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家族

 むかしむかし、この大陸がまだひとつの大きな国だったころ。


 南の果ての半島に黒き凶星が落ち、そこから魔王が生まれました。


 魔王の瘴気は半島を不毛の荒野に変え、瘴気は魔物を生み出して人々に害を成しました。


 そんなとき、北の果ての湖に女神様が降り立ち、一人の勇気ある若者に聖なる剣を、一人の敬虔な少女にご自分の力を託しました。


 若者は聖なる剣で魔物を倒し、人々を助け、勇者と呼ばれるようになりました。


 少女は女神様の力で人々と勇者を癒し、守り、聖女と呼ばれるようになりました。


 勇者と聖女は仲間を募り、つらい旅の果てに魔王を追い詰めます。


 勇者たちは死闘の末、聖剣によって魔王を半島の中心に封印しました。


 聖女は豊穣の力で不毛の半島を森に変えると、魔王から漏れ出る瘴気が大陸へと広がらないようにしました。


 それから勇者と聖女は結婚して、大陸の中心にスノーレイク神聖王国を建国しました。


 仲間たちも各地に散らばってそれぞれの力を生かした国を興し、平和のために協力することを誓いました。


 しかし、忘れてはなりません。魔王は決して滅びたわけではないのです。


 魔の森では、聖女の力をもってしても抑えきれない魔物たちが、今も人の国を狙っています。


 人々が平和のために手を取り合うことを忘れれば、世界は再び邪悪の者が跋扈する恐ろしい世へと変わってしまうのです。


 富を分かち合い、隣人を愛し、弱きものに手を差し伸べなさい。


 正しい行いを続ければ、女神様の加護は永遠に続くことでしょう。




 教会の講堂で子供向けにアレンジした聖典を読み聞かせたステラは、聞き手の子供たちを見渡した。最前列中央で誰よりも瞳を輝かせているアレクサンダーと目が合うとちょっと照れ臭くなって笑い、ごまかすように咳払いする。


「みんな、お話を聞いてくれてありがとう。大陸の話が出たから、地図の復習もします」


ステラの背後には、大きな大陸地図が掲げられている。翼を広げた鳥のような形の大陸には各地の特徴がイラスト入りで描かれており、ステラは大陸の中央部分、鳥の胴体にあたる場所をぐるりと指で示した。


「このスノーレイク神聖王国は、大陸のちょうど真ん中あたり。南北に長いのが特徴で、大陸を鳥に見立てて嘴の部分が女神様の聖地、聖なる泉です。先生も何度かお祈りに行ったことがあるけれど、雪が降っても凍らない聖水の泉なんですよ。


王都は大陸の真ん中から少し北上した、このあたり。王様のお城があって、とてもにぎやかです。


南の尾羽にあたる半島が魔の森で、尾羽の付け根からこの辺りまでが辺境伯領。魔の森の浅い場所では、辺境伯様たちがいつも頑張って魔物を倒してくれています」


「せいじょせんせー!キャロルだんしゃくりょうは、どこですか?」


子供たちの一人が手を挙げて質問すると、ステラはにっこり笑って大陸の南東部、鳥の右足を指さした。


「キャロル家の領地は、ここ。北の入り江の漁村ではお魚がよく捕れます。聖女先生の故郷です!」


ステラが胸を張ると、子供たちが口々に「しってる!」「村のお魚おいしい!」と笑いあう。そのざわめきが収まるのを待って、ステラは話を続けた。


「男爵領はこんな風に、海と山に囲まれているから辺境にしては魔物の被害が少ない土地です。晴れた日には南の海に魔の森の半島を見たことがあるかもしれませんね」


すると子供の一人が手を挙げた。


「ぼく、まのもりのはんとー、みたことある……こわかった!まもの、海をおよいできたり、しませんか!?」


おびえるその子を安心させるように、ステラは微笑んだ。


「魔物は海を渡って来れないから、大丈夫ですよ」


「どうして?」


「うーん、女神さまの泉の聖水が海に流れ込んでいるから、というのが定説だけど、相当薄まっているはずだから他にも理由があるのかも……」


はっきりしない答えに不安そうな子供たちに気づいて、ステラは内心少し慌てた。


「怖いかもしれないけど、女神様の教えを守って正しいことをすれば、辺境伯様たちが守ってくださるから大丈夫。みんないっぱい遊んで食べてお勉強して、お友達と仲良くして、お手伝いも頑張りましょう」


