0日目
「貴女に愛されるつもりはありません」
初夜の床で夫から告げられたステラが覚えたのは、怒りではなく哀れみだった。
片や、暴君だった先王を僅か十二歳で打倒し、五年かけて荒れ果てた国内を立て直した英雄。片や、二十年の人生ほとんどを故郷でのほほんと過ごしてきた、元平民の聖女である自分。釣り合わなさ過ぎてごめんなさいって感じだ。
(よほど不本意だったのだろうなぁ、可哀そうに)
先の発言の意図は、平民出の妻など汚らわしいとか、本来結婚するはずだった高位貴族の恋人でもいるとか、大方そんなところだろう。そんな予測をするステラに向かって、王は重々しく告げた。
「何故なら貴女は……僕の推しだからです」
「何て???」
幻聴の類かと、つい間抜け極まる声が出た。対して、王は真顔で返答する。
「慈悲深く気高い至高の大聖女様。貴女は僕の推しなのです!!!」
次の瞬間、王が宙を舞った。ゴツッ!!!と激しい音を立てて、額を床にこすりつけ、絶叫を上げる。
「権力で推しを無理やり妻にするなど、ファンの風上にも置けぬ罪深き行い!!!謝ってどうにかなるものではございませんが、誠に申し訳ございませんでした!!!」
なんだっけこれ?あっ、スライディング土下座だ、王様にさせちゃいけないやつだ。そう思い至った瞬間、ステラも絶叫を上げた。
「落ち着いてください陛下、とりあえず顔を上げて!!!」
すると王は素直に顔を上げる。澄んだ青空のようなその瞳を見つめ、結婚以降初めて目が合ったな、とステラは思った。
スノーレイク神聖王国国王アレクサンダーと聖女ステラの婚姻を整えたのは、王立図書館長レオナルドである。アレクサンダーの父方の祖父だ。
先々代女王の王配でありながら、レオナルドは若かりし頃より図書館に引きこもり、表舞台にはめったに姿を現さなかった。そんな世間からほとんど存在を忘れられていた老人が、突如強権を行使して孫と聖女の結婚をまとめてしまったのだ。当の国王ですら抗う間もない早業だった。
ましてやステラに婚姻を断る術などなく、本日の挙式と相成ったのだ。王族にしては簡素な式の後、着心地は極上だけど色気はあんまりない寝間着を着せられて、今に至る。
「聖女様。ご家族思いの貴女様が婚姻に応じざるを得なかった事情は承知しております。ですが、貴女は心から愛する方と幸せになるべきです」
「そう言ってくださるお気持ちは嬉しいですけど……今まで聖女活動一辺倒だった私に、結婚を考えている相手なんておりませんよ?」
「ではいつか出会う運命の方のために!どうか僕に三日ください。必ずや祖父を説得して、僕の有責で離婚してみせます!!!」
「いや、無理では」
王様が三日で離婚したら駄目だろう。しかも王様の有責で。ステラのツッコミは至極当然のはずだが、
「ならばこの結婚自体無かったことにいたします!聖女様の戸籍に傷をつけるなど許されざることですから!!!」
王様の意気込みは衰えることを知らない。アレクサンダーは懐から小さな木箱を取り出し、片膝をついてステラへ差し出した。
「口約束だけではご不安でしょう。こちらは僕の覚悟の証です。聖女様の好きなようにお使いください」
反射的に受け取ったステラは、ちょっと後悔した。触れてみて、極めて高度な魔道具の保管箱だとわかったからだ。何が入っているのか恐ろしいが、突き返そうとした相手は既に扉の前で退出の礼をしていた。
「本日はお疲れ様でございました。どうぞごゆるりとお休みください」
そうしてアレクサンダーが部屋を出て言った直後、部屋の前で何か大きなものが倒れる音がした。
「ああ゛あぁあ緊張した!!!推しと同じ空間が貴すぎる!!!」
「陛下!!?」
「まずい!陛下が息をしていないぞ!」
「誰か医者を呼べ、このままでは陛下が尊死してしまう!!!」
「婚姻を結んだ以上は直接お詫びするのが礼儀だなんて、無茶しやがって……」
「陛下!ヒッヒッフーです、ヒッヒッフー!!!」
というアレクサンダーと近衛騎士たちの緊迫してるんだかゆるいんだかわからない会話が聞こえてくる。医療従事者であるステラは助けに行こうとしたが、扉を開けると近衛の一人が気付いて申し訳なさそうに頭を下げた。
「うちの陛下がお騒がせして申し訳ございません。安静にしていればそのうち息を吹き返すと思うんで、どうぞお休みください」
「あっ、ハイ」
確かに自分が近づいたら事態が悪化するかもと思ったステラは、おとなしく引き返してフカフカの寝台に寝転んだ。そうして数拍の後には眠りの世界へ旅立っていった彼女は、結構図太い聖女であった。