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ああ、何て可愛いのだろう。少女は歳の離れた妹を見て微笑んだ。まだ1歳になったばかりの妹は遊び疲れて昼寝をしている。ミルクを飲む夢でも見ているのだろうか、微かに唇が動いていた。少女はそんな妹を見つめながら、母の作る料理の良い匂いを嗅いでいた。今日の夕飯は少女の好物のようだ。楽しみだなあ、と少女は胸がいっぱいになる。外は昼だというのに暗い。魔女と人間が戦争を始めてからというものずっとこうだ。学校に行けなくなり友人達に会えなくなったことは悲しいけれど、家で家族と過ごす日常は幸せなものだった。
妹を見ながらうとうとしていると、ドンっと大きな音が外から聞こえてきた。少女は慌てて妹の玩具や自分の本や服を鞄に詰めた。母は既に大きな荷物と妹を抱えている。
お母さん、と少女は母に声を掛けようとしたが、母の厳しい顔を見て何も言えなくなる。母はそんな少女にに急いで、と告げこっそりと家を出た。
「父さんは?」
仕事に出た父のことが心配になるも、母は何も言わない。少女は不安になったが小さな妹を抱える母に我儘を言う訳にはいかないと必死に平静を装っていた。少し遠くで火の手が上がっているのが見える。空には魔女達が箒に乗って旋回し、魔法を撃っているのが見えた。人間も応戦しているのだろう、魔女のうちの何人かが力なく箒から落ちていくのが見えた。
あぁ、全てが焼けてしまう!!!村に一つだけあった学校も友達の家も、小さな図書館でさえ!
後ろを時々振り返りながら少女は思った。どうして魔女は戦争を始めたのだろうと。少女にとって人間は悪いものではなかった。村の人間達は少女達家族にも優しかった。父も人間だが大好きだ。そんな人間を魔女達はどうして憎んだのだろう。まだ子どもの少女には、村の外で起きている事など何も分からなかった。村の外では魔女達が昔から謂れのない罪を着せられて沢山殺されてきたのだということを彼女は知らなかった。自分の周りの温かい世界しか知らない少女には戦争を仕掛けた魔女が余りにも愚かに見えた。
「メアリー!!」
少女ら友人とその家族が前を走っているのが見えて思わず叫んだ。よく見るとその前に他の村人たちもいた。無事で良かった!!
メアリーは少女の声を聞いて立ち止まると少女を見て早く来いと手招きした。少女は母に声をかけてからメアリーに並ぶ。
「無事で良かった!」
「いいから、早く逃げよう!おばさん、荷物持つの手伝います!」
しっかり者でいつも少女の世話を焼くメアリーが、母の荷物の一つを受け取った。少女も母を手伝うつもりで、背中を押して走った。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
火の手が大分遠ざかってきた所で一行は足を止める。何とか脱落したものは居ないようだ。
「……婆様は?」
少女はきょろきょろと周囲を見渡し、そして村の相談役をしていた老婆がいないことち気が付いた。
「村に婆様は残ったよ。」
「助けに行かないと!!」
少女が村に引き返そうとするのを、大きな手が止めた。
「父さん!!」
その大きな胸に飛び込む。父は少女を優しく撫でた。
「婆様は村に残ってやることがあるんだ。決して邪魔をして良いものではない。分かったね?」
父に言われて、少女は意味も分からぬまま頷く。その日は岩陰に隠れて休息を取ることになった。大人達が厳しい顔で何かを話していたが何を言っているのかは分からなかった。少女とメアリーはそんな大人達を遠目に見ながら焚火の火の番をしていた。メアリーが静かに枝を足した。
「ねえ、私達どうなるのかな。」
少女が隣に座るメアリーに聞く。メアリーは少し言葉に詰まった後に、
「これからマリクハルに向かうことになる、と思う。あそこはまだ戦地になってないって聞いたから。」
と言った。その瞳は揺れておりいつも快活なメアリーらしくなかった。
「マリクハルかあ!街に出るのは始めてだから嬉しいな!」
少女はメアリーの様子には気が付かず、無邪気に微笑んだ。村に戻れないのは悲しいけれど、産まれてから村から出たことの無い少女は大きな街に行くのは楽しみだった。
「そう、だね…。」
「街に出たらさ、可愛い服とか珍しい本とか沢山あゆかなー、楽しみだなー。」
楽観的な少女は街に行って暫くしたら村に戻れるだろうと考えていた。