はーいと子供たちが良い子のお返事をすると同時に、教会の鐘が鳴った。授業の終わりの合図である。本日の当番の子の掛け声で子供たちが立ち上がり、「ありがとうございました!」と頭を下げる。


最前列でいつまでも頭を下げ続けるアレクサンダーに、


「お兄ちゃん、もう帰っていいんだよ?」


女の子の一人が不思議そうに首を傾げ、


「新入りはとろいなぁ」


生意気盛りの男の子がアレクサンダーの腕を突っつく。


(待って、そのひと国王陛下!!!不敬罪!!!)


ステラは内心で悲鳴を上げるが、当のアレクサンダーは


「わかりました先輩!教えてくれてありがとう」


と、キラキラしい笑顔である。女の子がぽっと頬を赤らめ、男の子がつまらなさそうに


「もう行くぞ」


と彼女の手を引く。なんとも甘ずっぺぇやり取りに頬を緩めたステラは、アレクサンダーの隣に立って講堂を出ていく子供たちを見送った。彼女に気づいたアレクサンダーが、満面の笑みで飲み物を差し出す。


「ステラ、お勤めお疲れさまでした!本当に、本当に素晴らしい授業でした!!!叶うなら幼い頃の僕もここで授業を受けたかった!!!」


「ありがとう、アレク君。でも、そんなこと言うとレオナルド様が泣いちゃうよ……?」


「泣かせておけばいいんですよ、おじい様なんて!そんなことよりどこが素晴らしかったというと」


偽装結婚の件をいまだに許していないアレクサンダーは祖父に対して冷たい一言を放つと、一転して熱心な早口でステラを褒め称え始めた。二人の背後に控えていた近衛騎士が、「推しのライブ帰りかな?」と独り言ちる。


「アレク君、待って、嬉しいけどちょっと止まって!」


放っておくと永遠にしゃべり続けそうなアレクサンダーを、ステラは真っ赤になって押しとどめた。


「褒めすぎ褒めすぎ。私はまだ教本の説明で精いっぱいで、お義姉様のほうがずっと教えるの上手なんだよ?この地図とか授業で使う教材も、全部お義姉様が作ってくださったんだから」



 ステラとアレクサンダーが男爵家に滞在して本日で三日目。必要な話し合いは終わったので、二人は護衛と侍女を伴い、商家のお嬢様と若旦那のような服装でお忍びを楽しんでいた。その一環で訪れたのが教会だ。


教会では男爵家の女性たちが孤児や領民の子供たち相手に簡単な神学、読み書きに計算、地理や歴史を教えている。本来は義姉の担当日だったのだが、治癒を受けてもなんだか体調が優れない、という彼女に代わり今日はステラが教師を務めることにした。


これをぜひとも拝聴したいとアレクサンダーが言い出し、国王という身分を隠して先ほどまで最前列を陣取っていたのだった。


「お義姉様、教え方も丁寧でわかりやすくて。私が曲がりなりにも貴族令嬢に擬態できるのはお義姉様の教えが大きいと思う」


「確かにこの教材、見たことがなくて面白いです」


子供たちが教会に隣接する孤児院や家に帰ったあと、二人は教材を片付け始めた。文字を覚えるためのカードや算術に使う駒に、アレクサンダーは興味津々だ。


「いつか、民に開かれた学舎を作りたいと考えているんです。これと同じ教材、文官たちに作らせてもかまわないかな……?」


「素敵な考え!帰ったらお義姉様に頼んでみよう?……あっ」


本棚へ教本を戻していたステラは踏み台の上で勢いよく振り返り、バランスを崩してよろめいた。すかさずアレクサンダーが片腕で彼女を抱きとめ、もう片手で落ちかけた本を戻す。


