2日目
実家で英気を養ったステラは、魔道具を使って再び王都の城に戻ってきた。城に戻ることだけを考えて発動させたら、一昨日初夜を迎えた寝室の前だった。夫婦の寝室とかではなく、数ある客間の一つだ。ここからして、本当に結婚させる気なんてなかったんだなとステラは思う。
「あっ、聖女様。チース」
廊下で警護をしていた近衛騎士が、ステラに気づいて片手をあげる。アレクサンダーが倒れた時もそうだったが、ここの近衛騎士ってなんか軽くないだろうか。ステラのそんな疑問を読み取ったかのように、
「無礼な騎士が多く申し訳ございません聖女様」
後ろから若い女の声がして、ぴゃっと飛び上がった。振り返ると、姿勢を正した侍女がいる。
「五年前の粛清の折、貴族の数も減りまして……本来は近衛騎士も貴族から選出するべきですが、人手が足りないのでとりあえず腕が立って忠誠心があれば平民でも採用しているのです」
「そうなんですね」
「はい、というわけでわたくしに不作法があってもどうぞお許しください」
武力第一の騎士はともかくお城の侍女がそれでいいんだろうかという気もしたが、自分だって生粋のお嬢様じゃないなと思い直して、ステラは侍女に聞いてみた。
「国王陛下にお会いしたいのですけど、やっぱり難しいですか?」
「そうですね。陛下は多忙でございますから、面会を申請して審査に一か月ほどかかるかと思われます」
「一か月!?」
「まぁ、聖女様がお呼びなら秒で来ると思いますよ。うちの陛下、聖女様過激派ガチファン勢なので」
それが本当だとして多忙なアレクサンダーを呼びつけるのは申し訳ないし、仮に来てもらったところで初夜の二の舞になる気がする。ステラが侍女に相談してみると、彼女はふむと頷いた。
「それでは陛下には明日、面会の準備していただきますから、まずは黒幕を訪ねてみては?あのご老体はお孫様と違って大体ヒマしておられますので」
そうして侍女に連れてこられたのは、城内にある王立図書館だった。館内には重厚な本棚が並び、壁も一面天井まで本が収められている。
午前中は会議の部署が多いらしく、利用している文官はまばらだ。本棚の間を進み、たどり着いたのは『館長室』というプレートの掲げられた一室だった。入出の許可を得て入ってみると、執務机と応接セット、書類棚だけの案外こぢんまりとした部屋だ。
「王立図書館へようこそ、ステラ嬢」
部屋の主は、仕立ての良い三つ揃えにループタイを身に着けた老人だ。若いころはさぞかしモテたであろう甘い顔立ちに好々爺然とした表情を浮かべており、低めの身長のせいか可愛らしい印象を与える。
アレクサンダーの祖父、王立図書館長レオナルド。今回の婚姻を整えた張本人である。
ステラはレオナルドに勧められて応接セットのソファに腰かけた。向かいにはレオナルドが座り、侍女は二人にお茶を出した後、部屋の隅に控えていた。
「突然押しかけて申し訳ありません、閣下。お聞きしたいことがあったのです」
「レオナルドでかまわんよ。何でも聞くといい。あっ、スリーサイズは秘密ぢゃよ?」
「それは興味ないんで大丈夫です。どうしてお孫さんと私を結婚させようと思ったんですか?」
お茶目を軽く流されたレオナルドは、ふむ……と思案するような声を上げて顎髭を撫でつけた。
「アレクサンダーは……あの子はの。幼い頃からとても苦労をしてきたのじゃ。苦労した分、あの子には好いたおなごと一緒に幸せになってほしいのだよ」
孫を思う祖父の言葉に、嘘はないような気はした。しかし、レオナルドの行動は腑に落ちない点が多すぎる、とステラは思う。
「それにしては今回の婚姻、強引すぎるし拙速すぎませんか?陛下の希望も聞かないで決めてしまうなんて。そもそも結婚証明書、ちゃんと受理されていますか?」
「……どういう意味だね?」
「お城の皆さんは私のことを聖女様と呼んで大切にしてくださいました。国王陛下と結婚したはずなのに誰も私を王妃陛下とは呼ばないし、妃としての仕事もないし、レオナルド様だってさっき私のことを『ステラ嬢』って未婚のお嬢さんみたいに呼びかけましたよね?」
