27 ソレイユの特訓
春とはいえ、夜の空気は身が引き締まるほどに冷たい。
誰もいない薄暗い裏庭。やがてその片隅に、ひとりの少女の荒い息づかいが響きはじめる。
「えいっ! やあっ! とぉーっ!」
少女は腕立て伏せを数回やっただけで、べしゃっと芝生に伏す。草まみれの顔で起き上がると、背中に担いでいた木剣で素振りを開始。
しかしふとその手を止めさせるつぶやきが起こる。
「なにやってるの」
少女が振り向くとそこには、窓枠で頬杖をつく愛しの君の姿が。
「王子!? なにって、見ればわかるでしょ! 邪魔しないでください!」
「邪魔してるのはソレイユのほうでしょ、人の部屋の裏でワーワー騒いで。おかげで本も読めやしない」
「えっ……ここ、王子の部屋の裏だったの……?」
「そうだよ」
「でも王子、ノンキに本なんて読んでる場合じゃないでしょ!? 決闘の相手はあのナイトくんなんだよ!?」
ソレイユは今朝の通学路での出来事を思い出し、その時とおなじ困惑の表情を浮かべていた。
「でも、ナイトくん……。なんでレットちゃんの味方をしたんだろう。王子の友達なのに……」
「ナイトも、レットイットのほうが僕に相応しいと思ったんじゃない?」
王子のその一言に、ソレイユの気づかわしげな表情が吹き飛んだ。
「ぐっ……! ナイトくんめぇぇぇ~~~~っ!」
「決闘は明後日なんだから、いまから練習しても無駄じゃない?」
「えっ、王子は練習しないの?」
「僕は剣の練習なんて一度もしたことないけど」
「ええっ!? 練習なしで、あんなに強いの!?」
「あんなにって、教本に書いてあったことをそのままやってるだけだよ」
「す……すご……! でも、それなら……!」
地獄の亡者が二本目のクモの糸を見つけたかのように、フラフラと窓際に近づいていくソレイユ。
「お……教えて……!」
しかしソリタリオは考える素振りすら見せなかった。
「イヤ」
「なんで!? 決闘に負けたら、わたしはナイトくんとデートするんだよ!? それでもいいの!?」
「いいよ。前にも言ったでしょ、他の男と付き合ってもいいって。どうせ僕以外の男は好きになれないんだから」
「ぐっ……それはそうかもしれないけど……! あっ、まさか王子、レットちゃんとデートしたいの!?」
「そうかもね。だったら決闘のことよりも、デートのことを考えたほうがいいかも。今回ばかりは負けるかもしれないし」
いままでソレイユは、絶対的自信のソリタリオの姿しか知らなかった。
態度はいつものように飄々としているものの、こんな後ろ向きな発言を聞いたのは初めてである。
「でも、レットイットも考えたもんだよね。1対1じゃ勝ち目が無いから2対に2にするなんて。それも相手のひとりを倒せば勝ちっていうルールにするなんて」
「それって完全にわたし狙いだよね!? なんでそんなルールをオッケーしちゃったの!? しかも明後日なんて! せめて来年とかにしてくれればよかったのに!」
「言ったでしょ、僕はどんな不利な条件の決闘でも断らないって」
「だったら明後日の決闘は、わたしを守ってよ!」
「それは難しいんじゃないかな。決闘になったら、まずナイトが僕の足止めをして、その間にレットイットがソレイユを集中攻撃する作戦だと思うから」
「そんな……!」
その言葉はソレイユに重くのしかかった。
ナイトは次期近衛騎士の団長最有力とされている逸材である。
近衛騎士団といえばどの国でも最強の兵士が配属される。しかもその団長となれば、国内最強の剣士といっても過言ではないだろう。
「ナイトはまだ騎士見習いだけど、学園の同級生はもちろん、上級生でも勝てる人はほぼいないんじゃないかな」
これまで達人クラスの剣術を披露してきたソリタリオであっても、ナイトは手に負えないというのだ。
ソリタリオは追い討ちを掛けるように言葉を続ける。
