07 森の妖精王
それからわたしは厩舎の馬たちと一緒にごはんを食べ、いっしょに床につく生活を送る。
宮殿の敷地内は警備がバッチリだから、厩舎で寝ても危ないなんてことはない。
外敵に襲われる心配がないので、飼育されている馬たちも横になって眠る。
わたしはスーホくんのすぐ横で、いっしょになってスヤスヤ寝てたんだけど……。
途中で蹴飛ばされて飛び起きてしまった。
「いったぁ!? なにするのスーホくん!?」
わたしは抗議したけどスーホくんはわざとやったわけじゃなかった。
スーホくんは夢を見ているようで、寝たまましきりに前足を掻いている。
やがてパッと目を開けると、夢だったか、と安堵したような素振りを見せていた。
馬が前足を掻くのは、不安を感じている証拠だ。
もしかしたらわたしがそばにいるのが嫌なのかなとも思ったけど、それだったら横になって寝たりしないよね。
「他に、なにかストレスになるようなことがあるのかな……?」
しかし思い当たるフシは特にない。なんとなくあたりを見回していると、ふとあるものが目に入った。
『ソリタリオ様初登校まで、あと5日』
「もしかして……スーホくん、お披露目を控えて緊張してる?」
競走馬でも大きなレースになると緊張することがあるって聞いたことがある。
馬は察しがいいので、まわりの人間が緊張しているとそれを感じ取るという。
お披露目という言葉がわたしの口から出た途端、スーホくんがピクリとなるのがわかった。
わたしは起き上がり、寝ているスーホくんの頭のそばまで行く。
スーホくんの頭をやさしく撫でながら、静かな声で言った。
「大丈夫、心配しなくてもいいよ。お披露目でスーホくんが失敗しても、わたしが全力でフォローするから」
するとスーホくんはブルッと鳴く。わたしはこれがスーホくんからの返事だったらいいなと思いつつ、言葉を繋ぐ。
「わたしが約束を破ったことある? もしスーホくんが失敗して叩かれたりしたら、わたしがその人を叩きかえしてあげるから。たとえ相手が王子だったとしても……だから安心して、ねっ?」
しかし今度は返事をしてくれなかった。スーホくんは念仏でも聞かされているように、耳をプルプルさせるばかり。
そういえば宮殿にいる時、ジワルくんに言われた。
『お前、馬に話しかけてるんだって? バッカじゃねぇの、馬が人間の言葉なんてわかるわけないだろ。マジでジワるんだけど』
馬は人間の言葉なんてわからない……。たぶん、そうかもしれない。
わたしがいくらスーホくんに話しかけたところで、その思いは100分の1も伝わっていないかもしれない。
「でも1000分の1でも伝わってるなら、1000回話せばいいってことだよね。ずっと続けてたら、いつかは想いが伝わるよね……」
わたしは気持ちを込めてスーホくんをナデナデしながら、「大丈夫、大丈夫」と暗示のようにつぶやく
「スーホくんはひとりじゃないよ、わたしがついてる。明日もブラッシングをして、人参をいっしょに食べて、いっぱい遊ぼうね……」
気づくとスーホくんは、わたしの膝枕で寝息をたてていた。
わたしはその安らかな寝顔を、朝までずっと撫でてあげた。
わたしは膝枕の体勢のままウトウトしてしまい、舟を漕いだ拍子にハッと目が覚める。
厩舎を満たす日差しに目がショボショボする。スーホくんの姿はどこにもない。というか厩舎の馬はみんな出払っているようだった。
外からナイトくんの号令が聞こえるので、どうやらお披露目のリハーサルをやっているらしい。
意識がハッキリしてきたので立ち上がろうとすると、わたしの肩にブランケットが掛けられているのに気づく。
ブランケットはラベンダーの香りがして、そのおかげでこんな環境でもよく眠れたような気がする。
「きっと、ナイトくんが掛けてくれたんだ……」
わたしは彼の気づかいが嬉しくなって、ぎゅっとブランケットを抱きしめる。
と同時に、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じていた。
まったく、誰かさんとは大違いだわ……!
婚約者が厩舎にいるのに、見にも来ないなんて……!