「お怪我はありませんか?」


「う、うん、大丈夫……ありがとう」


見上げれば思いのほか近くにアレクサンダーの整った顔があり、ステラは真っ赤になって床に降りた。そんな彼女の反応に感化されたように、国王陛下も耳まで真っ赤になる。


「そ、その……高い場所は僕がしまうので、場所だけ教えてください」


「は、はい……よろしくおねがいします」


なんだか二人して気恥ずかしいやら気まずいやら、しどろもどろに片づけを再開する。


(うぅ、恥ずかしい、私、重くなかったかな!?あのころに比べてだいぶ、増えたし……!!)


子供のころはやせ細っていたステラも、十分に食べられてストレスがなくなった現在は健康的な体つきになった。特に胸周りとかお尻周りとか。こいつ太ったなとか思われていたらどうしよう、とアレクサンダーに限って絶対にありえない心配をしている大聖女様。


一方で、健全な青少年たる国王陛下も静かに羞恥と混乱のさなかにいた。


(ステラ、ものすごくいい匂いがした……それに柔らかくて大き……や、やめろ何を考えているアレクサンダー・スノーレイク!!!女神のお膝元でなんて破廉恥な!!!)


脳内で壁にガンガン頭を打ち付け煩悩を追い払うアレクサンダー。近衛騎士が生暖かい目で主たちを眺め、片づけを手伝う侍女もにやにやとしながら二人を見比べている。


そうこうして片づけが終わったころ、講堂に新たな人物がやってきた。


「聖女様、よう来てくださった。子供たちも久々に聖女先生の話が聞けて、喜んでおったよ」


祭服を纏った好々爺は、この教会の主だった。ステラを大聖女に任命した聖職者でもある。


「おじいちゃん神父様、こんにちは!」


ステラはぱたぱたと駆けだし、目の前の人物が実は中央教会の元司祭だったことを思い出して口元を抑えた。


「申し訳ありません、神父様。中央の司祭様だったなんて、知らなくて……」


大聖女の授与時に高位のお方なのかも、とは思っていたのだが、調べてみたところ老神父は中央教会の最高位に近しい司祭だった。かつての無知をステラが謝ると、老神父は鷹揚に手を振った。


「なんの。今はただの田舎教会の爺じゃよ。レオナルドとは昔馴染みでな、その縁でアレク坊にこの教会を頼まれたのさ」


アレクサンダーもステラの隣にやってきて、気まずそうに頭を下げる。


「ご無沙汰しております、神父様。その節は、無理を申し上げました」


「こらこら、王様ともあろうものが、そう簡単に頭を下げちゃいかん。気にすんな、中央で権力争いしているよりも、ここで自由に修練に励む方が性に合っておる」


呵々と笑った老神父は、腕を組んで感慨深そうに頷いた。


「それにしても、小さかったあのアレク坊がもう結婚とはなぁ。わしも年を取るわけだ」


「結婚式は、一年近く先ですよ?」


先日の話し合いで、結婚はアレクサンダーが十八歳の成人を迎えてから、それまでは婚約期間と定められたばかりだった。王の婚姻として急ぎ気味のスケジュールだが、それでも今すぐ結婚というわけではない。


「この年になりゃぁ、一年も一日も大して違わないのよ。まだあと一年もあるなんて言っていたら、あっという間に結婚式だぞ?ほらほら、信心深いことはいいことだが、若いんだから遊んで来い、二人とも」


老神父は近所のじいさんのような気安さでステラたちを促した。二人は顔を見合わせ、なんだか気が抜けて笑いあい、神父に別れの挨拶を述べた。


外に出ると、春爛漫の陽光が室内に慣れた目にまぶしい。素朴な花の咲き乱れるのどかな田舎町を、ステラたちは目的もなく歩き始めた。



 ここは町の商店街、あの店は評判の食事処で、こちらは町民の生活を支える雑貨屋さん。時折ステラの案内を挟みながら町を見て回っていたところ、思わず、というようにアレクサンダーが呟いた。


