06 ヘビイチゴざまぁ
ソリタリオとジワルの現在の乳母であるヘビイチゴ。
マザーロウから全権委任されている彼女に逆らえる女など、この国には存在しない。
はずなのだが、廊下を歩いているその顔は飼い犬に手を噛まれた直後のように不機嫌。
窓から抉りこむように差し込む西日を浴び続けているせいで厚化粧の顔は乾ききり、引きつる頬のあたりはヒビ割れ、呪いの仮面のような顔になっていた。
――まったく……! あの田舎娘はなにをやっているの……!?
これまで王子の婚約者となった女どもは『将を射んと欲すればまず馬を射よ』とばかりに、このヘビに媚びを売ってきたというのに……!
そんな浅ましい女どもに無理難題を言いつけて、泣かせるのがヘビの楽しみのひとつなのに……!
それなのにあの田舎娘ときたら、初日に挨拶に来たっきりで、それっきり顔も見せないなんて……!
小娘のクセしてこのヘビをないがしろにするなんて、いい度胸じゃない……!
いますぐここから追い出して、世間的な笑い者にしてやらないと気が済まない……!
ヘビイチゴは来客用の寝室が並んでいる廊下、とある一室の扉の前で立ち止まり咳払いをひとつ。
ノックすると、部屋の中から『はーいっ!』と元気な声が返ってくる
「ちょっといいかしら?」
『あ、その声はヘビイチゴ様! すいません、いまちょっと手が離せなくて……!』
「いいのよ、そのままでいいから聞いてちょうだい。今日の夕方、お客様がたくさん見えられるの。寝室がひとつ足りなくなりそうだから、夕方までにその部屋を開けてちょうだいな」
『そうなんですね、わかりました!』
「かわりに、あなたにピッタリの部屋を用意しましたからね」
これはヘビイチゴが得意とする、婚約者いびりのひとつであった。
まず婚約者を王族の寝室ではなく、来客用の寝室に住まわせる。これが第一段階の嫌がらせ。
第二段階になると客を大勢呼びつけて寝室を埋め、それを理由にさらに酷い部屋へと追いやるのだ。
新しく用意された部屋は貴族の令嬢ではとても耐えられる場所ではなく、即日「実家に帰らせていただきます!」となる。
ヘビイチゴは長い舌をチロチロさせて思案していた。
――さぁて、かわりの部屋はどこにしましょうかねぇ……。
使用人の部屋? それとも屋根裏?
いやいや、そんなのでは私の怒りは収まらない……。
聞いた途端に、泣きながら逃げ出したくなるような場所でなければ……!
やがてほくそ笑み、ソレイユの新たなる住まいを告げる。
「あなたには特別に、馬小屋を用意してあげたわ。あなたみたいな田舎娘は、お馬さんといっしょに寝るのがお似合いですからね、おーっほっほっほーっ!」
高笑いとともにヘビイチゴは想像する。この直後、扉がズバンと開いてソレイユの泣き顔が飛びだすのを。
かくして扉はズバンと開く。しかしその先にあったのは、まったく違う顔であった。
「ええっ!? いいんですか!? 今晩からちょうど、厩舎で寝泊まりするつもりだったんです!」
ババーンと現われた顔は泣いているどころかヒマワリのような満面の笑顔。
しかも泥にまみれていたので、貴族の令嬢というよりワンパク小僧のような姿であった。
顔に這うテントウムシ。その七つ星はヘビイチゴにとっては死兆星といってもよかった。
「ぎゃあーっ!?」
ヘビイチゴは虫が大嫌いであった。
思わず後ずさり、壁に張り付くヘビイチゴ。ソレイユははちきれんばかりの笑顔で近づいていく。
「お許しくださりありがとうございます! 王子の婚約者が厩舎で寝るなんてとんでもない! って怒られちゃうかと思いましたけど、ヘビイチゴ様公認なら安心です! それに実をいうと、いっしょに寝るってスーホくんと約束してたんですよね! それじゃ、お風呂に入ったあとすぐに厩舎に引っ越しますね! やったーっ!」
一方的にまくしたてたあと、スキップとともに去っていくソレイユ。
豪奢な廊下に弾む、泥だらけの娘。そのコントラストはヘビイチゴにとって、美しい宮殿についたシミのように見えた。
ありえない光景に、ありえない仕打ち。ヘビイチゴは取りだしたハンカチを噛みしめていた。
――将を射んと欲すればまず馬を射よ……!
でもお前みたいな女に媚びを売るくらいなら、本当の馬に媚びたほうがマシ……!
あの田舎娘は、遠回しにそう言っている……!
ぐっ……ぐぎぎぎぎっ……!
な……なんという女でしょう……!
ヘビをここまでバカにしたのは、あの女以来だわ……!
ヘビイチゴは、元祖ヒマワリのような笑顔の少女を想起する。
――プリシラっ……!
マザーロウ様からアレクシオス様を奪おうとした、生粋のドロボウネコ……!
そしてマザーロウ様の取り巻だったヘビを、苦しめた女……!
フフ……田舎の小娘と思って見くびっていたわ、ソレイユ……。
そっちがその気なら、こっちもイジメは止めましょう……。
潰すっ……! 念入りにすり潰すっ……!
マザーロウ様がプリシラにしたように、徹底的にケチョンケチョンにっ……!!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
いちばんの不安が払拭されたので、わたしはルンルン気分でシャワーを浴びたあと、着替えて厩舎に戻る。
スーホくんの隣にベッドがわりの藁を敷いていると、様子を見に来たナイトくんが我が目を疑うような声をあげた。
「おいおい……お前、マジでここで寝るつもりかよ」
「うん、ヘビイチゴ様もいいって言ってくれたしね。ダメって言われてもこっそり抜け出すつもりだったけど」
「どうしてそこまで……」
「スーホくんと仲良くなりたいの。他の子たちはお世話をしてるうちにだいぶ仲良くなれたんだけど、スーホくんだけはぜんぜん懐いてくれなくて……」
「スーホは特に気難しいんだ。俺でも近づけない時があるくらいだからな」
「そうなんだ……。わたしの実家にいる馬もなかなか懐いてくれなかったんだけど、病気になった時に夜通し看病したら仲良くなれたんだよね」
「なるほど、だから一緒に寝ようとしてるのか。ったく、お前にゃさすがのリオもびっくりするかもな」
ナイトくんの一言は何気なかったけど、わたしの耳は馬のようにピーンと立っていた。
「い……いま、リオって言った!? それってもしかして……!」
「ああ、ソリタリオ王子のことだよ。王子は仲のいい学友にはリオって呼ぶことを許してくれるんだ」
「なにそれ素敵っ! わたしも呼ぼうっと!」
「そりゃやめといたほうがいいな。リオって呼ぶのを許されてるのは俺を含めて4人だけだから」
「い……いいなぁいいなぁ! よぉーし、わたしもスーホくんと仲良くなって、王子とも仲良くなるぞっ! えい、えい、おーっ!」