次の日、一行はマリクハルに向かって歩き始めた。妹がグズグズし始めたのを母があやしながら歩く。その顔はいつもの穏やかな母らしくなく険しい顔をしていた。そんな母を父は慰めるように支えている。
「母さん、大丈夫?具合悪いの?」
そう聞けば母は首を横に振った。
「少し疲れただけよ。……私達だけでも少し休もうかしらね。」
戦火は遠ざかっているのだし、と母が呟いて父が先頭を歩いていた村の男に伝えに行く。伝えられた村の男は沈痛な面持ちで頷いた。
「ほら、こっちに来て座りましょう。」
母が岩陰に隠れ、トントンと隣を叩く。小さな岩陰は少女達家族が座るのに丁度いい大きさだった。妹がまたグズり始めて、母がその口に胸を当てる。腹が減っていたのだろう、すぐにコクコクと小さな音が聞こえてきた。やっぱり私の妹は可愛いなあと少女が眺めていると、メアリー達の背中がどんどんと遠ざかっていく。不安そうにする少女の頭を父が優しく撫でてくれた。
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村人達と離れてどれくらい経っただろう。歩きながら少女は思った。皆と待ち合わせをしている次の村まであと少し。もう少しで皆に会える。長く歩いて疲れ切っていたけれど、そう思うだけで少女の足取りは少し軽くなった。
砂漠の向こうにうっすらと村の影が見えてくる。比較的大きなオアシスの周りに出来たその村は、少女達の村とそう変わらない大きさに見えた。少女が駆け出しそうになるのを父の大きな手が止めた。逸る気持ちを抑えながら少女はそのまま父と手を繋ぎ歩く。
「ねえ、父さん。皆に早く会いたいね。」
無邪気にそう言う娘に父は優しく微笑み小さく頷いた。
村に段々と近付いていき、その中の様子がおかしいと気が付いたのはいつの事だったか。何か揉めるような声が村からかすかに聞こえた。あの声は…メアリーの母出は無かったか。泣き叫ぶような声に少女の心は不安で押し潰されそうになる。
母や父にもそれが聞こえたのだろう、村には入らずに遠くから少し周り込むようにしてその声のする方向へと隠れながら近付いていく。
「お願いします、やめてください!!その子は違うんです!」
「煩いっ!メアリーなんて魔女みたいな名前だろう、あの子どもは魔女の子どもに決まってる!」
「可哀想にね。魔女に騙されて子どもを入れ替えられたんだよ、きっと。」
叫ぶ声とヒソヒソと言う声。何の話をしているのだろう、メアリーは人間なのに、と少女は顔を青くした。父の手の少女を握る力が強くなる。
「本当です、その子は魔女ではありません。どうか助けてください。」
近所に住むおじさんの声がした。おじさんの声は震えている。
「魔女は燃える村に置いてきました。だから此処には来ません。」
「信じられないな。」
冷たく言い放たれた言葉に、おじさんは項垂れた。
「魔女は見つけ次第処分しろと国からお達しが出ている。この子を生かして置くわけにはいかないんだ。」
そんな、と少女は心臓が凍る思いがした。そんな、メアリーは違うの!メアリーは………。駆け出していきそうになる少女を父が抑え込んだ。すまない、すまない…と小声で言う父に、少女は泣きそうになる。
「………私が魔女よ。この人達に魔法を掛けて自分の村の子どもだと思うようにしているの。だから…この人たちは悪くないわ。」
メアリー!!なんて事を!!と少女は思った。木陰に隠れて見ていた少女とメアリーの目が合った。メアリーはすぐに目を逸らすと堂々と言い放った。
「私達の村にいた魔女は婆様と私だけ。さあどうする人間ども!!お前らの事も洗脳してやろうか、それとも皆殺しにしてやろうか?」
激昂した大人達がメアリーを囲んだ。メアリーの小さな体が抑え込まれ、細い首に縄が掛けられる。大きな木に縄の端が掛けられると、ぐいっと大きな男が縄を引いた。メアリーの体から力が失われていく。ぶらんぶらんと揺れていた、だらりとした体は、男が縄から手を離すとそのまま地面にどさりと落ちた。
メアリーの母の泣き叫ぶ声が木霊する。メアリーの母は力を失った娘の亡骸を抱えて必死にメアリーの事を呼んでいた。
「私の可愛い子。私の可哀想な子!」
声を出さないようにと父に口を抑えられた少女は叫ぶことも出来なかった。そのまま木陰から引き剥がされて手を引かれて走る。
メアリー!メアリー!私の大事な友達!!少女は声を出さずに泣くことしか出来なかった。