ステラは結婚式の参加者のこと、多くの民に王の結婚が周知されていないこと、この結婚で覚えた多くの違和感を語る。
「ここまで状況がそろえば疑いますよ、結婚自体が嘘だったんじゃないかって」
偽装結婚の疑いを突き付けられたレオナルドは、髭で覆われた口元を笑みの形に歪めた。そしてぱち、ぱち、ぱちとステラを称えるように拍手する。
「そうとも、結婚証明書は教会に受理されて初めて効力を発揮する」
レオナルドはそう言って、懐から一枚の紙を取り出してぴらぴらと振って見せた。アレクサンダーとステラが一昨日サインした書類だ。
「アレクは頭いいはずなんじゃが、愛しの聖女ちゃんのこととなると途端に視野が狭くなっていかんのぉ。自分が結婚してないことに気づいておらんらしい。昨日はずっと白紙撤回しろと泣きわめきながら離婚の方法を探しておった」
レオナルドが持っているのは、教会に受理されていなければならない結婚証明書だった。
「どうしてこんな回りくどいことを?」
「……一言で言えば、贖罪かの。詳しく話すと長くなる。爺の昔話に付き合ってくれるかね?」
どうせアレクサンダーに会うのは明日になる。ステラが了承すると、レオナルドは目を細めて語り始めた。
昔々、といってもわしが若い頃の話だからせいぜい五十年前かのぅ。この国はおっかない女王に支配されていた。
聖女の力を発現する女性は貴賤を問わんが、多少は血筋も影響するのはステラお嬢さんも知っておろう?王家は聖女を妻とすることが多かったから、まぁまぁの確率で王家の姫は聖女の力を持っておった。
先々代女王ヴィクトリアも、そのうちの一人でな。統治者としては有能だったし聖女としての力も破格だが、傲慢で高飛車な態度で、敵も味方も多い女だった。
得意の力が結界と破魔だったことからも、性格の悪さはお察しじゃ。
わしの生家は歴史だけは古い没落貴族でのぉ。婿入りした時、散々「いい気になるな」「愛されると思うな」「政治に口を出すな」「お前を選んだのは実家に力がないからだ」と言われたよ。
まぁ、わしも心底あのクソ女を軽蔑して「種馬の役目を果たしたら図書館に引きこもってやる」と公言していたからお互い様かもしれんがの。
そんな感じで仮面夫婦のお手本みたいなわしらの間には、男子が一人だけ生まれた。
……そう、アレクサンダーの父、ギデオンじゃ。
わしは図書館に引っ込んでおればあの女とは極力関わらずに済んだが、後継者のギデオンはそうもいかん。
ヴィクトリアは、ギデオンに「このヴィクトリアの時間を一年も奪って生まれた貴様が無能であることは許されない」と言って、人格否定に虐待まがいの教育を施したよ。
一度だけ、「教育が厳しすぎはしませんか」と口を出したことがある。すぐに「差し出口を申すな」と罵られて、護衛騎士にぼこぼこにされたがの。
それでわしは、ギデオンの教育に関わることを諦めた。親の責任から逃れてしまったのじゃよ。
母親からは愛されず、父親は無関心。ヴィクトリアの死後、ギデオンは歪んだ憎しみを抱えたまま王位についてしまった。
王位継承とともに生前のヴィクトリアが決めた婚約者と結婚したのじゃが、婚約者の娘はヴィクトリアに心酔して、ギデオンのことは見下しておった。
初夜の床でよほど侮辱的な言葉を吐かれたらしく、ギデオンは逆上して新妻を殺してしまったのじゃ。
当然王妃の実家は猛抗議をしたが、逆に謀反の意ありとして一族郎党を処刑。ギデオンの恐怖政治の始まりじゃった。
それでもヴィクトリアの教育についてきただけあって、国家の運営においては優秀な王だったからのぉ、再婚話はちらほら浮上していた。
その中から自分の邪魔ができない愚かな娘を妃に迎えて、第一王子を設けたのじゃ。
この二番目の妃とも夫婦仲は険悪で、生まれた息子にも興味がない様子でな。
娘の命より野心を優先するような貴族家からは、側室候補が送られてくる有様じゃった。
