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平民出身の新妻聖女に向かって「貴女に愛されるつもりはありません」と宣言した王の末路  作者: 日向 風花
番外編

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10/20

魔の森(後編)

 「ごめん、アレク君。怪我人が多すぎる。しばらく治癒に専念していいかな」


「勿論です。魔物は僕が弱らせますから、隙ができたら破魔の力でとどめをお願いします」


「わかった」


討伐隊を救いに来たステラとアレクサンダーはそれだけ打ち合わせると、二手に分かれた。


ステラは最も重症の副隊長のもとへ駆けつける。初手で広範囲に及ぶ治癒の力を使ったので、他の人たちはまだ余裕があるはずだ。


「副隊長さん、しっかりしてください!」


触手に腹を貫かれ血を吐いている副隊長に手をかざし、遠距離からでは治しきれない傷を癒し始める。


「す、ステラ、俺も、頼む……」


副隊長の体の下でかばわれていたラルフが情けない声を上げるが、ステラは一瞥もしない。


「おい、ステラ!早くしろよ、体中が痛ぇんだよ……!」


副隊長の傷を治し、呼吸が整ったことを確認するや、ステラは立ち上がって冷ややかな目でラルフを見下ろした。


「あなたの治療なんか最後に決まっているでしょう。そこで反省していなさい」


どんなに過酷な戦場でもけが人の前では笑顔を絶やさないステラが、軽蔑の目を向けてくる。ラルフが呆然としているうちに、彼女は次の兵士のところへ走り去ってしまった。


(う、嘘だ、幻聴でも幻覚でもない本物のステラが俺を見捨てるなんて、嘘だ……!)


ラルフはうつろな目で戦場を見回し、いやでも目に入ってくる戦闘を見た。


氷の槍で地面へ斜めに縫い付けられた魔物は、でたらめに触手を振り回している。あんなもの避けられるわけがないのに、銀髪の男は軽業師のようにひょいひょいと攻撃を躱しては、あの丈夫な触手を一息に断ち切ってしまった。


(何なんだよあれ、どうして人間にあんなことができるんだよ……!?)


ラルフにはとてもまねできない。否、剣の型だけは、よく見知っていた。ウッズワード家の太刀筋だ。


(あいつ一体、何モンだ……!!?)


初手に放ったような魔力任せの大技もさることながら、アレクサンダーの真骨頂は精密な魔力操作による身体強化と感覚強化だ。


魔力によって背後からの攻撃をも感知し、紙一重で回避。至近距離から、時には敵の攻撃も利用して、強化した筋力と速度でカウンターを返す。


理屈としては単純だが、常に動きを最適化し続けなければ手足が吹き飛びかねない妙技の連続である。


魔物はみるみる解体され、切り落とされた触手はびちゃびちゃと粘液をまき散らしながらのたうっていたものの、やがて動かなくなった。


アレクサンダー自身は粘液を一滴たりとも浴びることなく、本体に肉薄する。


丸太のような前足を両断し、氷の槍を追加で叩き込み、魔物はほとんど身動きできなくなった。


「お待たせアレク君、下がって!」


兵士たちの治療を終えたステラが、臆することなく魔物に駆け寄り破魔の光を放つ。猛威を振るった魔物が絶命し、ラルフ以外の全員が安堵の息を吐いた。



 大きな脅威はなくなったとはいえ、ここは魔の森である。動けるものは重傷者を一か所にまとめ、ステラは彼らを保護するための結界を展開し、アレクサンダーと軽傷で済んだ兵士たちが倒した魔物の解体や他の魔物への警戒を請け負う。


皆が自分のできることをこなす中、ステラに最低限の治療だけ受けたラルフは放置されていた。痛みを堪えれば動くことができるにもかかわらず、救護を手伝うでも警戒に加わるでもなく、ぼんやりと宙を見つめている。


(どうして、こんなことになったんだ、俺はただステラに……違う、今はそんなことを考えている場合じゃねぇ、どうする、親父にどうやって言い訳する!?)


