紅蓮の公女
ステラの居室は王城の一角に設けられている。
昔住んでいた村の家がそのまま入ってしまいそうな広い室内に、花柄のカーテンがかかった大きな窓、明るい室内にはふかふかの絨毯、並ぶ家具も派手さはないが一級品ばかり。
そんな部屋の中央に置かれたトルソーには、ひときわ豪奢なドレスが着付けられていた。
形は胸から腰にかけてぴったりと体に沿い、ウエストから裾はふんわりと広がっているものだ。
肌触りの良い上質な布地だけが使われており、胸元は深い青色、裾に下がるにつれて薄紫に変化していく見事なグラデーションに染め上げられていた。
さらには銀糸の刺繡と小粒の宝石が全身にちりばめられ、満天の星空を切り取ったような煌めきだ。
ドレスの前に立ったステラは、恐怖と感動がないまぜになって「ふぉぉ……!」と謎の奇声を上げた。
「こ、これ、作るのに食費何か月分くらいになったんだろう……本当に、こんな素敵なドレス着て許されるの!?せめて結婚式に着るべきでは!?」
「陛下が夜会ために仕立ててくださったのですから、お召しになってくださいな」
一目で高価とわかるドレスを前に挙動不審を極めるステラに、侍女は苦笑気味だ。
「五年前なら顰蹙を買ったかもしれませんが、今は経済も安定しております。むしろ国内外へ我が国の復興を知らしめるためにも、着飾っていただかないと」
「さぁ、夜会はもう明後日ですよ!衣装合わせを始めましょう」
侍女たちは手際よくステラを下着姿にすると、トルソーから外したドレスの着付けを始めた。
このドレスに限らず、ステラの王妃教育にかかわる費用、城での生活費、侍女や護衛の人件費等は王の婚約者のための経費として国に承認されている。
平民や下級貴族が王妃になり得るスノーレイク神聖王国では、実家が生活費を負担できないケースが往々にして考えられるからだ。
国によっては実家が莫大な支度金を用意しなければならないと聞いたステラは、他所の国は大変だなぁと暢気に思ったものだが。
いざ税金で買ったドレスに触れると、緊張で動きがぎこちなくなってしまった。
恐る恐るドレスを着つけてもらうステラを見かねた侍女の一人が、勉強に使っている資料や教本を持って来る。
「お時間がかかるでしょうから、おさらいしましょう。まずは簡単な質問から。陛下と聖女様のご婚約が正式に結ばれた日は?」
するとステラの顔つきが勉強中のまじめなものに変わった。日付を答えると、侍女が頷く。
「はい、正式な婚約はキャロル男爵の合意を得た日、あの里帰りの日でございますね。翌日には書面にて、国内外に婚約の事実を発表しております。では、今回の夜会で改めて告知する意義は?」
「私が婚約者になって初めて開く、大々的な夜会です。国外の要人も多数招くことで、五年前の戦争の遺恨を少しでも拭い、和平に貢献すること。陛下や私が年若いのと、結婚式ではないことから、招待客は国家元首当人ではなく次期元首がほとんどで、次世代を担う方々との顔つなぎの意味もあります」
よどみなく答えるうちに、ステラの動きは滑らかさを取り戻していった。
「お招きしている中で、最も対応に気を付けなければならない国は?」
「五年前、最後まで我が国と争ったレガリア騎士王国」
それはステラがアレクサンダーとともに戦った戦場の、相手国だった。
「その通り。招待しているのは現騎士王陛下の姪、カサンドラ公女です。あちらの筆頭公爵家の次期当主で、武勇を尊ぶお国の姫君らしく軍の高官でもあるとか」
そこで侍女はステラを不安にさせてはいけないと思い至ったように、微笑んだ。
「明朗快活な方だとも聞きますから、ステラ様ならきっと仲良くなれますよ」
「ええ……お友達になれるよう頑張るわ」
その後も復習を繰り返していると、着付けが終わった。
「拝見させていただいた限りでは大丈夫そうですが、苦しい部分や、直したほうがよさそうなところはございませんか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
そう答えて、ステラは姿見を覗き込む。そこには、着飾った娘の姿が映っていた。
豪奢なドレスをまとい、首元に輝くのは金剛石の首飾り。丁寧に梳って結い上げた亜麻色の髪には花を模した髪飾りが挿してあり、耳には首飾りと揃いの耳飾りが揺れている。
「お似合いですよ、ステラ様」