送り込まれてきた娘たちは皆ギデオンを恐れたが、ただ一人、純粋にあの子を慕ってくれる娘がおった。
フィオナという、心の優しい美しい娘だった。
下級貴族の令嬢で、実家の両親を亡くした後は叔父に家を乗っ取られるような形で冷遇されていたらしくてな。
実家で虐げられていた自分を救ってくれたと、ギデオンに感謝していたようじゃ。ギデオンの方では、そんなんつもりはなかったと思うがの。
それでも、あの娘と一緒にいるときだけはギデオンの態度も軟化していたようじゃ。そして二人の間にアレクサンダーが生まれた。
これに怒り狂ったのがギデオンの正室である王妃じゃ。
アレクサンダーを産んで間もなく、フィオナが変死した。
王妃はあまり頭がよくなかったからの、あれの仕業であることはすぐに露見した。
……これが、最後のとどめだったのだろうな。ギデオンの荒れようは、最初の妃を殺した時の比ではなかったよ。
フィオナの死に関わった者を惨たらしい方法で殺して回り、逆らうものは皆殺し、逆らわなくても気が向いたら皆殺し。
諸国に戦争を吹っ掛け、母親の治世を否定することを生きがいとする最悪の暴君になってしまった。
城にはギデオンに阿る奸臣ばかりが蔓延り、苦言を呈した臣下は虐殺され……。
わしは奸臣どもに取り込まれた第一王子を守ることもできず、幼いアレクサンダーをかくまうだけで精一杯じゃった。
……わしの責任じゃ。
アレクはとても良い子じゃろ?だが、ギデオンだってかつてはアレクと同じ無垢な幼子だった。
ギデオンのことも、わしがヴィクトリアから守っていれば……フィオナを妃にして、アレクと三人で、あの子はよき君主でいられたはずじゃ。
ん?ステラお嬢さんは優しいのぉ、わしのせいではないと言ってくれるのか。だが、わしの罪業はむしろこれからなのじゃ。
アレクサンダーが十歳のころ、第一王子の手の者に毒殺されかけた事件があった。
隣国との戦が激化していた頃でもあった。
フィオナを殺害した王妃の末路を知る者は、第一王子が戦場送りになるだろうと誰もが考えたが……何を思ったのか、ギデオンは被害者であるアレクサンダーを戦線に送ったのじゃ。
そう、ステラお嬢さんがアレクと出会った戦場じゃ。
アレクは聡い子で、周囲から自分が死ぬことを期待されているのも察していたようじゃ。
わしは絶望したよ。
よりにもよってフィオナの息子を戦場送りにするなど。ギデオンは人の心を完全に失ったのだと思った。
そこでわしは、今更過ぎるが……親の最後の務めとして、息子を殺害することにした。
国王と王太子は一年の初めに臣下を祭殿に集めて、神事を行うのは知っているかい?
当時は中央教会にも腐敗が蔓延していたから、神事の最中に火をつけて、ギデオンと第一王子、悪徳聖職者に佞臣どもをまとめて焼き殺す計画だった。
そうじゃな、王の父親とはいえ、たかが図書館長のわしがそんな大それたことをすれば、極刑は免れん。
……それでよいと思っていたのだよ。成功の暁には、自分も死んで責任を果たそうと。
失敗は許されぬ作戦だったから、わしは時間をかけて地方に残った良識派貴族の協力を仰いだ。
最後に良識派最大の派閥であった辺境伯の協力を得て、あとは実行するだけの段階までこぎ着けたときじゃ。
この計画が、戦場から戻ったアレクサンダーに奪われた。
実行日当日、わしは眠らされてこの部屋に閉じ込められていた。
目覚めたときには、すべてが終わっていたよ。
アレクサンダーは燃え盛る祭殿から逃げ出したギデオンを、その手で斬り殺したそうじゃ。
……聖女ステラよ、告解いたします。わしこそが最も罪深い罪人なのです。
わしは優しいあの子に、父殺しをさせてしまった。
レオナルドは元々小柄な老人ではあったが、話し終えてうなだれた姿はさらに一回りも小さく見えた。
ステラは故郷の教会で聖女として赦しの秘跡を執り行うこともあったが、せいぜい「兄弟のおやつを横取りしてしまった」とか「仕事に遅刻した」とかというレベルだ。今回の話は荷が重すぎる。