この期に及んで自己保身のことにしか頭が働かないが、うまい言い逃れの方法など見つかるわけもない。やがて、裁定の時はきた。


がちゃり、がちゃりと金属鎧の触れ合う複数の音が近づいてくる。


ラルフが戦々恐々とそちらを見やれば、先ほど逃げた新兵に先導されて、辺境伯と少数の精鋭が現れた。その姿を見るなり、副隊長がよろよろと立ち上がる。


「あっ、副隊長さん、まだ動いては駄目です!」


止めるステラの声を振り切って、副隊長は主君の前に平伏した。


「辺境伯閣下。申し開きのしようもございませぬ。坊ちゃんを、止められませんでした……」


「何があった。話せ」


辺境伯に促され、副隊長が事の経緯を説明し始める。


「おい待てよ……!」


ラルフは慌てて割って入ろうとするが、この場に彼の味方はいない。辺境伯の連れていた精鋭たちに取り押さえられた。何より、怒気に満ちた辺境伯の鋭い目ににらみつけられると何も言えなくなる。


副隊長の説明が終わると、辺境伯は頷いた。


「この新兵から聞いた話と矛盾はないようだな。副隊長、お前の処分は後日申し渡す。今は傷を癒せ」


(なんでだよ、俺の話も聞かずに、そいつや逃亡兵の話を信じるっていうのかよ、親父!!!)


ラルフは内心でひどく苛立ったが、口には出せなかった。父親が恐ろしかったのもあるし、すぐにそれどころではなくなったからだ。


辺境伯はアレクサンダーとステラに向き直り、膝を折った。


「国王陛下、大聖女様。この度は、ご尽力に最大限の感謝を。このような身内の不始末に巻き込んでしまい、面目次第もございませぬ」


いつもは大貴族相手にだって対等な口を利く父親が、敬意と忠誠を示していることにラルフは驚愕する。


(こく、おう……?あいつが、ステラの婚約者……!?)


「そ、そんなの、ずりぃ……!ずるいじゃねぇか、クソ弱そうに見えたのに魔力でズルしやがって、恵まれているくせにっぐげぇっ!!!」


思わず口走ったラルフだが、最後まで言い切ることはできなかった。拘束していた戦士の一人、すぐ上の姉であるエイダが横面を蹴り飛ばしたのだ。


「黙れ。ウッズワード家の恥さらしが!生まれ持った魔力だけで触手持ちが討伐できるか!陛下の身のこなしを拝見すれば苛烈な鍛錬を積んだ戦士だと明白であろう!」


並の男よりも逞しい姉に上から踏みつけられ、ラルフはもう呻き声も出せない。そんなラルフを、アレクサンダーはつまらなさそうに一瞥した。


「私に対する不敬はこの際、どうでもいいのだ。身分を隠していたことも、純粋な筋肉量ではその男に劣るだろうことも事実だからな。国王ごときが貴き大聖女様の夫に収まろうなど厚かましい……という気持ちも理解できなくはない」


だが、と語気を強めたアレクサンダーは、視線で人が殺せそうな眼光でラルフを睨みつけた。


「その男は、ステラ嬢がこの世の至宝たる大聖女様であることを知っていながら、彼女を侮辱した。不敬という言葉すら生ぬるい大罪だ」


「ラルフが聖女様を……?どういう、ことです……?」


驚愕したような辺境伯の呟きに、アレクサンダーはラルフの言動の一部始終を聞かせてやった。聞くごとに辺境伯の顔色が悪くなり、ステラも否定をしないのを見るとこの世の終わりのような顔になる。


「それに加えて、分不相応の魔物に挑み、多くの部下を死傷させるところだった。魔の森の中のことはそなたの領分ゆえ、こちらについては口出しせぬが……この落とし前、どうつけるつもりだ辺境伯?」


辺境伯は苦渋を飲んだ顔で目を瞑り、一呼吸おいてアレクサンダーを見上げた。


「ラルフは最低でも廃嫡の上、二度とお二人の目にかからぬよう致します」


「師の子供だからと、情けをかけるのは一度きりだ。我らの前にもうひとたび現れたときは、末息子の命はないものと思え」


「……御意」


辺境伯は血がにじむほど拳を握り締めて頭を下げた。



 それからステラたちは辺境伯の次女エイダの先導で森を出た。ステラとアレクサンダーが先に行き、護衛も兼ねた精鋭、負傷兵と続き、最後に辺境伯が直々に拘束したラルフを引っ立てていく。


