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平民出身の新妻聖女に向かって「貴女に愛されるつもりはありません」と宣言した王の末路  作者: 日向 風花
番外編

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17/20

そのころレガリア騎士王国では

 婚約披露宴から数日後、レガリア騎士王は執務机に積みあがっていく抗議文を睨みつけていた。


かつては情熱的な赤毛に精悍な顔立ち、鍛え抜かれた鋼の肉体で国中の女性から羨望のまなざしを集めた、典型的な騎士の王だった。


しかし初老に差し掛かろうとしている現在は突き出た腹に宝冠でも隠せない禿頭、何より疲労と焦燥に満ちた表情が器の小ささを露呈させていた。


見るからに苛々している王の八つ当たりを避けるように、侍従たちも用を済ませるとそそくさと退出していく。


「お父様、お茶をお持ちしましたよ」


そんな時、空気が読めていないかのように朗らかな声が執務室に響いた。


旧帝国様式の精緻なティーセットをサービングカートに載せてやってきたのは騎士王の一人娘、エカテリーナだ。


華奢な体つきに滑らかな白磁の肌、赤みがかかった金の巻き毛、長いまつ毛に縁どられた大きな瞳は極上のエメラルドのよう。


誰もが見惚れる微笑みを浮かべた、砂糖菓子のように可憐な姫君だった。


「おお、エカテリーナや、気が利くな」


溺愛する一人娘に気遣われて、騎士王は相好を崩す。


エカテリーナは優雅な手つきでカップにお茶を注ぐと、ティーカップを置く隙間もないほどの執務机に心底同情するような声音で言った。


「こんなにお仕事があるだなんて、可哀そうなお父様……」


「カサンドラのせいだ。まさか聖女を狙うとは、なんと愚かな真似を!」


騎士王が苛立ち紛れに机を叩くと、紙の束が雪崩を起こした。カサンドラが大聖女ステラの暗殺を試みたことに関して国内外から殺到した抗議文だ。


カサンドラが予定通りアレクサンダー王を狙ったのなら、こんなことにはならないはずだった。


暗殺自体は失敗するだろうが、婚約者のお披露目という慶事に事件が起きたというだけでスノーレイクとアレクサンダーの評価は地に落ちる。


五年前、騎士王の武名に泥を塗った小僧を笑いものにし、邪魔なエスペランサ家を排除する計画だったのに、標的がステラになったせいでレガリアが悪者になりすぎてしまった。


それというもの泉の女神教は大陸で最も力を持つ宗教だからだ。


土着の神を主神としている国すら、かつて魔王を封じた女神の眷属たる聖女には一目置いている。


聖女の力はスノーレイク国外では発揮されないとはいえ、それは聖女の恩恵を他国が受けられないという意味ではない。


スノーレイクに赴いて所定の手続きを経れば治癒の力を受けることは可能だし、飢饉の際に聖女が豊穣の力で実らせた作物の支援で生き延びた国もある。


結界や破魔の力は魔物の脅威から大陸を守ってもいる。


そんな現世利益もたらす聖女を害するなど、レガリア国内からでさえ非難されて当然だ。


「こんなことならはじめからそなたとフィリップを派遣するのだった……」


ガックリと項垂れる父親に、エカテリーナは「まぁ」と手を合わせた。


「それなら、結婚式はわたくしたち夫婦が行ってもよろしいのですか、お父様?」


「ああ、好きにしなさい。余はあの憎たらしいスノーレイクの若造の結婚など祝う気にはなれぬ」


「ありがとうございます!お父様にも何か楽しみがあるとよいのですが……今の季節はオレンジの花が見ごろですのに、お花見にも行けないなんてひどいわ」


気の毒そうなエカテリーナの言葉を聞いて、騎士王の脳裏にかぐわしいオレンジの花の香りと、青々とした草原を疾走する騎馬の情景が目に浮かんだ。


レガリアは大陸西部の肥沃で広大な平原地帯を国土に持つ名馬の産地だ。


特にオレンジの花が見事な景勝地では花見の季節に競馬が行われており、ギャンブル好きの王にとって一年に一度のお楽しみだった。