それでも目の前で罪悪感に苦しむ人に、定型文だけ伝えて済ませるのは自身が嫌だった。
ステラはワンピースの袖で自分の目元をぬぐい、レオナルドの皴だらけの手をとった。
「もしもレオナルド様の計画が成功していたとして……お孫様はお喜びになったでしょうか」
「それは……」
「アレク君が優しい男の子であることは、私も知っています。あの子はお爺さんに死んでほしくなかったのだと思います。
彼の優しさを育てたのは、レオナルド様ですよ。先王陛下の二の舞にしないために、たくさん頑張りましたね。
女神さまは自ら過ちに気づいて努力する者に、追い打ちをかけたりなさいません。女神さまはあなたの罪をお赦しになります」
レオナルドの皴だらけの頬を、涙が一筋流れていく。老人は少しだけ心が軽くなった様子で笑みを浮かべると、ステラの手を握り返した。
「ありがとう、ありがとう……お嬢さんはやっぱり、聖女様じゃなぁ……」
「恐れ入ります。でもそれとこれとは別ですよ」
ステラが手を放して結婚証明書を指さすと、レオナルドはへらりと笑った。
「わしとて、何度も正攻法で婚姻を勧めたのじゃよ?だがお相手がステラお嬢さんだろうと他の娘さんであろうと、アレクの奴は頑として頷かんのだ」
「陛下、まだ十七じゃないですか。結婚なんて早いと思っておられるのでは?」
ステラが十七の時など、まだ実家暮らしで生みの親と育ての親に甘えていた頃だ。
「五年前にギデオンはじめ多くの王侯貴族が死んだ今、アレクサンダーは唯一の直系王族じゃ。あの子はなるべく早く子を生さねばならぬ。それはアレクもわかっておるはず。……あの子は、親兄弟を殺した自分に幸せになる資格などないと思っておるのじゃ」
レオナルドは目を閉じて深くため息をついた。
「だからわしは、この結婚を偽装した。最愛の聖女様との結婚式を体験すれば、あるいはあの子の意識も変わるのではないかと期待して」
そしてステラに結婚証明書が差し出される。
「これはそなたに預けよう。本当にこの結婚が嫌なら、破棄してもらって構わない。だが……願わくは、聖女様。どうか、あの子を救ってはくれまいか」
ステラは少しためらってからそれを受け取り、まっすぐにレオナルドを見返した。
「私は陛下に無理強いするつもりはありませんよ。レオナルド様は私が陛下の最愛だなんておっしゃってくださいますが、そんなの陛下にしかわかりませんし」
ステラがそう言うと、レオナルドは大量の酢でも飲み込んだような顔をして
「いや、アレクがステラ嬢ちゃん大好きなのは城中に知れ渡っていると思うがのぅ……」
と呟いた。
「確かに推しだとかは言われましたけど、結婚したいかどうかは別じゃないですか。嫌がっているのに結婚させたらかわいそうですよ。
でも……私も、このままあの子とお別れになるのは嫌です。……レオナルド様、調べたいことができました。手伝っていただけますか?」
それを聞くと、渋面だったレオナルドは希望に目を輝かせた。
「もちろん、わしにできることならば何なりと。調べ物をするのにこの図書館ほどふさわしい場所はないからのぅ」
ステラはレオナルドの厚意で館長室に食事を用意してもらった後、閲覧室に出て資料を読み漁った。
「ところでこれは、調査の一環ではなく単なる興味本位なのでお答えいただかなくても良いのですけど」
書類を読んでばかりで疲れてきたステラは、調査を手伝ってくれるレオナルドに何気なく尋ねてみた。
「なんだね?」
「レオナルド様が陛下に勧めた婚約のお相手って、私以外にどなたがいるんです?」
「あっ、そこ気になっちゃう?気になっちゃう感じかのぉ??」
告解のしおらしい態度が嘘のようにウキウキするご老体を見て、ステラはイラっとした。
「いや、いいです。知らなくても困らないので」
「まぁまぁそう言わずに。お嬢さんを除けば第一候補はやはり辺境伯家のご令嬢じゃな。アレクが王位に就く最大の後ろ盾となった家じゃ」