途中、本来の目的だった樹液も回収し、一行は黙々と進んだ。


ようやく辺境伯の城につくと、まだ夕方にもなっていないにもかかわらず皆の間には疲労感が漂っていた。負傷した兵士たちは兵舎へ戻り、辺境伯と精鋭たちはラルフを連れて地下牢へ向かう。


精鋭の中でエイダだけは城の中に留まり、出迎えた辺境伯の次男イアンと共にステラとアレクサンダーを客間へ案内した。



 エイダはどちらかというと父親似で、女性ながら屈強な体つきの、凛々しい美丈夫にしか見えない戦士である。


彼女のすぐ上の兄であるイアンは貴族階級出身の母親に瓜二つだという線の細い青年だ。兄弟の中では珍しく戦いの才がないので文官をしているという。


兄妹はステラたちが腰を落ち着けるなり、二人の前に平伏した。


「国王陛下、聖女様、この度は愚弟が申し訳ございませんでした!」


「顔を上げてください、お二人とも!悪いのはラルフ様で、私自身は実害があったわけではありませんから……!」


ステラは二人に手を差し伸べた。兄妹は恐縮しながら立ち上がる。


「実害のあるなしが問題ではございません。陛下と陛下の大切な婚約者様に弟が無礼を働いたこと、なんとお詫び申し上げればよいか……」


眼鏡をかけた細面を片手で覆い、胃が痛いのかもう片手で腹を抑えるのはイアンだ。


ラルフは貴族を母に持つこの兄をいけ好かないと嫌っているが、実際のところは故郷のため家族のため、政略の苦手な父や長兄に代わり細やかな采配を振るう苦労人である。


「ラルフのやつ、功を焦るなど愚かなことを……鍛錬が嫌なら、イアン兄上のように勉学に励んで文官になる道だってあっただろうに……」


「鍛錬は嫌だ、けど頭を使うのはもっと嫌だと、楽な方へ逃げ続けた本人の自業自得だろうさ。本当に……あいつの母上が気の毒でならないよ、私は」


弟のことをそのように言いながらも、二人の表情には末弟を止められなかった深い悔恨がにじんでいる。それを見て、アレクサンダーがぽつんと呟いた。


「あなたたちの弟は、僕のことを恵まれている、と言っていたけれど。頼りになる父親、心配してくれるきょうだい、存命の母親……僕が欲しかったもの全部持っているのは、あいつのほうなのにな」


「陛下……」


「すまない、僕のほうこそ言っても仕方のないこと言った。ステラと同じく、あなたたちに非があるとは思っていない。師匠は父親としてもうちょっとしっかりしてほしいけどね」


後半は少しおどけてアレクサンダーが言うと、ようやく張りつめていた空気が少し緩んだ。そこでイアンが、はっと息をのむ。


「そうだ、私としたことがお茶も出さずに失礼いたしました。エイダ、頼めるか?私はお二人にお持ちいただく詫びの品を用意してくる」


「承知しました、兄上」


ステラは恐縮したが、彼らのためにも遠慮しないほうがよい、とアレクサンダーに諭されて大人しく待つことにした。


やがて、イアンは魔の森で採取できる珍しい薬の材料を、エイダは薫り高いお茶のセットと茶菓子のワゴンを運んでくる。


「どうぞ、聖女様」


「ありがとうございます、エイダ様」


貴公子然としたエイダにお茶を差し出され、ステラは思わず照れた。その様子に、アレクサンダーは妙な胸騒ぎを覚える。


「ステラ?」


「かっこいいよね、エイダ様。レオナルド様から、エイダ様がアレク君の婚約者候補だったことがあるって聞いた時、実はちょっともやもやしたの。二人並んだら王子様とお姫様みたいでとってもお似合いだろうなって」


