43 王子の駆け引き
……ファーストキスは、どんな味?
ソレイユはそんなことを夢想することが度々あった。
かくしてそれは果たされたのだが、ソレイユは味など気にしているどころではない。
口から魂が抜け出て、そのまま昇天してしまいそうなほどの忘我の極地にいた。
とうとうソレイユは腰砕けになり胸にくたっと身を預けてきたので、ソリタリオはそのまま抱きあげる。
「じゃ、帰ろっか」
「に……逃がさないぞよ!」
ファーストキスの余韻をぶちこわすかのように、ふたりの間にボツ・チャーマの怒声が割り込む。
「我が国に不法侵入するだけでなく、余の結婚式まで妨害しにくるとは! 許さんぞよ!」
顔を真っ赤にするボツ・チャーマに対し、ソリタリオは涼しげな笑みを返す。
「なんでそんなに怒ってるの? 僕は、僕の石ころを取りにきただけなのに」
「その女は余のものであるぞよ!」
ボツ・チャーマが目配せすると、すでに周囲を取り囲んでいた兵士たちが一斉に抜刀する。
ソリタリオは「もう帰るからおかまいなく」と手を上げた。
「そう遠慮せずに、もうちょっとゆっくりしていくぞよ……!」
ボツ・チャーマも自らの剣を抜き、ソリタリオに突きつける。
「恋は盲目というが……どうやら、よほどその女に入れ込んでいるようだな! 敵地に単身で乗り込んでくるとは!」
ソリタリオは「違うよ」と短く否定。
「気に入った……! その女、ますます欲しくなったぞよ! その女を抱いている目の前で、貴様を八つ裂きにしてやるぞよ!」
「違うって」
「いまさら後悔しても遅いぞよ! この丘には10万もの兵士に、最新鋭の砲台が100基配備されておるぞよ! たったひとりで逃げることなど不可能ぞよ!」
「だから、違うって言ってるのに……。なにもかも間違ってるけど、面倒だからひとつだけ訂正しておくよ」
ソリタリオは大勢の兵士に囲まれていても、眉ひとつ動かさないほどに堂々としていた。
乱入者のはずなのに、この結婚式の主役であるかのように。
そしてさらなる自信を、さわやかな笑みとともに放つ。
「僕はね、逃げ帰ったことは一度もないんだ」
それはあまりにも大胆。あまりにも不敵だったので、圧倒的有利なはずのボツ・チャーマですらうろたえるほどであった。
「は……ハッタリぞよ! そんなハッタリにビビる余ではないぞよ!」
「そう? なら、あの山を見てみるといいよ」
両手が塞がっているソリタリオは、鼻先である方角を示す。その遥か先には連なる山々のシルエットがあった。
ボツ・チャーマの隣にいた将軍が望遠鏡でその方角を確認するなり「ああっ!?」と度肝を抜かれたような声をあげる。
「貸すぞよ!」と望遠鏡を奪い取ったボツ・チャーマも、「ああっ!?」と肝が飛びださんばかりの声をあげていた。
「ほ……砲台……!? 砲台が、あんなところにあるぞよ……!?」
なんと、山の頂上にはいくつもの砲台が鎮座しており、砲塔はすべて丘の上の式場に向いていた。
そこで誰もが思い出す。ソリタリオが式場に現われる寸前、大爆発が起こったことを。
「ま……まさか、あの距離から砲撃したぞよ!?」
「ばかな!?」と将軍。
「そ……それはありえません! 砲台の有効射程は1キロ、最大射程でも5キロです! あの山からここまでは10キロも離れています! そんな距離を狙える砲台が、この世にあるわけが……!」
心胆寒からしめたのがありありとわかるほどに震えているボツ・チャーマと将軍は、同時にソリタリオを見やる。
ソリタリオは高い祝儀を払わされた招待客のような困り笑顔を浮かべていた。
「ヴェルソ小国で秘密裏に開発された、最新鋭の魔導砲台さ。まさかこんなところで初お披露目することになるとは思わなかったけどね」
「な……なんでぞよ!? なんで敵国の砲台が我が国にあるぞよ!? 国境警備隊はなにをやっているぞよ!?」
「ビュアだね。内通者を送り込んでいたのは自分たちだけだと思ってたの?」
「ぐっ……!」
「僕に指一本でも触れれば、砲台は一斉射撃を始める。そうなれば、この丘は地図から消え去るだろうね」
「そ……そんなことをするはずがないぞよ! だってそんなことをしたら、貴様まで巻き添えになるぞよ!」
「うん、僕はそれでもいいよ」
「な……なに……!?」
「僕が死んだところで、国王は健在だからヴェルソ小国はなにも変わらない。僕のかわりとなる王子が帝都から送られてくるだけさ」
「でも、そっちは大変なことになるよね」と鋭い目つきをボツ・チャーマに向けるソリタリオ。
「この式場には、この国の要人たちが勢揃いしてるんでしょ? それだけじゃなくて、支援してくれる大国の人たちもいる……。砲撃されたらこの丘だけじゃなく、この国すらも地図から無くなるだろうね」
ソリタリオは目尻を下げ、自虐的な笑みを作る。
「そうなったら、僕は長年の領土問題を解決した英雄として銅像を建ててもらえる。お飾りの王子でいるくらいなら、そっちのほうがいいかもしれないね」
そう語る彼の姿は、未来ある若き王子というよりも世を捨てた老兵のよう。
これはハッタリなどではない。そこにいる誰もがそう思った。
究極の選択を迫られ、ボツ・チャーマは全身に火が付いたかのように赤くなっていく。
「ぐ……ぎぎっ……!」
「さぁ、どうする? 僕を殺して国を滅ぼすかい? それとも僕を盛大に見送るかい? ……どっちにしても、僕が英雄になることには変わりはなさそうだけど」




