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式の準備

 赤子たちの誕生から三日目、王都へ帰る時間がやってきた。


ステラは何度も弟と甥を抱き上げ、母と義姉に少しでも体調が悪化したらすぐに呼ぶよう言い含めて、後ろ髪をひかれながら転移の魔法陣に向かった。


「元気でね、また来るからね!!!」


転移の魔法が発動して消えていく家族に手を振り続け、城に到着するとがっくりと肩を落とす。そんな彼女を気遣うように、隣のアレクサンダーが声をかけた。


「すみません、ステラ。あなただけでもあちらにいられるとよかったのですが」


「ううん、もう結婚式まで時間がないもの。城を空けていた分を取り戻さなきゃ」


城の使用人たちが二人を恭しく出迎え、侍女の一人が


「お疲れ様でございました。昼餐の用意ができております」


と案内する。二人は同じくこちらへやってきた侍従に荷物を任せ、彼女について歩き始めた。男爵家に同行してくれた女性とは別の騎士が隙のない動きで付き従う。


歩きながら、ステラは先ほどの話の続きをぼやいた。


「でも……堂々とお姉ちゃんだよって言えるのは今のうちだから、やっぱり少し寂しい、かな」


家族とは今生の別れではないし、ステラが平民出身であることは秘密でも何でもないけれど、弟に実姉だと明かすのは当分先のことになる。


男爵家の臣下になったとはいえ、ステラの生家が平民であることに変わりはない。幼いころから王妃の弟だと教えられ、自分も王族や貴族だと誤認しては不幸なトラブルを招きかねないからだ。


家族と話し合った結果、弟の物心がついてから分別がつく年頃になるまでは、交流を控えることが決まっていた。


「……僕に嫁ぐことを、後悔していますか?」


しょんぼりしていたステラは、ためらいがちなアレクサンダーの問いかけを耳にしたとたん顔を上げた。


「そんな、まさか!あなたと家族になれるのは、とても嬉しくて楽しみだよ」


卑下しがちなアレクサンダーを不安にさせてしまったかと慌ててみれば、青い瞳が優しく微笑んでいた。


「よかった」


出会ったころよりもずいぶんと長く大きくなった手指が亜麻色の髪に伸び、一房をからめとって口づけられる。それは自然でさりげない動きだったけれど、人目のある場所での触れ合いにステラは真っ赤になってうつむいた。


照れるステラを知ってか知らずか、アレクサンダーが如才なく彼女をエスコートし、食事の準備が整ったテーブルの前に座らされる。二人が案内されたのは貴人が少人数で会食するための部屋で、内装は上品かつ贅が尽くされていた。


まだ赤い顔を隠すようにうつむきがちなステラに、アレクサンダーは小首をかしげた。


「ステラ?どうかしました?」


「その、最近の君は距離が近いなぁと思って」


そう言って、ステラは前菜を口に運びながら考えた。


思えば婚約披露の翌日あたりから兆候はあったけれど、アレクサンダーの態度がはっきり変わったのはやはり弟と甥の誕生からだろう。言葉でも態度でも余すことなく好意を表現されるので、以前の遠慮がちな距離感とのギャップにステラはうろたえてしまう。


「ごめんなさい。嫌、でしたか……?」


しかし、アレクサンダーが叱られた子犬のようにこちらを伺うので、ステラは慌てて首を横に振った。


「そんなことないわ!むしろ嬉しいけど、嬉しいけど!!」


「慌てるステラもかわいい」


「ほらそういうことを余裕でサラッと言っちゃうのずるい!」


マナーの講師に見られたらお叱りを受けるだろうけど、ときめきと恥ずかしさのあまり平常心で食事など続けられなかった。真っ赤な頬を抑えて百面相をしているステラに、アレクサンダーが切なげな眼を向ける。


