第3話 初任務、そして秩序
秩序は、いつも正しいとは限らない。
けれどこの世界では、
「正しいかどうか」よりも
「守られるかどうか」で命の行方が決まる。
これは、
初めて任務に出たユウキが、
ひとつの命に触れてしまった日の話。
まだ何も守れず、
それでも確かに“救おうとした”
その始まりの記録。
朝の訓練を終えた僕は、ルーシーに案内されるまま、本部の別棟にある控室へ向かっていた。
廊下はどこか落ち着かず、外任務から戻ったばかりの実戦隊員たちの気配でざわついている。
昨日、カラレスが部屋を訪れ「明日から任務だ」と告げたばかりだ。
本部に来てまだ一週間。やったことと言えば基礎訓練ばかり。
いきなりの“実戦”に胸がざわつく。
そんな緊張をごまかすように、僕は黙ってルーシーの後ろを歩いた。
「――ここだ。ユウキ、入れ」
「え、あ……うん」
促されて扉を開けた瞬間、視線がぶつかった。
控室の中央。
椅子をゆらゆら揺らし、足をテーブルに投げ出して座る男がひとり。
こちらを上から下まで一瞥し、あからさまに眉をひそめる。
「……は?」
「は……?」
「ちっせーのが来たな」
「……え……?」
場の空気が一瞬で冷える。
初めて会う相手なのに、これが僕への“第一声”らしい。
僕は本能的に、目の前の彼を“怖い”と感じた。
怖いし、正直……苦手だ。
固まって動けない僕を見て、ルーシーが小さく溜息をつき、ぼそりと言う。
「おい、カナメ。こいつが例の新人だ。仲良くしろ」
「チッ……」
舌打ちだけで会話を終わらせる同い年くらいの少年。
その反応にますます身構えてしまう。
「ユウキ。こいつが“カナメ”だ」
ルーシーは僕の肩を軽く叩き、雑な紹介を続けた。
「お前の任務パートナー。ちょ〜っと口が悪いけど、根は悪くない」
(……そうは見えないけど!?)
心の中で全力でツッコんだその瞬間、
ふわりと鼻をくすぐる匂いがあった。
怒りとも苛立ちとも違う。
でも、その奥にほんのわずか、不安が混じっている。
――え……これが、彼の“感情の匂い”?
僕は思わずカナメを見つめる。
第一印象とは違う“揺れ”を感じて、少しだけ戸惑った。
「よ、よろしく……」
怖がってると悟られないよう、できるだけ気を張って声を出す。
けれどカナメは僕をきっと睨んだまま、ひと言も返さない。
……なんだこいつ! 怖い! 嫌い!!
「やあやあ〜、2人とも仲良くやってる〜?」
控室の扉が開き、ひょっこり顔を出したのはカラレスだった。
「カラレス! 僕こいつ嫌い!! 無理!!!」
気がついたら泣きそうな声が出ていた。
すると、その様子を見たカナメも噛みつくように吼えた。
「お前こそ何考えてんだよ!
