08 お披露目
ソリタリオ王子は厩舎の馬、しかもひときわ気性が荒いとされるヴェルソード種の馬たちを完全に手懐けていた。
しかもエサとかムチとかぜんぜん使っていない、純粋かつ完全なる調教。
それはすごいの一言で、わたしだけでなくさっきまで苦情を申し立てていた生徒たちも言葉もない。
当のソリタリオ王子は慌てふためくわたしたちそっちのけで、馬たちに無邪気な微笑みを振り撒いていた。
「みんな、今日はよろしく頼むよ。僕以外の人間を乗せなくちゃならないのは不満かもしれないけど、それも人生さ。それじゃあ、二番目の主人のところに戻るといい」
王子がそう言うと、馬たちは名残惜しそうに蹄を返す。さっきまで跨がられていた生徒の元にしぶしぶといった様子で戻っていた。
わたしは一瞬、わたしも馬になれば王子はやさしくしてくれるのかな……。なんて思ってしまう。
しかしそんな妄想は、王子がスーホくんに跨がった瞬間に消し飛んでしまった。
う……馬になってる場合じゃない!
わたしが幼少の頃に憧れていた、白馬の王子様そのものがそこにいたから。
朝日を背に立つソリタリオ王子の姿は、直視できないほどの輝きを放っている。
光の脚が背後から広がって翼のように見え、もはや白馬の天使様だった。
つ……ついに……! ついに、叶っちゃうんだ……!
王子様に手をさしのべられ、白馬に乗る……長年の夢が、ついに……!
……ってこれ、夢じゃないよね!? あっ、もしかしてわたし死んじゃったとか!?
わたしが頬をムニーと引っ張っていると、冷たい雨のような声が降ってきた。
「ソレイユ、なにやってんの? その顔……まさか僕の馬に乗るつもりじゃないよね?」
わたしは腫れあがった頬をさらに叩かれたようなショックを受ける。
「の……乗せてくれないの!?」
「冗談のつもりだったのに、本気で乗るつもりだったんだ……。もしかして、ソレイユは乗馬もできないの?」
「で……できるわよっ!」
売り言葉に買い言葉でとっさに言い返しちゃったけど、わたしは馬に乗ったことがない。
いや、子供の頃に何度か跨がったことはあるけど、落馬しまくってパパから禁止されちゃったんだよね。
でもいまさら乗れないなんて言えない。
気づくと昇降台にはわたし用の馬がセッティングされていたので、わたしは清水の舞台にあがるような気持ちで昇降台に上る。
しかしわたしは背が低いので、大柄なヴェルソード種の鞍にまたがろうとしても脚がぜんぜん届かなかった。
「んぎゅぅぅぅぅ~~~!」
「ソレイユ、俺の馬に乗れよ」
パンツが見えそうなくらいムキになって脚を上げていたら、馬に乗ったナイトくんが見かねた様子で来てくれた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしはナイトくんの馬に乗せてもらうことになった。
ナイトくんに手をさしのべられたのでがんばって馬の背中に跨がろうとしたけど止められて、横乗りというものを教えてもらった。なるほど、これならパンツが見えなくてすむ。
騎馬隊の隊列は王子が先頭で、半馬身くらい引いた隣にナイトくんとわたし、その後には整列した生徒たちが続く。
宮殿を出たところで、わたしは聞こえよがしに言った。
「乗せてくれてありがとう、ナイトくん! 本当にナイトくんはやさしいなぁー! 誰かさんとは大違いだわぁー!」
言いながらソリタリオ王子をチラ見すると、妙にマジメくさった顔の王子と目が合う。
「ソレイユ、ひとつ言っておくことがある」
あ……ちょっと、やりすぎちゃったかな?
ドキッとしていたら、王子はわたしの緊張を見透かしたようなからかい口調になった。
「僕とキミは婚約中だけど、その間でも他の男と付き合って構わないよ。僕以外の男が好きになれるならの話だけどね」
む……ムカつくぅ~っ!
わたしは馬から落ちないようにナイトくんの腰に手を回してたんだけど、ヤケになってさらにぎゅっと抱きついた。
「い……いいの!? じゃあナイトくん、わたしたち付き合っちゃおうか!?」
王子を抱きしめたりなんかしたら心臓が爆発すると思うけど、ナイトくんならへっちゃらだ。
これで王子も少しは妬いてくれるんじゃないかと思ったけど、王子は吹き出して笑っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
宮殿から『王立ヴェルソ学園』まではゆったりとした馬の足どりで15分くらいかかる。
途中で市街地を通るんだけど、お披露目の日は交通規制がされていて、民衆が道端に集まっていた。
そのど真ん中を大勢の馬たちが蹄を鳴らして行進する様は、傍から見ればなかなか壮観だと思う。
しかし歓迎されるばかりではないようで、遠巻きにヤジを浴びせてくる人もいた。
「あれが噂のボンボン王子か! はじめてのお披露目らしいが、どんなツラしてやがるんだろうなぁ!」
「きっと親の七光りでテッカテカだろうぜ! ぎゃはははは……! は……は……!」
しかしソリタリオ王子を目の当たりにした瞬間、ヤジは途切れ、笑いは消え去る。その輝きに誰もが目を見張っていた。
女性なんかはひと目で心を掴まれていて、お年寄りから子供までみんな目がハートになっているのがわたしにもわかった。
「驚いただろ」とナイトくん。
「うん、びっくりした! やっぱり王子はモテモテなんだね!」
「違うよ、ヤジを飛ばしてくるヤツらの多さに驚いたんじゃないか? 普通、こういうパレードは歓声ばっかりだろ?」
「あ、そういえば歓声がぜんぜん無いね。……でも、どうして?」
「この国が帝国領になったのをいまだに快く思ってないヤツが大勢いるのさ。でもそういう場合、王族ってのは体制に賛同する民衆だけを配置して、いかにも民衆が帝国領になったことを歓迎するように演出するだろ? でもリオは逆で、反体制の人間を優先するように指示してるからな」
「えっ? ということはいまここに集まってるのは、王子が嫌いな人たち……? でも、王子はなんでそんなことを……?」
「リオはイエスマンが嫌いなんだよ。見習い騎士団のヤツらも普通に文句言ってただろ? リオは反抗的、もっと言えば敵対的な人間をまわりに置きたがるんだ。おかげで警備の段取りをさせられてる俺は苦労しっぱなしさ」
なんでそんな自分の不利益になるようなことをするのか。
その理由も、いまならわかる気がする。
最初はヤジだらけだった街並みがすっかり静まり返っているのを目の当たりにして、嫌というほどに。
ソリタリオ王子は自分の絶対的なカリスマで、反対派の人間を賛成派に変えようとしている。
民衆くらいなら自分の勇姿を見せつけるだけで、簡単に黙らせられるのを知っているんだ。
むしろ、最初はわざと相手に攻撃させているようなフシがある。
まるで手のひらの上で相手を踊らせて、楽しんでいるかのように。
あれ……? もしかしてソリタリオ王子って、とんでもないドSとか……?
そんなことを考えていると、ふと王子と目が合って肩が跳ね上がりそうになった。
王子は「いまさら気づいたの?」みたいな微笑みでわたしを見ていたから。
街道にはもう沈黙はない。あるのは王子を称賛する喜びの声ばかりだった。