義妹さんをください大作戦
がたがた、がたがたと揺れる馬車の中、ステラは向かいに座るアレクサンダーを心配そうに見つめていた。
「あの……アレク君、大丈夫?」
銀髪に両手の五指を突っ込んで俯いていたアレクサンダーは、青白い顔でステラを見上げて呻く。
「あまり大丈夫じゃないです……」
「あの、ね?お父様もお母様も優しい人だから安心して。お父ちゃんやお母ちゃんだって歓迎してくれるよ、きっと」
「キャロル男爵夫妻も、ステラの実のご両親も、善良な方々であることは、重々承知しています……けど、どんなに慈悲深いお相手でも無理です緊張で死にそう」
「し、しっかりしてアレク君!!!」
馬車の揺れ以上に激しく上下振動を始めたアレクサンダーの手をとって、ステラは叫んだ。
偽装結婚騒動からひと月が経過していた。二人は今、王室の馬車でステラの実家である男爵家へ向かっている。男爵に婚姻の許可を得るためだ。
国王が田舎男爵の娘を召し上げるなら書状一枚で済ませることもできるが、アレクサンダーはそんな不義理をしたくないと現地に赴くことにした。
訪問の許可を求める鳥文を出し、返事を待ってから同行する騎士や従者を選定し、城を不在にする間の執務を片付けていたら一か月は必要だった。
出立するまでは順調だったアレクサンダーは、男爵領が近づくごとに落ち着きをなくしていった。
ステラは今のところ正式な婚約者ではないので別の馬車で同行し、道中で宿泊する部屋も別々だ。しかし男爵領に入ったあたりで「陛下のメンタルがやべぇっす」と騎士に言われてアレクサンダーの馬車に行ってみれば、年若い国王陛下は極度の緊張でげっそりとしていた。
「うぅ……男爵に会うと決めたのは自分なのに情けないです……」
「私だってもしも先王陛下やフィオナ妃殿下に会う事になったらめちゃくちゃ緊張しただろうから仕方ないよ。大丈夫だよ」
揺れる車内でひょいとアレクサンダーの隣に座りなおしたステラは、彼の背をよしよしと撫でてやった。
普段は恐縮してすぐに距離をとってしまうアレクサンダーは、よほど余裕がないのかされるがままになっている。
この年下の王様は普段ステラを甘やかすくせに自分はちっとも甘えてこないので、この機会にとことんやり返す所存のステラである。
「いっそ転移の魔道具でぱっと行って来れたらいいのにねぇ」
かつて初夜(仮)に押し付けられた転移の魔道具を思い出して、ステラはしみじみとつぶやいた。
魔道具ではせいぜい一人二人しか移動できない上、国王が単身乗り込んでくると饗応や警備の面で男爵家に多大な負担を強いる。
城に不測の事態があった時のためアレクサンダーが携帯してはいるが、使う機会は訪れないのが一番だ。
そうこうするうちに街道をゆく馬車の車窓から光が差した。雑木林を抜け、開けた場所に出たのだ。微かに漂う潮の香に誘われて窓の外を見れば、なだらかな上り坂の横手には青々と輝く海が広がっていた。
「懐かしい香り。アレク君、あれが私の故郷だよ」
ステラが目を細めて指さした先、弧を描く海岸の中ほどに村があった。二人がいる場所から見ればおもちゃのように小さな漁船が湾内を行き来している。
「あれがステラ生誕の聖地……!」
「故郷を悪く言いたくはないけど、ただの小さい漁村だよ。聖地呼ばわりしたら本物の聖地の泉が怒るよ」
「なぜ我が国の国教は泉の女神教なのか……いっそステラ教に改宗すれば良いのでは」
「絶対にやめてね」
体調不良も忘れて漁村を拝むアレクサンダーに釘を刺し、ステラは反対側を見遣った。
男爵領は小さな領地だ。高台に領主の館がある町と近年に建てられた立派な教会、海側にステラが生まれた漁村、街道を挟んで反対側に面積だけなら町よりも広い農村、それが全てである。
領地の全人口を賄う農村の畑は街道の傍にも広がっており、立派な馬車を見た農民たちがぎょっとしている。しかしステラが窓から顔を見せて手を振ると、いつも豊穣の祈りをしてくれる聖女様だと気づいて手を振り返した。
「ここまで人里が近づいたらそろそろいいかな。……キャロル家へ先触れをお願いします」
ステラが窓を開けて告げると、並走していた騎士の一人が馬上で礼を取ったあと先行を始めた。その早駆けの音で現実に引き戻されたように、アレクサンダーが汗ばんだ手を握り締める。
「大丈夫だよ、私がそばにいるよ」
力込めすぎて白くなったその手を、ステラは家に着くまでずっとさすり続けていた。
たどり着いた男爵家は、貴族の城というより町長の屋敷という趣の二階建て家屋だった。王都ならば裕福な平民の家でもおかしくない佇まいだが、素朴な花の咲き乱れる庭は目に楽しい。
