36 婚約者いびり決着
朝っぱらからいいように弄ばれたのが悔しくて、わたしは半泣きで叫びまくった。
「女の子の顔にイタズラ書きするなんて最低っ! ふ……拭いて! 拭きなさい! でないと王子の制服に顔をこすりつけてやるんだから!」
「相変わらず、へんな脅しをするんだね……。まあいいや、おいで」
王子はポケットからハンカチを取り出すと、わたしの顔についたメイクを落としてくれた。
それがなんだか顔面マッサージをされているみたいで、わたしはすべての負の感情を忘れ、王子の腕に身体を預けてとろけきってしまう。
「はい、きれいになったよ」
窓を見ると、いつものわたしの顔がそこにあった。
王子は汚れたハンカチを通りすがりのメイドさんに渡し、洗いたてのハンカチを受け取っていた。
「じゃあね」
「えっ、どこに行くの? 学校? なら、わたしもいっしょに……」
「家を出るのはまだ早いよ。食堂に行くんだ」
「食堂……?」
「せっかく早起きしたんだから、キミも来たら?」
言われるがままに王子ついていくと、たどり着いた先は王族用の大食堂だった。
いちどに50人は座れそうな長~いテーブル、その奥の上座のあたりには3人前の朝食が用意されている。
上座は空席だったけど、その両隣にはジワルくんとヘビイチゴ様がいる。
ふたりは王子の姿を見るなり顔を明るくして挨拶していた。
「おはようございます、兄上!」「おはようございます、ソリタリオ様」
パジャマ姿でポツンと佇むわたし。
わたしはこの宮殿に来てからずっと、食事は寝室でひとりで食べている。
「毎朝みんなでごはんを食べてたなんて、知らなかった……!」
「そうだったんだ。でもソレイユは毎朝ギリギリまで寝てるんでしょ?」
わたしは仲間はずれにされたような気がしてショックを受けてたけど、王子にそう指摘され「うっ」と言葉に詰まる。
メイドさんが朝食を寝室に持ってきてくれるんだけど、寝坊してパンだけ咥えて飛びだすんだ。
「早起きできるなら、ソレイユもここで食事をするといいよ」
王子の提案に「する!」と即答、しかしすぐに異論が噴出した。
「えーっ、大根娘がいっしょなんて、食事がマズくなっちゃうよ!」
「ジワル様のおっしゃる通りです。それにソレイユさんは地方貴族のお客様なのですから、この食堂には相応しくありませんね」
「僕がいいって言ってるんだよ?」
王子のその一言だけで、ふたりはそれ以上はなにも言わなくなる。まさにツルの一声だった。
王子は上座に着席しながら、給仕係のメイドさんに命じる。
「ソレイユの席も用意して。今日はヘビイチゴさんの隣でいいけど、明日からは僕の隣、いまヘビイチゴさんが座っている席に用意して」
この決定に、ヘビイチゴ様は目玉が飛びださんばかりになっていた。
「な、なぜ!? ソリタリオ様の隣はヘビでなくてはなりません!」
「それこそなぜなの?」
「ソリタリオ様がこの食堂でお食事をされるようになってから、ヘビはずっとこの席! 不動の指定席だからです!」
「それはヘビイチゴさんが勝手に決めたことでしょ? 僕には関係ないよ」
「あ、あります! もし毒でも入れられたら……!」
ヘビイチゴ様はよほどわたしを食堂に入れたくないのか、ついにわたしを暗殺者扱いしだす。
しかしヘビイチゴ様は自分で言っておきながら、この説得は無意味だと気づいた様子でさらにまくしたてた。
「ほ……他にも理由はあります! どこのブタの骨ともわからない田舎貴族の小娘をそばに置くなんて! この王族専用の食堂の品位がダダ下がりに……!」
ヘビイチゴさんの言葉は潰える。いつもと違う王子の視線を感じたからだ。
「……僕の婚約者が、なんだって? もう一度言ってもらえるかな?」
それは目を細めた微笑みのはずなのに、なぜか見据えた者を斬首台に掛けるような不思議な迫力があった。
ずっと歳上のヘビイチゴさんですら、厚化粧の上から白い汗を垂らすほどに怯えている。
しかしそれでもヘビイチゴさんはあきらめきれないのか、とうとう最後の手段に訴えた。
ナプキンで顔を覆ったかと思うと「ワーッ!」と大げさに泣きはじめる。
「ひ……ひどい……! ずっとソリタリオ様のお世話をしてきたヘビを、お払い箱にするなんて……! 朝と夜にソリタリオ様とジワル様と食卓を囲み、おふたりの一日の出来事をお伺いすることが、ヘビの唯一の楽しみなのに……!」
しかし王子はバッサリだった。
「ずっとって、ヘビイチゴさんが乳母になったのはここ最近のことでしょ。僕にはなんの感情もないよ。
「そ、そんな……!?」とナプキンを噛むヘビイチゴ様。
「いい機会だから、ついでに言っておくよ。ソレイユに残飯を食べさせるのは止めるんだ」
これにはわたしとヘビイチゴさんが「「えっ!?」」と同時にハモる。
ヘビイチゴさんは「なぜそのことを!?」というニュアンスだったけど、わたしは違っていた。
えっ……あれ、残飯だったの……!?
田舎のごはんよりずっと豪華だったから、ごちそうだと思って大喜びでバクバク食べてたんだけど……!
「ピュアだね」
ソリタリオ王子のその言葉は、わたしの胸に突き刺さる。しかしヘビイチゴさんも思い当たるところがあるようで、胸を押さえたまま唇をひん曲げていた。
「一週間やそこらなら、僕はなにも言わないつもりだった。新参者っていうのは、どこでも手荒い歓迎を受けるものだから。逆にこのくらいのことに耐えられないのなら、この国の社交界ではやっていけないからね」
王子はここでいったん言葉を切った。自分の発した言葉がヘビイチゴさんに染み込むのを待つかのように、たっぷりと間を置いている。
やがて、これから言うことこそがもっとも重要なので肝に銘じろといわんばかりに、ゆっくりと口を開いた。
「……でもこれ以上の意地悪をするなら、僕も黙ってないよ。ソレイユは、僕だけの石ころだ」
それからずっとヘビイチゴさんは無言のまま。
わたしはヘビイチゴさんの隣に用意された席に着き、朝ごはんを食べる。
パンは木の板みたいにペチャンコでカッチカチじゃなくて、雲みたいにふっくらでふわふわ。
しかしわたしは複雑な気分だったので、せっかくのごちそうも味がよくわからなかった。
王子はわたしにはすっごく意地悪なのに、他の人がわたしに意地悪するのにはすっごく厳しいんだよね……。
クラスメイトや担任の先生どころか、乳母にまでぶっとい釘を刺すようなマネをするなんて……。
それと王子は暴力を振るったり、ごはんをあげないみたいな意地悪はしてこないんだよね。
わたしを本気で苦しめようっていうより、からかってアタフタしてるところを楽しんでるみたいな。
それと……たまにだけど、すっごくやさしくて……。
それがまた、ずるいんだよね……。
「ソレイユ、このジャムおいしいよ。この宮殿の庭で採れたブルベリーから作られてるんだ」
無邪気な笑顔でジャムの容器を差し出してくるソリタリオ王子。
わたしはすっかり、この悪魔のような天使の笑顔の虜になってしまったようだ。