「ううむ、考えないようにしていたが、明日は大農場がこぞって参加する初レースの日か。……エカテリーナや、フィリップを呼んでおいで」


「まぁ、お父様。レースを見に行く気ですね?」


「よいではないか、息抜きにほんの四、五日留守にするだけだ。フィリップは優秀な婿殿だ、この程度の事務仕事、造作もあるまい」


「あらあら……仕方のないお父様ですね」


エカテリーナはそう言いながらも、さして困った様子もない笑顔で侍従を呼んだ。夫のフィリップを探してきてほしいこと、父親の旅の手配を言いつける。


ほどなくして、執務室に一人の身なりのよい青年が駆け込んできた。王家の遠縁であるため赤味の強い茶髪に、若いころの騎士王を思わせる鍛えられた体つき。エカテリーナの夫フィリップだ。


薄っすらと汗をかいているのは鍛錬中に呼び出されたからだろう。


「急に呼び出してごめんなさいね、あなた」


「君の望みならすぐ駆けつけるとも、エカテリーナ。どうしたのだい?」


出迎えたエカテリーナの頬に軽く口づけを落とした娘婿に、自分で呼び出しておいて騎士王がむっとした。


「お前たち、やもめの寂しい老人に見せつけてくれるな。フィリップよ、余は所用があるので五日ばかり留守にする。その間、執務を頼む」


「義父上……先月も、新しい温泉地の下見に行くと政務を放り出して行かれたばかりではありませんか。このように大切な時期に、本当によろしいのですか?」


「うるさい、説教を聞く気はないぞ!まだ知らぬ名馬が余を待っているのだ!」


フィリップを待っている間にすっかり旅装を整えた騎士王は、侍従から旅行鞄をひったくるようにしてふんぞり返った。


「……委細、承知いたしました」


こうなると何を言っても無駄だと心得ているフィリップは、ため息交じりに頷いた。


「最初からそう言っておればよいのだよ。では頼んだぞ。エカテリーナ、お前も来るか?」


「いいえ、お父様。わたくしはフィリップの手伝いをしたく存じます」


「お前も物好きだな。女に政など難しいだろうに……まぁよい、二人とも土産を期待しておれよ!」


騎士王はご機嫌な顔で娘夫婦に手を振ると、執務室を出て行った。


王の付き人も主を追うようにあわただしく出ていき夫婦二人だけになると、エカテリーナは先ほどまでのゆったりとした動きが嘘のようにきびきびと動き出した。


執務机の上で無秩序に並ぶ書簡に軽く目を通しては優先順に並び替え、机の前に座った夫が阿吽の呼吸でそれらを捌いていく。


緊急性の高い仕事を片付け、机の上がほどほどに片付いたところで、エカテリーナは新しいお茶を淹れなおして夫に声をかけた。


「そろそろ休憩にしていいわ」


「ありがとう。確認を頼む」


「ええ」


フィリップが休憩用の長椅子に移動すると、交代してエカテリーナが執務机の前に座り、夫のこなした仕事のチェックをしていく。


父親の前では微笑むしか能のないお人形のようだったエカテリーナだが、今の彼女は深い緑の瞳に理性的な光を宿していた。


フィリップは妻の茶を楽しみながらも、視線は鋭く入口のほうへ固定して、この部屋の様子――騎士王国の重要な執務をエカテリーナが行っていることが外部に知られないよう警戒していた。


「悪いわね、フィル。いつもお父様の仕事を押し付けてしまって」


確認と修正を終えたエカテリーナは、自分にもお茶を淹れてフィリップの横に腰かけた。


「かまわないさ。君の本性を知った時から、私たちは一蓮托生だ」


「まぁ。本性だなんてひどい」


「ははっ、ごめんよ。それで……首尾はどうだい?」


「順調よ。今まで重ねてきたお父様の小さな失態が効いてきているわ。かの国の結婚式に出席するころには」


私たちが国王夫妻になっているでしょう。エカテリーナは胸の内で呟いた。


彼女は国民の大多数には、父王に大切に育てられた箱入り娘、おっとり可憐な、政務のせの字も知らぬお姫様だと思われている。


(思わせておけばいいわ。わたくしを侮っていてくれたほうが、動きやすいもの)