「……よかったのでしょうか?」


「うんー?何が?」


半分独り言のつもりだったので、聞き返されたアレクサンダーは少し逡巡した。


「その、昨日の話し合いのことです。結局ステラは辺境伯家の養女にはならず、キャロル男爵家の娘として王家に嫁ぐことになったでしょう?」


老神父が結婚について触れてから、アレクサンダーが頭の片隅で考えていたことだった。


キャロル家を軽んじるようで心苦しいが、王妃となるステラの後ろ盾としては弱すぎるのではないか。いらぬ苦労をさせてしまうのではないか。


もちろん城ではステラの味方を厳選しているし、アレクサンダーが全力で守るつもりではある。しかし、何事にも絶対はあり得ない。


下級貴族の出身で苦労したと聞いている実母のことがよぎり弱気になっていると、ステラがアレクサンダーの手を取った。


「向こうの公園で、ちょっと座って話そうか」


町では男爵家の私有地がいくつか、憩いの場として領民に開放されている。義姉の発案だという大型遊具が設置されている場所もあり、ステラが案内したのもそんな公園のひとつだった。


遊具で遊ぶ子供たちを横目に二人はベンチへ並んで腰かけ、騎士と侍女が背後に控えた。


「私は、結婚後も生みの両親になるべく気兼ねなく会いたいの。辺境伯家の方々のことは尊敬しているけれど、寄親になってしまったら、一男爵家の使用人と会うのはずっと難しくなってしまうでしょう?それを言うなら君との結婚を諦めろって話だけど、アレク君との結婚をあきらめるのも嫌」


わがままでごめんね、とステラは謝り、アレクサンダーは大きく頭を振った。


「ステラのわがままなら、どんなことだって叶えます」


「ありがとう。でも男爵家から王家へ嫁ぐと自分で決めたから、それが原因で被る火の粉は自分で払わなきゃ」


静かな決意を秘めた蜜色の瞳を見つめ返し、アレクサンダーは拳を握った。


「では、キャロル家を伯爵あたりに陞爵させれば……」


「ううん、それはかえって家の迷惑になる。……ただでさえ田舎の下級貴族が聖女を出したって嫉妬されかねないのに、今以上の富や名声を持たされてもキャロル家には悪意を跳ね除ける力もないもの」


特権階級の醜悪さを子供のころから見てきたアレクサンダーには、そんなことはない、とは言えなかった。


黙り込んだアレクサンダーから視線をそらし、ステラは公園で遊ぶ子供たちを眺めた。時折、「聖女様!」と手を振る子供たちに手を振り返して、囁くように語る。


「私にもお兄様にも、血のつながった兄弟はいないでしょう?」


「……?はい」


「本当は、違うはずだったの。私が小さいときお母ちゃんは三回子供を産んだけど、あのころは家が貧しすぎて、三人とも無事に育たなかった……」


思いがけない告白に、アレクサンダーは目を見張った。


「お兄様もそう。本当はご兄妹がいるはずだったのに、上のお兄様は魔物討伐で戦死して、妹君は小さいとき風邪をこじらせて亡くなってしまったって」


領主ですら子を亡くすのが当たり前だったという辺境の厳しい現実を聞かされて、アレクサンダーは情けないことに何を言えばいいのかわからなかった。


「それでもこの領地の人たちはみんな暖かくて、子供は宝として助け合って育ててきたよ。私が聖女になって、ようやく死んでしまう乳幼児が減ってきたところだったのに……貴族の政争なんかで、あの子たちの笑顔を奪いたくない。私は、今のままのキャロル家を守りたいの」


短くはない沈黙の後、口を開いたのはアレクサンダーだった。


「ステラの考えはわかりました。貴女らしい、民を想う、とても慈愛深い考え方だと思います。……けれど、今後の可能性まで閉じてしまうのは、もったいなくはありませんか?」


