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額に浮かぶ汗を上質な絹で出来た艶のあるハンカチで抑えるようにして拭き取りながら男が言った。
「これはこれは王子殿下。お久しぶりで御座います。」
此処の気候はかなり暑いと思うのに、まるで11区の貴族達が着るような絹の服を男は着ていた。この男がオルディアス侯爵なのだろう。侯爵の後ろには枷の付いた女性がいる。彼女の髪色は冬の夕暮れ時の仄暗い空のような青み掛かった色だ。11区ではこの色を冥色と言ったか。髪色が青系統ということはこの魔女は水の魔法が得意なのかも知れない。魔女の髪色と得意な魔法というのは関係がある。赤い髪色の魔女なら火を使った魔法が、青い髪色の魔女ならば水を使った魔法が得意になりやすい。なりやすいというのは、魔女によっては魔法よりも呪いや薬草の扱いのほうが得意だったりする。あくまで傾向の話なのだ。私の髪色は白だが属性に限らず魔法が使える。
「オルディアス侯爵。お久しぶりです。」
戦奇様が張り付いたような笑顔を侯爵に向ける。いつもは表情の動きにくい戦奇様であるが仮にも王族だ。社交界向きの顔というのも出来るようである。ニタニタと笑う侯爵と爽やかな笑顔を見せる戦奇様。二人はこんな所で立ち話も何だからと、城の中へと向かっていく。こういった時奴隷に指示はない。指示があるまで付いていくしかないのだ。戦奇様の後ろをゆっくり付いていくと、冥色の髪の女性と目が合った。互いに目礼し主人の後ろを歩く。
そう言えばここまで成長した魔女を見るのは初めてかも知れない。大人の魔女は戦争で死んだ為残ったのは殆ど子どもだからだ。魔女はある程度の年齢になると見た目の成長が止まるので何歳か分かりにくいところがある。彼女の見た目の年齢は二十歳前後に見えたが見た目通りの歳では無いかも知れない。そうすると戦争の後にギリギリ処刑を免れたくらいの歳の可能性もある。
魔女の大半は美しい容姿をしているのだが、彼女もそれに倣うかのような見た目だった。身体にぴったりと沿うような、肩紐で吊るされたシンプルな白いリネンのドレスを着ていて、その豊かな身体のラインと絹地のように滑らかな肌の質感が薄い布越しにはっきりと分かり、艶めかしい雰囲気を出している。鎖の色は彼女の髪色より少し明るい青だ。装飾のように嵌められているトリスメラ鉱石の色はインペリアトパーズを思わせるようなこっくりとオレンジがかった色。彼女の瞳と同じ色だった。憂いを帯びた瞳に、紅く色付いた頬が色っぽい。子どもの私でも見惚れてしまうような、そんな人。
「愛花、此処で少し待て。」
巨大な扉の前で戦奇様にそう指示される。頭を下げて了解したことを示すと彼等は中に入っていった。奴隷二人だけで残されて沈黙が落ちる。
「…あなた幾つ?」
先に声を掛けてきたのは相手の方だった。
「……今年で13です。」
「まだ子どもじゃない。学園は?」
「10歳の時に卒業しました。」
女性が眉を潜め溜息を吐いて、頭を振って笑顔を作り手を差し出す。
「私はシルヴァ・アクアリエ。古の魔女の言葉で『清ならかなせせらぎ』を意味する言葉よ。今は人間風にシルヴィアと呼ばれることの方が多いけど。良かったら貴女もシルヴィアと呼んで。」
「…愛花です。愛に花でアイカ。」
そっと彼女の手を握る。
「漢字の名前なのね。珍しい。11区の出身?」
「多分そうです。……物心付いたときには11区にいたので。」
この国は別々の国が統合されて出来た国で、名前の付け方もその地域によって違う。11区は気候が穏やかで住みやすく元の国との戦争に勝った際に首都を11区に移したのだという。そこは元々は漢字を使う文化のある国であった為名付けにもその文化が残っている。王族の殆どが11区の出身であり、現在、その土地の慣習も交えて漢字で名付けられることが多いのだと言う。急に慣習を変えては地域住民に反発されることもある。多民族の統治をうまくやっていくにはそういう小細工も必要なのだと以前戦奇様が言っていた。