こんなちんちくりんと任務とか、できるわけねーだろ!」
「ちんちくりんだと!?」
「ちょっとカナメ! 上司に“お前”とか言わない。
それにユウキくんいじめちゃダメでしょ〜?」
――なんか、ちょっとふざけながら言ってない? カラレス……。
「ルーシー、詳細は話した?」
「んだよ、お前が来るなら最初から説明しろよな。……めんどくせぇ」
ぶつくさ文句を言いながら、ルーシーはタブレットを操作する。
画面をスライドし、まっすぐ僕たちに視線を向けた。
「お前ら、今日の任務は――第3ブロックの巡回サポートだ。
簡単な監視任務。実質、顔合わせと初動訓練みたいなもんだな」
「は? そんなの俺ひとりでいいだろ」
カナメが即座に声を荒げる。
腰を浮かせそうな勢いで、明らかに不満をあらわにしていた。
「こいつ連れてって、何ができんだよ。
足引っ張られて面倒ごとはごめんだ」
その言葉に、胸の奥がきゅっと冷たくなる。
でも同時に、ふわりと鼻先をくすぐる匂いがあった。
苛立ち……だけじゃない。
その奥に、少しだけ混ざった“不安”の匂い。
(……なんで、不安なんて)
「っ……! 僕だって、お前なんかと……!」
反射的に言い返そうとした瞬間、
カナメの鋭い視線が僕を射抜いた。
その一瞥だけで、喉にかかった言葉がするりと引っ込んだ。…怖い。
「ふたりとも、うるさい。静かにしろ」
ルーシーの低く冷静な一喝が落ちると、
僕たちは反射的に同時に口を閉じた。
「ルーシー、さっき“巡回”って言ってたけどさ。ほんとに戦わなくていいんだっけ?」
カラレスがひょいと尋ねると、ルーシーは眉をピクリと動かしながら答えた。
「基本的にはな。第3ブロックは日本の中でも比較的静かな区域だ。
ただ、もし“異常”が発生したら対応は任せる。初任務だからこそ、お前たちの連携を見たいって話だったろ……」
そこでルーシーの額の血管がぴきっと浮いた。
「……って、お前が昨日俺に言ったんだよなぁ!? 忘れんな!!」
「あ〜〜! そうだった! ごめち☆」
ルーシーが掴みかかろうとした瞬間、
カラレスはひらりと軽い動きでそれをかわす。
「なんで俺がこんなやつと……チッ」
カナメがぼそっと吐き捨てるように言った。
口元は斜めに歪み、視線は明らかに不満で尖っている。
その苛立ちの中に――
また、あの少しだけ混じる“不安”の匂いが、僕の鼻先をかすめた。
「まあ、初任務なんだからさ! ユウキ頑張ってよ。期待してるよ」
「……うん」
「カナメもユウキと上手くやってね」
カナメは返事もせず、面倒くさそうに肩をすくめて部屋を出ていった。
――本当に、こんなやつと任務なんてできるんだろうか。
「ユウキ」
沈んだ表情を見て、カラレスがそっと僕の肩を叩いた。
「胸張って行っておいで。君はひとりじゃない。僕がいるから」
その言葉は、胸の奥にじんわりと染みて、さっきまで揺れていた不安をすこしだけ溶かしてくれた。
「うん!」
2人を残し、僕はカナメの後を追って走り出した。
「……で、あいつ、本当にできると思う?」
ルーシーの言葉に、カラレスは肩をすくめて笑った。
「さあね! でも――ユウキならきっと大丈夫。やってみないとわかんないっしょ!」
「これでなんか起きたら俺も巻き込まれるんだよなぁ……」
「ルーシー。頼りにしてるよ」
「お前まじで死んでくれ」
カラレスはその暴言すらどこか嬉しそうに受け流しながら、静かに息をついた。
――この本部を変える。
きっとユウキなら。
まずは初めの一歩だ。頑張れユウキ。
____________
制服のベストを整え、僕はロビーで小さく深呼吸を繰り返していた。
「大丈夫、大丈夫……ただの巡回。簡単な任務……」
そう何度も自分に言い聞かせながら、背負った小さな装備バッグの紐をぎゅっと握りしめる。
任務とはいえ、初めて“本当に外に出る”のだ。緊張しないはずがなかった。
「……チッ、どうせまた“あいつ”の計らいかよ。――じゃ、ちんちくりん、さっさと装備整えて集合な」
「僕の名前、ユウキだし……ちんちくりんじゃないもん……」
「あ? なんか言ったか?」
「ひっ……! な、なんでもない……」