朝からぷりぷりしちゃったけど、そんな不満がどうでもよくなるくらい今日はいいことがあった。
干し草を運んでいると、いきなり後ろからガッと襟首を掴まれて持ち上げられたんだ。
「な……なに!?」と思ってジタバタしながら振り向いたら、スーホくんがわたしの服の襟を噛んで持ち上げて、そのまま歩いてくれていた。
「……わあっ、ありがとう、スーホくん! 見て見てナイトくん! スーホくんがわたしを運んでくれてる!」
「普通は背中に乗せて運んでもらうものだけど、咥えられて運ばれるってのは珍しいな。子猫かよ」
「にゃーっ! らくちんらくちん! よぉーし、スーホくん、せっかくだからこのまま走ろう、それーっ!」
わたしが指さした方角に先に向かって、駈足で走りだすスーホくん。
それから宮殿の使用人たちの間では、王子の馬に咥えられて走り回るわたしの姿がちょっとしたウワサになったらしい。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
スーホくんと仲良くなって数日が経ち、ついに登校初日。お披露目の日がやってくる。
わたしは宮殿のドレッサールームで制服に着替えると、ヨロヨロと寝室を出た。
ちょうど廊下を通りかかった、ガウン姿のソリタリオ王子と目が合う。
それはまるで一流芸能人のプライベートショット。まぶしすぎるあまり、わたしはふたつの太陽から朝日を浴びたようにシャッキリした。
「お、おはようございます、王子……!」
「目の下にクマができてるけど」
「あ、はい。昼はスーホくんのお世話で、夜はスーホくんを寝かしつけてて、わたしはあんまり寝てなくて……」
「そう。相変わらず変わったことしてるね」
その冷たい一言に、わたしはカチンとくる。
「あ……あなたの愛馬をお世話してるんだから、ご苦労様の一言くらいあってもいいんじゃない!?」
「頼んだ覚えないけど」
「ぐっ……!」
ハラワタが煮えくり返りそうになるわたしをよそに、ドレッサールームに入っていく王子。
待ち構えてガツンと言ってやろうと思ったけど、制服姿となって再登場した王子にはすべてを忘れて見とれてしまった。
……か、カッコイイ……!
王立ヴェルソ学園の男子の制服は、白を基調としたブレザー。
白は膨張色のはずなのに、王子が着るとすらりとしたスリムなシルエット。
右胸には金色の飾緒が付けられていて、髪色とマッチしたロイヤル感を演出。
左胸には薄いピンクのバラを挿していて、お堅い印象を柔らかくしている。
そしてなんといってもサファイアのように輝く瞳がたまらない。
自然と目が奪われ、もし視線が合ったなら青い鳥を見たような幸せな気分になれる。
もはや声も、青い鳥のさえずりといってもいいかもしれない。
「初日はお披露目だから、いっしょに登校しよっか」
「は……はひ……」
ハートを半分ほど奪われてしまったわたしは言われるがままま、夢見心地で王子についていく。
宮殿には王族専用の門があるんだけど、その前には馬に乗った騎士見習いの生徒たちが勢揃いしていた。
列の先頭には、ナイトくんの姿もある。
ヴェルソード種の馬は普通の馬よりずっと大きいので、王族が乗る場合は昇降台を使うそうだ。
ソリタリオ王子が用意されていた昇降台にあがると、傍らに控えていたスーホくんが横付けされる。
しかしソリタリオ王子はスーホくんにはまたがらず、朝礼台の校長先生のように、整列している騎士たちを見回していた。
ふと、こんなヤジが飛ぶ。
「ソリタリオ王子、乗らないんっすかぁ!?」
「もしかして、振り落とされるのが怖いとか!?」
「そりゃ、ぶっつけ本番ですもんねぇ! いままで一度も練習に参加してこなかったんだから!」
騎士見習いの生徒たちは、毎日のようにお披露目の練習として馬に乗っていた。
ナイトくんも言っていたけど、ソリタリオ王子は一度も練習に参加していないようだった。
それが他の生徒たちには不満だったのだろう、相手は王子だというのに抗議が止まらない。
「馬も乗りこなせないような人についていくのは、正直不安です!」
「おいお前ら、いい加減に……!」
ナイトくんがたしなめようとしたところで、ソリタリオ王子は声を張り上げた。
「ドロップ!」
その一言が響き渡った途端、整列していた馬たちは一斉に天を衝くほどに前足を高く上げる。
いきなりのことだったので、馬に乗っていた生徒たちはナイトくんのぞいてみんな振り落とされて地面に叩きつけられていた。
「カム!」
次なる掛け声で、無人となった馬たちは我先にとソリタリオ王子の元に殺到。
「ダウン!」
昇降台のまわりを取り囲んだ馬たちは、流れるような動きでヒザを折っていた。
しかも、近くの木々からリスやウサギまでもが飛び出してきて伏せをしている。
「グッド、よくできたね」
キラキラした木漏れ日のなかで、動物たちに向かってニコッとするソリタリオ王子。
その姿はまるで森の妖精王のような神秘的な美しさだったので、わたしの残り半分のハートはすっかり奪いつくされてしまった。