「僕に余裕があるように見えているなら、必死で取り繕っているだけですよ。ステラに好いてもらいたくて……それだけじゃないな、僕がそうしたくて口説いているのです」


駄目だった?と視線で問われて、ステラは完敗した。もとより、好きな人からわかりやすく好意を向けられて嫌なはずがないのだ。


「うぅ、その、お手柔らかにお願いします」


「うーん、どうしようかな?」


前よりちょっぴり意地悪になったアレクサンダーに、ステラが恨みがましい目を向けた時だった。


「陛下、聖女様、お食事中失礼いたします」


入室の許可を得て入ってきた侍従がアレクサンダーに報告書を差し出した。アレクサンダーは一言ステラに断るとそれを受け取り、読み進めていく。


ステラにしかわからないほどうっすらと眉間にしわが寄っていくのは、報告の内容があまりよろしくないからだろう。


「何があったの?……って、聞いても大丈夫?」


「レガリア王が代わるそうですよ。こちらは結婚式の準備で忙しいというのに、迷惑な話です」


「それは……なんでまたこんな時期に」


たとえ遺恨のある相手でも、訃報を迷惑がるようなアレクサンダーではない。崩御ではなく譲位なのだろうと察したステラが尋ねると、アレクサンダーはあきれたように書類を差し出した。


「なんでも暗殺未遂事件の後始末の最中に、競馬に出かけたそうです。わざわざ良馬の産地へ泊りがけで」


それまでにも小さな失策を重ねていた騎士王は、国家の非常時に賭け事のための旅行を強行した事実が最後の一押しとなって、退位せざるを得なかったのだという。


「あの騎士王は頭脳明晰なタイプではありませんが、親族が大聖女暗殺未遂を起こしたばかりで遊び歩くほど愚かだったとは」


とはいえ次期王夫妻は親世代に比べれば穏健派で、スノーレイクにとっても悪い話ではない。そう思いなおしたアレクサンダーの脳裏に、一人の女性の顔がよぎった。


(騎士王の譲位で最終的に一番得をしたのって、エカテリーナ王女じゃないか……?)


彼女とは各国要人との会談で、一度だけ会ったことがあった。


年若いアレクサンダーやエカテリーナははじめ侮られていたのだが、いざ始まってみると和やかに話が進んで誰も損をせずに終わった会談だった。


ただ、後から思うとほんの少しだけ他より多く得をしていたのがレガリアだった。


エカテリーナ自身が積極的に発言をすることは少なく、むしろ聞き役に徹することが多かったにもかかわらず、だ。


当時のアレクサンダーはそんな王女の手腕に感心したものだが、あのエカテリーナならば聖女暗殺を未然に防ぐことも容易かったのではないか。


(いや、むしろカサンドラ公女の精神を的確に抉っていくあの手紙……エカテリーナ王女こそがあの事件の黒幕だとしたら?)


すべてはアレクサンダーの推測で、嫌疑さえ口にするべきではない。だからこそ、エカテリーナへの警戒心が一気に跳ね上がった。


「アレク君?どうしたの?」


険しい表情になっていく彼を心配するステラの声で、アレクサンダーは我に返った。


「ごめんなさい。戴冠式に誰を派遣しようか考えていました」


「それって私も行ったほうがいい?」


「いいえ。通常の譲位だったら僕やステラが出席することも考えますが、今回はあちらの落ち度で迷惑をかけられた末の、自業自得ですからね。パジェット家を除く公爵家当主の誰かにお願いしようと思います」


アレクサンダーの考え事がそれだけではないとステラは感づいていたが、深く追求せずに頷いた。




 それからの二人は、結婚式の準備のため以前にも増して多忙な日々を送ることになった。招待客の歓待に会場の装飾。晩餐一つとっても、相手国の食文化に合わせて微細に調整したメニューを用意する必要がある。


もちろんそれらを一からステラやアレクサンダーが考えるわけではないが、最終決定に責任を持つのは自分たちなのでないがしろにはできない。


何より細部まで伝統と格式に則って決められている儀式の手順は、繰り返しの復習が必須だ。


毎日関係各所との打ち合わせや確認、合間を縫うような聖女業で疲労の限界を迎えたステラはレオナルドの館長室に一時避難することにした。


「おや、よく来たのぉ、ステラお嬢さん」


忙しい孫とその婚約者を差し置いて、ゆったりとした笑顔のレオナルドにステラはつい恨みがましい目を向けそうになるが、ソファで転寝をするアレクサンダーに気づいて押し黙った。そろって同じことを考えていたらしいのが、なんだか少しこそばゆい。