「もったいない……?」


「例えばステラが公爵家にさらわれた時。キャロル家がもっと高位の貴族だったら、お父上は腕を失うことなく、ステラも穏当に保護してもらえたのではないでしょうか」


「……それは……」


「権力は諸刃の剣ですが、正しく使えば守れるものも多いです。


確かに今のキャロル家が急に高位貴族の力を持てば軋轢が多く、他家に潰されてしまうかもしれない。けれど、僕は苦境にあっても他者を思いやることができる、この土地の人々の強さに希望を感じました。


領主一家の高潔さをきちんと周囲に示していけば、キャロル家はいずれ王妃の実家にふさわしい名家になれると思うから……権力を拒絶し続けるのも、もったいないなって」


ステラはその言葉をかみしめるように熟考して、立ち上がった。


「そうだね、アレク君の言うとおりだ。そもそも陞爵を拒否する権利があるとすれば当主であるお父様なのに、養女に過ぎない私が出過ぎた心配だった。王妃になるって覚悟を決めたつもりなのに、やっぱり庶民感覚が抜けてないなぁ……。情けない婚約者で、ごめんなさい。」


「謝らないでください。話してくださって嬉しかったです」


そういってアレクサンダーも立ち上がり、ステラの隣に並んで手を差し出す。


「わからないことや不安なことがあれば、相談しましょう。お互いの足りないところを補うのが夫婦だと、思うから」


「……うん。よろしくお願いします」


手をとって微笑みあった二人は、いつの間にか子供たちに囲まれていることに気づいて我に返った。


「せいじょさまとお兄さん、いいふんいき?」


「ちゅーする?ちゅーする?」


わくわくどきどき、という効果音が非常に似合うまなざしで見上げられ、ステラは叫んだ。


「し、しません!大人をからかわないの!」


せいじょさまがおこった!にげろ!と笑いながら、一目散にかけていく子供たち。まったくもう、とステラはため息をつき、気を取り直してアレクサンダーを振り返る。


「そろそろ行こうか。まだ紹介したい場所がたくさんあるの」


「はい」


ところが数歩もいかないうちに、こちらへ向かって走ってくる人影があった。男爵家の嫡男である。


「お兄様?」


「陛下、散策中に申し訳ございません。ステラもすまない。だが、どうか、はやく家に帰ってくれ!!!」


いつもは穏やかで冷静な彼が、ステラが見たことないほど取り乱していた。焦燥に満ちた声で、妻が倒れた、と訴える兄。


「お義姉様が……!?」


驚愕するステラの肩を抱き、アレクサンダーが転移の魔道具を発動させる。一瞬で男爵家の屋敷へ戻ったステラは二階の義姉の部屋へ目指して階段を駆け上がり、アレクサンダーも後に続いた。


「お義姉様!!!」


「うぇえええええぇえええっ!」


扉を開けたステラが見たものは、自室のソファに寄りかかり、桶を抱えて吐き戻す義姉の姿だった。その背中を男爵夫人とステラの実母が支えて撫でさすり、医者が思案気に三人を見下ろしている。


「先生、お義姉様の容態は!?」


「お邪魔しております、聖女様。おめでとうございます。若奥様はご懐妊です」


「ご、かいにん……?」


義姉に向かって治癒の力を放ったステラは、医者の言葉を間抜けに聞き返した。


「若奥様はつわりでお倒れになったのですな。病ではないので、治癒の力は対処療法にしかならんでしょうが……やらぬよりはましでしょう。そのまま続けて差し上げなされ」


医師に言われてステラが治癒の祈りを続けていると、幾分顔色のましになった義姉が顔を上げた。どうやら命に別状はないらしい、と察したアレクサンダーは入り口で控えることにした。


「ぅ……あ、ありがとね、ステラ。ちょっと楽になったみたい。子供のころから風邪一つ引いたことのない私がぶっ倒れたから、夫くんが血相変えて出て行っちゃったけど……御覧の通り大丈夫よ、あはは……」