「……チッ。任務中は余計なことすんなよ。俺が指示したことだけやれ。それ以外は黙ってついてこい」
吐き捨てるように言い残し、カナメは部屋を出ていく。
僕は少し距離をあけながら、その背中を追った。
ロビーの奥から、ルーシーが端末を片手に現れた。
「第3ブロックの巡回許可が下りた。準備ができたら出ろ。任務時間は約2時間。ログは全部記録されてるから、サボったらすぐバレるぞ」
「ハイハイ。……ほら、ちんちくりん。行くぞ」
「う、うん……」
足が震える。けれど――カラレスに言われた“胸張って行っておいで”が、まだあたたかく胸の奥に残っていた。
こうして僕たちの“初任務”が始まった――。
___________
本部を出て、久しぶりの“外の世界”へ出た。
公共交通機関を使って街中を移動するなんて、僕にとってはまだ新鮮だった。
地下鉄を出た僕たちは、少しだけ人通りのある商業地区を歩いていた。
見慣れない街の景色。久しぶりの“現世”。
胸がざわつくのは、緊張のせいだけじゃない。
山にいた頃には、ほとんど見られなかった“人間の世界”。
こんなにも大きくて、広かったんだ。
ポケットから通信端末――ノックスを取り出して、しげしげと眺める。
「これ……スマホ、みたいだよね」
思わず呟いた僕に、前を歩いていたカナメが視線だけを寄越した。
「“みたい”じゃねえ。ノックスっていう、本部支給の端末。
情報管理も通信も、全部これでやる」
「ノックス……かっこいい名前だね」
「……はあ。お前みたいな新人が持ってても、ロックかかってる機能ばっかだけどな」
「え、なんで?」
「使えるようになるには、上の認証が必要だ。本部が“使っていい”って判断した分だけ解除される」
「あ……そっか。そうなんだ」
「てか、お前、そんなことも知らねえのかよ」
「っ……! そ、そんなこと言わないでよ!」
「あ?」
「う……」
僕のノックスの画面には、時刻と最低限の通信履歴しか表示されていない。
たまに通知が来ても、大抵は“閲覧不可”と出る。
「中には、感情反応を解析する機能もある。“キラーストーン”の現場じゃ役立つ」
“キラーストーン”。
本部に来てから何度も耳にする言葉だった。
カラレスに教えてもらった話では、感情に共鳴して色が変わる石――らしい。
「えっ、僕、それ使えるのかな……?」
「さあな。自分のやれることだけやれ。……足引っ張んな」
冷たく聞こえるはずのカナメの声は、どこか諦めたような響きが混ざっていた。
そのとき、ふわりと鼻をかすめたのは――
かすかな「不安」と「警戒」の匂い。
カナメの、だ。
そうこうしているうちに目的地に到着した。
だが、そこは特別な施設でも、異様な雰囲気のある場所でもなかった。
ただ――人がちらほら通り過ぎる、普通の路地裏の近く。
(……ここに、一体何があるの?)
肩に乗った緊張が、少しだけ拍子抜けしたみたいに揺らぐ。
「ねぇ、僕たちの任務って……普通に、人がいる場所なんだね」
前を歩くカナメに小声で尋ねると、彼はわざわざ振り返りもせずに答えた。
「……本部では“現世”って呼んでる。
任務のほとんどはこういう場所だ。常識だろ」
「うっ……そんな言い方しなくても……」
返すと、カナメは小さく舌打ちしただけで何も言わなかった。
そのくせ、彼の背中からは――
微かな「緊張」と「警戒」の匂いが立ちのぼっていた。
(……カナメも、初任務で僕を連れてるから不安なのかな)
胸の奥がぎゅっとなりながらも、僕は足を止めずに横に並んだ。
「おい、ウロウロすんな!こっちだ」
「わ、わかってるよ!」
僕らは歩いて第3ブロックの巡回を開始した。
歩きながら辺りを見回すと、道端に座る子ども、行き交うサラリーマン、カフェで談笑する人たち――
ごく普通の街の風景が広がっていた。
特に変わった様子はなく、本当にただ巡回するだけの任務になりそうだと思った。
(あれ……なんだろうこの匂い)
ふとすれ違った女子高生の方から、
仄かな怒りと――殺意の匂いがした。
それは強烈なものじゃない。
甘くて、苦くて、押し殺された感情の奥に、
刃物のように冷たい何かが潜んでいる。
