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平民出身の新妻聖女に向かって「貴女に愛されるつもりはありません」と宣言した王の末路  作者: 日向 風花
番外編

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15/20

憎悪の理由

 カサンドラが放り込まれた地下牢は、明らかに貴人用ではない劣悪な場所だった。暗くじめじめとした石造りの牢に膝をつき、両手を上げた状態で鎖に繋がれたカサンドラは、ぶつぶつと最愛の人の名前を繰り返していた。


「お兄様、お兄様お兄さまおにいさま、愛するセシリオにいさま、ごめんなさいごめんなさい、カサンドラは失敗しました、お兄様の仇が討てなかった……!」


捕縛の際に暴れたせいで元から露出の多いドレスは破れ乱れて、背中が大きく晒されていた。その褐色の肌には、鞭で打たれた無数の傷跡が刻まれている。


スノーレイクの看守が拷問したわけではない。故郷でカサンドラを虐げた者たちによる傷だ。


「ああ……やはりセシリオ兄様は優しい……気にすることはないと、そう言ってくださるのですね……愛しています、お兄様……」


虚ろさと恍惚さが入り混じった目で、カサンドラは兄の幻に愛を告げた。




 カサンドラはレガリア騎士王国筆頭公爵エスペランサ卿がメイドに手を付けて産ませた子供だった。


公爵が気まぐれに手を出す程度には美しい、ただそれだけの下級貴族だった母は、カサンドラが幼いころに未婚の母だと蔑まれながら死んだ。よくある話だ。


カサンドラにとって不幸だったのは、彼女の髪色が王家や公爵家の象徴である燃えるような赤毛だったことだろう。


加えて整った容姿をしていたカサンドラは、母が死んだあと公爵家で養育されることになった。


母方の祖父母のもとにいた頃から大した教育も受けずに育ったカサンドラは、公爵家の人々からすれば野猿も同然だった。


淑女教育に反抗すると激しく折檻され、食事を抜かれて仕置き部屋に閉じ込められた。


それでも泣きわめいて暴れるカサンドラに、根を上げたのは公爵夫人だった。


カサンドラと養子縁組したことにより書類上の母となった、顔だけは美しい女。


暴れまわって薄汚れたカサンドラを汚物でも見るような冷たい目で見降ろし、公爵夫人は夫に告げた。


「かように粗暴な娘を淑女に育て上げるなど不可能ですわ。猿に芸を仕込むほうがまだ希望がありましょう。あなたの女遊びを後始末するのもうんざりです」


そう言って公爵に離縁を告げると、兄である騎士王のもとに逃げ帰っていった。


いけすかない女を追い出してやった!とカサンドラが得意でいられたのもはじめのうちだった。


「よくも母上を追い出したな!」


公爵と正妻の間には三人の息子がおり、上の二人とは元々仲が悪かったのだが、両親の離婚によってそれが決定的になった。


「お前のせいで母上が離縁したのだぞ!」


「死んで償え、山猿!!」


二人の異母兄は結託してカサンドラを苛め抜いた。


「ふん!公爵があちらこちらに女を作るせいだろう!それとあの女に魅力と堪え性がなかっただけだ!お前たちは母親に捨てられたんだよ、私のせいにするな!」


カサンドラとてやられっぱなしではない。兄たちの嫌がることを散々言ってやり、暴力でも抵抗した。


しかしあちらは何といっても年上で二人がかり、武門の子として鍛えてもいる。最後にはいつも、コテンパンにやっつけられるのはカサンドラのほうだった。


父親はカサンドラを無視し、使用人たちからも陰口や嫌がらせが絶えない中、唯一の味方が末兄のセシリオだった。


「ねぇ、カサンドラ大丈夫?」


誰もがカサンドラを「おい」とか「あれ」とか呼ぶ中、名前を呼んでくれたのはセシリオだけだ。カサンドラが傷だらけで倒れていると、彼はこっそり傷の手当てをしてくれた。


「別に。あんな卑怯なやつら、一対一だったら絶対に私が勝っていた」


「ははっ、カサンドラは勇ましいなぁ。僕にはとてもまねできないや」


カサンドラと半年も年の違わない異母兄は、繊細で優しい少年だった。父も二人の兄も家臣たちもセシリオを軟弱者だと嗤っていたけれど、カサンドラにとっては王子様だ。


(半分だけでも兄妹だから、お兄様と結ばれることはないけれど……セシリオ兄様さえいてくれれば、それでいい)