レオナルドに勧められるままアレクサンダーの隣に腰掛け傍らを見やれば、長い銀色のまつ毛を伏せてすぅすぅと寝息を立てている。


その顔はどことなくあどけなさを感じさせながらも、再会したばかりの一年前より精悍さを増していた。


レオナルドが用意したと思しき毛布を掛けなおしていると、館長室の主が自らお茶を淹れて運んでくる。


「ありがとうございます、レオナルド様。アレク君、よく眠っていますね」


「よい結婚式にするのだと、毎日夜中まで頑張っておるからなぁ。アレクにとっても初めての大規模な国事じゃから、疲れておるのだろう」


「そうなのですか?王様しているときのアレク君はすごく堂々としているし、慣れているものだとばっかり」


「いいや、この子は十二の年まで王になることを想定されず育った。戴冠式も略式で済ませてしもうたし、無理をしていることも多かろう。そもそも王族の結婚式について詳しく知っていたら、一年前の偽装結婚にもすぐ気づいたはずじゃ」


その言葉に、ステラはそれもそうかと納得した。


レオナルドは視線をステラからアレクサンダーに移すと、慈愛と罪悪感が滲む眼差しで孫の寝顔を見つめた。


「改めてありがとう、ステラ嬢。アレクサンダーの手を離さないでいてくれて。いろいろと未熟で不器用な子じゃが、お嬢さんを心から大切にしている、その一点だけは祖父として保証する」


「レオナルド様?」


「どうかこれからも、この子をよろしくお頼み申し上げます」


深々と頭を下げる老爺にステラは目を瞬いて、ゆっくりと首を振った。


「顔を上げてください、レオナルド様。感謝しているのは私のほうです」


レオナルドが驚いたように頭を上げた。


「一年前、私をアレク君のお嫁さんに呼んでくれたこと。そりゃぁ、当時は他に方法がなかったのかって、ちょっと恨みもしましたけど」


気まずそうなレオナルドに、ステラはほほ笑む。


「でも、ああやって強引に呼ばれでもしなければ、アレク君と再会なんてできなかったと思います」


ステラは曲がりなりにも貴族令嬢で聖女なのだから、本当にその気になれば、パジェット公爵令嬢のように城に乗り込むぐらいはできた。


強引にアレクサンダーへ会いに行かなかったのは、彼の拒絶が怖かったからだ。


「私、たぶんレオナルド様やアレク君が思っているより卑怯なんです。大聖女を拝命しても自分からは会いに行かず、呼んでもらえるのを待っていたくらい。臆病な私の背中を押してくださって、ありがとうございました」


「そう、なのか……なにもできなかったわしの人生でも、一つくらいは正しいことを、できたのか……」


「ええ。彼だってきっと感謝していますよ。ね、アレク君?」


ステラの呼びかけに、横たわっていたアレクサンダーの肩がびくりと揺れる。


ややあって、気まずそうな顔をした王様が体を起こした。


「……ステラ」


「うふふ、ごめんね。ちょっと前から寝息がわざとらしいの、気づいちゃった」


ごめんねと言いながら全く悪びれた様子のない婚約者の様子に小さくため息をつき、アレクサンダーはレオナルドに向き直った。


「お爺様、ステラはああ言っていますけど。僕、一年前の偽装結婚で彼女を傷つけたこと、自分の次にお爺様のことを許していませんから」


改めて宣言されしょんぼりうなだれるレオナルドに、アレクサンダーはもう一つ特大のたため息をついた。


「だけど、一つだけ訂正を。お爺様がなにもできなかったなんて、そんなわけないじゃないですか。小さくて無力だった僕を、ずっと守ってくれたのはお爺様じゃないか」


レオナルドは意表を突かれたような顔をして、孫を見上げた。まじまじと見つめられたアレクサンダーの頬が、みるみる赤く染まっていく。


「だから、その、感謝しているというのは、一応、ステラに同意です」


「……そ、そうかそうか、じいちゃん照れちゃうのぉ」


「ああ、もうそうやってすぐ調子に乗る!だから改まってこういうこと言いたくなかったんですよ。儀典官との最終確認があるので失礼します!」


羞恥心が極まったらしく、アレクサンダーはぷりぷりしながら部屋を出て行った。


「あっ、待ってアレク君!もう、レオナルド様もあんまり茶化したら、めっ、ですよ!」


教会の子供たちに対するような口調でレオナルドを叱ったステラも、後に続く。


あとに残されたレオナルドは、静かに泣き笑いを浮かべていた。

本当は結婚式まで行きたかったけど長くなりそうなので今回はここまで。

次回、0日目のやり直しです!

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