気になって、思わず足を止めた。
「おい、なに急に立ち止まってんだ」
少し先を歩いていたカナメが、苛立った声で振り返る。
「カ、カナメ……! あの、今の人……」
言葉を探して、喉が詰まる。
「……なんか、変だった……」
「“変”?」
その一言だけで、空気が冷えた。
カナメは眉をひそめ、
そんなことで俺を止めるな、と言わんばかりの鋭い目つきを向けてくる。
「一般人だろ。巡回中にいちいち気にしてたらキリねぇぞ」
吐き捨てるような言い方。
けれど――その視線は、もう一度だけ、
さっきの女子高生が歩いていった方向へ流れた。
「……匂いって、どういう意味だよ」
カナメの声が低くなる。
「え、なんか……その人の気持ち、みたいな……」
自分でも説明できなくて、語尾が曖昧になる。
「は?」
一拍置いて、カナメが噛みつくように声を荒げた。
「そんなもん分かるわけねぇだろ。
ふざけてんのか? お前」
一歩近づいて、睨みつける。
「半獣化できるからって、
人の中身まで分かった気になるなよ」
その言葉が、胸に突き刺さる。
「……っ、ちが……」
「ただの獣だろ。
“感じる”とか、そういうのは――人間の領分だ」
「……っ!」
胸の奥が、きゅっと縮む。
「ぼ、僕だって……!」
言い返したはずなのに、
言葉の続きが、どこにも見つからなかった。
違う、と言いたい。
でも――何がどう違うのか、自分でも分からない。
そのときだった。
ピッ、と短く乾いた音がして、
ふたりの間に割って入るように、ノックスが鳴った。
反射的に、僕とカナメは同時に端末へ視線を落とす。
画面に表示されたのは――
《感情反応検知》の文字。
続いて、解析対象の項目が自動で展開される。
――キラーストーン反応。
小さなマップの上で、
ひとつのポイントが赤く、規則的に点滅していた。
「……赤?」
カナメが、低く呟く。
それは警告色だった。
訓練中、何度も叩き込まれた“危険域”。
偶然じゃない。
さっきすれ違った――あの女子高生の位置と、重なっている。
カナメは、さっきの女子高生が歩いていった方向を、黙って目で追った。
それから何も言わず、ノックスを取り出す。
指先だけで操作し、短く通信を開いた。
「……こちら第3ブロック巡回。
キラーストーン反応を検知。赤だ」
一拍。
「対象は一般人。詳細はこれから確認する」
通信を切ると、カナメは小さく舌打ちをした。
カナメは何も言わず、歩き出した。
それを合図にしたみたいに、
僕も慌ててその背中を追う。
人通りの多い通りを抜け、
さっきの女子高生の後ろ姿が見えた。
制服姿。
イヤホンを耳に突っ込み、
スマホを握りしめている。
――普通だ。
どこにでもいる、普通の女子高生。
「……すみません」
声をかけたのは、カナメだった。
女子高生が振り返る。
その瞬間、僕の鼻を突く匂いが強くなる。
甘ったるくて、焦げたみたいな――
感情が、限界まで煮詰められた匂い。
「ちょっと、お話――」
カナメが一歩近づいた、そのとき。
「……触らないで!」
甲高い声と同時に、
女子高生は彼の手を強く振り払った。
次の瞬間、
彼女は踵を返し、ものすごい勢いで駆け出した。
「――っ、待て!」
カナメの声も届かない。
人混みを縫うように、
彼女は必死に、逃げるように走っていく。
ユウキは、その背中を素早く追った。
半獣の力を宿す脚が地を蹴り、距離は一瞬で詰まる。
――えっと、何をすればいいんだっけ……。
一瞬の迷い。それでも反射的に、彼女の腕を掴み、保護しようとする。
だが、次の瞬間――
「離してっ!!!」
鋭い拒絶の声と同時に、掴んだはずの腕を、逆に掴み返された。
「うわあ!!!」
次の瞬間、視界が反転する。
人間のものとは思えない膂力で投げ飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
息が詰まる。
衝撃が、遅れて全身を駆け抜けた。
――強い。
いや、これは……“普通じゃない”。
跳ね起きながら、ユウキは彼女の背を見た。
逃げる気配はない。
むしろ、こちらを警戒する獣のような目で睨みつけている。
(保護対象、だよね……?)
