03 前世の記憶
わたしの全身は硬直、脳内で雷鳴が鳴り渡る。
わたしの脳が殻付きのゆで卵だったとすると、その半分が落雷によって割れ、ずるりと剥け落ちたような感覚に襲われていた。
直後、虹色の光とともにジェットコースター級の走馬灯があふれだす。
ジェットコースターなんてこの世界には無いけど、あるんだ。
わたしの前世には……!
そう。わたしは前世の記憶を取り戻していた。
前世のわたしはしがないOLで、趣味は乙女ゲー。
なかでもいちばんのお気に入りは、『千変愛華サウザンド・キッス』。
意中の男の子と1000回のキッスを成功させると、超ハッピーエンドの隠しエンドに行けるというゲームだった。
その『センキス』のヒロインの名前はプリシラ。ライバルの悪役令嬢の名前はロウレンス。
それはただの偶然なんかじゃない、前世の記憶があるいまならわかる。
わたしのママは『センキス』のヒロインで、肖像画に描かれているのが悪役令嬢のロウレンスだ。
わ……わたしは……ゲームの世界に生まれ変わってたの……!?
しかしおかしい。『センキス』のメインルートのラストは、プリシラとアルクトス王子が幸せな結婚をするんだ。
ロウレンスはふたりを引き裂くためのありとあらゆる策略をするがすべて失敗、挙げ句に結婚式でふたりを亡き者にしようとする。
しかしプリシラとアルクトス王子は力を合わせて魔女となったロウレンスを撃退、ロウレンスは反逆者として処刑されるはずなのに……。
でも、そうなってないということは……。
ま……まさか……ここは裏ルート……?
裏ルートというのは『センキス』の没シナリオのこと。
それはメインルートとは真逆。
ロウレンスが策略の末にアルクトス王子と結ばれて、プリシラが失墜する世界。
でも、そう考えるといろいろつじつまが合う。
ソリタリオ王子の性格が悪魔的なのは、悪役令嬢の息子だからだったんだ。
そして、わたしのママが重度の王子アレルギーである理由もわかった。
王子と似た名前を聞いただけで体調不調を訴えていたのは、負けヒロインとしての思い出が蘇ってきたから。
幼いわたしが王子と結婚したがるのを叱っていたのは、同じ負けヒロインになってほしくない一心からだろう。
さ……最悪だっ! わたし、最悪の世界に来ちゃったぁぁぁぁーーーーっ!!
思わず頭を掻きむしるわたし。しかし厳しい声が飛んできて我に返る。
「おいっ、母上を呼び捨てにするなんて無礼だぞ!」
気づくと、ロウレンス……いや、マザーロウの肖像画の前に移動していた中学生くらいの男の子がわたしを睨んでいた。
わたしは慌てて頭を下げる。
「す、すみません! 緊張のあまり、つい……! あの、ボクは……?」
「バカにするな! お前にボク呼ばわりされる筋合いはないぞ! ボクはジワル王子だ!」
王子……? と、いうことは……。
「ジワルくんはソリタリオ王子の弟くんなんだね。どうりで似てると思った」
「兄上の婚約者になったからって馴れ馴れしい口を聞くな! お前みたいな大根娘、どうせ1週間後には元の弱小貴族に逆戻りなんだからな!」
さすが悪役令嬢一族だけあって、姑も小姑ものっけから手厳しい。
でも飼い犬であるセントバーナードは違うようで、わたしのまわりをクルクル回ってフンフン匂いを嗅いだあと、わたしの後ろから寄り添うようにスリスリしてくれた。
「こんにちは、あなたお名前はなんていうの?」
「犬が喋るか、バカが! そいつはグッドだ!」
罵りつつも名前だけはちゃんと教えてくれるジワルくん。
わたしはしゃがみこんで、グッドくんの頭をナデナデする。
「グッドくん、これからよろしくね。お手!」
するとグッドくんは「ワンッ!」と元気よく鳴いてわたしの手に前足を乗せてくれた。
おお、よしよしと頭をわしゃわしゃしてあげていると、わたしの脇腹が妙に生温かい。
見ると、グッドくんは前足でお手をしながら後ろ足をあげて、器用なポーズでわたしにオシッコをひっかけていた。
「わあっ!? なにするの!?」
びっくりして飛びあがるわたしを見て、ヘビイチゴ様とジワルくんは大笑い。
「オホホホホ! グッド用の新しいトイレが探していたのだけれど、あなたならピッタリだわぁ! ちょうど、おトイレみたいな顔をしてるしねぇ!」
「あはははは! たしかにトイレみたいな顔! マジでジワるんだけど!」
嘲笑を浴び、怒りと屈辱でプルプル震えるわたし。
そしてこの時、確信する。
ちょっと前まで、もしかしたら王妃になれるかも! なんて思ったこともあった。
でもいまなら、ぜったいに無理だってわかる。っていうか、頼まれたってなってやるもんか。
こんな悪魔みたいなオバサンと、こんな小悪魔みたいなガ……子供がいる家庭なんて!