口々に褒める侍女たちに、ステラは頬を染めた。
「月並みだけれど、まるで自分じゃないみたい。綺麗にしてくれて、ありがとう。……早くアレク君に、見てもらいたいな」
思わずステラがこぼした独り言を聞いて、侍女たちがきゃぁきゃぁと華やかな笑い声をあげた。
衣装の確認を終えてワンピースに着替えたステラは、侍女の一人に声をかけた。
「夕飯まで少し時間があるよね?少しだけ大広間に行ってもいいかしら。明後日の動きを確認しておきたいの。明日だと披露宴の準備をする皆の迷惑になるだろうから」
「迷惑なんて思う者はいないと存じますが、承知いたしました。お供いたします」
二人はステラの部屋を出ると、扉の前にいた護衛の女性騎士も一人伴って大広間に向かった。
「ええと、入場の合図が出たらこの大扉から入って、アレク君と一緒に壇上へ……あら?」
イメージトレーニングをしながら広間の正面扉を開いてもらったステラは、室内に先客の姿を見つけて目を瞬いた。
燃えるような赤毛の女性が、壁に掛けられた女神の泉の絵画を見上げていた。
上級の軍人と一目でわかる華やかな軍装のその人は、高貴な身分だろうに侍女の一人も伴っていなかった。
(まぁ、パジェット公爵令嬢もしょっちゅう一人でお城に出入りしてはつまみ出されているけど……)
城の人々から珍獣枠として生暖かい目で見られている令嬢と一緒にしては失礼な気もしつつ、ステラがどう対応すべきが迷っていると、女性の方が気配に気づいて振り返った。
「これはこれは、スノーレイクの至宝、大聖女ステラ・キャロル嬢とお見受けする。このような場所へ、いかがされたのかな?」
「それはこちらの台詞です」
ステラが答えるより早く、剣の柄に手をかけた騎士が進み出た。
「他国の者がたった一人、このような場所で何をしておられたのですか?」
騎士は言葉遣いこそ丁寧だが詰問するような口調で、赤毛の女性は降参と言わんばかりに両手を軽く上げた。
「失礼した。私はレガリア騎士王の姪、カサンドラ。少し気になることがあって城内の見学をさせていただいていただけさ」
この方がカサンドラ公女、とステラは小さく呟いた。
紅蓮の公女という二つ名に違わぬベリーショートの赤毛、軍服のよく似合う鍛えられた長身に、女性らしいメリハリのある体つき。ウッズワード辺境伯家の姉妹とはまた違ったタイプの迫力美女だ。
「気になること?」
女騎士がさらに問い詰めようとするのを、ステラは手で制した。関係の良くない国の要人だからこそ、あまり横柄に接してはアレクサンダーの迷惑になると思ったのだ。
スノーレイクとレガリアの確執は、戦争を仕掛けたギデオン王のせいだけではない。それこそ建国の黎明期から不和の種は存在した。
かつてこの大鷲大陸は、滅びの黒き凶星が落ちてくるまで一つの大きな国だった。
その名をレガリア帝国。現在の騎士王国と区別するため旧レガリア統一帝国ともいう。名称が示す通り、レガリア騎士王国の前身だ。
歴史書によると南の半島には元々帝国の首都があり、繁栄を極めた都は魔王によって一夜にして滅んだ。
そこからレガリア帝国はなし崩し的に瓦解していくことになるのだが、あるとき帝国北部の寒村、スノーレイク村の青年ウィリアムが立ち上がった。
ウィリアムは泉の女神から聖剣を託され、泉で出会った黒髪の聖女ユリアと共に、人類救済の旅に出る。
そこから冒険の旅をして仲間を集めた二人は魔王を封印し、初代王夫妻として国造りをするのだが、仲間の一人に赤毛の騎士がいた。
騎士はレガリア皇家の傍流で、当時から名馬の産地として栄えた要所の領主子息だった。
魔王封印後は故郷に戻り、領地をレガリア騎士王国と呼称して初代騎士王の座についたのである。
つまりレガリアとしては自分たちこそ大陸統一国家の正当な末裔だと自負しており、もとは貧しい開拓村に過ぎないスノーレイクが大陸最大の国家として幅を利かせている現状が気に食わないというわけだ。
そんな両国の歴史を頭の中でおさらいしたステラは、カサンドラに微笑みかけた。
「初めまして、カサンドラ様。お察しの通り、わたくしはキャロル男爵家のステラと申します。お恥ずかしながら、身分を得て日が浅いものですから、明後日の宴の流れを再確認しに来ました。カサンドラ様はどうしてこちらへ?」