前庭に停められた馬車からまずはアレクサンダーが車外へ降り、彼のエスコートでステラが続くと、玄関前に男爵一家が畏まって勢ぞろいしていた。
「久しいな、キャロル男爵。急な来訪の要請を快諾してくれたこと、感謝している」
「滅相もございません、国王陛下。この度は遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
アレクサンダーに声をかけられたキャロル男爵は、黒いひげに覆われた口元に笑みを浮かべ歓迎の挨拶を述べた。そして、自分の妻と息子夫妻を紹介する。車内での緊張ぶりはどこへやら、和やかにあいさつを交わす隣のアレクサンダーを見上げ、ステラはほっと胸を撫で下ろした。
「長旅でお疲れでしょう。狭い家ですが、どうぞお寛ぎください」
ほんわかとした雰囲気の男爵夫人に促されて、アレクサンダーたちは応接間へと通された。
ステラを含む男爵一家と年老いた家令、アレクサンダーに側近の侍従と護衛が入ればいっぱいになってしまうが、手入れの行き届いた家具が揃った居心地の良い部屋だ。
男爵家の私的な空間に入ったことで、アレクサンダーは王としての威厳を取り払って頭を下げた。
「キャロル男爵。ご夫人に、ご令息夫妻も。ここからは国王としてではなく、ご息女への求婚者としてご挨拶させてください」
男爵はひととき目を見張ると、控えていた家令に小声で指示を出した。
「陛下、どうぞ顔を上げてください。しかし、お気持ちは理解しました。そういったことでしたら、彼らにも同席を許していただけないでしょうか?」
家令に連れられて、室内に中年の男女が入ってくる。アレクサンダーとの対面を予期していたのだろう、二人とも手持ちの中で一番良い服を着て、緊張の面差しだ。
「お父ちゃん、お母ちゃん……」
隣にいるステラの呟きで、アレクサンダーは入ってきた男女の正体を知る。ステラの生みの親は、彼にとっては創世の神と女神に等しく、同席してもらうことに否などなかった。
「お二人が構わないのであれば、ぜひご挨拶させてください」
きらきらとしたアレクサンダーのまなざしを受けて縮こまる二人を、男爵夫人が手招きした。
「大丈夫よ、二人とも。今はステラちゃんの家族として呼ばれたのだから」
関係者がそろい腰を落ち着けたところで、アレクサンダーは汗ばんだ手を何度も握りなおした。
「今日は私のためにお時間をいただきありがとうございます。すでにお知らせしたとおり、皆さまの大切なご息女、ステラ・キャロル嬢を妻に請うべく参上いたしました」
まずは世間話から始めて風光明媚な男爵領を訪れた感想、この土地と家族に育まれたステラがいかに素晴らしい女性であるかを語り、語りすぎて隣のステラに途中で止められ、そんな彼女との結婚を許してほしいのだと男爵一家に頭を下げる。
ステラがみんなの様子を窺うと、国王の初々しい様子を男爵夫妻と兄は微笑ましそうに見つめていた。しかし、生みの両親が緊張からか強張った表情のまま、義姉の顔も少々険しいのが気になる。
「もったいないお言葉です、陛下。ステラが陛下の求婚を受け入れたのであれば、我らに異議はございま」
「待って、お義父様」
男爵が結婚の許しを口にしようとしたところで、止めたのは義姉だった。明るく情に厚く、時に豪胆な女性ではあるが、決して序列や礼儀を無視するような人ではないのにどうして、と驚くステラ。
「陛下。これから私が申しあげることは、不敬ととがめられても仕方のないことかもしれません。それでも聞いていただけるかしら?」
国王に対して不遜ともいえる態度の義姉にステラははらはらしたが、男爵も兄も止める様子はない。男爵夫人もステラを安心させるようにおっとり笑って頷いたので、きっと何か考えがあるのだと静観することにした。
アレクサンダーも、この兄嫁が常々義妹をかわいがっていることは報告でもステラ本人からも聞いている。何を言われるのか戦々恐々しながらも頷いた。
「勿論です。疑念があるならどうか教えてください」
「ありがとうございます。……今からひと月ほど前、ステラは貴方様の妻になるべく王都へ参りました。王家への輿入れだというのに、養親の二人のみを伴って、陛下のお役に立てることを心の支えにして。
もちろん、祖父君の画策だったことは承知しています。陛下とステラが心を通わせるきっかけにもなったようですし、レオナルド様には家からも厳重抗議をいたしましたから、偽装結婚そのものについて陛下を責めるつもりはございません」