いつになくうっとりした眼差しのステラ。


「あの、ちなみにどっちが姫です?」


「えっ、もちろんアレク君がお姫様だよ?」


断言されたアレクサンダーは、ラルフには感じたことのない敗北感でいっぱいになった。


「……エイダ嬢。僕、負けません……!」


「お茶の淹れ方でしたら、王城でのやり方のほうが洗練されているように思いますが……?」


中身も父親に似て朴念仁なところのある妹に、イアンがそうじゃない、と頭を抱えた。



 そうして和気藹々とまではいかないものの、当初よりは和やかな空気で四人がお茶をしていたところ、客間に辺境伯がやってきた。


「父上。ラルフの奴は……?」


「処遇が正式に決定した。まずは陛下たちに報告したいから、お前らは外してくれるか」


「……わかりました」


いつもは活力に満ちている父親が疲れ切って老け込んだ様子に、子供たちは気遣わしそうにしながらも、一礼して部屋を辞していった。客間の中に緊張が戻ってくる。


辺境伯は冷たい床の上に膝をつき、首を垂れた。


「まずは、改めて息子の不敬を詫びたい。本当に申し訳なかった。尋問中も反省する様子がまるでなくてな。あれはもう……更生の余地もないだろう。鉱山での無期強制労働に処すことにした」


武具の需要が高い辺境伯家では、鉄鉱山をいくつか所有している。鉱山で働くのは罪人が主であり、実質刑務所だ。辺境伯の実子を廃嫡の上、生涯重労働の刑に課すとは、ある意味あっさり処刑するよりも重い処分といえた。


しかしアレクサンダーはその結果を、当然のような顔をして聞いている。


「動機については聞きましたか?」


「ステラ嬢に聞かせても、いいものか……」


辺境伯が伺うと、ステラは頷いた。


「かまいません。下手に隠されるほうが嫌です」


「……五年前からステラ嬢に、懸想していたそうだ。ステラ嬢にいいところを見せたかったと、馬鹿なことを……」


でしょうね、と自分で聞いておいてアレクサンダーは鼻を鳴らした。


「そもそもどうして僕の身分を隠したのです。僕が国王でステラの婚約者だとわかっていれば、あの男もあそこまで愚かな態度はとらなかったでしょう。わかっていてあの態度だったらとっとと手打ちにしていましたけど」


「あいつは俺に似て単純だから、アレクの身分を知ったら委縮して実力が出せなくなると思って……すまない、かわいい末っ子だと、甘やかしすぎた」


大きな体を縮こまらせて項垂れる辺境伯だが、アレクサンダーは大恩ある師に対しても冷ややかだった。


「だったら僕たちと同行させるべきではありませんでしたね。あの男の、ステラへの気持ちは知っていたのでしょう?トラブルになるとは思わなかったのですか?」


「それは、五年くらい前に聖女様と婚約させろとは言っていたが、すぐにあきらめたと思っていた。「もういい」と言っていたし、真面目に鍛錬に励むようになったからきっと心を入れ替えたんだろうと」


「師匠。世の中には、師匠のように頭で考えていることと口から出ることが一致している人間ばかりじゃぁないんですよ?当主からしてそんな風だから、ウッズワード家はいつまでたっても中央に軽んじられるのです」