カサンドラは成長するにつれて異母兄に道ならぬ恋心を抱き、強く依存と執着をするようになっていった。


大嫌いな赤毛を短く刈って少年のように振舞えば、何も知らない同年代の少女たちからは偶像のようにもてはやされた。


これはカサンドラ自身の男除けに大変都合がよかった。


その一方でカサンドラはセシリオの婚約者に陰で嫌がらせをし、叶わぬ恋の憂さ晴らしをした。


婚約破棄に追い込んだことも一度や二度ではない。


この段階になってようやく、エスペランサ公爵はカサンドラをセシリオから引き剥がさなければまずいと気付いたらしい。


「そんなに男の真似がしたいのなら、軍に入れ」


娘の淑女教育をあきらめた公爵は、そんな言葉とともにカサンドラを軍隊に追いやった。


レガリアは騎士道が重んじられる一方で、女性の意志を尊重するような国柄ではなかった。


淑女とはお人形のように大事に庇護するものであり、政治や戦には口出しさせないのが正しい在り方だとされている。


女性の社会進出においては他国より何歩も遅れる、男尊女卑の国だ。


とりわけその気風が濃い軍隊に放り込まれたカサンドラは、女が余計なことをするなと言わんばかりに苛烈なしごきを受けた。


同輩には馬鹿にされ、上官からは稽古のたびに打ちのめされながらも、武術も馬術も男の何倍も鍛錬を積んだ。


全ては地位を手に入れ、堂々とセシリオのそばにいられるようにするためだったのに。


「……お兄様が、死んだ?」


五年前のあの日。実家からの知らせを受けて、カサンドラは茫然とした。


レガリアが隣国スノーレイクの暴君ギデオン王から侵略を受けたことは知っていた。


だが、当初の知らせではレガリア優勢で、逆にスノーレイクの国土に侵攻するほどだったはずではないか。


「どういうことだ、公爵!なぜセシリオ兄様を戦場に出した!!?」


激情のまま実家に乗り込んだカサンドラは、生物学上の父である公爵を問い詰めた。


上二人の兄も他の戦場で死んだと聞いたが、そちらは別にどんな悲惨な死に方だろうとかまわない。争いとは無縁なセシリオが無残に殺された、それだけが許せなかった。


「どうもこうもない。あれもエスペランサの男だ、箔をつけるため勝利が確定している戦場の後方部隊に出してやったというのに。何たる無様……!」


公爵は公爵で、思いがけず嫡出子を立て続けに失って疲弊しているようだが、カサンドラが慰めてやるいわれはない。


セシリオの死が信じられずに遺体の安置場所に駆け込んだ彼女は、亡骸を目にするなり絶叫をあげた。


「いやぁああああああああああっ!!!お兄様、お兄様ッ!!!」


棺に納められたセシリオの遺体は酸鼻極まる状態だった。四肢と首が切断され、心臓には穴が開いており、いつも穏やかな笑みを浮かべていた顔は苦悶に歪んでいる。


カサンドラはセシリオの棺に取りすがって泣きじゃくった。途切れ途切れに聞こえてくる弔問客らの話を総合すると、下手人はスノーレイクの第二王子らしい。


(許さない……!)


その王子はまだ十二歳の子供ながら功を焦るかのように、本来は魔物を殺すための剣術でレガリア軍を斬り裂いたという。


(心臓や脳が複数あるような化け物を殺すための剣術で、私のセシリオ兄様を殺した……呪ってやる殺してやる屈辱と絶望を味合わせて這いつくばらせてやるアレクサンダー・スノーレイク!!!)


恨みと憎悪をつのらせてカサンドラは復讐を誓った。


とはいえレガリアは敗戦国で、カサンドラは名ばかりの公爵令嬢、男社会では蔑まれる立場だ。


そうそう都合よく復讐の機会が巡ってくるはずもなく、望まぬ立場と重責を押し付けられることになった。


「仕方ない……公爵家の後継は一旦カサンドラとする。だが、勘違いするなよ。実質的には、お前の夫が公爵となる。余計なことはせず、夫をよく支え、次の公爵を産むことだけを考えるのだ」


父公爵はそう告げて、カサンドラをエスペランサ家の後継に据えた。


下半身のだらしない公爵にはカサンドラ以外にも非嫡子が何人かいたようだが、男子は全てかつての公爵夫人が始末していた。


残った女子の中で、曲がりなりにも母が貴族で王族らしい容姿を持つのはカサンドラだけだったため、公爵としても苦渋の決断だったらしい。


「顔と体は合格。実質筆頭公爵家の主になれるってのも悪くはない」


「でも、あんなじゃじゃ馬ではなぁ」


「せめてもっと髪を伸ばして淑やかにしていれば可愛がってやる気にもなるのだが」


カサンドラの見合い相手はそんなことを言ってこちらを蔑むろくでもない男ばかりだったので、軍隊仕込みの体術で叩きのめして蹴散らした。


公爵には叱責されたが、婚約者など欲しくなかった。


(セシリオ兄様以外の男に、この身を弄ばれるなんて悍ましい……!)