「決闘は防護魔法ナシってルールだけど、ナイトなら一本取ったところで打ち込みを止めてくれると思う。でもレットイットはソレイユのことをボッコボコにしてくるんじゃない?」
それはからかうようなニュアンスであったが、ソレイユはそれに気づくどころではなく、サッと青ざめていた。
「そ……そんなぁ!? だ……だったら、せめて身を守るための剣術を教えてよぉ!」
「なんで僕が。実力テストの時みたいにジワルに教わればいいのに」
「テストの結果が圏外だったからジワルくん怒っちゃって、教えてくれなくなっちゃったの……!」
とうとう窓枠にすがり、えぐえぐと涙ぐむソレイユ。
しかしソリタリオは、その芸は見飽きたといわんばかりの態度だった。
「いい機会だから、自力でがんばってみたら? がんばるの好きなんでしょ? あ、がんばるにしてもここじゃなくて遠くに行ってがんばってね」
「は……薄情ものーっ! 教えてくれなきゃ、ここでひと晩じゅう素振りしてやるんだから! きえぇぇーーーーっ!」
ソレイユは背を向けると、ヒステリックに叫びながら木剣をぶんぶん振り回しはじめた。
「また、へんな脅し方して……」
ソリタリオは息をひとつ吐いてから、窓枠をひらりと乗り越える。
きかん坊をなだめる親のように、ソレイユを背後から抱きしめた。
それだけで、ソレイユは「うおっ!?」と飛び上がりそうになる。
「お、王子、いったいなにを……!?」
「窓を見て」
「へ?」
言われるままに視線を移すソレイユ。
窓ガラスにはソレイユの肩を抱き、頭にアゴを乗せるソリタリオの姿が映っていた。
それはどう見ても恋人どうしのバックハグ。ソレイユの心拍数は急上昇しかけたが、
「アゴ乗せにちょうどいいなと思って」
「ふ……ふざけないで! わたしの頭をなんだと思ってるの!?」
抗議するソレイユを、ガラスごしに見つめ返すソリタリオ。
「じゃ、交換条件ね」
「え?」
「いつでもこうしていいなら、僕のとっておきの剣術をひとつだけ教えてあげるよ」
ソリタリオは返事を待たず、ソレイユの小さな胸と細い腰に腕を回し、ひとつになるかのごとく抱きしめた。
ラベンダーの花園にいるように、ソレイユの全身を爽やかな香りが包み込む。
「えっ……!? あ……!? そ……! その……!」
胸を突き破らんばかりに暴れ出すソレイユの心臓。
その高鳴りを知ってか知らずか、ソリタリオはいたずらな天使のような声でささやきかけた。
「じゃあ、やろっか」
「は……はいっ……!」
冷たい夜気が心地良く感じるほどに顔を赤くしながら、頷くソレイユ。
ソリタリオは抱きしめていた腕をほどき、木剣を構えているソレイユの手に添えた。
「まずは全身の力を抜いて、僕が導くとおりに剣を動かしてみて」
「はいっ!」
ソリタリオはソレイユの手を持ったままゆっくりと、高く上段気味に木剣を振り上げ、それから剣先が地面に当たるまでまっすぐ振り下ろす。
「振り上げる時は腰を反らして、振り下ろす時は腰を曲げて前屈みになって。勢いを付けて、剣先で地面を叩くようにするんだ。さぁ、今度はひとりでやってみて」
「はいっ!」
ソレイユは素直に頷くと、言われたとおりのフォームで地面を叩きはじめる。
爽やかな汗を流しながら、ソリタリオに尋ねた。
「ねえ、振り下ろす時の掛け声はなにがいいかな!?」
「そうだなぁ、『えんやこーら』あたりがいいんじゃない?」
ソリタリオはもう我慢できないとばかりにクスクス笑いはじめる。
「ま……まさかっ……!?」と、してやられた表情になるソレイユ。
「うん、それは畑を耕す『農耕剣法』だよ、田舎貴族のキミにはピッタリだと思って」
「うっ……うがぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!! こっ、この、悪魔ぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」