「これはご丁寧に、痛み入る。なに、私もあなたと似たようなものだよ。今でこそ騎士王の姪だ、公女だなどともてはやされているが、私の母はメイドでね。当日の緊張を少しでも和らげようと思ったのさ」
それを聞いたステラは何となく親近感を覚えて、笑顔も自然なものになった。
(苦楽を共にした初代騎士王陛下とウィリアム様は仲良しだったらしいのに、周囲が勝手に険悪になっていったのよね。きっとお二人とも現状を憂いておられるわ)
ここで仲良くなっておけば初代の二人も少しは安心してくれるだろうし、何よりアレクサンダーの役に立てるかもしれない。そんなちょっぴりの打算を元に、ステラはカサンドラに歩み寄った。
カサンドラも人好きのする笑顔を浮かべて両手を広げる。
「正直なところ、私は堅苦しいのが苦手なんだ。ステラ嬢と呼んでもかまわないか?」
「もちろんです」
「この立派な絵画は聖地を描いたものだろう?ステラ嬢は現地に行ったことがあるのか?」
「ええ。重要な神事の時に何度か。冬でも凍らない不思議な聖水の湧き出す泉なのですよ」
「へぇ。ここで祈れば、私も聖女になれるのかな?」
無邪気な子供のように尋ねられ、ステラは回答に詰まった。
スノーレイク神聖王国が他国から一目置かれているのは、何も魔王封印の勇者の国だから、だけではない。
聖女がスノーレイク国内でしか生まれないからだ。
より正確に言うならば、聖女はスノーレイク国内でのみ力を発揮することができる。
例えばステラがレガリア騎士王国へ赴いたら、聖女の力を持たないただの娘に戻ってしまうというわけだ。
逆に、他国で生まれた女性がスノーレイク神聖王国へ移住してきて、聖女の力に目覚めたという前例もなくはない。
とはいえそれは本当に稀な話なので、カサンドラが聖女になる可能性は限りなく低い。
角を立てずにそれを説明するにはどうすればいいかステラが悩んでいると、「困らせてしまったようだね」とカサンドラが苦笑した。
「ステラ嬢、ひょっとして無理をしているのではないかい?」
「えっ?」
「あなたは元々、平民だったと聞いている。聖女の力に目覚めてしまったばかりに、無理やり王妃にさせられそうになっているのでは?もしあなたの意志が無視されているのなら見過ごせない、よければ私と一緒に逃げ」
「カサンドラ様」
相手の言葉を遮るなんて不躾だとわかっていたけれど、ステラは言わずにいられなかった。
「わたくしの身を心配していただき、ありがとうございます。でも大丈夫です、アレクサンダー陛下はわたくしのことを何よりも大切にしてくださっています。わたくしが彼の妻になりたいのです」
ステラとしては事実と本心を語ったまでだが、カサンドラの表情が一瞬、苦しそうに歪んだ。
「そう、か……それは、余計なお節介を焼いてしまったな。どうか許してくれ、大聖女様」
「いいえ、そもそも腹を立てるようなことではありませんから」
ステラは愛想よく答えておいたが、大聖女様、という呼びかけには何となく先ほどよりも壁を感じた。
ステラたちが部屋に戻ってくると、随行していた女騎士が少しばかり苛立った様子でため息をついた。
「結局、あの公女様は何がしたかったのでしょうね。ステラ様に対して無礼ではありませんか」
カサンドラに対する憤りを隠さない彼女を、ステラは宥めた。
「まぁまぁ、こちらは陛下の婚約者とはいえ男爵令嬢だし。それに気さくでいい方だったじゃない。もっと仲良くなれたら、よかったのだけど」
最後に何となく距離を取られた気がしたのを思い返していると、随行していた侍女がおずおずと声をかけてきた。
「あの、ステラ様。まさかカサンドラ公女と個別にお話しする機会があると思っていなかったので、衣装合わせの時は申し上げなかったのですが……少しお耳に入れておきたいことが」
「どうしたの?」
「実は、レガリアからの賓客は元々、騎士王陛下の一人娘エカテリーナ王女殿下の予定だったのです。それが騎士王陛下の強い希望で、カサンドラ様に変更になって」
「エカテリーナ姫って……五年前、アレクサンダー陛下との縁談が浮上したっていう、あの?」
ステラの問いかけに侍女は頷いた。
王に武勇が求められるレガリアでは女性は王になれないので、エカテリーナ王女の夫が次の騎士王になる。
次期王教育まで受けた仲睦まじい婚約者との間を引き裂けば却って禍根を招くので、アレクサンダーとの縁談はすぐ立ち消えになった。