「あんまり大丈夫そうじゃないけど、でも命にかかわる大病とかじゃなくてよかったです。本当に、おめでとうございますお義姉様」


義姉の無事と新しい家族が増えることに最初は喜んだステラだが、やがてはたと気づいた。


「というか、月のものの遅れで自分が妊婦さんだって気づかなかったんですか……?」


「え?いやー。なんか遅れてるなぁって気はしていたんだけど、結婚二年もたつのに子供ができなかったから油断したというか」


「油断してアレク君に無礼打ちされかねないようなこと言ったり、お酒飲んだりしたんですか!?もう!!もー!!!」


「うっ、うう、ごめんなさい、軽率でした……」


「とりあえずお兄様が戻ってきたら謝っておいたほうがいいですよ。本当に心配していたみたいだから」


心配して小言を言うステラを、実母がまぁまぁとなだめた時だ。


玄関から轟音が響き、帰宅した嫡男が部屋に飛び込んできた。全速力で駆け戻ってきた彼は、医師から妻の懐妊を聞かされて、安堵のあまり膝をついた。


「ああああ、夫くん心配かけてごめんねぇえええ!!!」


「いいや……君が無事でよかった。俺に新しい家族を、ありがとう」


「うん……大丈夫よ、きっとあなたに似た強くて優しい子が生まれてきてくれるわ」


抱擁を交わす男爵家の若夫婦を見て、その場にいた人々は気配を殺して立ち去った。


部屋の外でアレクサンダーと合流して一階に降り、吐瀉物の処理は医師に任せてホールで別れる。入れ替わるようにして、屋敷の奥からステラの実父と家令がやってきた。


「あれ、お父ちゃん?」


庭師の父が昼から屋敷の奥に用事があるとは珍しい。ステラが目を瞬かせると、男爵夫人が口を開いた。


「わたくしから説明しても、いいかしら?」


父と家令、なぜか母が目配せしあい、頷いた。


「お願いいたします、奥様。もとより隠していたわけではございませんから……ただ、例の件だけは我ら夫婦から」


「ええ、もちろんですとも。そこまで野暮ではないわ」


お茶目に笑った男爵夫人は、何の話か分からずきょとんとしているステラに向き直った。


「最近ステラちゃんのお父様に家令の補佐に入ってもらっているの。今は執事見習いだけど、ゆくゆくは次の家令として屋敷を統括してほしくてね」


その話にステラは喜ぶより先に驚いた。貴族家の家令ともなれば、代々その家に仕えるために研鑽を積んだ一族が務めるものだ。キャロル家の家令に後継者がいないのは知っていたが、元漁師の父に務まるのだろうか。そんな疑問を読み取ったかのように男爵夫人が釘を刺す。


「もちろん、ステラちゃんのお父様だからと言って依怙贔屓はしません。適性がなければ庭師のままだと、本人にも了承を取っているわ」


それでも父の元の身分を考えれば破格の機会である。


「お父ちゃん、どうしてまた……片腕で庭仕事するのが、大変だった?」


「それもある。体力に自信はあるが、私もいつまでも若いわけではないからな。だが、一番の理由は……」


言いよどむ父のそばに母が寄り添った。母は自分の下腹部を撫で、若奥様と同じ時期になったのは偶然なんだけどね、と前置きする。


「ステラ、私もね、お子を授かったんだよ。弟か妹ができるよ」


「えっ……?」


ステラは母の腹部を見つめ、茫然とした。両親はまだ三十代後半なので、絶対にありえない話ではない。ということを理解した瞬間、歓喜の絶叫を上げた。


「えええええええええええ!!!!?」


「おめでとうございます、ステラ」


隣で叫ばれてうるさかっただろうに、いやな顔一つせずアレクサンダーが祝いの言葉を述べる。ステラは感極まって、彼に抱き着いた。


「有難う、アレク君!私、お姉ちゃんになれるんだ……!よかったよぉ、今度は、絶対に、死なせない……」


一瞬真っ赤になって固まったアレクサンダーだが、ぼろぼろと嬉し泣きするステラの頭をぎこちなく撫でて、うん、うんと頷いた。


「おめでたいことは重なるものね。ステラちゃんの結婚と、赤ちゃんが二人も増えるのだから、これから大変よ」


大変よ、と言いながら男爵夫人はいつにもましてにこにこしている。家族が増える喜びに、家中が浮き立つ一日となったのだった。

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