辛辣に言い放ってから、アレクサンダーは気まずそうに立ち上がった。言い過ぎた事は自覚しているけれど、自分は正しい、とも思っていた。


「……少し、頭を冷やしてきます」


「アレク君……!?」


部屋を出ていくアレクサンダーを追いかけるべきかステラは迷ったが、一人にしてやりなさい、と辺境伯に止められて座りなおした。


辺境伯もステラの許可を得て、向かいの椅子に腰掛ける。


「……ステラ嬢、王妃になるなら、辺境と中央の軋轢についても知っておくといい」


「軋轢……?」


「どこから話したもんか……俺とアレクが、遠い親戚だってのは知っているかい?」


突然の質問に、ステラはきょとんとしながらも王家の家系図を思い浮かべて頷いた。


「はい。えっと……ヴィクトリア様のお母上が当時の辺境伯の妹君……ソフィーリア妃、でしたよね」


「おう、よく勉強してんな。俺と先王は、又従兄弟というわけだ」



 ウッズワード家が討伐しているかいあって、魔物の被害は北に行くほど小さくなる。


特に王都周辺では魔物を見ずに生涯を終える民も多く、魔物の被害を実感できないために、辺境伯家をわざわざ魔物狩りに精を出す野蛮人と見下す貴族も多くいた。


辺境の民も、大陸に魔物を通さない自分たちは人類の守護者であると慢心し、中央の人間を軟弱者と侮る傾向があった。


そこで中央と辺境の融和を目指すべく、当時の王は王太子の婚約者に辺境伯家の娘ソフィーリアを据えた。


美しく才気に溢れたソフィーリアに、あまりできの良くない王太子を支えてほしい、という思惑もあったようだ。


しかし、肝心の王太子はこの婚約に不満だった。野蛮な辺境人の癖に賢しげなソフィーリアではなく、洗練された中央貴族の令嬢こそ自分にふさわしいと考えていた。


甘言を囁く中央貴族の娘を侍らせ、王太子は結婚後もソフィーリアを冷遇した。


国王が崩御し王太子が即位すると状況はますます悪くなり、ソフィーリアは王女を一人生んだものの、夫に愛されない妃として城で嘲笑の対象になっていた。


この状況を知ったウッズワード辺境伯はどうしたか。


きっと最善は、ソフィーリアを離縁させて王女と共に実家に引き取ることだった。


あるいは「王の歓心を引けぬお前が悪い」とでもソフィーリアを罵倒したのなら、まだよかったかもしれない。


そうすれば賢いソフィーリアは、早々に王も実家も見限って自分と娘のために生きただろう。


ソフィーリアの兄である辺境伯は、善良な男だった。強く優しく魔王の瘴気にも挫けない、ソフィーリアの大切な兄だった。


その辺境伯は嘆く妹に言ったのだ。


「お前は賢くてかわいい、私の自慢の妹だ。頑張れば、いつか陛下もわかってくれるさ」


そんな、役にも立たない無責任な励ましを送られ続けた結果、真面目なソフィーリアは兄の期待に応えるために頑張った。


頑張って頑張って、高潔だったはずの精神はすり減り疲弊し、壊れてしまった。


そして、娘が聖女の力を持っていることを、知ってしまったのだ。


「この子を破魔と結界の力に特化した聖女にしましょう。


魔物を壊滅させれば、お兄様の負担はなくなるわ。


辺境人が野蛮人でなくなれば、陛下もきっとわたくしを見てくださる。


先王陛下の悲願だった融和も成る。


さぁ、ヴィクトリア。お前は誰からも憎まれ蔑まれ疎まれる聖女になるのよ」


聖女の力は持主の心の在り様を反映するものだ。


人に対する慈愛の心を持てば治癒や豊穣の力が、他者に対して拒絶の心が強くなれば結界や破魔の力が強くなる。


ソフィーリアは、ヴィクトリアが破魔と結界の聖女となるよう、狂気的な虐待教育を施した。


自身が娘を誉めず、貶し、暴力をふるうのはもちろん、娘の味方を徹底して排除したのだ。



 「……後のことは、ステラ嬢も想像がつくだろう?」


どこか遠くを見るような目で、辺境伯は言った。


「ヴィクトリア王女は母親の思惑通り、誰にも心を許さない破魔と結界の力に特化した聖女となり……だが、聖女一人の力で魔物の殲滅がかなうはずもなく。


ソフィーリア妃は失意のうちに亡くなり、不摂生の祟った国王も早世し、ヴィクトリア女王は若くして王位に就いた。


一人息子への教育は、女王が子供のころ受けていた教育そのものだったそうだ」


「そんな……」


救いのない話に、ステラは息をのむ。


「けど、先王ギデオンは、それを自分の子には繰り返さなかった」


「アレク君の、お父さん……」


「若いころ、何度も無意味に城へ呼び出されてよ。帰り道、高確率でアレクがいじめられてべそかいてるのに遭遇するんだ。見てられなくて稽古をつけているうちに、どんどん技を吸収するのが面白くて鍛えすぎちまった」