ユウキはそう自分に言い聞かせ、なんとか彼女を捕獲しようと試みた。
その瞬間、カナメが前に出る。
右手に、見慣れない装備をはめて。
五本の指すべてに指輪が嵌められ、その指輪はチェーンで手首のブレスレットへと繋がっている。
ブレスレットの中央には、青く淡く光る石がはめ込まれていた。
――悲しみの匂い。
その石から、確かに感情の気配が立ち上っている。
カナメの使う武器らしい。
カナメが手を開閉すると、石が微かに脈打ち、彼女の動きが一瞬だけ鈍くなった。
どうやら力で直接抑え込んでいるわけではなく、動きを制限しているようだった。
だが彼女はそれを振り払う。
一気に距離を詰め、カナメの腕を掴もうと手を伸ばした。
――危ない。
その手が届く寸前、ユウキは彼女に思いきり体当たりした。
はね飛ばされた彼女は体勢を崩し、地面に足を取られる。
「お前……俺に余計なことすんな!」
「だって!あの子の力、尋常じゃない!
さっきので掴まれてたら、腕取れてたよ!」
ユウキは直感でそう悟っていた。
先程、腕を掴まれた瞬間。
妙な引力とともに、骨が軋むような感覚が走ったのだ。
獣の勘。
――あの少女の中の器には、明らかに収まりきらない力がある。
ユウキは掴まれた瞬間に身をひねり、反射的に力を逃がしていた。
それがなければ、今ここに立っていなかったかもしれない。
普通の人間であるカナメなら。
あの力を正面から受ければ、簡単に壊れてしまう。
ユウキは再び襲いかかろうとする彼女を止めるため、保護のつもりで一気に距離を詰めた。
「おい!それ以上近づくな!!」
カナメの制止が届いたときには、もう遅かった。
彼女はユウキの首を両手で掴み、そのまま持ち上げる。
気道を容赦なく締め上げられ、息が詰まった。
「あっ……がっ……っ……!!」
嗚咽混じりの音が喉から漏れる。
人間が出している力とは思えない。
首ごと、へし折られそうなほどの圧力だった。
カナメは彼女の力を抑え込むため、キラーストーンの武器をさらに強く作用させる。
だが、それでも彼女の勢いは衰えない。
注意を逸らそうと踏み込めば、
今この瞬間に力を緩めることになる。
そうなれば――
押さえ込んでいた制御が外れ、ユウキの首が折れるのは確実だった。
するとユウキは、全身の力を振り絞り、歯を食いしばった。
歯茎が裂け、血の味が口いっぱいに広がる。
それでも両手を伸ばし、彼女の手首を掴んだ。
爪をむき出しにしたユウキは、そのまま彼女の腕に深く食い込ませる。
だが――それでも、締め付けは一切緩まない。
流れ込んでくる感情の匂い。
殺意。苦しみ。怒り。
――重い。
胸の奥に沈殿するような感情の奔流に、むせ返りそうになりながらも、ユウキは必死に抵抗を続けた。
そのときだった。
突然、全身の血が煮えたぎるように巡り始める。
熱い。
熱い。
熱い、熱い、熱い……!
次の瞬間。
ユウキの全身から、炎が噴き出した。
まるで内側から溢れ出すように、炎は彼の身体を包み込み、さらに彼女の体にまで燃え移る。
激しい熱と光が周囲を焼き尽くす。
「ぎゃあああっ!!」
叫び声とともに、彼女はユウキを突き飛ばし、地面に転がりながら悶え苦しんだ。
カナメは一瞬、呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我に返る。
「おい!大丈夫か!!」
ユウキの元へ駆け寄り、膝をつく。
「ゲホッ……ゲホッ……!!