「順当ですね」
「終戦直後は隣国との融和の証に婚姻を、という話もあったのだが、先方の姫には仲睦まじい婚約者がおってのぉ……」
戦争を吹っ掛けて叩きのめした挙句、婚約者との間を引き裂いて同胞を殺しまくった人間に嫁がせる。融和目的としては禍根が残りすぎるので立ち消えとなった。
「あとは良識派の中から高位貴族の令嬢が幾人かと、中央派の公爵家からも一人だけ。アレクの反応が一番ましだったのは中央の公爵令嬢だったのぉ」
聞けば、七年前にステラが養女になったのとは別の公爵家だそうである。ステラが養女となった家は寄子共々、徹底的に潰されていた。
「陛下が選んだお相手、いらっしゃるじゃないですか。元敵対派閥のお嬢様を妻に望むくらい、その方を寵愛されているのでしょう?」
「いやいや、あれを寵愛とは言わんよ。ものっっすごく悲壮な顔つきで、『僕ごときに相応しいのはせいぜいこちらのご令嬢です。他の方々ではあまりにもかわいそうだ』って言っておったし」
「嫌味では?」
「いや、本心じゃと思う。あの子、わし以外に味方がいない時期が長いから自己肯定感が皆無なのじゃよ」
レオナルドもこの十七年間手を尽くしたそうだが、王位に就く前は侮られ、王になってからは周囲が手のひらを返して英雄扱いするので、アレクサンダーは他人からの好意や親愛をいまひとつ信じられないらしい。不憫だが面倒な王様である。
「というか、中央派の公爵家が残っていたのが意外です」
「あの一族は家柄だけが取り柄の無能どもなのじゃが、無能すぎてろくな悪事もできず、取り潰すには罪が足らなかったのだよ。アレクはせめて降格したかったようじゃが、厄介ごとを押し付けても心が痛まない相手も必要じゃよと助言したら納得したらしい」
いかにも可愛らしいお爺ちゃまという外見のレオナルドだが、言うことは結構えげつないなとステラは思った。
「そういう派閥の問題を踏まえても、やはり私は王妃として不適格なのでは?私、男爵令嬢ですよ?生まれに至っては平民」
男爵家の養女になってから適正な教育に励んだおかげで、やろうと思えば下級貴族の令嬢程度には擬態できるようになった。しかし、ステラの本質はあくまでのんきな村娘だ。
「問題ない、辺境伯派閥の男爵家じゃろ?それに我が国は宗教国家の側面が強い、王の結婚相手として聖女は有力じゃ。平民や下級貴族の聖女が妃になった先例もある」
そういえば自分は一応辺境伯の派閥だったなとステラは思い出した。故郷に戻った後は聖女として魔の森の魔物討伐に同行することも多いので、辺境伯家の人々とも面識はある。
(魔物退治の現場で、ご令嬢も見かけたっけ)
辺境伯に似て凛々しく気高い佇まいの女性だった。アレクサンダーとお似合いだなと思った瞬間、なんだか胸が痛い気がして、ステラはその気持ちを忘れようと手元の資料を再び捲りはじめた。
資料の中には、薄々想像していたことも、思いがけない事実も並んでいる。その一つ一つを目にするたび、ステラの決心は固まっていくのだった。
調べ物を終えたステラは、調べた内容を元に移動を開始した。まずは養父母が滞在している予定の町まで会いに行き、王都に戻って現在はまともに運営されている中央教会、自分に許される範囲で城内の見学、最後に城下町を見回って夕飯をすませ、再び城に戻ってくる。転移の魔道具を駆使した強行軍だ。
さすがに疲れたステラは、出迎えてくれた侍女を伴い部屋へ戻ることにした。荘厳な廊下を進んで角を曲がり、もう少しで客室にたどり着くというところで、廊下の反対側からやってきた貴人と鉢合わせる。
「あ」
「聖女様」
流れるような動きで膝をついたのは、国王アレクサンダーだった。
「陛下、どうか立ってください」
どちらかというと跪くべきは自分の方じゃないかなと思いながら、お互いが連れている侍女も騎士たちも何も言わないので、ステラはアレクサンダーに声をかけた。
「寛大なお言葉、恐悦の極みにございます」