私は産まれたときに何処にいたのかは分からない。ただ幼い頃から愛花と呼ばれていた。魔女は本来、古の魔女の言葉で名付けられる事が多いのだが、私は戦争が終わった後の子どもだからか人間に合わせられたのだと思う。シルヴィアもそれを察してなのか私の名前に関して特に何も触れなかった。
「シルヴィアは…。」
魔女の間に敬称を付ける習慣はない。だから自然と呼び捨てをする。
彼女の年齢を聞こうとしてはっとした。女性に年齢を聞くのは失礼な事なのだと何処かで聞いたことがあった。聞かない方が良いのだろうか。
「あぁ、私は今年で26よ。戦争が終わった頃はちょうど今の貴女と同じくらいの歳だったわね。」
何処か遠い目をした彼女にそれ以上何かを聞くのは憚られた。だけど、彼女は話し続けた。
「…昔の魔女はね子どもを大切にしていたのよ。成人前の子どもを戦争に出すなんてこと、絶対にしなかったの。私も戦争には出なかった。大人達に守られていたの…だからこそ生き残ってしまったのだけど。」
生き残ってしまった、その言葉に彼女の不幸が詰め込まれているような悲痛な響きだった。シルヴィアは私よりも年上だ。今の私と同じ歳の頃に戦争が終わったのならば、戦争中もとっくに物心付いた頃だったろう。
「沢山の魔女が死んで、友達も沢山いなくなってしまったのにね。」
「子どもだったのだから出来ることは無かったと思います。」
哀しげな彼女の瞳が私を見た。
「子どもも沢山死んだのよ。仲間を守る為に戦った子もいたわ…魔女に向けられた恨みは大人だけに向くものではないから。」
前の街で会った宿の主人や、服屋の女主人を思い出す。彼等は戦争で魔女によって大切な人を殺されたのだと、服屋の主人が言っていた。恨まれるのも仕方ないと思っていたけれど、そういった恨みは戦争中ならばより激しかっただろう。魔女と分かれば子どもでも殺されてしまうくらいには。魔女だって、長い間の魔女狩りで人間を憎んでいたのだ。ただそんな事は彼等には関係ない。だって魔女は殺したって良い存在だったのだ。
「こんな話、ごめんなさいね。ゆっくり魔女と話せるのは久し振りだったから。」
苦い笑みを浮かべたシルヴィアは、次の瞬間人形のように無表情になった。
「シルヴィア。お客様を空いている部屋に案内しろ。………そこの奴隷にも部屋を貸してやれ。」
彼女の主人であるオルディアス侯爵が扉の向こうから指示すると、彼女は固い口調で承知致しましたと告げ、扉を開けて出てきた戦奇様と私に付いてくるようにと伝える。
「こちらのお部屋をご利用ください。何かあれば使用人にお声がけください。」
戦奇様の部屋は普段から客間として用意されている部屋のようで、大きいベッドに砂漠の地域では貴重だろうに大きな浴室まで付いていた。滔々と流れるお湯の音が聞こえてくる。豪華な調度品が行儀よく並べられたそこは、11区にある王宮の戦奇様の部屋にも劣らない様である。
「愛花はこちらへ。」
私に用意された部屋は戦奇様の部屋のすぐ近くにあった。使用人用としての部屋のようだ。質素なベッドと1人掛けの机と椅子が申し訳程度に用意されている。それでも駱駝小屋に比べれば大層なものである。ちなみにアフヤドは既にこの城の馬小屋で預かって貰っていた。図々しいが何気に繊細な駱駝なので馬と一緒で大丈夫だろうか、と少し心配になった。
「後で水桶を持ってくるわ。」
「ありがとうございます。」
浴室を使わせて貰えるとは思っていなかったので有り難い。体を清める為の魔法もあるにはあるが、申し訳程度の効果しかなく、そこまで清潔を保てるものではない。魔法で水を出すにしても、魔法で作った水は空気中の水分を凝縮させて出るものなので、空気中のほこりも含まれてしまう。飲水にしたり身体を洗うには濾過する必要があって面倒だ。
いつまで此処にいるかは分からないが少なくとも今日はゆっくり寝られそうだとシルヴィアの出て行った部屋で、軋むベッドに腰掛けて思う。