虫も殺せぬような顔をして、この国の上層部に居座る男たちを賢く手玉に取るのです。尊敬する叔母の薫陶通り、エカテリーナは旧弊に囚われたレガリア騎士王国を内部から変えるために動いてきた。


「……楽しそうだね、エカテリーナ」


「当然よ。幼いころからの夢が、少しは現実味を帯びてきたのですもの。……別にわたくし、この国もお父様も嫌いなわけではないのよ?」


エカテリーナはお茶の入ったカップを指でなぞった。大陸最古の技術の結晶である、美しいカップ。伝統も格式も正しく継承されればそれは素晴らしいものだ。


父だって、責任感がなさすぎ無神経なところもあるけれど、エカテリーナを愛しているのは本当だろう。そんな父のことをかわいいと思う時もある。


(けれど、この国は変わらなければ)


家柄と武力で頂点に立つことを認められ、実際の執務能力は軽視されている王。


旧レガリア統一帝国の末裔であることを拠り所に、他国へ傲慢な態度を隠そうともしない上層部。


女に難しいことはできないと決め付け、ただ笑って守られていればよいとする国柄。


こんなことを続けていれば、いつかレガリアは瓦解して、他の国に食い荒らされてしまうだろう。


「……君がこの国を誰よりも愛しているからこそ、抗おうとしているのは知っているよ」


そんなエカテリーナの手をフィリップが握った。


「カサンドラ公女のことは残念だったが、この国が前に進むため必要な犠牲だ」


「あら。夫婦の語らいに他の女の名前を出すなんて、悪いひと」


拗ねたような口ぶりとは裏腹に、エカテリーナは心穏やかだった。自分でも気づかないくらい小さな心の棘を、フィリップがそっと取り除いてくれたような気がした。


とはいえフィリップも、出会った当初からこうだったわけではない。


幼いころはレガリア男児らしく短気で頑固だった彼を、最愛の戦友に躾けてきたのはエカテリーナの努力の賜物だ。


(結局カサンドラには、最後まで理解してもらえなかったけれど)


エカテリーナは血のつながらない従妹を思った。


エスペランサ家の庶子、カサンドラ。出会った時からエカテリーナを何でも持っている恵まれたお姫様と妬み、敵意を隠そうともしなかったあの娘。


エカテリーナが恵まれているのも、カサンドラの境遇に同情すべき点があるのも事実だし、軍での彼女の努力は素直に尊敬していたけれど、決してわかり合えることはなかった。


(この国で女でありながら公爵家の後継となれるのが、どんなに幸運なのかわかっていない愚かな子。従姉に手紙で愚痴を言うクズに、心をささげた哀れな子。力の使い方次第では、わたくし以上に輝かしい栄光をつかみ取ることもできたのに)


決して相容れない従妹を、邪魔なエスペランサごと潰したのはほかならぬエカテリーナだ。


幸せな女性を嫌うカサンドラならたぶん聖女様に害をなすだろう、そうわかっていて招待客の交代を本気では止めなかった。


父の行動を操作することなど、今のエカテリーナには息をするように簡単なことだったのに。


「ねぇ、フィル。わたくしの進む道は綺麗なものではないけれど、ついてきてくれるかしら?」


「もちろん。どうか君の行く道を守らせてくれ、私の愛しい人」


二人は共犯者らしいほの暗い笑みを浮かべると、筋書きを作ったものの責任として、残りの仕事を片付けるべく立ち上がった。

暗殺未遂事件の真の黒幕の話でした。これにてレガリア編終了です。

エカテリーナは例えるならメイジェーンの上位互換がエイプリルの皮をかぶったような姫です。そら強いわ。


殺伐とした話が続いたので次はほのぼのとしたやつでも書きたいなぁ(書けるとは言ってない)。

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