「今はその婚約者様とご成婚されて、レガリアではおしどり夫婦として有名ですよ。もしもエカテリーナ様が招待されていたら、きっとご夫婦での参加になったでしょうね」
侍女の補足にステラは、おや?と首をかしげた。
「カサンドラ様は独身で、確か婚約者もいらっしゃらなかったのよね?エカテリーナ姫よりアレク君のお相手に良さそうなものだけど……あ、でもあの方はあの方で公爵家の跡継ぎだっけ」
ステラが一人で納得していると、侍女は「それもあります」と頷いて、言いにくそうに切り出した。
「カサンドラ公女はご本人もおっしゃっていたように、元は後継ぎではなかったのです。正室腹の兄上が三人いらっしゃったのですが……三人とも亡くなったため、公爵家の後継となりました。……五年前に」
五年前、というキーワードを聞いてステラは嫌な予感がした。
「兄上がたはスノーレイクとの戦で亡くなりました。五年前のカサンドラ姫は公爵家の後継に指名されたばかりで、我が国との政略結婚を考える余裕はなかったのだと思います」
「それって……カサンドラ様は、私たちのことを恨んでいないの?」
「まさにそれを危惧して、アレクサンダー陛下は最後まで賓客の交代に反対していました。エカテリーナ様ご夫妻は過去の因縁を水に流して、これからはスノーレイクと手を携えていくべき、というお考えですから」
騎士王の強い希望に、結局はスノーレイク上層部が折れることになった。
カサンドラは異母兄三人が死んだおかげで次期当主の地位を手に入れたのだから、邪魔な兄たちを殺してくれたスノーレイクに悪感情は抱いていないだろう。
ならばここらで恩を売っておくのも悪くない、という判断だった。
「それはカサンドラ様と兄上たちの関係性によると思うけれど」
「諜報員が調べたところによると、後継に据えられる前のカサンドラ姫は公爵家に虐げられていたらしいので、上層部も全く考えなしに騎士王陛下の要望を受け入れたわけではないようです」
「そう。それなら安心、なのかしら……?」
一応理屈は通るもの、ステラは何かがひっかかった。
「ねぇ、逆にカサンドラ様がアレク君のこと大好きって可能性はない?」
カサンドラが公爵家で虐げられていたならば、兄三人を倒したアレクサンダーは苦難から救い出してくれた王子様だ。
「だから私に無理やり結婚させられる前に逃げよう、なんて言い出したんじゃ!?私が婚約者でなくなれば、愛しのアレクサンダー陛下の妻になれるから!!」
考えれば考えるほどありそうな話だとステラは思った。
(だってアレク君は本当に素敵な男の子だもの、間接的に助けてくれたと知れば恋にだって落ちるはず!!!)
ステラの脳裏に、一瞬にして妄想劇場が流れた。
『ステラすみません、僕はこの婚約を破棄させていただきます!カサンドラ姫との真実の愛に生きます!』
『すまないね、ステラ嬢。この国にいるのはつらいだろうからレガリアで普通の女の子としての幸せを探していいのだよ?』
とりあえずカサンドラの申し出を断り城の下女としてお情けで雇われ、アレクサンダーとカサンドラの幸せな結婚生活を涙ながら見守るところまではハッキリと妄想した。
「ステラ様、ステラ様!大丈夫ですか!?」
涙目になって呆然としていたステラは、侍女に呼びかけられて我に返った。
「ど、どうしよう、アレク君に捨てられたらどうしよう……!!?」
「落ち着いてくださいステラ様、そんなことは魔王が百回降ってくるよりあり得ませんよ!!!」
「だってあんな美人の巨乳お姉さんに迫られて陥落しない男の子なんているかなぁ!!?」
「ステラ様だって立派なものをお持ちじゃないですか自信持ってくださいって!!!」
「脱げばいい!?脱いでアレク君に迫ればいい!!?」
「陛下が歓喜と羞恥と混乱のあまり鼻から出血死する未来しか見えないのでおやめください!!!」
どんどん赤裸々で下らない言い合いに発展していく主従に、見守っていた女騎士は「こんな調子で大丈夫だろうか……」とため息をついたのだった。
「そんなこと望んで~」で散々語られていたレガリアとの確執、具体的にはこんな感じでした。
異世界恋愛名物、婚約破棄の恐怖に怯えるステラさんですが果たして。
ところで異世界恋愛名物といえば、前回のあとがきできらびやかな感じになりますって言ったけど冒頭で力尽きました、すみません。
じ、次回こそは!