辺境伯はため息交じりに続けた。


「勉強の方はレオ爺さんが見ていたというし……母親と同じ過ちを繰り返すのが恐ろしくて、自分じゃ教えられなかったんじゃねぇかと思うんだ」


それは暗愚、暴君の代名詞ともなっている先王ギデオンの一面だったのかもしれない。


「ステラ嬢。中央と辺境の魔物に対する考え方の違いは、昔から続いてきた根深い問題だ。王家の悲劇を招いた一因は辺境伯家にもある。頼りないかもしれんが、困ったら相談してくれ。ソフィーリア妃みてぇになるんじゃねぇぞ」


「ありがとうございます。でも、大丈夫だと思いますよ?私には世界一頼りになる旦那様ができる予定ですからね」


それを聞いた辺境伯は面食らい、アレクサンダーのステラへの献身ぶりを思い出して納得した。


「それもそうだな。じゃぁ、その旦那様を呼んできな。そろそろ帰らないとキャロル一家が心配するころだ」


辺境伯に促されてステラがアレクサンダーを探すと、彼は鍛錬場で無心に剣を振っていた。


ラルフの一件があったためか、国王への遠慮のためか、辺境伯の戦士たちの姿はなく広い敷地はがらんとしている。


「アレク君」


ステラが声をかけると、振り返ったアレクサンダーは、バツの悪そうな顔をして木刀を下した。


「ステラ。置いてけぼりにしてしまって、ごめんなさい」


「ううん。たまには一人になりたいときもあるよね。でもそろそろ戻ろうか」


「はい。……師匠は、怒っているでしょうか」


借りていた木刀を戻しながら、アレクサンダーは家出が見つかった子供のように肩を落としている。


「どうして?閣下には気の毒だけど、君は何も間違ったことは言ってないでしょう」


「悪いのはあいつで、本当は、師匠が悪いわけじゃないのに、八つ当たりしました。師匠が僕より実子のあいつを大切に思うのは、当たり前なのに」


「それは……」


きっとギデオンだってアレクサンダーのことを大切に思っていた、と励まそうとして、それがあまり意味をなさないことに気づいて言葉を飲み込むステラ。


実のところ、ステラはアレクサンダーの実父ギデオンに対して、そこまで恐ろしい人だとは思っていない。


もちろん先王の暴虐はあってはならないことだったし、一度だけ城でまみえたことのある先王がステラに優しくしてくれたわけではないけれど、ひどい扱いも受けなかった。


忌み嫌っている母親と同じ聖女の力を持ったステラを、憎んでもよかったはずなのに。


(それに、先王様は……)


ステラを戦の駒として差し出したのは当時の養父だった公爵だが、アレクサンダーがいる戦線に配属したのはギデオンだ。


(アレク君が危ないとき私が助けるのを、期待していたんじゃないのかな)