うぇっ……!!」
激しく咳き込みながらも、ユウキは辛うじて呼吸を取り戻していた。
「……生きてるな」
その声に混じる、かすかな安堵の匂い。
視界は酸欠で白く滲み、輪郭が揺れている。
その中で――彼女が、地面に伏しながらもこちらに向けて放つ、とてつもない殺意だけははっきりと感じ取れた。
……立ち上がらなければ。
そう思うのに、身体が言うことをきかない。
指先一つ動かせなかった。
そのとき、ノックスが再び鳴り響く。
今度は、明らかな警告音。
表示された数値は、異常な速度で跳ね上がり、限界値に迫っていた。
「まずい……」
カナメが歯噛みする。
「このまま“レヴェリア”を開く気だぞ、あいつ……!」
(レヴェ……リア?)
意味の分からない単語が、霞む意識の中で引っかかる。
ノックスの警告音が、耳障りなほどに響く。
視界の端で、空気が揺れた。
まるで世界そのものが、薄い膜一枚を隔てて裏返ろうとしているような感覚。
感情の匂いが、変質していく。
怒りでも、殺意でもない。
言葉にならない“何か”。
「……来るぞ」
カナメの声が、緊張で硬くなる。
その瞬間だった。
「――ごめんごめん、遅くなった」
低く、静かな声。
揺らいでいた空気が、ぴたりと止まる。
炎の向こう側に、いつの間にか一人の男が立っていた。
白髪に、落ち着いた眼差し。
カラレスだった。
「2人ともよく頑張りました」
そう言って、彼は一歩、前に出る。
指先を拳銃のように突き出した瞬間、
カラレスの指先から淡く輝く光が放たれた。
それは線ではなく、無数の微細な粒子。
砕いた宝石の粉のような光が空中を滑るように飛び、彼女の身体に触れる。
触れたその一点から、
ぱきり、と小さな音を立てるように結晶が生えた。
氷が水面を覆っていくみたいに、
結晶は彼女の腕、肩、胴へと瞬く間に広がっていく。
逃げようとした脚も、
叫ぼうと開いた口も、
その動きごと閉じ込めるように。
青白く透き通った結晶が身体を覆い、
彼女は完全にその場で凍りついた。
――生きたまま、動きだけを奪われて。
「……すごい……」
「ユウキ、大丈夫?」
軽快に尋ねるカラレスは普段通りの雰囲気と明るさだった。
「来るの遅いですよ」
悪態をつくカナメ。
「いや〜こんな案件出てくると思わなくってさ〜」
ごめんごめんとあまり反省してい無さそうなカラレスだった。
とにかく、無事にあの子が保護されるようで良かった。誰も死んでいない。
カナメの方を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
その視線に気づいたカナメは、嫌そうに目を細め、げっそりとした表情を浮かべた。
その一瞬で、胸の奥が冷える。
ムッとしたユウキは、反射的にぷいっと顔を逸らした。
――やっぱり。
さっきの姿を見てしまったからだ。
爪を剥き出しにして、炎を纏って、獣みたいに暴れた自分。
半獣の力。
人間じゃない証拠。
あんなものを見せられて、気味が悪くならないはずがない。
怖いと思わないはずがない。
(……やっぱり、嫌われた)
胸の奥で、静かに何かが沈んでいく。
自分は“保護対象”で、
“使われる側”で、
“理解されなくても仕方のない存在”。
それを思い出しただけなのに、
喉の奥がきゅっと詰まった。
肩を落とし、視線を伏せていると。
ふっと、優しい声が降ってきた。
「……ありがとな」
ぽそりと、ほとんど独り言みたいな声。
顔を上げると、カナメは相変わらず仏頂面で、
不服そうに眉をひそめたままだった。
けれど、鼻をかすめた匂いは確かだった。
安堵と、感謝。
(……あ)
胸の奥に溜まっていた重たいものが、すこしだけほどける。
嬉しくなって、思わず満面の笑みで頷いた。