何も知らなければ一周回って嫌味にしか聞こえない慇懃な言葉遣いである。少しよろけながら立ち上がったアレクサンダーをステラは複雑な心境で見上げた。
(元気だった?とか、大きくなったね、とか、結婚式の日から話したいことはたくさんあったんだけどな……)
一昨日も今も、とてもそんな和気あいあいとした雰囲気ではない。とにかく、明日はゆっくり話し合いの時間が取れるはずである。「明日はよろしくお願いします」とだけ言って部屋に引き上げようとしたステラは、言葉を飲み込んで一歩アレクサンダーに近づいた。
初夜にアレクサンダーが倒れた時は、崇拝に見せかけて嫌われている可能性もあったので退いたが、諸々を知った今では遠慮するつもりなど欠片もない。
「せ、聖女様!?」
ひるんだように後退りする国王の頬を両手で挟み、ステラはほとんど睨むようにしてアレクサンダーの顔を見上げた。
「すごい隈」
思い返せば一昨日の結婚式の時点で、少しやつれたような気配があった。今日のアレクサンダーは目の下にはげっそりと隈が浮かび、ますますくたびれ果てた姿だ。彼が背後に連れている騎士は、王室典範に関する資料を山のように抱えている。
「まさか今から調べ物をなさる気ですか。いつから寝ていないのです?」
「僕の睡眠時間より聖女様を解放して差し上げるほうが大切です。離婚するだけなら何とかなりそうなのです、あとは聖女様の経歴に傷かつかぬよう」
結婚式の日から、ひょっとするとその前から、ろくに寝ていないのはよくわかった。ステラはアレクサンダーの言葉を途中でさえぎって、彼の背後にいる近衛騎士の一人に声をかけた。
「お疲れ様です。その資料、片してもらって大丈夫です」
「かしこまりました」
頷く騎士をアレクサンダーは咎めたが、「聖女様のお言葉は王である自分よりも尊いものと心得よ、と命令したのはご自分でしょう」と返されると言葉に詰まる。そんな王様の手を引いて、ステラは客室の中に入った。侍女と騎士にも入ってもらい、騎士にはアレクサンダーが逃げないよう扉の前に立ってもらう。
「寝てください」
ステラは有無を言わせない口調でアレクサンダーに告げて、王様の体を寝台へ押しやった。ステラが見上げるほどの長身に成長したというのに、アレクサンダーはいとも簡単に寝具の上へ転がる。心得た侍女が、手際よくブーツを脱がせ始めた。
「侍女の方や騎士様もいますし、妙なことはしませんから寝なさい」
「しかし、まだ聖女様の戸籍に傷をつけず離婚する方法が」
「婚姻無効の方法なら私が見つけたので大丈夫です」
「そうなのですか!?さすがは聖女様……」
大丈夫と言われて安心したのか、ステラにかけられた布団のぬくもりのおかげか、アレクサンダーの瞼が眠そうにとろんと下りてくる。
「よかった……なにを犠牲にしても……ステラだけは、自由に……」
言うだけ言って、アレクサンダーは寝入ってしまった。その寝顔は年齢相応に幼い。
この国の成人は十八だから、もしもアレクサンダーが市井の者ならまだ名実共に子供なのだ。本来ならば保護者の庇護下にいても許されるような少年が、一つの国を背負わねばならないこと、自分もその重荷の一つであることが、ステラは悔しかった。
「聖女様。お部屋を用意いたします」
気遣うような声音の侍女に頷いて、ステラはアレクサンダーが眠る部屋を後にした。戦場の真ん中でも寝られたくらい寝つきが良いのが自慢のステラだけれど、今夜だけはしばらく寝られそうにない予感がした。
基本コメディの現代軸と、どシリアスな過去話の温度差で作者なのに風邪ひきそう。
ところで国王陛下に推しとかファンという概念を教えたのはチャラ男近衛騎士君です。ステラもアレクも特に転生者とかではありません。
チャラ男騎士君は……どうなんだろう?ヒッヒフーとか言ってたしな。ワンチャン転生者かもしんない。
チャラ男転生といえば別ペンネームの「令和のチャラ男、光源氏に転生する」もよろしくっす!(とってつけたような宣伝)