所詮はステラの推測だし、実父に大切にされていた可能性は、父親を手にかけたアレクサンダーをかえって傷つけるだろう。だからステラは、ただ手を差し伸べた。


「帰ろう、アレク君。お義父様が待ってるよ」


「そうですね。キャロル男爵に心配をかけてはいけない」


ステラ達が客間に戻ると、辺境伯は気まずそうに二人を迎えた。


「いや、まぁ、なんだ。少し前から、魔法陣が光り始めてよ。キャロルの奴が首を長くして待っているらしい。早く戻ってやりな」


「はい……」


ぎこちない空気の中、三人は転移の魔法陣の部屋へと移動する。部屋に入ると辺境伯の言うとおり、魔法陣がステラたちの帰還を待ちわびるように輝いていた。


土産と詫びの品を山ほど持たされたアレクサンダーは、先に魔法陣に入ったステラを追いかけようとして、ためらいがちに師を振り返った。


「あの、師匠。その……さっきは少し、言いすぎました。もう、ここには来ないようにしたほうがよいでしょうか」


それを聞いた辺境伯は、目を見張った。


「……何を言ってやがる」


そしてしょんぼりした様子のアレクサンダーに歩み寄り、彼の銀髪をわしわしとかき回す。


「嫌気がさしたんじゃなければ、いつでも来い。今のお前なら、魔王の瘴気に心を食われることもねぇだろう」


「わっ、ちょっと、やめてください師匠!」


両手に荷物を抱えているのでぐしゃぐしゃになった髪を整えることもできず、アレクサンダーは逃げるようにステラの隣に立った。


「またな、二人とも!」


その様子に辺境伯が破顔し、片手をあげる。


「……はい、また」


「お世話になりました、閣下!」


アレクサンダーとステラが別れの挨拶を告げた直後、転移の魔法が発動し、風景が歪んだ。


転移の揺らぎが落ち着くと同時、


「ステラ!!!」


悲鳴じみた女性の声がしたかと思うと、ステラに義姉が飛びついてくる。見れば、狭い室内に男爵とその息子夫婦、ステラの実父が集まっていた。


「すまない、隠しきれなかった……」


疲れ切った様子のキャロル男爵の様子で、だいたい何があったのか察したアレクサンダー。彼の横では、


「バカバカ、ステラのおバカ、私たちのために無茶をするなんて、頑張りすぎちゃ駄目ってあれほど言ったでしょぉが!!!」


ステラが義姉にぎゅうぎゅうと抱きしめられている。


「はぅ、ご、ごめんなさいお義姉様……!」


「こらこら、気持ちはわかるが君は妊婦なのだから、少し離れてやりなさい」


涙目のステラと窘める義兄を何とはなしに眺めていると、ステラの実父がアレクサンダーの元へやってきた。


「荷物をお持ちします、陛下。お怪我はございませんか?」


気遣いの言葉に、アレクサンダーは目を丸くした。アレクサンダーは先の戦争を終結させた英雄だ。強いことは百も承知だろうに、気遣われるとは思ってもみなかった。


それに片腕のない人に重たい荷物を預けてしまっていいのだろうかとためらっていると、男爵がひょいと荷物の一部を取り上げた。


「おかえりなさいませ、陛下。恐れ多いことですが、我らは貴方の父親のようなつもりでおります。遠慮ならなさいますな」


もう片方の手をそっと背中に添えられて、目を瞬く。不意に涙をこぼしそうになったのを、二人とも見ないふりをしてくれたようだった。


男爵家の人々はみな暖かくて、この家はとてつもなく居心地がよかったけれど、だからこそ自分は場違いなような気がずっとしていた。


「……はい。ただ今、戻りました」


ここを自分の帰る家にしていいのだな、と理解した瞬間。アレクサンダーはただいまの挨拶をごく自然に口にしていた。

最初は前後編くらいのつもりが、本編に匹敵する長さの後日談になるとは思わなんだ……。辺境伯一家の設定に凝りすぎた自覚はある。

ラルフは兄姉に対する認知がゆがんでいますが、辺境伯の子供たちは奴以外みんな人格者です。以下、無駄に作った設定の供養。


長男

正室の子。辺境伯に生き写しの豪快な兄貴分。

母親は幼いころからの辺境伯の婚約者だった貴族女性。


長女

妖艶なお姉さま。母親似。兄弟の中では人の機微に敏い方。気品があるので生粋の貴族とよく勘違いされるけど実は平民の子。

結婚・離婚・出戻りを繰り返しているのを末弟には馬鹿にされているが、自ら望んで敵対派閥に潜入し、政略に疎い父や長兄を裏から助けている。

母親は職場が魔物の襲撃にあったところを救出してくれた辺境伯にほれ込んで、押しかけ女房した舞台女優。


イアン

次男。高位貴族出身の側室の子。母親似。

戦闘の才能はあまりないので生家の文官をしている(でも最低限は戦える)。

ラルフには神経質な貴族野郎と疎まれているが、政治が苦手な父や兄を表から支える苦労人。

母は魔物に襲われたところを辺境伯に救われ、実家の反対を押し切って嫁入りした。

長女の母と似たような経緯もあって母同士はなにかと対抗しているが、根っこのところでは仲はいいい。


エイダ

次女。平民ながら高名な戦士の遺児だった母と辺境伯の間に生まれた娘。

辺境伯の実娘で未婚なのは彼女一人であり、一瞬アレクサンダーの婚約者候補になりかけたことがある。

兄弟の誰よりも凛々しい王子様然とした女戦士で、領地の女性から絶大な人気を誇る。ちょっぴり天然。


ラルフ

残りカス勘違い野郎。

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