ぜったいに……いやだぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
人生のワーストランキングに入るほどの最悪の挨拶を終えたあと、わたしは執事さんから寝室に案内される。
そこは、ソリタリオ王子をはじめとする一家の寝室とはだいぶ離れた場所にあった。
「婚約者の方のための寝室はあるのですが、ソレイユ様は一週間のご滞在とのことですので、こちらの来客用の寝室を用意するようにとヘビイチゴ様から」
「そ……そうっすか……」
さっそく陰湿な姑イジメの始まりだ。
わたしの気持ちは完全に『実家に帰らせていただきます』モードだったけど、それはできなかった。
「パパが有力者との繋がりを持つまでは、ここで我慢しなくちゃね……。それにここで逃げたりしたら、あの姑の思うツボだわ」
わたしは気を取り直して寝室に入る。
寝室といっても王族の来客用だけあって、ホテルのスイートルームくらいの広さがあった。
初めて来る場所なのに妙に見覚えがあったんだけど、そういえばこの寝室はゲームでも出てきたような気がする。
「そういえばわたしにはゲームの知識があるんだから、それでなにかできないかな?」
ちょっと考えてみたけど、特にこれといったネタは思いつかなかった。
だってわたしが転生したのは、ゲームの時代から何十年も経ったあとの没シナリオの世界。
「ゲームのヒロインは初老を越えちゃってるし、歳上の攻略対象とかはもうおじいちゃんだろうし……」
ゲームの知識を活かすことはひとまずあきらめて、部屋に荷物を降ろす。
よそいきのドレスから動きやすい服装に着替え、エプロンに三角巾をした。
「だったらまずはお嫁さんらしいことをして、ヘビイチゴ様をギャフンといわせてやろう。それにうまくいけばソリタリオ王子もわたしのことを好きになってくれるかも」
なんでだろう。ソリタリオ王子は最悪のはずなのに、どうしても心の底から嫌いになれない。
あの、容赦がないのに余裕はたっぷりな態度、大人びているのにどこかいたずら小僧みたいな雰囲気。
そしてあの、りりしいのに涼やかな感じの目が特にやばいんだよね。
すべてを見通すクールな天才少年のようで、どこか危なっかしい不良少年のような瞳。
その目で見つめられていたんだと思うと、それだけで胸がキュンとなってしまう。
「よぉーし、やるぞっ! わたしの超絶掃除テクニックで、ソリタリオ王子のハートもわし掴み~っ!」
わたしは張り切って廊下に飛びだし、そのへんにある扉を手当たり次第に開けて掃除用具室を見つける。
ハタキとモップを持って、宮殿の廊下の掃除を始めた。
すると執事さんやメイドさんたちが慌てて止めにきたんだけど「いーからいーから」と掃除を続ける。
こうしてると、なんだか新婚気分を味わえた。
「うふふ、ソリタリオ様、喜んでくれるといいな。もしかして、旦那様の帰りを待つ奥さんってこんなカンジなのかな」
廊下に飾られていた胸像をわたしに見立て、わたしはソリタリオ王子の顔マネをする。
「ただいまソレイユ。おお、どこもかしこもピカピカじゃないか。最高の奥さんには、ごほうびをあげなくちゃね」
キス顔でムチュムチュしていると、ふとわたしの頭の上にモスッと何かが乗る。
なんだろう? と見上げてみると、それはわたしの頭にヒジを置いたソリタリオ王子だった。