレインも、驚いた表情で私を見ている。
今私はどんな表情をしているのだろう。
きっと最悪な表情だろうな。
「それで、今更なんで猫被るのをやめたの?」
「素の方が効果的かと思ってね。それで、何の話だったっけ。あぁ、ヴィリアールが殺されるように仕組んだのが僕って話?」
「安い挑発だね。…いいよ、乗ってあげる。」
私の中で何かが崩れる音がする。
なにか大事なものが消え去っていく。
でもそんなことはもうどうでもいい。
「お前らは私からすべて奪った。ならそっちも奪われる覚悟できてるんだろうね?」
「…あ、アイラ?そ、それ…」
リアが尻もちをつく。
それとは対照に、レインの表情が一気に変わった。
「…はははは。あははははははは!いいねぇ!あの方の言った通りだ!」
「何がそんなにおかしい?」
「キミから放たれるその殺気、まさに悪そのものだ!英雄とは思えないほどにね!」
レインは嗤う。
この男の笑い声は不快だ。
「見てみなよ。リアはその殺気に耐えられないようだ!」
「何を言って…」
私はリアに視線を向け、はっとした。
リアは激しく嘔吐していた。
なんでこんなことに…
「リア…!ごめん、私…!」
「リアほどの手練れでも嘔吐するほどの殺気…やはりキミは素晴らしい!ヴィリアールは最高の仕事をしてくれた!」
レインは不快な笑顔を浮かべながら天を仰ぐ。
「自身を善と信じてやまない人間が堕ちる瞬間…それこそが最大の愉悦だ!キミにはすでに種が芽生えている。どうかこの僕を興じさせてくれ!」
「もういい。これ以上喋るな。失せろ。」
「おや、いいのかい?僕を逃してしまっても。」
「二度は言わない。失せろ。」
レインはそれを聞き、さらに笑みを深める。
ここまで邪悪な笑顔を未だかつて見たことがない。
「それではお言葉通りに退散させてもらおうか。キミが堕ちるとき、どんな愉悦を与えてくれるのか楽しみだ!」
空間が揺らぎ、高笑いがふっと消える。
完全に奴が去ったことを確認して、ぐったりとしたリアを抱き上げ宿に戻る。
「必ず見つけ出してやる。…逃げられると思うな下衆め。」
あの男が去った後も、あの不快な笑い声は耳に残り続けていた。