「うん!」
「んだよ!突然気持ち悪りいなー!」
「気持ち悪いってなんだよっ!」
いつも通りの言い合いに発展して、
張りつめていた空気が、ほんの少し緩んだ。
その様子を横目に、
カラレスが静かに彼女の方へ歩み寄っていくのが見えた。
カラレスの結晶によって固められた彼女は、
身動きひとつ取れないまま、ぐったりと力を失っていた。
呼吸はある。
生きてはいる――はずだ。
カラレスはその傍らに立ち、小さく何かを呟いている。
けれど距離があって、その言葉までは聞き取れなかった。
(……何を、言ってるんだろう)
気になった、その瞬間。
「おーい! 二人とも無事かー」
間の抜けた声が響く。
振り返ると、そこにはルーシーがいた。
どうやら車で迎えに来てくれたらしい。
「ルーシー!」
「お〜、派手に怪我してやがるな。うける」
そう言いながらも、視線は素早く二人の状態を確認している。
「よし、お前ら車乗れ。とっとと帰るぞ」
促されて、ユウキはカナメの後を追い、車へ向かおうとした。
――けれど。
ふと、足が止まる。
視線が、どうしても彼女の方へ向いてしまった。
結晶に閉じ込められたまま、
静かに横たわるその姿が、脳裏から離れなかった。
(……あの子、これから……)
胸の奥に、小さなざわめきが残ったまま――
ユウキは、どうしてもそれを口にせずにはいられなかった。
「カラレス……あの子は、どうなるの?」
一瞬だけ、カラレスの視線が少女の方へ向く。
ほんのわずか――考える間があってから、いつもの調子で答えた。
「ん? ああ、ユウキのおかげで暴走は止まったし、
こっちで手当したら、現世に返す予定だよ」
まるで、当たり前のことのように。
「だから心配しなくていい」
そう言って、ユウキの頭をくしゃっと撫でる。
その手の温かさに、胸のざわめきがすこしだけ和らいだ。
「……そっか」
「ほら、早く乗れ」
カナメに急かされ、ユウキは名残惜しそうにもう一度だけ振り返り、
それから車に乗り込んだ。
扉が閉まる。
外に残ったのは、ルーシーとカラレス、
そして――結晶に包まれたままの、あの少女だけだった。
「侵食具合は?」
ルーシーは淡々と問いながら、手元のタブレットを操作した。
冷たい光が画面に走り、数値とグラフが無情に並ぶ。
「……ダメだね。完全に自我崩壊って感じ」
カラレスは少女の姿を一瞥すると、諦めたように、けれどどこか軽く言い放った。
「そこまでキラーストーンを体内に取り込んでたのか。普通なら途中で死んでる」
「さあね」
肩をすくめる。
「どっちにしても、もう手遅れだ。こっちで処分する」
一瞬、空気が止まった。
「……あいつには、なんて?」
「ユウキ?」
カラレスは少し考える素振りを見せてから、いつもの調子で答えた。
「まだ言わなくていいよ」
そう――
ユウキが救ったこの命を、このあと自分たちの手で消してしまうなんて。
そんな残酷な事実を、今はまだ知らなくていい。
本部が求めるのは、秩序。
救うか、救わないか。
選択する権利すら、僕らには与えられていない。
今の僕らは、自分で選んだ命を助けることさえできない。
それでも――
いつかこの本部を変える。
君が救おうとしたその命を、
「間違い」じゃなかったと証明できる場所にする。
その時は、僕も一緒に助けるから。
だが今はまだ、
本部オルドは“秩序”を優先する。
それが、僕らの現実だった。
救おうとしたことは、
本当に「間違い」だったのだろうか。
その答えは、
今のオルドにはまだ用意されていない。
けれどこの夜、
確かに誰かの命を想った感情だけは
嘘じゃなかった。
それがいつか、
秩序よりも先に手を伸ばせる理由になると、
彼らはまだ知らない。