カサンドラの実力というよりは公女としての箔をつけるためだろう、軍では一応高官となったが、無理やり婚約者を決められるのも時間の問題だった。


そうしてじりじりと五年の歳月を無為に過ごしたころ、カサンドラに千載一遇のチャンスが巡ってきた。


義理の伯父にあたる騎士王から、秘かに提案を受けたのだ。


「そなた、仇に一矢報いて死んでみないか?」


王に城の一室へ呼び出されてそんなことを言われたときは、さすがのカサンドラも驚いた。しかし、聞いてみると悪い話ではない。


仇敵アレクサンダーが婚約者を披露する夜会を開くというのだ。


「妹や娘夫婦はいい加減、スノーレイクとの確執を水に流すべきだと言うのだが。あちらの暴挙をただ許してやるというのも矜持にかかわる」


五年前の敗戦をいまだに根に持っている騎士王は、アレクサンダーに嫌がらせをしてやりたいのだという。


「お前とあの小僧の実力差では、万が一にも暗殺が成功することはないだろう。王家は無関係を貫くゆえ、お前を支援することも庇うこともない。仮に奇跡が起きて成功したとしても、もちろん失敗したとしても、そなたの命はない……が、兄の恨みを思い知らせることはできるぞ?」


それは悪魔が囁くように魅惑的な誘いだった。


もとよりカサンドラはセシリオのいない世界で、セシリオ以外の男に抱かれて生きるつもりなどなかった。


「やります」


即答した義理の姪に、騎士王は満足げに笑って見せた。


本来スノーレイクに招かれる予定だったエカテリーナは難色を示したようだが、ほとんど騎士王のごり押しによって招待客はカサンドラに変更になった。


とはいえカサンドラを支援しないという宣告通り、騎士王のお膳立ては本当にこれだけだった。


スノーレイクに同行した侍女や外交官たちはあからさまにカサンドラを見下しており、暗殺計画に協力させるどころではない。


(まぁいいさ。私は自分の仕事をするだけだ)


手始めに暗殺会場の下見でもしようと大広間へ向かった。


壁に掛けられた絵画を眺めるふりをしながら、どこかに暗器は隠せないか、それとも自分で持ち込むべきかと思案していた時だ。不意に正面入口の方に気配を感じて、カサンドラは振り返った。


そこには、侍女と女騎士を連れたカサンドラより少し年下と思われる娘がいた。


波打つ亜麻色の髪に蜜のような琥珀色の瞳。


カサンドラに比べると小柄で可憐、いかにもレガリアの男に受けそうな庇護欲をそそる見目の娘だ。


「これはこれは、スノーレイクの至宝、大聖女ステラ・キャロル嬢とお見受けする。このような場所へ、いかがされたのかな?」


貴族としての教養に疎いカサンドラでも、彼女の正体はすぐに分かった。


聖女の力を見出され、平民から貴族になり、悪魔アレクサンダーの妃にさせられる気の毒な娘ステラ・キャロル。


何年か前には養女となった貴族の家で虐げられていたという話も聞いており、似たような境遇のカサンドラは勝手に親近感を覚えていた。


「ステラ嬢、ひょっとして無理をしているのではないかい?」


「えっ?」


「あなたは元々、平民だったと聞いている。聖女の力に目覚めてしまったばかりに、無理やり王妃にさせられそうになっているのでは?」


カサンドラとて鬼ではない。聖女が意に添わぬ結婚を強いられているならば、逃がしてやりたかった。しかし提案を言い切る前に、ステラは首を横に振った。


「わたくしの身を心配していただき、ありがとうございます。でも大丈夫です、アレクサンダー陛下はわたくしのことを何よりも大切にしてくださっています。わたくしが彼の妻になりたいのです」


婚約者への全幅の信頼と愛情を感じさせる笑顔で、ステラという女は微笑んだ。愛されている自信が全身から滲む様は、カサンドラが大嫌いな血の繋がらない従姉エカテリーナを思わせた。


(あの男の本性も知らずに暢気なものだ)


侮蔑の表情が漏れそうになるのを、カサンドラは苦心して抑え込んだ。


「そう、か……それは、余計なお節介を焼いてしまったな。どうか許してくれ、大聖女様」


逃げるように聖女の前を辞したカサンドラは、ふと思い当たった。


(あの男は婚約者を大層溺愛しているらしい。てっきり一方通行だろうと思ったが、相思相愛なのか……なら、暗殺するのは聖女のほうにしてみようか?)


はじめそれは単なる思い付きだった。しかし、考えれば考えるほどこれはいい計画のように思えた。


化け物じみた強さだというアレクサンダーより、まだあのぽんやりした聖女の方が殺せる可能性は高いだろう。


(それに、私はセシリオ兄様を失ったのだ。本人の命を奪ったくらいで許せるものか。奴の最愛を無残に苦しめて殺してやろうじゃないか)


カサンドラは高笑いしてしまわないよう、くつくつと不気味な笑みを漏らしたのだった。

ステラとアレクのほのぼのいちゃいちゃ描写はものすごく時間がかかるのに、今回の話はインスタント並みの爆速で出来上がりました。この更新速度の差よ。

これって一応異世界恋愛だったよね……?なんでドロドロした話のほうが筆のノリがいいんだよ……。

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