ですが、とそこで語気を強めて、義姉は冷ややかな眼差しをアレクサンダーに向けた。
「あの翌日、ステラはたった一人で帰ってきたのですよ。そんな仕打ちをする方に嫁いでこの子が本当にやっていけるのか、疑問だというだけです」
痛いところを突かれて言葉を失うアレクサンダー。その背後では護衛の騎士が、
(なんでこの人、実父も養父も差し置いて「義妹は嫁にやらん!」みたいなことしてんだよ大魔王かよ怖ぇぇ……)
などと思っていたりする。
「お義姉様、私は自由にしていいと言われたから帰ってきただけで、お城を追い出されたわけじゃ……」
思わずステラが口をはさむが、義姉はこちらにも厳しい目を向けた。
「ステラ。今回はたまたまレオナルド様の狂言で、偽装結婚のことも世間に知られていなかったからよかったものの。本物の結婚式の翌日に王妃が実家に帰った、なんてことになってみなさい。貴女が気軽な里帰りのつもりでも、周囲は新婚の夫に見放されて城に居場所のない妃と見做すでしょうね。貴女の評判は地に落ちるわ」
ぐうの音も出ない正論に、ステラは肩を落とした。それを見た義姉が表情を和らげる。
「勘違いしないでね。何が何でもこの結婚に反対だとか、結婚したら帰ってくるなと言っているのではないわ。ただ、陛下のことが好きという気持ちだけで突き進んでしまうのは危険だと、知っていてほしいのよ」
「お義姉様が私のことを心配して正しいことを言ってくれているのはわかっています。それでも私は」
「ステラ」
どんな陰口をたたかれようと王の傍にいたいのだと訴えようとしたステラを制したのは、アレクサンダーだった。
「姉君のご懸念はもっともだと思います。一度失態を犯した私が、ステラのことは守りますなんて言ったところで、今は信憑性もないことでしょう。けれど、城には私より聖女の味方のほうが多いので大丈夫です」
「……どういうことでしょう?」
怪訝そうな義姉に、アレクサンダーはなぜか自信たっぷりに微笑んで見せた。
「褒められたことではないでしょうけど、私には自分というものがないのです」
王位についたものの、国政の展望が持てなかったアレクサンダーが指標にしたのは、「ステラならどうするか」だった。
先王時代に悪行を重ねていた貴族は問答無用で処刑したが、新しい家臣は全て、聖女ステラの味方になる者を基準に選んだ。
中には表面的に聖女を称えて中枢に食い込もうとする小悪党もいたが、ステラのことを腹の中で見下すような連中に関して、聖女ガチ勢アレクサンダーは恐ろしいほど鋭かった。そのような輩は一人残らず排除し、出来上がったのは聖女至上主義政権である。
「ですから万が一、私がステラ嬢をないがしろにするようなことがあったとして。評判が地に落ちるのは私の方なのでご安心ください」
「へ、陛下は、それで、よろしいのでございますか」
上ずった声を上げたのは、それまで黙って成り行きを見守っていた隻腕の男。ステラの実父だった。
彼は男爵一家やアレクサンダーの表情を伺い、自分の発言が咎められないのを悟ると、一度自分の妻と顔を見合わせ頷いた。
「陛下のおっしゃりようは、ステラ以外、ご自身のことを含めてどうでもよい、というようにも聞こえます」
「……否定は、できませんね。でも、ステラが大事にしている人、例えばあなた方ご夫婦のことだって大切にしたいと思っていますよ」
アレクサンダーは安心させるつもりで夫妻に微笑みかけたが、ステラの実母がかえって痛ましそうな顔で首を横に振った。
「わたしらは、うちの人の腕がなくなった時のようなことが起こらなければ、それでようございます。たとえステラと離れても、この子が幸せに生きていけるなら」
「けども、陛下を犠牲に味方やお金や名声を得ても、ステラが幸せになれるとは思えません」
「ステラの大事な人を大切にしたいとおっしゃってくださるなら、まずはご自身を大切になさってほしいのです」
空色の目を見開いてきょとんとする国王陛下。言い過ぎただろうか、不敬だったろうかと夫婦がおろおろしだすと、アレクサンダーは慌てて首を横に振った。
「違います、怒ったわけではないのです。ただ、親子だなぁと思って。……ステラにも言われました、幸せになってほしい、って。そうか、僕は、幸せになってもいいのか」
後半の独り言じみたつぶやきは、迷子がやっと家を見つけたような響きがあった。ステラはたまらずアレクサンダーの両手を握りしめた。
「幸せにするよ!私が!!みんな異論はないですよね!!?」
異議申し立てがあるならかかって来い、とばかりにステラが家族を見回すと、今度こそ全員が笑顔で祝福の言葉を告げたのだった。
キャロル男爵家への滞在は、五日の予定で組まれている。無事に婚約が決定した後も、婚約期間や、男爵家を陞爵させるのか、それともステラを辺境伯あたりに再度養子縁組するのか等々、話し合うべきことはたくさんあるからだ。
一日目の夜、ステラが昔使っていた部屋で就寝の準備を始めようとしていたところに、ホットワインを携えた義姉がやってきた。
「あら、お義姉さま。どうしたんですか?」
「昼間は引っ掻き回しちゃったから、お詫びにね。今いいかしら?」
まだそれほど遅い時間というわけでもなく、念のため早めに就寝しようという程度のことだったので、ステラは快諾した。義姉を招きいれると、甘いスパイスの香気が立ち上る陶器のカップを渡される。
ステラの向かいに座った義姉も同じカップを傾け、申し訳なさそうにほほ笑んだ。
「今日は少し厳しいことを言って、ごめんなさいね」
「いいえ。あの時も言ったけれど、必要なことを指摘してもらえたと思っています。……でも、ちょっとハラハラしました」
「あなたの陛下は、この程度で妻になる女性の家族を咎めたりしないでしょ?」
あなたの陛下、という言い方に思わず頬を染めるステラを見て、ふふっと笑い声が上がる。
「それに、もしも陛下のお怒りに触れて手打ちになるとしたら、男爵家の中で私が一番影響少ないじゃない?」
「そんなことはありません!お兄様たちがどれだけ悲しむと思ってるんですか!もちろん、アレク君はそんなことしないけど!!」
「うふふ、ごめんごめん。……陛下のことを、信頼しているのね。安心したわ」
揶揄うような声音にむっとするステラだが、目のあった義姉は思いのほか真剣な表情をしていて、毒気を抜かれた。
「……幸せになってね、ステラ」
「お義姉様?」
「私ね、ずっと昔々、年の離れた友達がいたの。元々は弟の同級生だったんだけどね」
ステラはますます首をかしげた。義姉には実家の子爵家を継いだ兄はいるが、弟などいただろうか。それにドウキュウセイ、とはなんだろう。
「弟の敵を討つために、あの子は頑張って頑張って、若くして死んじゃった。復讐なんて、本当は私たち家族の役目だったのに。幸せになっていいんだよって、ずっと言っていたのに」
義姉の言っていることはよくわからなかったが、その声色があまりにも悲しそうで、ステラは口をはさめなかった。
「……ステラも頑張り屋さんだから、あの子みたいにならないか心配だったの」
「そのご友人と私が、似ていたんですか?」
「うーん、あんまり?更科ちゃんはどちらかというと国王陛下寄り……さらしなちゃんって、誰だったかしら?」
「……さてはお義姉様、酔ってますね?」
「うふふ、あの頃のことは、もう本当に断片的にしか思い出せなくて。でもそうね、きっとちょっと酔っぱらっているのね、私。変なこと言ってごめんなさい」
酔っぱらっていると自己申告しておきながら、ぐいっとホットワインをあおる義姉。酒精はあまり残っていないとはいえ大丈夫なのだろうか、心配になったステラは彼女に近づいた。
「もう、あんまり深酒しちゃぁ駄目ですよ。一人でお部屋戻れますか?お兄様、呼びますか?」
「大丈夫よー。明日からも忙しいだろうし、そろそろ失礼するわね」
先ほどの悲しげな気配は霧散して、義姉はにっこり笑うと案外しっかりした足取りで立ち上がった。
「婚約おめでとう、ステラ」
「……ありがとうございます、お義姉様」
祝福の言葉にお礼を返したステラは、部屋へと戻っていく義姉を見送ったのだった。
義姉「ねぇ、そこのあなた。陛下の近衛B。どこかでお会いしたことあるかしら?」
騎士「この気配……もしかして、まさか、恐怖の大魔王か……!!?」
義姉「おい誰が大魔王だゴラァ!!!」
騎士「ヒェッ……やっぱ気のせいじゃなかった……!」
義姉「こちらとらか弱い貴族の奥様、元小学校教師だぞあぁ!?」
騎士「どこがか弱いんだよ悪ガキどもにとっちゃぁ大魔王で嘘ですごめんなさい!!!」
義姉「……まぁ、冗談はいいわ。あんたなのよね?」
騎士「いや、うん、久しぶりだな、姉貴。……俺らがいるってことは、あいつもワンチャンこっちにいるのか?」
義姉「天寿を全うした私らと違って散々母さんと父さんを泣かせたわけだし、ファンタジーな世界で転生なんてあいつが喜びそうな展開納得いかないわ」
騎士「だなー。あいつの苦手な古典世界にでも転生して苦労すればいいんだ」
義姉「そうだそうだー」
チャラ男源氏「お前らのせいか!!!」